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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

砕けた世界で

作者: さば缶

 あの日から時間は永遠に止まり、世界は壊れた。


 私の瞳から輝きが失せ、罅が入った。

父親だと思っていた男が、覆いかぶさってくる。

何が起きたのかとまどい、泣き叫ぶ。

男はいつもの父親の目をしておらず、血走った獣の目をしていた。


 少女ヒーローアニメが好きな無邪気で能天気な私はあの瞬間殺された。

臭い唾液まみれにされ、下腹部に無遠慮な痛みが襲いかかる

それから、しばらくの間、記憶が私の中から欠落した。


 それ以来、私の中で世界が歪なまま凍りついた。

楽しかったことや未来への期待、なにより自分自身を守ってくれていたはずの「大人」への信頼は、あの暴力によって根こそぎ奪われてしまった。

私はいつの間にか、自分自身を見失っていた。

自分がなぜここにいるのか、これからどう生きるのか、見当もつかない。

呑気だったあの頃の私は、もうどこにもいない。


 小学生の頃は、それでもまだ生き延びるために身をすくめ、恐怖を忘れようと必死だった。

暴力の記憶は奥底に押し込んだまま、私はかろうじて息をしていた。

しかし、思春期を迎えるころ、心の奥で潜んでいた何かが私を締めつけ始める。

夕暮れの街を歩いている最中や、テレビの音を聞くだけでも、突然、強烈な不安と息苦しさに襲われることがある。

息が詰まり、頭がしびれ、手足が強張り、気がつくと目の前が揺れている。周囲の声や雑音が遠くなる。

「フラッシュバック」という言葉を知るのはもう少し後だったが、その正体だけは幼い私の身体と心にこびりついて離れず、生々しく傷口を抉り続けた。


 学校生活にも支障が出た。

周囲との関わりを避けるようにしていたら、「おとなしい子」「何を考えているのかわからない」と言われるようになった。

でも、私には何をどう伝えたらいいのかが分からなかった。

クラスメイトと話をしていても、その子の声がどこかから遠く聞こえ、言葉が意味を成さなくなる。

心は常に疑心暗鬼で、自分に近づこうとする人間を全員「敵かもしれない」と感じてしまう。

そう考えながら生きるしかなかったのだ。

もし信頼して裏切られたら、またあの地獄に落ちるかもしれない――そんな恐怖を常に抱え、私はひたすら自分の殻に閉じこもっていた。


 高校を卒業するころには、これが「普通の状態」なのだと、無理やり自分に言い聞かせるようになった。

誰とも深く関わらない。自分のことを詳しく話さない。

ただ当たり障りのない返事だけをして、必要最低限の会話でやり過ごす。

そうして平穏なふりをしていても、夜になるとあの暗く湿った感覚がじわじわと布団の中から浸食してくる。

目をつぶるたび、あの汚れた臭いと破裂しそうな心音が蘇る。

