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08:エロイーズ、出遅れる

 革鎧を着て、腰に剣を提げた騎士が二人、入ってくる。

「おや。領主様のところの」

 顔見知りだったらしく、女店主がそう言った。


 騎士達は頷く。

「見知らぬ者達が来なかったか」

 その言葉に、女店主と男達が一斉に、エロイーズの方を見た。

 パンに齧り付いたまま、エロイーズは騎士達を見上げる。


 騎士達は、チラリとエロイーズ達に視線を投げかけた。

「このような小さき者達ではなく」

 と、騎士の一人が言う。

「化け物猿を大勢従えるような、悪の親玉だ」


 小さき者達。

 そう言われて、ハルは不服そうな顔をしている。


「大きな化け物猿なのか?」

「どんな顔をしているんだい?」

「犬のような顔らしい」

「ラム酒をもう一杯」

「人間の生き血を吸うような奴か?」

 化け猿と親玉の話が混同されていく。


「誰も見た訳ではないから、はっきりとした事は言えない。領主様が仰るには、難破船を操っていた者がいたはずだから、探せと」

 領主様といえば、ロス辺境伯の事だ。

 こんな風に耳にすると、とても遠い人のように、エロイーズには思えた。


「そいつが化け物猿を運んで来たのか」

「一匹では船を動かせまい。数匹は居るだろう」

「数匹の巨大な化け物猿だって?」


「大きな化け物猿がたくさん逃げ出したようです、お姉様」

 ハルは真剣な顔で報告した。

「違うと思うわ、ハルちゃん」

 エロイーズが、美味しいスープにパンをひたして食べている間に、兵士達は充分用心するようにと言い残して、次の建物を調べに行った。


「でも、人気のない道を帰るのは避けた方が良さそうね。今日はこの街に宿を取りましょう」

 エロイーズの言葉に、ハルが頷く。

「もうあんなところには、帰らなくても良いのではないでしょうか? 帰っても、食事の提供もないのですから」


「……そうね。貴重品は持ってきているし、帰る必要は無いかも」

 それでも、とエロイーズは思う。

 今、ロス辺境伯の置かれている状況を垣間見て、ほんの少しだけ、気持ちが揺れ動く。

 全ては辺境伯の与り知らぬ事で、難破船の処理に追われ、エロイーズの待遇にまで手が回らなかっただけなのではないか。

 そうであれば、領主館に帰った時にエロイーズが居ないとなると、彼は心配するかも知れない。


(未練がましいわ、エロイーズ)

 彼女は首を振った。

(心配なんてするはずがない。私は、『権力で無理矢理に結婚した、不細工な女』だもの)


「お姉様……?」

 ハルの心配そうな声に、エロイーズは悲しい表情のままで考え事をしていた事に気づく。

 スープの皿は空になっていた。

「さてと! 手紙を出しに行きましょうか」


 エロイーズは、空の容器を厨房に返しに行って、美味しい食事への感謝の言葉を伝える。

 店を出る時、ラム酒を飲んで長々と化け物談義をしている男達全員からなぜか手を振られたので、ニコニコ笑って手を振り返しながら、エロイーズはハルと一緒に外に出た。


 郵便基地局は、市街地のほぼ中心地にあった。

 手紙の発送元を基地局にし、兄から返事が来たら、そのまま局に留めておけるようにエロイーズは手続きした。私書箱という仕組みだ。日参して返事が来てないか確かめる必要があったが、同じ街に宿を取るつもりなので、問題ない。


 手紙を出した後は、買い物をする。

 二人分の当面の食糧として、日持ちのする食べ物を買い込んだ。

「さすが、港町ね。保存食がたくさんあるわ」

 魚の干物やオリーブ油漬けは、この地域の名産品だ。王都で買えば高いが、ここでは庶民が気軽に買える値段だった。元々は長い航海をする船乗り達のために作られたものだからだろう。確かロス領は、ラム酒の産地としても有名だ。


 雑貨屋で爆竹を見つけたので、買っておいた。


(お兄様が庭で爆竹に火を点けて、お父様に怒られた事があったわ)

