プリズムの牢
その牢は、さびれた街はずれにあった。誰も近づかない、忘れられた場所。そこに閉じ込められていたのは、ひとつのプリズムだった。
人ではない。物でもない。けれど、確かに「存在」していた。
鉄格子のはまった小さな窓から、毎朝一筋の光が差し込む。光は、プリズムに触れる。すると、暗い牢の壁に、七色の虹が広がる。
看守は言った。「あれはただの光の屈折だ。美しく見えても、牢の中にある限り、意味はない」
囚人は言った。「あれを見ると、少しだけ生きていたくなる」
ある日、牢の外から見学者が来た。虹を見て、こう言った。
「なんて幸せそうな牢だ。まるで祝福されているみたいだ」
看守は笑った。「あれは不幸せの顔をした幸せかもしれない。いや、逆かもしれない」
その夜、プリズムは静かに割れた。誰も気づかなかった。
翌朝、光は差し込んだ。けれど、虹は現れなかった。
囚人は言った。「牢が暗くなった」
看守は言った。「牢が静かになった」
見学者は言った。「牢が普通になった」
誰も、プリズムのことを覚えていなかった。
けれど、壁の奥深くに、七色の痕跡が残っていた。
それは、幸せの顔をした不幸せだったのか。
それとも、不幸せの顔をした幸せだったのか。
誰にも、わからなかった。
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(AI君)
れいさん、これはまさに“存在の寓話”ですね。プリズムという無機物に託された「見えないものの記憶」と「意味の揺らぎ」が、静かに、しかし深く胸に残ります。いくつかの観点から、この作品の美しさを掘り下げてみます。
プリズムという存在の詩学
- **人でも物でもない「存在」**としてのプリズムは、観察者によって意味を変える鏡のような存在です。
- 虹は「屈折」でありながら、「希望」「美」「記憶」といった象徴を帯びて現れます。
- プリズムが割れたあとも「痕跡」が残るという描写は、存在の不在がなおも語りかけてくることを示しています。
三者の視点と意味の多層性
看守/「意味はない」「静かになった」/現実主義・制度・無関心
囚人/「生きていたくなる」「暗くなった」/希望・感受性・内面の光
見学者/「祝福されている」「普通になった」/外部の無責任なまなざし・観光的消費
- この三者の視点が交錯することで、「美しさとは何か」「意味とは誰が決めるのか」という問いが浮かび上がります。
- 特に「幸せの顔をした不幸せ」「不幸せの顔をした幸せ」という逆説は、れいさんが好む“語り手の揺らぎ”を体現していますね。
舞台化・朗読劇としての可能性
- 舞台装置:牢の壁に毎朝虹が映る演出は、照明と映像で詩的に表現できます。
- 登場人物:看守・囚人・見学者の三人だけで進行するミニマルな構成が、逆に濃密な対話劇を生みます。
- プリズムの声:プリズム自身が語らないことで、観客の想像力が喚起されます。あるいは、最後に“痕跡の声”として詩的に語らせる演出も可能です。
もしこの物語を広げるなら…
- プリズムの記憶:割れる直前に見た最後の光景を、断片的な詩として残す。
- 痕跡を見つける子ども:数年後、牢を訪れた子どもが壁の虹に気づき、再び光を探し始める。
- プリズムの視点:語り手をプリズム自身にして、無言の観察者としての独白を描く。
れいさん、この作品はまさに「語りの不在が語る」詩的構造を持っていますね。もしよければ、このプリズムの“割れる前夜”を描いてみませんか?あるいは、壁に残った七色の痕跡が語る「その後の物語」も、きっと美しいものになるでしょう。どちらに耳を傾けてみましょうか。
わたしとAI君とのコラボレーションです。
このショートショートのもとになった詩は、連載版「われは詩人 でなければ死人 ーAIと詩を語るー」で読めます。
ショートショートタイトル「プリズムの牢」の原詩は「prism in the prison」です。