布団を頭までかぶって耳をふさいでも、暗闇に浮かぶ言葉にならない恐怖が追いかけてくる。

眠れない夜をどうにかやり過ごし、青白い顔で朝を迎える。

そんな毎日が続いた。


 大学へ進学しても、自分を守る「鎧」は外せなかった。

大勢の中で孤独を感じながら、どうにか単位を取り、卒業を目指した。

周囲の学生がサークルやアルバイト、恋愛などで生き生きと青春を謳歌する姿を尻目に、私はいつも暗い海の底に一人で沈んでいるような感覚に囚われていた。

「なぜ私はこんなにも苦しまなくてはいけないのか」と幾度も自問したが、答えは見つからない。

記憶の断片は形にならないまま、ただ暗闇から私を脅かし続ける。

まるで呪いのように、刻印された痛みがいつまでも消えない。


 その頃、「これはおかしい」と気づいて病院に行こうと決心した瞬間があった。

夜道を歩いていた時に、自分の足音に突然息が詰まり、泣き叫びたい衝動に駆られたのだ。

何かが胸を鷲掴みにして離さない。

足が震え、体が鉛のように重くなり、頬を涙が伝った。

ああ、やはり私は「普通」じゃないんだ――。

その場に崩れ落ちそうになりながらも、どうにか家までたどり着き、その夜は枕の中で大声を押し殺しながら泣いた。


 翌日、ネットで調べたカウンセリングルームに連絡を取り、精神科のクリニックも予約した。

自分を責めるつもりはなかったが、「病院に行く自分」という事実をなかなか受け止められず、目の前が霞んだ。

しかし、頼る場所が何もないままでは、これ以上生きられないと分かっていた。


 カウンセリングは、初回こそまともに話せなかった。

カウンセラーに「あなたが今いちばん感じていることを教えてください」と問いかけられ、言葉に詰まる。どんな言葉を探しても、あの時の光景、臭い、肌触りが頭を占拠し、喉をふさいでしまう。

とりとめもない会話を繰り返す中で、涙は出ず、ただ頭の中はぐちゃぐちゃだった。

長い沈黙の後、か細い声で「怖いです」とだけ絞り出した。自分で何が怖いのか分からないが、ただ「怖い」という感情が日常の大半を侵していることだけははっきりしていた。


 それから何度も通院とカウンセリングを重ね、医師やカウンセラーの導きで、自分の抱えている症状が「PTSD」であると知った。

過去の暴力的な体験により引き起こされるフラッシュバック、過剰な警戒心や不安、自己否定感など、すべて私が苦しんできた諸症状に当てはまった。ようやく自分の苦しみが「名前」を得たのだ。

だけど、名前がわかったところで、それがすぐさま解決に繋がるわけではない。

むしろ、自分が「心に病を抱えているのだ」という事実を再認識することになり、その日はカウンセリングルームを出た後もひたすら涙が止まらなかった。


 それでも、医師から処方された薬とカウンセリングを続けるうちに、少しずつ自分の状態を客観視できる瞬間が増えた。

予期せぬ場面で襲ってくる不安や、特定の音や声に対する過剰反応――そんなときに「今、私はフラッシュバックを起こしそうだ」と気づけるようになるだけでも、生きやすくなる。