 もう充分分別のつく歳だったのに、兄のドミリオは『爆竹の音がどれほどのものか試してみたい』という誘惑に勝てなかったようだ。

 家人みんなが、何事かと庭に飛び出してきたが、兄自身も予想外の大きな音に驚いていた。当時は騒動を起こした兄に文句を言ったエロイーズだが、今となっては、面白かった思い出の一つだ。

(あの時のみんなの顔ったら)

 エロイーズは心の中でこっそりと、思い出し笑いをする。

(今度領主館に行く事があったら、これを投げつけてみてもいいかも知れない)

 と、小さな復讐を企てる。


 最後にパン屋を見つけて、日持ちのするシュトーレンや菓子パンを買うと、ハルの背嚢とエロイーズのポーチは、もうこれ以上は物が入らない状態になった。

 更に、瓶詰めの果実水二本を紐で縛って、エロイーズが肩から提げた。


「重たいのに、すみません、お姉様」

 背の低いエロイーズが重い瓶を担いだ姿を、ハルは痛々しいものを見る目で眺める。

「この程度なら大丈夫よ? ハルちゃんの方が重いでしょう?」

 いたわり合いながら辿り着いた先の宿屋で、エロイーズは自分の失敗を知ることになる。


「あいにく、今日はいっぱいだねぇ」

 宿屋の主人が、申し訳なさそうに言う。

「何でも、恐ろしい魔物が海岸に流れ着いて、人間に化けて潜んでいるとかで、街道が全て封鎖されてしまったのさ。足止めされた人達が一斉に宿を取ったから、他の宿もいっぱいなんじゃないかなぁ」


