白蛇に餌をあげていたら3000年後、神獣になって異世界の王妃を迎えに来ました
異世界の大陸は人族の国が支配していた。
しかし、3000年遡ると、そこは魔族、魔獣と人族の三つ巴が、その種の存在を賭けて争う戦国時代であった。
魔王城の王座に座る魔王に、次から次へと報告がやって来た。
「第一防衛線、突破されました!」
「第二防衛線も突破です!」
「ええい、四天王は何をしておる。早くやつを退治いたせ」
「グレイブ様、ゼノン様討ち死になりました」
「ヴェロニカ様討ち死、四天王の最後の砦バルタザール様もあっけなく殺されました」
「何だと!」
魔王は怒りのあまり、報告に来た兵の頭を掴んで握り潰した。
グシャー!
地面に投げ捨てた部下の死体を見て、魔王はいくぶん冷静さを取り戻した。
──そのとき、
《お主が魔王か》
魔王の頭の中に声が響いた。しかしその姿は見えなかった。
「誰だお前は!」
ウゴゴゴゴ────!!
空気が震え、地面が唸った。
そして《認識阻害》で見えなかった姿が現れた。
──アナコンダだった。
巨躯の魔王が目線を上げた。
天井付近まで見上げた。
そのあまりにも巨大な姿に、魔王が畏怖を感じて、唾をゴクリと飲み込んだ。
◇
西村ヒロコが庭に出ると、植木の背後に隠れていた小さな
白蛇が姿を現した。
チロチロと赤い舌を出した。
「おはよう、エンマちゃん」
ヒロコはボウル(餌箱)に生卵と鶏肉を置いた。そして制服のスカートのポケットを探った。
「今日も元気そうね。『ちゅーる』も食べる?」
白蛇は差し出したチュールに鼻を付けてから、食べはじめた。
「猫の餌だけど大丈夫なのかな?」
ヒロコは高校に行く前に白蛇に餌をやるのが毎日の習慣だった。
そのとき、足元の地面が突如光りはじめた。眩しい強烈な光だ。
その光が魔法陣のような模様になった。
「えええー、なになに! これってもしかして、異世界召喚じゃない!」
気がつくと静謐なだだっ広い空間に立っていた。足元の魔法陣は光が弱まって消えてしまった。
目の前に身分の高そうな人物たちが並んでこっちを見ていた。
「おおー、よくぞいらっしゃいました。召喚者どの。私どもは、あなたが召喚されるのを今か今かと待っていたのです」
ここは魔法陣の部屋のようだ。
豪華な王冠を被った人間が二人いる。
ヒロコは見当をつけた。たぶん王と王妃だろうと。
「わしはパドアン。ヴェルディス王国の王である。王妃のフェドーラと、そちらが……」
「宰相のマントーニです」
宰相は美形の若い男だった。
(あっ、イケメン。タイプかも)
ヒロコの心臓が高鳴った。
「あ、あたしは西村ヒロコですーう」
(声がうわずった、えーん)
「ニシムラヒロコ様、あなたにはこの世界での大切なお仕事があります。どうか引き受けてください」
マントーニ宰相が言った。
「17歳の女子高生に何を頼むのですか? もしかして家庭教師とか?」
(魔王討伐とか勘弁してね)
「ほほー、そなた家庭教師ができるのか?」
王が言った。
「あ、はい。近所の小学生に教えてました。放課後のボランティアです」
「……よくはわからないが、9歳の息子の家庭教師はどうかな?」
「いいですよ。ただし三食昼寝つき。お給料もそれなりにいただきます。それから家庭教師やったら、いずれ元の世界に帰してくださいね」
王は驚いて、王妃と顔を見合わせた。
すかさずマントーニ宰相が口を挟んだ。
「よし、その条件を飲む。王様、よろしいですね」
「うむ、分かった」
そんなこんなで、ヒロコはいきなり異世界召喚されて王族の家庭教師を命じられてしまった。
「あなたはダリオ君ね。あたしは西村ヒロコです。ヒロコって呼んでね」
「お前が召喚された家庭教師か。ふーん、ちょっとかわいいからって調子乗るんじゃないぞ!」
9歳が女子高生を見上げてメンチを切る。
ガツン!
女子高生のこぶしが9歳児の頭に直撃した。
うええ──ん!