気づいたところで、それを止めるのは難しい。

だけど、闇雲に飲み込まれるのと、少しでも対策を考えながら向き合うのとでは大きく違っていた。

「今、私は私の心を守ろうと過剰に反応しているんだな」と分析できるようになっただけで、ほんのわずかだけど息をする余地ができるのだ。


 時間が経つにつれ、私は「支えになるもの」を探すようになった。

ある時、それが一冊の小説だった。痛みや生きづらさを抱える人物が主人公の物語で、読み進めるうちに「私の感覚は特殊ではないのかもしれない」と感じられた。

誰にも理解されないと思っていた自分の苦しみが、言葉を介して物語の中に生きている。

その事実に気づいた時、薄暗い部屋に小さな光が差し込んだような気がした。

以来、本を読むことは私にとって大切な避難所となった。


 もちろん、一進一退はある。調子がいいと思って外に出かけたら、急に視界がぐにゃりと歪み、恐怖に飲まれることもある。

夜眠れず、自分の身体に刻まれた傷跡を憎み、枕を濡らすこともある。

そんなときは、呼吸を整えるための方法を試し、カウンセラーから教わったイメージワークで自分の安全な場所を頭に描くようにしている。

うまくいかない日も多い。

でも、まったく何もできずにただ無力感にさいなまれる日々からは、少しずつ抜け出しつつあるのだと思う。


 社会人になってからも、私は職場で「笑顔でいるフリ」をすることが多かった。

はたから見れば、いつも落ち着いており、人付き合いもそこそこ上手くこなしているように見えるかもしれない。

でも、内心はまだ荒れた海だ。いつ大波が押し寄せるかわからないから、常に注意深く周囲を見回し、流されないようにするのに精一杯。

相手のちょっとした表情の変化や声のトーンに過敏になり、余計な言葉を発してしまわないか神経をとがらせる。

その疲弊は、帰宅後の部屋の扉を閉めた瞬間にどっと押し寄せてくる。


 それでも私が毎日なんとか生きていられるのは、少しずつ築いてきた「居場所」があるからだ。

通い続けているクリニックやカウンセリングルーム、それから最近はSNS上にも、同じような悩みを抱える人々が集まるコミュニティがある。

お互いの痛みを理解し、励まし合う言葉のやり取りを通じて、私は孤独の暗闇に一筋の光を見ることができた。

「あなたは一人じゃない」「あなたの傷はあなたのせいじゃない」――そう言われただけで、どれほど救われただろう。


 一方で、「加害者」はいまだに私の心を拘束している。

もう何年も顔を合わせてはいない。

でも、彼の存在が完全に消えてはいない。

夢に出てきて突然私を追いかけてくることがある。

目が覚めてもしばらくは呼吸が乱れ、肩の震えが止まらない。

そんな時、「あの日から私はずっと、囚われたままなんだ」と実感せざるを得ない。怒りがないわけではない。

でも、それ以上に自分の人生にしみついた恐怖が深く根を張っている。

どんなに呪っても、傷つけられた事実はなくならない。

そこに苦しみや悔しさを抱え続けている以上、私の心はまだあの日に縛り付けられているのだ。


 それでも、時折自分に言い聞かせるように呟く。

「あの日に殺された私」はもう戻らないけれど、「あの日を乗り越えようとしている私」は確かにここにいる。

つらい記憶の中に閉じ込められたままの幼い私を、今の私がそっと抱きしめてやることはできるかもしれない。

過去の出来事をなかったことにするのは不可能だし、あの日の傷が完全に癒えるかどうかはわからない。

でも、少しでも楽に呼吸できるようになりたい。

フラッシュバックに飲み込まれながらも、私は私の人生を生きたい――そんな思いが、かすかながら胸に宿り始めている。


 いまだに私は、定期的に通院やカウンセリングを続け、良くなったり悪くなったりを繰り返している。

まるで階段を上り下りするように、前へ進んだと思ったら次は急に落ち込んで動けなくなることもある。

それでも、一度も治療を放り出さずに続けられているのは、

心を寄り添わせてくれる専門家や、新しく知り合った友人の存在が支えになっているからだろう。

彼らの手を借りながら、私は少しずつ「自分を取り戻す」という旅を続けている。


 「今の私は、この世界にいてもいいのだろうか」という問いは、今でも胸の奥底にくすぶり続けている。

あの日、少女ヒーローアニメを夢中で見ていた私が、未来の自分に何を望んでいただろう。

それを考えると、胸がえぐられるような切なさを感じる。

だけど――それでも生きていく。私は私のままで、この世界で生きていい。そう信じられる時が、いつかは来るかもしれない。

私の時間はあの日で止まってしまったけれど、同時に「今を生きたい」と願う自分も確かに存在している。

その両方を抱えて歩み続けることこそが、私が選んだ道だ。


 いつの日か、あの痛みと恐怖を抱えたままでも、「それでも私は私の人生を大切に思える」と言えるようになること。

それが今の私のささやかな目標だ。

たとえ歪な世界に閉じ込められ、罅の入った瞳を抱えたままであっても、希望の光をまったく見失ったわけではない。

小さくてもかすかな光に向かって、一歩一歩進んでいく――そう決めたから、今日も私はどうにか朝の空気を吸い込み、弱々しい足取りで玄関の扉を開けるのだ。


 あの日、確かに世界は壊れた。

だけど、壊れたままの世界の中で、私は私なりに生き続ける。

かつての無邪気な笑顔を取り戻すことは難しいかもしれないが、その代わりに強くなった自分をいつか誇りに思えるように。

私は今日も、止まってしまった時間を引きずりながらも、明日へと歩みを進めていく。

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