 軒先にベッドの絵を出している建物を、他にも二、三当たってみたが、どこでも同じように断られた。


 買い物よりも先に、宿を確保するべきだったのだ。

 騎士達が不審人物を捜す姿を目にしながら、街道封鎖を想定しなかったなんて。

 自分の迂闊さに、エロイーズは失望した。


「参りましたねぇ」

 エロイーズとハルは、街の中央にある大きな広場で一旦休憩する。

 広場の中央には噴水があり、水が高く上がっては遅い午後の陽光を跳ね返し、勢いが落ちて止まる、というループを繰り返していた。

 たびたび水害に遭うこの地域では排水の技術が進んでいて、噴水には、その象徴的な意味合いがあるようだ。


「どうしようかしら」

 噴水の縁に座っていると、よろめくような足取りが近づいてきて、二人のすぐ横で立ち止まった。

 エロイーズが見上げると、酒臭い息が落ちて来た。


「なんだ、小さきねえちゃんたちか」

 さっき煮込み料理屋で見た男達の一人が、ふらふらしながら立っている。日焼けした顔が、酔っ払って赤黒く見えた。


「小さきねぇちゃんたち!」

 彼の後ろから、他の男達も顔を覗かせる。

 みんな、さっき煮込み料理店を出る時に手を振ってくれた男達だった。

「そんなに小さくはないです」

 と、ハルが少しふてくされた口調で言う。


「大丈夫ですか?」

 そうエロイーズが尋ねたのは、先頭の男の身体が大きく傾いだからだ。

「大丈夫じゃないから、俺達が連れ帰るところ」

 と、後ろに居た一人が、彼を引き摺って進んでいった。


「お金でも落とした?」

 と聞いてくるもう一人の男も、随分飲んだらしく、呂律が怪しい。赤ら顔の中で、目がとろんとしていた。刈り上げた髪が自分と同じ赤毛なので、エロイーズは親近感を持つ。


「宿が見つからないので、一旦休憩しているんです」

 どこか、空いていそうな宿を知らないか訊こうとエロイーズは思ったが、その前に相手の男はウンウンと頷いた。

「待ってな」

 そう言って、よろよろと引き返して行く。


「お酒ってそんなに美味しいんでしょうか」

 ハルが不思議そうに言う。

「今日あの人達が飲んでいたお酒は、甘くて美味しいらしいの。船の上ではラム酒が飲み放題だからって、船乗りになる人もいるそうよ」

 エロイーズは、小説から得た知識を披露する。

「ラム酒ですか」

 ハルのテンションが急に高くなった。

「ケーキを作る時に、使った気がします!」

「ケーキを作ったの?」

 エロイーズが、出来映えを訊く前に、ハルのテンションは急速に下がった。

「……はい」

 あまり深く掘り下げない方が良さそうだ。


 そんな他愛の無い会話をしながら時間を潰して、歩き回る元気が戻ってきた頃に、聞き覚えのある声が言った。

「こんな事になっているんじゃないかと思ったら、案の定だねぇ」

 煮込み料理店の女店主が、すぐそばに立っていた。

 さっきの酔っ払いの男が呼んだらしい。


 彼女はエロイーズの隣に腰掛けると、アリアと名乗った。

「私はエロイーズ、この子はハルです。初めての街で、勝手がわからずに出遅れてしまいました」

 エロイーズはションボリと返す。


「さっき、食事も出さないって会話がチョロッと聞こえてきたから、心配してたんだよ。雇い主だか、姑だかと、何かあったのかね?」

 アリアが気遣わしげに尋ねる。

 そういえばさっき、スープを平らげながらそんな話をした事を、エロイーズは思い出す。


「……姑はいないのですが、政略結婚の相手に嫌われてしまって。私が至らなかったようです」

 経緯を思い出す度、胸の痛みが蘇る。


「そんなナリでも所作が綺麗だから、いいところのお嬢さんじゃないかと思ったよ。それにしても酷い男じゃないか」

 と扱き下ろすアリア。

「嫁に食事も出さないような、甲斐性無しの男がこの街に居るなんて、あたしゃガッカリだ。できれば、街の名誉を挽回させておくれよ。ここから十五分ほど歩いた所に空き家があるんだけれど、暫く泊まるかい?」


「いいんですか!?」

 エロイーズは驚いた。

 多少、誤解はある。

 ロス辺境伯が、このままでは甲斐性無しの男としてまかり通ってしまう。

 食事の件は、明らかに使用人達の独断もしくは怠慢だ。あの彼が、そんな細かい嫌がらせの指示までするとは思えなかったから。

 だがこの際、甲斐性無しの男のままでいてもらおう。


「助かります! 兄が迎えに来るまで貸していただけるのなら、相場の倍の宿代をお支払いいたします」

 エロイーズの申し出に、アリアは手を勢い良く何度も横に振る。


「年寄りが死んだ後、処分に困っている古家なのさ。とてもお金をもらえるような代物じゃないよ。あたしはこれから夜の部の仕込みがあるから、悪いけれど、コレを見ながら行ってくれるかい?」

 彼女が渡してくれたのは、地図と鍵だった。

 十五分なら、領主館ほど遠くない。


「ありがとうございます! なんとお礼を申し上げれば良いか」

 婚家の家人の悪意に晒されるという、最悪な形で始まった今日という日が、こんな風に見知らぬ人の善意で、感慨深い一日になるなんて。

 泣きそうになって、エロイーズは目をしばたく。


「いいんだよ。あたしも男には苦労させられてねぇ。本当に、男ってやつは……」

 女店主は立ち上がると、エロイーズの肩に手を置いた。

「あんた、可愛いんだから、まだまだこれからだよ。頑張りなさいね」


 可愛い……?

 店の方へ戻って行くアリアを見送りながら、エロイーズは呟く。

「可愛いはず、ないのに」


「お姉様は可愛いですよ」

 ハルは、背嚢を背負い、果実水の瓶を縛った紐を持ち上げながら言った。

「瓶は、私が持つわ」

 エロイーズは慌てて彼女から紐を奪う。

 紐が肩に食い込んだが、ハルの持つ背嚢の重さに比べればたいした事は無い。


「アリアって良い人ね! 初めて、この街に来て良かったと思えたわ」

「本当にそうですね!」

 少女一人と若い女性一人は楽しげに、地図にある目印と実際のランドマークを照らし合わせながら、道を辿っていった。











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