「生意気な口をきいたら、もう一発お見舞いするぞ! それから嘘泣きするな」
「あっ、バレた? なんで」
「女の子は小さい頃から嘘泣きするのよ。いわば嘘泣きのベテラン。そんなお芝居に騙されやしないよ、べーだ」
「おぬしできるな」
「おぬし……」
ヒロコは9歳児の頬をつねった。
「イテテ、また暴力かよ」
「しつけです。私はあなたのしつけを教える家庭教師なのよ、先生と呼びなさい」
「じゃ、勉強教えるんじゃないんだ」
「勉強も教えます」
「ちぇっ」
それでもダリオ王太子とヒロコは仲良くなれた。侍女もびっくりしていた。これまでどんな家庭教師でも手こずっていたからだ。
そもそも王太子に手を上げるなんて絶対にありえないらしい。
朝から夜まで、王太子の世話をするのがお仕事だった。
夜中、ドアからノックの音がした。
ヒロコが開けると、枕を抱きかかえたダリオ王太子が涙ぐんで立っていた。
「……怖い夢を見たんだ。ヒロコ、一緒に寝ていい?」
ダリオらしくない弱々しい態度だった。
「いいわよ。ただし、あたしは寝相が悪いからベッドから蹴り落としても文句言わないでね」
「ワオッ!」
ダリオ王太子は破顔して、ベッドにダイブした。
ヒロコは毎朝、王宮の敷地を散歩することにした。いざというときの逃げ道を確保しようと思ったからだ。
だが、マントーニ宰相とばったり出会って一緒に散歩することになった。
「一人で散歩したいです」
「僕とは嫌ですか?」
「そんなことないです」
ヒロコは慌てた。
「だったらいいじゃないですか。僕も毎朝散歩しています。公務で疲れた頭の中をスッキリさせるためです。朝の新鮮な空気を吸って鳥のさえずりを聞くのが一日の元気の元です」
そう言って、鉄面皮の宰相がヒロコに笑顔を見せた。
(あっ、笑顔が素敵。もっと普段から自然に笑えばいいのにね)
それから毎朝、マントーニ宰相と散歩するのが日課になった。
(監視かもしれないけど、でも楽しいわ)
ヒロコは毎朝の散歩を心待ちするようになった。
マントーニ宰相はヒロコの話の聞き役だった。つまらない話でも興味深く聞いてくれた。
3ヶ月がたった。
ヒロコは翌日の勉強のために図書室に入り込んだ。
偶然棚から『魔法陣』に関する本を見つけた。ヒロコの目が輝いた。
(いいの見つけた。とにかく魔法陣のことを知らないと帰れないからね)
ヒロコは王太子の相手のあとは図書室に通い詰める日々が続いた。
図書室の棚の奥からマントーニ宰相が、机で本を読むヒロコをじっと見つめていた。
夜中まで図書室に入り浸りのヒロコは本を枕にうつ伏せ寝してしまった。
ふと目が覚めると肩に男物の上着が掛けられていた。
見覚えのある上着だった。
「へー、優しいところあるのねマントーニ宰相」
「ダリオってよく見たら、王太子なのにお父様、お母様に似てないわね」
「そりゃそうさ。あかの他人なんだもの」
「えっ」
王宮の客間。
監視の侍女がいない場所にヒロコはダリオを連れて行った。
「知らないの? 王太子は『神様の生け贄』の子供なんだ。アナ様……神様への供物として殺されるんだよ」
「まさか」
「ほんとだよ。それと僕と王様とは血の繋がりないしね」
ヒロコは国民から神の『生け贄』が選ばれることを知った。
「そんなー、ひどいじゃない。そんな理不尽なことあるなんて……」
ヒロコは涙目になった。
「あっ、泣かなくていいよ。国民の義務ってやつだから。この国は干ばつが続いたら雨乞いのためのアナ様に生け贄を出す慣わしなんだ。で、その日が来るまで王様の息子になって1年間、贅沢三昧させてくれるんだよ。僕は貧しい農家に育ったから感謝してるよ」
「かわいそう……あなたがいなくなると寂しくなるわ」
ヒロコはダリオを抱きしめた。
「ううん、寂しくないよ。ヒロコと一緒に死ぬんだもの」
「なんですって!」
ヒロコは愕然とした。
「あれ、言ってなかったか? そもそもあなたを異世界召喚したのは、生け贄の王太子の殉死者を迎えるためです。これは伝統であって、名誉です。誇りなさい」
