傘
雨が降る中、ランドセルを背負った少女はひとり公園で傘もささずに佇む。少女の肩は震えており、時折漏れる嗚咽は激しい雨の音でかき消されてしまう。そんな光景を、傘から垂れる水滴と、ずぶ濡れになっていく肩掛け鞄を見て億劫になっている学ランの少年が見つける。最初は見て見ぬふりをしようとした少年だが、立ち止まり逡巡する。そのうちに決心も固まり、雨で溺れる公園に足を踏み入れた。少年は、近寄ると少女の足元にボロボロになった傘が無造作に捨ててあることに気がつく。
「あー、その。多分、ここに居たら風邪ひくと思うし、タオル貸すからそこのベンチにでも入らない?」
少女は近寄ってきた少年に気がついていなかったのか、びくりと肩を震わせたあと微かに頷き、足元にある傘だったものを手に取るとベンチの方に歩いていく。少年としたら、まさか少女があっさり移動するとは思わず、一度断られたらすぐにでも帰ろうと思っていたのだ。慌てて少女について行き、屋根がついたベンチまで移動すると、濡れていない場所を選び座った。少女は、所在なさげに立っていたが、少年が鞄からタオルを取り出そうとするのを見て対面に座った。
「あー、はい。タオルねこれ。二枚持ってるから気にせず使って」
「……ありがとう、ございます」
少年は鞄をタオルで拭きながら、べちゃべちゃになった靴と靴下の気持ちの悪さに気をやって、この気まずすぎる空間から意識をそらそうとしている。一方で少女は、貸して貰ったタオルでランドセルを拭いて、髪から滴る水を拭こうともせずに、赤くなった目を擦っている。
「……もし良かったらこの傘でも使う? 一応折り畳み傘持ってるから僕も困んないし」
少年はさっきまで使っていた傘を少女の方に差し出しつつ、鞄から折り畳み傘を取り出し、少女を見ると少女は静かに泣いていた。少年はぎょっとし、慌てて言葉を重ねる。
「いや、無理にとは言わないし、本当に良かったらなんだけど、傘が壊れてそうだったからこのまま帰るのも辛いだろうし、風邪ひくのも辛いじゃん!?」
少女は傘が壊れた、と聞いてついには声をあげて泣き出してしまう。いよいよどうにも出来なくなった少年は、一周回って冷静になり、ひとまず少女が落ち着くのを待つことにする。ちょっとづつ泣き声は止みはじめたくらいで、少年は話し出す。
「あー、僕は近くの中学校に通ってる雨宮だよ」
「……六年の藤井まこで、す」
「藤井さんね。それで、藤井さんが良かったらこの傘を使って帰るといいよ。今でもこんなに雨が強いのに、この後更に雨が強くなるみたい「あ、あのっ、良かったら、話を聞いて欲しい、です」……うん。良いよ。もっとも、僕は聞くことと傘を貸すくらいしか出来ないけど」
「わ、わたし今年転校してきたん、ですけど、なにかだめなことでも言っちゃったのか、いじめみたいなことをされはじめたんです。そ、それでっ、今日、友達に貰った傘壊されてっ……」
そこで少女あらため藤井は、再び泣き出してしまう。少年あらため雨宮にも、そういった経験はあるが、もっと肉体的なもので物にまで手を出されたことはなかった。また、自分がそういう時に何か言葉が欲しくなるか、と言われるとただ聞いて貰えるだけでありがたいものだった。それもあり、言葉をかけることはしなかった。ただ相槌をうち、何かを求められたらその時に言おうと、そう思った。
「お父さんにも、お母さんにもこんなこと言えないし、先生に言うのも怖いし、わたし、こういうのはじめてで、どうすればいいか分かんなくって、悔しいのになにも言えないんです……」
あー、そういうのはちょっと分かるなぁ、なんて雨宮は心のなかでごちる。とはいえ自分とは状況もされたことも違うので、下手に言えないのが現実なのだが。結局当たり障りない相槌を打つことしか出来ない自分のことが少しだけ恨めしい。
そんな雨宮の心の内をつゆ知らず、藤井は吐き出せて少しだけスッキリした表情をしている。
「あの、ありがとうございます。話を聞いてくれて、少しだけスッキリしました」
「聞くことしか出来てないから大丈夫だよ。雨も強くなってきたし、この傘あげるからこれで帰りなよ」
「いえ、この傘はまた返させてください。良かったら連絡先を教えてくれませんか? また、傘を返すときと、今日みたいなことがあった時、また話を聞いてほしいんです」
「んー、まぁ、うん。でもスマホ持ってないし家電になっちゃうけど大丈夫?」
「わたしも家の電話でかけるので大丈夫です」
そのあと、電話番号を教えあってそれぞれの帰路につく。雨宮としては年下の子が話すのに、相槌を打つことしか出来ず、アドバイスも何もしていないのだが、どこか懐かれたような感覚に戸惑いを覚えていた。一方で藤井は、誰にも言えてなかったことを言えただけで、どこか清々しい気持ちがあった。始める前よりも、確実に激しくなった雨足だが、この雨のおかげで不思議な縁が出来たのは確かだ。




