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07:エロイーズ、街へ行く

 気候が暖かいせいか、領主館の周囲には、王都では見た事のない植物がたくさんあった。

「ハル、オリーブよ」

 街に続く道の両側に植えられた木々を見て、エロイーズが言う。


「これがオリーブなんですか」

 と、ハルが緑色の丸い実を眺める。

「まだ小さいみたいだけれど、塩漬けにすると美味しいのよね」

 などと言うエロイーズの言葉が聞こえたかのように、怒号が飛んで来た。 

「盗るんじゃねえぞ!」


 振り返ると、麦わら帽子を鷲掴みにして、縮れた黒髪の中年男が街の方角から急いでやってくる。

 作業着のような汚れた服を着ている事から、庭師だと思われた。

「失礼ね。本当に、この土地の人達って失礼な人ばかり」

 ハルが怒りを再燃させた。


「すみません。北部からやって来たばかりで、珍しくて、ついうっかり眺めてしまいました」

 エロイーズが軽く会釈すると、庭師は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「見るだけでも駄目なのかしら」

 などと、ハルがけんか腰になるので、エロイーズは彼女の手を引いた。

「急ぎましょう、ハル。お昼ご飯が遅くなっちゃう」


 エロイーズよりも四つ年下のハルは、つい感情が先走ってしまうようだ。

 この三年と少しの間に、ナイフを突き立てた刺客が死んだり、第三王子を守ろうとした顔見知りの護衛が殺されたり、といった経験をしたエロイーズは、怒らない訳ではないけれど、物事の優先順位が昔とは違ってしまっていた。


「ほら、見て。お芋の葉が綺麗に並んでる。街と領主館の間にある土地を、有効活用しているのね」

 エロイーズはハルの気を逸らそうとして、坂の下に見えている畑を指さした。

「あのジジ……おじさん、こちらを睨んでいますよ」

「一生懸命育てた作物が心配なのね」


 芋畑で雑草を取っていたらしい少年達が、顔を上げて、こちらを見た。

 みな日焼けして、健康的な肌をしている。

「ご苦労様です」

 エロイーズがそう声をかけて通り過ぎる。

 誰だろう、という顔をして、少年達は彼女を見送った。




 ハルは昔から公爵家に仕えている侍従の娘で、出産時に母親が亡くなったため、公爵家の使用人宿舎で育った。妹よりも小さな女の子が大人達に交じって雑用をこなしている姿を見て、子どもの頃のエロイーズは常に彼女を気に掛け、読み書きを教えたり遊び相手になったりしてきた。


 一つ年下の妹アメリアは勝ち気過ぎて、非常に大人びているため、エロイーズの方が妹扱いされる事がある。その点ハルは、実の妹よりも妹らしい女の子だった。


 今、エロイーズはハルと手を繋いで、街を歩いている。

 公爵家では絶対にできない姉妹ごっこに、エロイーズは幸せを感じていた。

 手を繋いでいるのは、知らない街で迷子にならないためだ。


「どこで誰が聞いているかわからないから、身バレしないように、私の事はお姉様と呼んでね」

「……はい、お姉様」

 ハルは、少し恥ずかしそうに微笑む。


 街の規模は、王都ほどではないにしても、店が多く、活気に満ちていた。

 港に近いところでは市が立っていて、新鮮な魚介類を求める人々が大勢行き来する。往来には、買い物客の他に、荷物運びを仕事にしている人々も大勢いた。男だけではなく女も、重い荷物を荷車に積んで通り過ぎる。


