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06:難破船

 ロス辺境伯の領主館は、街を一望する丘の上にある。

 緑に半ば飲み込まれるようにして建つ建物は霞んではいるが、海岸からも見る事ができた。


 ろくに話もできないまま、新妻を置いて来てしまったと、気がかりで仕方の無いセオドアだが、領主として、またこの国の貴族として、目の前で起こっている異常事態に対処しない訳にはいかない。


 エロイーズの事は、先代から仕えてくれている使用人達に任せるしかなかった。


『取りあえず、夫婦用の部屋に通したが、妻としての役割は、もっとこの地に慣れてからでいいと私は思っている。本棚がたくさん置ける広い部屋を用意してくれ。くれぐれも丁重に、手厚くもてなすんだ。頼んだぞ』

 と、彼は念を押した。

 年老いた家令は、深夜にたたき起こされて眠いだろうに、

『旦那様のためにも全力を尽くします』

 と、力強く頷いてくれた。


 セオドアは自分の言葉が、『妻とは思えないので夫婦部屋から丁重に追い出せ』などと、斜め上の伝わり方をしている事には気づかない。家人を信じて、セオドアは気持ちを入れ替え、目の前の悲惨な状況に向き直る。


 海岸には、打ち上げられた屍が何十体も折り重なっていた。

 その周囲を行ったり来たりしているのは、ロス領の私兵騎士団、医者、測量技師、学者やその助手などだ。

 強い腐臭に辟易して、布を顔に巻き付けている者も多い。


 屍は全てが人の子どもぐらいの大きさで、一見猿のように見える。

 顔の中央は犬のように突き出し、鼻梁は鼻先から目の間まで幅広く、両眼は前を向いていた。全身の毛は、茶色だったり金色だったり赤茶けていたりと、個体によって色がかなり違う。前肢と後肢が両方とも、人間の手にそっくりの構造だ。


 猿の身体に犬の顔、そのような動物に当てはめられる名前が、モスタ王国内には無い。


 海中のサメや、鳥達にやられたのか、内臓が剥き出しになったものもあった。

 街中からかき集められた絵師達が、まだ形を保っている個体のスケッチをしている。


 沖には、半ば崩れ落ちたような形で傾いでいる船がある。マストは三本とも折れ、辛うじて引っかかっている帆はズタズタだ。


「生きているものがいないか、周辺を捜索してくれ」

 セオドアは、傍らに立つ部下達に言う。


「凶暴な奴だったとして、襲ってきたら殺していいですか?」

 ロス家の私兵団を束ねるアオギが尋ねる。セオドアよりも十五は年上の、経験豊富な男だ。四角張った無骨な造りの顔は揉み上げに縁取られ、短く刈ったグレーの髪には白髪がちらほらと交じっていた。


「凶暴である可能性は低いな。港湾管理官は、これだけの数を積んで来たのなら、あれは奴隷船じゃないかと言っている。大人しくて扱いやすい、知能の高い動物だという事だ。他国の生き物だから、扱いは慎重に、生きているものはできるだけ傷付けないよう、生け捕りにして欲しい。遭難して死んでしまったものはともかく、積極的に殺してしまっては、場合によっては国際問題になる」


「なるほど。得心いたしました」

 セオドアの説明に、アオギは頷いた。当主を見返す薄いブルーの瞳に、感銘を受けたような色がある。


 アオギは数名のリーダーをその場で選んで、捜索担当地域と人数を割り当てた。

 残った人員には、墓穴を掘る役目が命じられる。遺骸を早く埋めないと、腐臭は更に強烈になるだろう。

 セオドアは、出来上がったスケッチの一枚を手に、近くに設営された対策本部へと戻る。


 対策本部は、空き家になっていた民家を借り上げたものだ。

 少しかび臭いが、この家が難破船に一番近かった。長期間無人だったらしく、蜘蛛の巣や虫の死骸がそこら中にある。


 集められた資料が、古びたテーブルの上に積み上げられつつあった。

 屍の一つ一つに番号が付けられ、毛の色、瞳の色、倒れていた場所、特徴、欠損部位などが細かく書き留められている。

 若手の騎士団員が番号順に並べ、更にそれをリスト化する。

 駆けつけてから夜明けまでに作った作業手順が、今ようやく順調に機能し始めていた。


 テーブルの端を少し片付けて、セオドアは新しい紙を広げると、難破船の状況を詳細に記す。


(先日ドミリオに聞いたばかりの奇妙な話が、こんな形で、事実だと思い知る事になるとは……)