マントーニ宰相が言った。
「げっ、私は死にたくない。死ぬなんて嫌よ!」
「だったら囚人で無期懲役だけどいいか? 足に重い鎖を付けられて屋外作業の労務を死ぬまでさせられるんだぞ」
「い、嫌よ、そんなの嫌に決まってる」
「よし、じゃ問題ないな。私はこれから雑務があるので」
マントーニ宰相は、ヒロコを執務室から追い出した。
「こうなったら、王様に直談判だ」
ヒロコと王太子は王族と一緒のテーブルで食事していた。
夕食後、王と居間で話をした。
「ダリオ君を神の生け贄(アナ様だっけ?)にするなんてひどいと思います。……私もですけど」
「私には二人の息子がいた。全員アナ様の生け贄に差し出した。それが王国を率いる王の責務だからだ。もし王太子とヒロコを生け贄にして、それでも干ばつが収まらなかったら、わしと王妃も生け贄になる覚悟だ」
「それじゃ王国は……」
「王の代わりはいくらでもいる。野心家のマントーニ宰相などその筆頭だろう」
「うぐぐ……」
「そういうわけだ。理解してくれてありがとう」
(理解なんかしてないわよ。でも何を言ってもムダ。早く魔法陣の秘密を解明して現世に戻らなくては……)
ヒロコの足は自然と図書室に向かった。机に革表紙の本を広げた。
(夕食後に図書室に通い詰めて分かったこと。魔法陣はこの世界の人間よりはるか昔の人々が作り出したものだった。古代の移動手段らしい。それを研究していたかつての魔女が蘇らせた。
うーん、めいわくな奴め。
アナ様に人間の生け贄を差し出す契約で、魔族を滅ぼしたとある。この世界に魔族がいないのは、アナ様のおかげらしい。
それからは干ばつのときに生け贄を差し出す慣わしになった。処女を生け贄にしたら大層喜ばれたとあった。
ヒィィー、あたしのことだ! それからは殉死者は処女であることを神の使いに約束したと。あれっ、これってもしや……)
ヒロコは眉間に皺をよせて本に顔を近づけた。
「ほう、『魔法陣』の研究か」
ヒロコが図書室の机に本を山積みにして読んでいると、背後からマントーニ宰相が顔を覗かせた。
「うわっ、脅かさないでよ」
「すまんすまん。ちょっと気になってな。で、ヒロコの世界に戻れる方法見つかったか?」
「……見つからない。助けてください」
「助けたいのは山々だけど、それだと干ばつの食料不足で国民が飢餓で死んでしまう。ヒロコを助けたいのは本当だ。これだけ会ってれば情も湧く……」
マントーニ宰相は目を細めて、懇願するヒロコの顔を見つめた。
「でもそこは心を鬼にしなければ」
「鬼になんてならないで、お願いマントーニ宰相〜」
ヒロコが手を合わせてウインクした。
(本当はけっこう優しい人だと知ったからね)
「……明日出かけるから、ついて来なさい」
「えっ、ダリオの相手をする時間しかないけど」
「ダリオ王太子の地元の農家に行きます。ヒロコにも見てもらいたい」
翌日。
馬車の中にはマントーニ宰相とダリオ王太子、それにヒロコがいた。
マントーニ宰相は道中荒れ果てた畑を見て眉間に深い皺を刻んだ。
農村に立ち寄った。
村長と村人がマントーニ宰相一行を出迎えた。
「マントーニ宰相、ご視察ご苦労様でございます」
村長と背後の村人たちが深々と頭を下げた。
「セルジ村長、今回の緊急の視察の協力ありがとうございます」
マントーニ宰相が頭を下げた。
「とんでもない、頭を上げてください。宰相様の度重なる支援によって、わが村では餓死者を出さずに済んでおります。感謝してもしきれないです」
再び頭を下げた村長がダリオを見た。
「おお、ダリオ。よくぞ帰って来た。お母さんに挨拶しなさいよ」
「うん、わかってるよ」
村長と一緒に向かったのは、村の墓地だった。
村長によるとダリオ君の母親は2年前に病気で亡くなったという。
花束を墓の前に置いたダリオは、手を合わせた。
「お母さん、僕が『神様の生け贄』に選ばれたんだ。心配しなくてもいいよ、もうすぐお母さんのところに行くからね」
