03:エロイーズ、結婚する
しばらくは実家でゆっくりして、本でも読んでいよう……そんな風に思いを馳せているエロイーズの前に、いつの間にか兄が立っていた。
「エロイーズ」
と、兄のドミリオは言った。
「お前、こいつと結婚しろ」
そう言って彼が腕を引っ張り、エロイーズの前に突き出したのは、先ほど挨拶した金髪碧眼の貴公子だった。
セオドア・ロス辺境伯は、え……などと口の中で呟きながら、エロイーズではなくドミリオを見ている。
その顔が、うっすらと赤くなっていった。
エロイーズは、兄のいつもの軽口だと思った。
「お兄様。そういう冗談は、おやめになって。もう学生ではないのですよ」
と咎めるが、兄は真剣な表情を崩さない。
「時は来た! 女は嫌いだ、と公言していたこいつに、やっと兆しが見えたのだ!」
と、何やら芝居がかった台詞を口にし始める兄。
「そして、お前は面食いだ、エロイーズ。超絶面食いだ。これほどお似合いな組み合わせもない」
おお、とか、ほほう、などという合いの手が飛んで来るので周囲を見れば、いつの間にか兄の級友達に囲まれている。
「何を仰っているのか、さっぱりわかりません。お兄様」
エロイーズは崩れそうになる表情を押し止めて、しらを切った。
面食いだなどと。
ばれているはずがない。
その手の小説は叔母の所有で、実家には置いていない。
そもそも面食いではなくて、美形同士の絡みが好きなだけだ。
エロイーズ自身が、美形な男性とお付き合いを希望しているという事ではなく、美丈夫な男性と美少年が、互いに慈しみ合う姿を鑑賞したいのだ。
って、そのような事を、二十代も後半に入った男性達の前で言える訳がない。
「セオドアは、なるべく早く領地に帰らなくてはならないそうだから、さっさと式を挙げよう。ちょうど今、同窓生が王都に集結しているではないか!」
ドミリオが、日程の調整を始めた。
それを見てセオドア・ロス辺境伯が青ざめている。
「待て、ドミリオ。まずは彼女の話を……」
「辺境伯にもご迷惑ですよ、お兄様」
こんな売れ残りの、冴えない容姿の女を押しつけられそうになって、慌てているのだとエロイーズは思った。
「ご心配いただかなくても私は、本さえあれば、伴侶はいなくてもいいのです」
「セオドア! 本さえあればエロイーズは、華やかな王都から離れた辺境にもついてきてくれるそうだ! たくさん買ってやってくれ。ご令嬢方が欲しがる希少な宝石やアクセサリーに比べれば、安いものだろう?」
「それはもちろんだが!」
セオドアが焦って言う。
「エロイーズ嬢の気持ちを、まだ」
「心配するな!」
ドミリオは心底愉快そうだ。
「エロイーズは昔、お前にそっくりな男の絵を何枚も描いていた」
エロイーズは、驚きの表情になった後で、怒り出した。
「ひどい! 盗み見ていたのですね? 有り得ないです、お兄様」
エロイーズは、小説から思い描いた登場人物の想像図を、スケッチする事があった。
それを兄が勝手に見ていたと知って、恥ずかしいし、居たたまれない。
「妹の部屋にこっそり出入りしていたのですか?! 非常識です」
彼女は、セオドア・ロスが自分をじっと見つめている事に気づかなかった。
「それはよく言われるねぇ」
ドミリオはなぜか嬉しそうだ。
「それに子どもの頃の話ですよ? あれは、小説の登場人物です。確かに好んで描いてはおりましたが、ロス様の事ではございません」
と振り返れば、辺境伯は直前で彼女から視線を逸らして、ドミリオを見ているふりをする。
このパターンがさっきから何度も繰り返されている事を、エロイーズは知らなかった。
「好んで描いていた、つまり、好みの男のタイプってことだろう?」
ドミリオはあけすけに言った。
「なんという事をおっしゃいますの」
エロイーズはそれ以上、品を保ちながら抗議する言葉を思いつけずに、俯いて赤面する。
そんな彼女を見つめて、セオドアも赤くなっている。
ドミリオは上機嫌に、飲み物のグラスを掲げる。
「あの絵を初めて見た時から、こうなる予感がしていた。今日のような良き日に、良縁がまとまって良かったよ!」
おめでとう、と口々に言いながら、周囲に集まる兄の級友達、すなわち中央政治を担う若手の貴族達が、手に持ったグラスを頭上に翳した。
その後、兄のドミリオが両親に話を通し、あっという間に婚約が整った。
即日、級友達によって式場が押さえられ、人員や食材の手配も彼らの関係者を通じて迅速に行われた。
招待客のリストアップ、招待状の作成、手分けしての手渡し、席次の取り決めと、考える間もなく時間が過ぎていく。
エロイーズは、セオドア・ロス辺境伯とゆっくりと会話する事もできないまま、結婚の日を迎える事になった。
当日のドレスは、エロイーズの母が昔着た結婚式用のドレスを手直ししたものだ。
ロス辺境伯の両親は既に亡くなっており、親族代理として、彼の護衛兼私兵騎士団団長のアオギという、四十絡みの毛深い男が出席した。
それから、兄とセオドア・ロス辺境伯の級友達。
規模的にはこぢんまりとしてはいるが、参加者に第三王子と側妃も含まれる豪勢な式が執り行われた。
式の間も、ロス辺境伯はドミリオの方を向いていた。エロイーズは、やはり辺境伯の想い人は兄なのだという思いを強くした。
実際には、エロイーズが他を見ている時には、セオドア・ロス辺境伯はじっと彼女を見つめていた。
その事にエロイーズが気づかぬまま、触れるか触れないか程度のキスで式は終わった。
そして、披露宴もそこそこに彼女と辺境伯は、その日のうちに馬車に乗って、辺境伯の領地へと出発したのだった。
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