 セオドア・ロスは、婚礼前日の夜に交わした、ドミリオとの会話を思い返す。

 話があると、公爵邸のドミリオの部屋に呼ばれた。

 結婚の祝いの言葉か何かだとばかり思っていたのに、聞かされたのは荒唐無稽な話だった。






「エルフだって?」

 セオドアは、担がれているのではないかと、ドミリオの深刻そうな表情を見返す。

 学生時代、真面目な顔して人を騙す事が大好きだったドミリオなので、冗談なのか本気なのか全く読めない。


「エルフが本当にいるなんて、聞いた事がない」

「居るんだ」

 次の瞬間にでもドミリオが笑い出すんじゃないかと待つセオドアだったが、そんな気配はない。

 だが、信じた瞬間に『え? 信じたの?』と揶揄われた経験が学生時代に何度もあったので、セオドアは警戒を続けた。


「君の領地から南に進むと、カプリシオハンターズ共和国がある。その国には、エルフだけではなく、竜人族や、獣人族が居る。私達には想像もできない、たくさんの動物が存在し、知能の高い使役獣が人々の仕事の補佐をしているそうだ。信じられない気持ちはわかるが、その気持ちは一旦置いておいて、そういうファンタジーな世界が実在すると仮定してくれ」


 ドミリオの言葉に、セオドアは頷く。


「何十年か前、エルフ王家の姫君が誘拐された。その姫君の行方が先日ようやくわかったんだが、それが、モスタ王国の王城内だった」

「王城内?」

「そうだ。どういう経緯で判明したかは今は明かせないが、共和国の主張では、姫君は奴隷として王城内で飼われ、死んだというんだ」


「それは……架空というか、仮定の話なんだよな?」

「そうであって欲しいと、私は思っているが」

 ドミリオの表情は、深刻なままだった。

 彼は人を傷つけるような冗談は言わないから、これは架空ではなくて本当の話なんだろうと、セオドアは信じ始める。


「本当だとしたら、向こうの国はさぞかし……怒るだろうな」

「うん。怒ってるんだ。エルフ達は相当怒ってる。幸い、共和国は現在『四種族会議』が動かしていて、エルフ族単独の国家ではないから、即戦争という事にはなっていない。だが、問題はもう一つある」


 ドミリオの小さな目が、セオドアにじっと向けられた。

「向こうの使役獣が、大量に拉致され、どこかの国で奴隷として売られているようなんだ。我が国では奴隷制度は廃止されていて、奴隷売買は犯罪だ。だからおそらくは他国の仕業だと思われる。……というのは、ただの願望だな。今のところ伝わってきているのは、『共和国で奴隷狩りが行われている』という話だけだ。万が一我が国の者が関わっていると判明した場合、開戦の可能性が高まる」


 王国内で、カプリシオハンターズ共和国と距離的に近い所領の一つが、最南端にあるロス領だ。

 秘密裏の奴隷売買ルートが存在しないか、海岸線で奴隷を密輸している動きがないか、目を光らせてくれ、というのが、ドミリオの頼み事だった。






 セオドアは、難破船の詳細を書き終わると、ドミリオ宛てに手紙をしたためる。


『緊急事態なので、要件だけ書く。先日の依頼に関連すると思われる船が私の領地内で難破した。使役獣らしい遺骸が海岸沿いに多数流れ着いている。衛生上致し方なく埋葬するが、スケッチを添える。船は形状や材質から、モスタ王国内で作られたものではないと港湾管理官は言っている。おそらく、共和国内で奴隷狩りをして、他国へ運ぶ途中に嵐に遭って難破したのだろう。新たに嵐が来て、船体が沖に持って行かれる前に、至急専門家を派遣してくれ。以上、第一報を記す。セオドア・ロス』


 セオドアは、難破船の報告書とスケッチを、手紙の内側に折りたたんで封蝋した。

 アオギが選抜した騎士団員二名に持たせ、国の命運に関わる重要な報告書だと言い含めて、王都へと送り出す。


 この件を対外的にどう処理するかは、中央の貴族会議が決めるだろう。それよりもセオドアは、領民の安全を第一に考えなくてはならない。


 打ち上げられた遺骸には、人間のものは一体もなかった。奴隷船を航行させていた奴隷商人達は、どこへ行ったのか? 


 セオドアは疲れた顔で、私兵騎士団を引き連れて街へと戻り始める。

(街中に警告を出して、街の外へ繋がる道には関所を設け、厳戒態勢を敷かなくては)

 奴隷商人達が生きて領地内に潜伏していると仮定し、暗くなる前に、封じ込める必要がある。


 新妻を待たせている領主館が気がかりだが、まだ帰れそうになかった。











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