(あたしは胸が詰まった。あのやんちゃで遊びしか考えないダリオがいっちょまえの男に成長してる)
「心配しないでね。僕一人で生け贄にはならないから。お母さんとそっくりのヒロコと一緒に天国に行くからね」
ヒロコは驚いてマントーニ宰相を見た。
「生け贄の希望を叶えたんだ。ダリオは、殉死者はお母さんと似た人と一緒に天国に行きたいといったから、魔法陣を使ってヒロコを召喚したのだよ」
「そんなの聞いてないよ! ダリオが私を異世界に連れて来た張本人だって知らなかった……」
今になってヒロコは、膝頭がぶるぶる震えて、軽いめまいを感じた。
夕食後、図書室にヒロコが籠ってるとマントーニ宰相がやって来た。
「『神様の生け贄』の儀式の日程が決まった。3日後だ。それまで心置きなく過ごしなさい。多少のわがままは許します」
「ところでアナ様の生け贄って何なんですか?」
「ん、教えてなかった?」
「はい。秘密みたいので聞き出しづらかったです」
「神の使いの【怪物】の餌食になるのです」
王宮の地下深くにある魔法陣の部屋。
ヒロコが召喚された部屋だ。
「ここが生け贄を神の使い、アナ様に捧げる儀式部屋です」
マントーニ宰相が一歩前に出て、顔の前で手刀を切った。そして呪文を唱えた。
その言葉はヒロコには理解できなかったけど、音楽のような気持ちのよいリズムだった。
部屋の中央の床が光り出して魔法陣が浮かび上がった。
そして召喚されたのは、部屋に収まりきれないほど巨大な蛇だった。
「アナ様って、アナコンダのことだったの!」
「アナ様は【神獣】であらせられる」
マントーニ宰相が言った。
そのアナコンダがヒロコを見つけると鎌首を持ち上げて、
顔を近づけた。
ヒロコの身長よりも大きな口が開いた。鋭い牙が威嚇している。
「あっ、待って。まだ生け贄の儀式じゃないから。あたしを食べようとする『怪物』を一目見たくて、マントーニ宰相にお願いしたのよ」
アナコンダは固まった。
そしてじっとヒロコを観察していた。
「アナコンダさん、あなた神獣らしいけど、人間を生け贄にするなんてもうやめません。野蛮だし、しかも9歳の男の子を食べるなんて、ほんとにひどいじゃない。いくら恵の雨を降らせても、そんなひどいことする蛇は人間に好かれないわよ。あたしはこう見えても蛇には詳しいの。異世界召喚される前は、庭にいたちっちゃな白蛇に毎日餌をやって可愛がっていたのよ。あたしの腕の上や頭に登ったり、ゆびを甘噛みすることもあったし、猫ちゃんみたいに愛らしかった。アナコンダさんみたいに威嚇なんかしないもんね」
するとアナコンダはゆっくり口を閉じた。
そして、ペロリと舌先でヒロコの顔を舐めた。
(あら、この感触はどこかで……)
《殉死者なのに人のことを気にかけるのか?》
ヒロコの頭の中に声が響いた。空気の振動ではなく頭の中に直接響く声。テレパシーだった。
「あたりまえじゃない。あたし、ダリオの家庭教師やってるの。あの子やんちゃで勉強も苦手だけどとてもいい子なのよ。亡くなったお母さんのところに行きたいって……それって悲しくてやっぱりマズイじゃない」
《知ったことじゃない》
「薄情者! べーだ」
ヒロコはあっかんべーをアナコンダにした。
「ヒロコ! 挑発するのはやめたまえ」
マントーニ宰相がヒロコの腕を掴んだ。
「アナ様、今日はこれで失礼します」
深々と頭を下げたマントーニ宰相。ヒロコの頭を押さえて、頭を下げさせた。不満そうなヒロコ。
「あのアナコンダはふざけてるわよ。ほんと人間だったら首根っこ掴んで振り回してやるのに」
「恐ろしいことを言わないでくれ。神罰が下る」
「あと3日、ダリオ君とあたしはアナコンダの餌にされちまうのか」
「……気の毒とは思う」
マントーニ宰相は顔をそむけた。
「なら、あたしの夢を叶えてくれる? ダリオ君には王太子の身分を与えてお母さんに似ているあたしを召喚したんだから、あたしにだって夢を叶える権利はあるはずよ」