 良い匂いに釣られてふらふらと歩くうちに、煮込み料理の看板を見つけたので入ってみると、中で食事をとっていたガタイの良い男達が一斉に振り返る。

 ハルが恐れをなして出ていきそうになったが、エロイーズは彼女の手を引いて中に進んだ。


 街までの道をのんびりと歩いている間に、昼飯時は過ぎていた。

 二十人ほどでいっぱいになる規模の店には、遅い昼食をとっている十人ほどの客がいる。日に焼けた肌に、逞しい体付きの彼らは、港湾関係者のようだ。


 空いているテーブルにハルを座らせ、エロイーズはカウンターの向こうに居る、店主らしい年配の女性に手を振る。

「煮込み料理二つください!」

 カウンターの向こうは厨房になっていた。お店の人が女性だと知って、ハルは安心した顔をする。


「小さいのに元気な娘っ子だねぇ」

 花柄のバンダナで髪を覆った女性店主は、厨房の鍋から手早く二杯分取り分けると、パンと一緒にテーブルまで持ってきてくれた。

「むさ苦しいお客ばかり見てるから、心が洗われるようだよ」

 垂れ気味の目を緩ませて、店主が言う。


「パンもついているのですか?」

「これは、最後に残り汁をつけて食べると美味しいからね」

 ハルが料金を尋ね、持ち歩いているエロイーズの財布から二人分の硬貨を店主に渡した。


「むさ苦しくて悪かったなぁ」

「なんだ、ハンサムのつもりだったのかい」

「どう見てもハンサムだろうが」

 いつものやり取りらしい、客の男達と店主との気安い会話が和やかに続く。


「エビですわ、エ……お姉様」

 ハルが危うく、エロイーズの名前を呼びそうになる。

「貝も入ってるわよ、ハルちゃん。こっちは白身のお魚かしら」

 突然のハルちゃん呼びに、目を丸くして驚くハルの顔を、エロイーズは面白そうに眺めた。


 王都の近くには、河や湖はあったが、海は遠かった。

 魚介類は日持ちせず、王都へ移送する間に痛んでしまう。

 生まれて初めて王都から出たハルは、初めて見る食材に興奮していた。

「美味しいです、お姉様! 毎日食べたいぐらい」


「本当ね。毎日来ましょうか」

 ミルクベースのスープには、他にも芋や緑色の野菜が入っていて、栄養満点だ。ここで腹一杯食べて帰れば、晩ご飯は手の込んだものを作らなくても済むのではないかと、エロイーズは考えた。


 二人が賑やかに昼ご飯を食べている後ろで、噂話をしている一団がいた。

「難破船の化け物の話、聞いたか?」

「ああ、化け物猿か」


 難破船。

 本当に、難破した船があったのね、と、エロイーズは小さく息を吐く。

 辺境伯が嘘を吐いてまで忌避したのではなくて良かった、という安堵の吐息だ。

 でも、化け物とは?


「猿か犬かわからない化け物らしいな」

「見つけたのは俺の弟だが、海岸が化け物猿の死体だらけだったって」

「おばちゃんラム酒」

「一匹じゃなかったのか」

「あたしはラム酒じゃないよ」

「海岸が、死体でびっしりと覆われているそうだ」

「おばちゃん、わたくしめにラム酒を一杯ください」


 海岸が、死体でびっしり。

 そんな状況では、確かに領主館に帰って来るのは難しかったでしょうね、とエロイーズは考える。でも、一旦底辺まで落ちてしまった辺境伯への好感度は、そう簡単には浮上しない。


「今、領主様の兵が片付けているらしいが、生きた奴が逃げ込んでいるかも知れないから、気を付けろって」

「俺もラム酒」

「ああ。それで兵隊だらけなのか」

「お前、人間じゃなくてラム酒だったのか」

「さてはお前が化け猿だな?」

「あんた達、酒なんて飲んでこの後の仕事は大丈夫なのかい」

「難破というが、最近嵐なんて来たっけ」

「仕事、今日は上がりだよ。港が封鎖されちゃってさ。難破船がらみなんだろうが」

「馬鹿、船が難破て事は、陸じゃなくて沖で嵐に遭ったんだろうが」


 何人もが同時進行で喋るので、情報が錯綜する。

 海の男がラム酒好きっていう話は本当だったのね、と、エロイーズの思考は違う方向へ飛んでいった。

(確か、冒険好きの王子様が海賊を撃退するお話に、ラム酒が出てきたんだったわ)


 冒険好きの王子様は、オールドルナ号に乗って海へと繰り出す。ところが、貴族である王子の従者達と身分の低い船乗り達が対立して、ラム酒をどちらがどれだけ多く飲めるかで決着をつける事になる。

(結局全員が悪酔いして、揃って船縁から海に吐くのよね。それで、海の中に潜んでいた海賊のスパイがゲロまみれになって、逃げ帰るの)


 子どもの頃、わくわくしながら王子様の冒険譚を読んだ記憶が蘇った。

 今日はもう時間がないけれど、明日は本屋を探しに行こう、とエロイーズは心に決める。

 もう一度、子どもの頃の自分を取り戻したかった。


 目の前では、ハルがパンを千切らずに、丸ごとスープにつけて食べている。

(そうよね。今は市井の方々と同じ格好をしているのに、淑女っぽく千切って食べたりしたら、意味が無いわよね)

 エロイーズはハルと同じように、パンをスープに付けた。そのまま、パンの端っこに囓りついた時、店のドアが開いた。











⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

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