はじまり
かおりとたかしはゆうき宅に到着した。
玄関脇では、モカが引きちぎれんばかりに尾を振っていた。
「あらかわいい。ゆうき君家で飼ってる犬?」
「そうだよ。モカっていうんだ。でもとりあえず、インターフォンを鳴らそう」
たかしがインターフォンを押す。すると中から、小走りの足音が聞こえてきた。
扉が開かれ、ゆうきの母が顔を出す。
「あら、たかし君。えっと、そちらもゆうきのお友達?」
「はい。田中かおりと言います。私、ゆうき君とお付き合いさせて頂いています」
「えっ」
「あら」
意外な事実に、二人が驚きの声を上げる。
「そうなの。ふーむ、あの子にガールフレンドがねー」
ゆうきの母は顔をほころばせ、しきりに頷いていた。
「かおりちゃん、いつからゆうき君と付き合ってるんだい?」
「今日からよ」
「今日?」
「そう。昨日告白されたの。すごく遠まわしな告白だったけど。それで今日、OKの返事をしようと思ってゆうきくんの家を訪ねたの」
たかしはかおりの話を聞き、昨日ゆうきが話していたことを思い出した。
(ゆうき君、たしかかおりちゃんにも例の件を話したって言ってたな。……なるほど、そういうことか)
たかしはかおりの壮大な勘違いに気付いた。しかし、たかしはそれを黙っておくことにした。
「そういうことだったんだ。おめでとう。それでゆうき君のお母さん、ゆうき君はどちらに?」
「ごめんね、ゆうきなら、ちょっと前に家を出たのよ」
「そうですか。ありがとうございます。かおりちゃん、だそうだよ」
「急げば追いつけるかも。行こうたかし君。おばさま、ありがとうございました」
「二人とも、これからもゆうきをよろしくねー」
ゆうきの母に見送られ、二人は走り出した。
――公園では、今まさに命の受け渡しが行われようとしていた。
「それじゃあマスクを君に渡すよ。受け取って」
天使がおもむろに兎のマスクを脱ぐ。すると、マスクの下に隠された素顔があらわになった。
その顔は、一年前より少々大人びてはいたが、間違いなくゆうきの兄、こうきの顔だった。
「……兄さん。おかえり」
ゆうきはこうきの手に触れようとした。しかしその手は空を切り、その体に触れることはできなかった。
「じゃあ、僕は公園の入り口へ移動するよ。君はここで、覚悟ができ次第マスクを被るといい。君がマスクを被った瞬間、このこうきの体は実体化し、皆が認識できる体になる」
こうきの顔をした天使はそういい、公園の入り口へと向って行った。
ゆうきはそれを名残惜しそうに見つめた。
せっかく再開できても、話すことすらできなかった。
あまりにあっけない無い再開に、わずかばかり、後悔の念が生じる。
しかしゆうきはそれ振り払う。
自分で決断したことなのだ。後悔するのは間違っている。
これでよかったのだと、自分を無理やりに納得させた。
手にしたマスクに目をやる。顔を入れる部分には、真っ黒な闇が広がっていた。
マスクを頭上に振りかざす。ここで逡巡してはいけない。
「さようなら、兄さん」
そしてゆうきは意を決し、マスクを被った。
――たかしとかおりは走っていた。
たかしは道の先にある公園に、誰かがいることに気付いた。
「かおりちゃん、あれ、こうきくんじゃない?」
「はぁ、はぁ、こうき君って誰よ。私知らないわよ」
「かおりちゃん、違うクラスだから知らないんだね。ちょっと話を聞いてみよう」
二人は公園の入り口に佇む人物へと走りよった。
「やっぱりこうき君だ。おはよう」
「おはようたかし君。どうしたんだい? そんなに急いで」
「僕達、“ゆうき君”をさがしてるんだけど、知らないかい?」
「ゆうきなら、公園の中にいるよ」
「公園の中に? ありがとう」
「いえいえ。それじゃあ僕は学校へ向うよ。じゃあ」
こうきは通学路を学校へ向けて歩き出した。
――ゆうきはこうきへ命を受け渡した。
これで自分は誰にも感知されないのだと思うと、少し寂しかった。
これから自分はどうのだろうと思っていると、入り口の方がなんだか騒がしくなった。
何事だろうとそちらを見遣ると、たかしとかおりが、こうきと話していた。
(たかし君とかおりちゃん、珍しい組み合わせだな。それにしても、兄さん、ちゃんと実体化したんだね)
二人がこうきと会話していると言う事実が、こうきの実体化の裏づけだった。
それを確認し、とりあえずゆうきは安堵した。
しばらく三人を観察していると、こうきが学校へ向って歩き出した。
二人もそれに習って学校へ向うのだろうと思ったが、意に反して二人は公園内へと歩き出した。
(公園に一体なんの用だろう)
二人が公園の真ん中で立ち止まる。二人の見つめている方向は一緒だった。
しかしその方向には、見えていないはずのゆうき以外、なにも存在しない。
ゆうきが首をかしげていると、かおりが突然口を開いた。
「ゆうきくん、何そのおかしな兎のマスク?」
(えっ)
ゆうきは驚いた。かおりがゆうきを認識できているはずはないからだ。
ゆうきが試しに質問してみた。
「二人とも、僕が見えるの?」
「ゆうきくん、どうしたんだい? あたりまえじゃないか」
たかしが答える。これはどういうことだ?
ゆうきは兎のマスクを脱いでみた。すると、マスクの後頭部の部分に紙が貼り付けてあった。その紙に何かが書かれている。
ゆうきはそれを読んでみた。
『自らの命を捧げるという男気に、僕は大変な感銘を受けました。そこで、君がこの世に残れるよう、僕が神へ直々に頼み込んで、許しをもらいました。これから兄弟揃ってお幸せに。~天使より~』
初めて天使らしいことをしてくれたと、ゆうきは思った。
ゆうきは心の中で、天使に感謝した。
「ゆうきくん、昨日の話だけど、私、受けることにしたから」
「……ああ。それならもういいんだ。全部終わったから」
「えっ」
たかしだけが二人の勘違いに気付いていたが、例によって黙っていた。
「それより二人とも、早く行かないと遅刻するよ」
「そうだね。みんな走ろう」
「ちょっと、終わったってどういうこと!?」
ゆうきが走り出すと、追うようにして二人も走り出した。
ゆうきは思う。すべて夢だったのではと。
しかしゆうき腕には、しっかりと兎のマスクが抱えられていた。
これを見るたび思い出すのだろう。この不思議な出来事を。
しかし、決して忘れない。今日という日を。
通学路には、三人の賑やかな声がいつまでも響いていた。
~おわり~