「そうですね。どんな夢ですか? できるだけ善処します」
「結婚したいです。素敵な人と結婚するのが小さい頃からの夢でした」
ヒロコがきっぱり言った。
「結婚ですか? 儀式まで3日しかないのに今から相手を見つけるのはかなり困難だと思います」
するとヒロコは右手の人差し指をマントーニ宰相に向けた。
「なんですかそれ?」
「ここにいるじゃないですか、あたしの結婚相手」
「冗談はやめてください。私は……」
「独身ですよね」
「……はい。公務に没頭して結婚は後回しでした」
(若く見えるけど、おじさんなのか……まっ、いいか。あたしのどまんなかのストレートなんだもの)
「あたしは3日後に生け贄にされるのだから、結婚してくれてもいいじゃないですか。何か問題でも?」
「……ないですね」
「前から思ってたけど、マントーニ宰相は、あたしのこと好きなんでしょ?」
マントーニ宰相の頬がみるみる赤くなった。秘密を見破られて戸惑った表情。
「な、なんでわかったのです?」
「女の直感よ!」
マントーニ宰相はしょっちゅうヒロコの様子を伺っていた。最初は逃げないか見張ってるのかとヒロコは思った。しかし、ときおり見せるため息混じりのせつなそうな目つきで、ピンと来たのだ。
あれは、恋する人の眼差しだと。不器用なマントーニ宰相。精一杯の好意の表現が、じっと見つめることだった。
「これまでさまざまな女の人が私に迫って来ました。私はそれが公務を妨げる障害になると無視してきました。でもヒロコは愚直に生きることに前向きで、私のことを特別な目で見なかった。それが新鮮だったのです。あなたのことが本当に好きなのか、自分でもよくわかりません。でも側にいるのがこれ程までに警戒しないでいられる女の人は、初めてでした」
「それが、好きって言うことよ!」
ヒロコは断言した。
その後は慌ただしく結婚式の準備に追われた。
マントーニ宰相の実家は、馬車で10日掛かる地方だったので、両親と親戚縁者とは会えなかった。
2日後に、教会で簡易な結婚式を挙げた。
結婚式には王と王妃、その他の王族貴族がやって来た。
ヒロコのウエディングドレスは王妃のお下がりだ。
「これってどんな貸衣裳のウエディングドレスより素敵じゃない。お姫様になったみたい」
「ヒロコとても綺麗よ」
王妃の言葉にヒロコは感激した。
そしてつつがなく結婚式が行われた。
ダリオも参加してとても喜んでいた。
(あたしの夢の一つが実現したわ!)
──そして初夜。
「明日の儀式の支度もありますので、今夜は失礼します」
「駄目よ駄目、絶対に駄目!」
「なぜです?」
「綺麗な身体のままあの世に行けというの? そんなの殺生よ。死んでも死にきれないわ」
「それは困りましたね」
マントーニ宰相はしぶい顔をした。
そして、意を決してうなずいた。
「わかりました」
そう言うと、ネグリジェ姿のヒロコを抱きかかえて、天幕付きのベッドまで運んだ。
(うわー、夢で見たお姫様抱っこじゃない!)
ヒロコは足をバタバタさせた。
ベッドで寝かされたヒロコの顔に、マントーニ宰相の顔が近づいた。
「……ごめんなさい。わがまま言って」
「いいのですよ。私も本当に幸せな一日でした」
マントーニ宰相の顔が迫った。ヒロコは唇にキスされた。
◇
生け贄の儀式の日。
あの魔法陣のある生け贄の部屋に王と王妃、閣僚たちが集まった。
注目は生け贄のダリオ王太子とヒロコだ。
魔法陣が起動して巨大アナコンダが登場した。
その迫力たるや、王や王妃、閣僚たちが思わず息を呑んで体重を踵にかけるほどだ。
「アナ様、生け贄を捧げに参りました」
マントーニ宰相がダリオとヒロコを促した。
ダリオは唾を飲み込んだ。
ヒロコはダリオの背中を押して一緒に前に出た。そしてダリオの左手を力強く握った。
アナコンダの鎌首が近づいた。
口がヒロコの身長よりも大きく開いた。牙を剥き出した。
グァァア──!
二人を一気に飲み込もうとした。
「ひいっ!」
ダリオが目をつむった。
ヒロコはダリオを抱きしめた。
ヒロコとダリオの上半身が飲み込まれそうになった。
しかし、口は閉じなかった。
「えっ、どういうことだ。いつもなら一気に飲み込むのに」
アナコンダが生け贄の二人から離れた。そして鎌首をパドアン王に向けた。
《王よ、我と王国の契約を破ったのはなぜだ!》
「契約? 生け贄の国民と殉死者の二人を連れて来ましたが……」
アナコンダの全身から怒りのオーラが立ち上がった。
牙が剥き出した。
《ーこの殉死者の女は、処女じゃないぞ!》
マントーニ宰相がヒロコを見た。
(あたしとマントーニ宰相は、昨日結婚式を挙げて初夜を迎えたのだから、処女じゃなくなったわ。でもそのおかげで……)
《大昔からこの地に住む住民と交わした契約は本日を持って反故にする》
アナコンダの声が頭の中に共鳴した。絶望の言葉だった。王は顔面蒼白だ。
「そんな条件、聞いていません! 若い男の生け贄と若い女の殉死者としか」
王が叫んだ。
「魔法陣の古文書に書いてあるのよ。『──それからは殉教者は処女であることを神の使いに約束した』って」
ヒロコが説明した。
「本当なのか?」
王がマントーニ宰相を見た。
マントーニ宰相はうなずいた。
《若い女……処女であることが常識だった。時代の流れにこのことが忘れられたとて、わしにとっては知ったことじゃない。殉死者が処女でないと雨を降らせることはできない》
「そこを何とかお願いします」
王は必死で懇願した。
《わしとて無慈悲ではない。ならば、この二人の代わりに王と王妃が生け贄になれば良い。それで今回の怒りは鎮めよう》
王と王妃は二人で顔を見合わせた。こっくりとうなずいた。
覚悟を決めた表情だ。
「それでは私たちが生け贄になりましょう。マントーニ宰相、後のことはすべてお前に任せる。ヴェルディス王国を発展させてくれ」
「王様──!」
マントーニ宰相が絶叫した。
王と王妃は二人して一歩前に出た。
アナコンダの大きな口が迫った。先ほどよりさらに大きく口が開いた。
王と王妃は、あっという間にアナコンダに飲み込まれた。
喉を通るコブにマントーニ宰相はたまらず目線を切った。
ペロリと平らげたアナコンダは満足気に言った。
《これで契約は守られた。雨はすぐに降るであろう》
その宣言は守られた。
マントーニ宰相たちが王宮の外に出ると、どこからか黒ずんだ雲が湧き起こった。
そしてどしゃ降りの雨が降った。
ザーザー!
ザーザー!
地面から大粒の雨が弾き飛ぶ。
「おおー、アナ様ありがとうございます。これで国民は守られます!」
マントーニ宰相が天に向かって感謝の言葉を言った。
顔にぶつかる雨粒に涙が混じってることは、誰も知らなかった。
ーー王様、王妃様、お許しください。ヒロコを守るために私は裏切りました。図書室に秘蔵の魔法陣の本を置いたのは私なのです。
閣僚の大臣たちも、ダリオも雨の中に躍り出てはしゃいだ。
ヒロコは、雨に打たれてうなだれたマントーニ宰相を玄関先で見つめていた。
半年後、マントーニ宰相は、国の最高責任者から、王へと上り詰めた。普段から貴族院の重鎮に根回しをしていたことが、ここで生きた。
王宮での戴冠式が終わると、妻であるヒロコ王妃と一緒にバルコニーに出て広場の民衆に姿を見せた。
「マントーニ新王だ!」
「あれがヒロコ王妃か、美人だよな」
「新王、新王妃、おめでとうございます」
広場のあちこちから祝いの声援が聞こえた。
マントーニ王とヒロコ王妃は右手を挙げて、歓声にこたえた。
王宮の玉座にマントーニ王が座った。
その傍らに、ヒロコ王妃が笑みを浮かべて座った。ちょっと顔が引きつっていた。
◇
マントーニ王が地方への行脚に出かけた。王自らが干ばつで疲弊した農民たちを励ますためだ。
ヒロコは王が馬車に乗り込むのを見送った。
その夜中、ヒロコは魔法陣の儀式部屋に一人で入った。
燭台の火を壁のローソクにつけ回した。
すると部屋の中央付近に魔法陣が現れて光を放った。
ヒロコが目を細めると、神の遣いのアナ様──アナコンダが姿を見せた。
鎌首を持ち上げた。
ヒロコのもとに近づく。
アナコンダの喉奥から異音が漏れる。
アナコンダの顔がヒロコの数10センチ前まで来た。
鼻息がヒロコの顔にかかった。
アナコンダは舌をチョロチョロ出して、ヒロコの顔をべったり舐めた。
「くすぐったいわ、エンマちゃん」
ヒロコはアナコンダの頬にキスをした。
**********
「お母さん、庭に白蛇がいたよ。ちっちゃいの」
「白蛇は『神様の使い』だから、大切にしないといけないわ」
「そうなんだ」
ヒロコは庭の片隅に隠れていた白蛇にボウルに入れた卵と鶏肉を差し出した。
翌日、ボウルの卵は殻だけになっていて鶏肉も失くなっていた。
ボウルを持ち帰ろうとしたら、木の根元から白蛇が顔をだした。まだ子供の白蛇。妙に可愛い。
「あのね、これからも餌あげるからさ、良かったらあたしの友達になってよ」
不思議なことに白蛇はこっくりと頷いた。
そしてゆっくりと近づいてきた。ヒロコが安心できる人間だと理解できたらしい。
人差し指を差し出すと、ガブッと噛まれた。
でも甘噛みだった。
餌付けの成功で、ヒロコと白蛇はなかよしになった。足に絡みついても腕に巻き付かれても平気になった。
ベッドに連れてって一緒に寝た。朝起きたらそっと庭に白蛇を離した。
白蛇に名前を付けた。
「エンマ。白蛇ちゃんの名前だけど気に入ったかな?」
白蛇はヒロコの指を再び甘噛みした。
「エンマちゃん、白蛇は神様の使いだと言われているじゃない。だったらあたしの夢を叶えてくれない」
ヒロコは庭でボウルの餌を食べ終えた白蛇に聞いた。
白蛇はこっくりと頷いた。
「あのね、あたしの夢は素敵な人と恋をして結婚することなの。そしてお姫様みたいな扱いをされたいのよ。そんな夢叶えてくれないかなー、お願いします。それと世界中を旅するのもいいなー」
ヒロコは白蛇のエンマに手を合わせた。
**********
「まさか異世界であたしの夢を叶えるとは思わなかったよ」
その言葉をかけられた後、アナコンダの身体が発光した。
光がおさまると床の上にはちっちゃな白蛇がいた。
白蛇のエンマだ。
エンマはヒロコの身体を登って肩に乗った。チロチロと舌を出してヒロコの首に巻き付いて頬にキスをした。
《ヒロコがこの地にやって来るのを3000年間待ったからね。ほんとに嬉しいよ》
「あっ、一緒に異世界に行ったのにそんな時間差になったのね」
《この3000年間、ヒロコに会いたくてたまらなかった。寂しかったよ……》
◇
3000年前、突如この地に召喚された白蛇エンマ。あちこちヒロコを探し回ったけどどこにもいなかった。
何年もたって、この世界にヒロコはまだ来ていないと確信するに至った。
当時のこの世界は人族、魔族や魔獣が闊歩する暗黒の世界。
弱肉強食の世界で最弱の蛇だったエンマは強くなることを決意した。
《僕は強くなる。強くなって、将来ヒロコと出会ったら、この残酷な世界から絶対に守るんだ》
その強い想いが、エンマを動かした。
最初は小さなげっ歯類の魔獣から仕留めた。手こずって、半死半生になった。それでも勝った。小さな白蛇の闘いが、今始まったのだ。
小さな魔獣を倒すたびに、その魔力も手に入れた。
わずかな魔力でも積み重ねると、ちょっとしたものになった。気がつくと小さなエリアの支配者になっていた。
そして森で魔獣に襲われた女を助けた。
「私はセレスティア。降臨した女神様よ。私を彼のもとに連れて行ってくれたら、【神獣】にしてあげる。するしないどっち?」
白蛇エンマは、セレスティアのボディガードになった。
長い旅路のはてに、セレスティアを愛する男のもとに再会した。
その御礼が神獣になることだった。
「エンマ、あなたは数々の試練を乗り越えて神獣への資格を得たわ」
セレスティアを彼のもとに送り届ける。そのことが、神獣になる“最終テスト”でもあったのだ。
こうして白蛇エンマは、【神獣】となった。
エンマは魔族の拠点、魔王城に襲いかかった。
魔族たちは超巨大なアナコンダに驚愕した。
「お前が【神獣アナコンダ】か、わしは魔王だ。なぜわれらを襲う」
《我に従え。従わないと滅ぼす》
魔王のこめかみの血管がピクついた。
アナコンダの神力の総量は桁外れ。オーラに圧倒された。
「お、お前は強い。魔族、魔獣、もしくは神よりも強いかもしれん。じゃが、わしにも意地がある。魔族の頂点に立つわしが蛇ごときにひれ伏すことはできない!」
魔王は陰のオーラを放った。
《愚かなり、ならば魔族を皆殺しだ!》
魔王は瞬殺された。
転がる首に驚いた魔族たちが逃げようと出口に殺到したが、次々と真っ二つにされた。見えない力が魔族を八つ裂きにした。
「ぎゃー!」
「助けてくれ!
魔族に対する攻撃はそれから10年間続いた。
この世界から魔族はほぼ全滅した。
《これでヒロコがやって来ても安心な世の中になったかな……》
白蛇エンマは森の木の上から青空を見上げた。
◇
マントーニ国王が地方行脚から王宮に帰って来た。
馬車から降りた国王は玄関で出迎えたヒロコ王妃にハグをした。
「国王陛下、お疲れ様でした」
「やっと帰って来れたよ。公務の合間はヒロコのことを毎日考えていた」
マントーニ国王が笑顔で言った。
「あれ、何やら雰囲気が変わったような……前より大人っぽく綺麗になったような」
「口がうまいわね。どこで勉強したのよ」
「違う違う。僕はヒロコ一筋だよ」
マントーニ国王が慌てた。
「ほんと? 一生添い遂げるわよ。国王が嫌がっても私は大好きなんだから」
「もちろんだよ。愛してる」
マントーニ国王はヒロコ王妃の肩を引き寄せて王宮に向かった。
玄関先にいたダリオが手を振った。
彼は王位継承権のない王太子として、マントーニ国王とヒロコ王妃の養子になった。
◇
50年後、マントーニ国王は病気で亡くなった。
国葬の後、長男の第一王子が国王になった。
戴冠式の後、ヒロコは自室に籠って喪に服す日々だった。
ある日、ヒロコは部屋のバルコニーの柱に白蛇エンマが絡まっているのを発見した。
「エンマ!」
ヒロコが駆け寄った。
《やぁーお久しぶり》
「なに言ってるのよ。長いこと姿を見せなかったわ」
《たった50年だよ》
「それ、ジョークだったらぶん殴るぞ」
《あー、歳は取ってもヒロコはヒロコなんだ。僕はお二人の結婚の邪魔をしたくなかったんだ。それで姿を一時隠したのさ》
「そうだったんだ……」
《じゃ、もう一つの夢を叶えてあげる》
「もう一つの夢?」
《世界中を旅することさ》
「17歳の頃はそんな夢も見ていたわね。でも今はただのおばあちゃんよ。腰も痛くて旅する元気なんかないわ」
《それはどうかな?》
白蛇エンマの赤い目が光った。
突如、物が割れる音がした。
ピキ、
ピキ、
ピキ、
バリィ!
ヒロコ王妃の顔にヒビが入って、それが剥がれ落ちた。
現れたのは、黒髪の少女だった。
《おかえりなさい。ヒロコ》
「これはどういうことかしら?」
ヒロコ王妃は姿見に全身をさらした。おばあちゃんではなく、若い高校生のヒロコの顔があった。
《脱皮だよ》
「うわーすごい! あたし17歳に戻ったのね」
《自宅の庭でヒロコの指に甘噛したとき、エキスを注入したんだよ。僕のプレゼントさ》
「良かった。このまま異世界に埋もれるのが嫌だったの。夫が亡くなってからの陰鬱な日常は勘弁してほしかった。あの人は元気はつらつなあたしが大好きなのよ」
《じゃ僕と一緒に世界中を旅する?》
「もちろん、レッツゴー!」
ヒロコ王妃は50年ぶりに高校の制服に着替えた。
白蛇エンマの神力で新品と変わらなかった。
「捨てなくて良かった。大事に取っとくものね」
《何で制服なの?》
「だっておばあちゃんだったから、17歳の女の子に似合う服持ってないもん。取り敢えずこれでいくわ」
ヒロコは書き置きを残して王宮の外に出た。
白蛇エンマの《認識阻害》という神力を使って堂々と出て行った。
エンマはヒロコの肩に乗った。
《さて世界中は混沌としてるから、ただの旅では終わらないよ》
「それって素敵じゃない。どんな冒険が待ってるかワクワクするわ」
《やっぱり、ヒロコはヒロコだなー》
白蛇エンマはヒロコの頬にキスをした。
「とりあえず、地方領主に収まったダリオ伯爵のところに挨拶に行くわよ。いろいろ準備もあるしね」
「了解だよ、ヒロコ」
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