番外編:兆し(2)
この作品には、暴力的な表現や残酷な描写が含まれています
免疫のある方のみ、お進みください▼▼▼
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『今は鍛錬の時間でしょう、殿下。抜け出してきたんですか?』
『僕は、たんれんしない! いないから、たんれんしない!』
あの時王子は、十三歳だった。
小さな子どものように、地団駄を踏んでいた姿をエロイーズは思い出す。
緑地を突っ切って無理矢理四阿に突入してきたせいで、体中に葉や細かい枝が付いていた。見目麗しい側近のザイオンが、一つ一つ丁寧に取り除いている姿に、エロイーズは見惚れたものだ。
『服はどうしたんです?』
『あついから、きない!』
『……それじゃお猿さんと同じだな』
それからも、側妃の叔母を訪ねて城内へ行くと、木に登って逃亡する第一王子と怒りながら追いかけるザイオンの姿を見かけたり、第一王子がお茶会に乱入してお菓子を奪っていき、ザイオンが叔母に謝るといった事が何度かあった。王子が貴族学園に入学し、叔母に子どもが生まれてからは、会っていない。
一階玄関の扉は、鉄格子付明かり取りを設けた、頑丈なものだった。
内側に引き開けたエロイーズの前に立っていたのは、あの頃と同じ、葉や枝を付けたマクシミリアン第一王子だ。だが、成長した彼は見上げるほどに背が高く、逞しい体格になっていた。
「まあ。大きくなられましたね、殿下?」
と、エロイーズが微笑む。
「エロイーズは相変わらず小さいね」
と言って王子は屈託なく笑う。
彼を中に招き入れながら、エロイーズは笑って言い返した。
「それを仰るなら王子殿下も、窓から来訪するところなどは子どもの頃とお変わりないですね? 木々をお猿さんのように渡って、護衛の包囲網をすり抜けたのでしょう?」
「見つかるとまずいんだ」
マクシミリアン王子は、玄関内側に入ってくると、そっと扉を閉めた。
「本当は、誰にも会っちゃいけないって言われてるんだけれど、ここの領主と結婚した人がエロイーズっていう名前だって街の人達が話しているのを聞いて、僕の知っているエロイーズかどうか見に来た」
誰にも会っちゃいけないと言ったのは、ザイオンだろうか、とエロイーズは思う。
城に連れ戻されるのを、警戒しているのかも知れない。
確かに、第三王子の反対勢力が彼の居場所を知れば、誘拐してでも城に連れ帰って再び対抗馬に立てそうだ。
「先日、ここの領主様と結婚いたしまして、八日ほど前にこの地に参りましたの。本来なら殿下もザイオンも、結婚式にお招きするところでしたのに」
「結婚式、いいなぁ。ご馳走食べたかった。あ、えっと。結婚おめでとう!」
明るく祝福してくれるマクシミリアン第一王子からは、身分を捨てた切なさや辛さなどは全く感じられない。
「ありがとうございます」
エロイーズは優雅に会釈する。
「王子殿下には、謝罪したく存じます。三年半前、姉のノーマがご迷惑をおかけしたみたいで、申し訳ございません」
「えっ、ノーマ? あ、うん、それは大丈夫」
ノーマが原因で、ザイオンと共に逃亡したはずなのに、マクシミリアン第一王子はまるで今思い出したかのような口調だった。
「ザイオンは、元気ですか? 今もご一緒に行動されておられるのですね?」
エロイーズは、一番訊きたかった事を口にした。
「元気だよ!」
マクシミリアン王子は、嬉しそうに答える。あの頃と変わりなく、彼はザイオンの事が大好きらしい。
「でもね、すぐに僕のこと、馬鹿だなって言うんだ。それで、クロエが怒ってくれる」
「クロエ……?」
「クロエは僕の、黒猫ちゃん……」
ふいにマクシミリアン王子は笑みを消し、扉に向かって身構えた。
猫を飼っているんですか、というエロイーズの質問が宙に浮く。
突然開いた扉から、踏み込んできたのはセオドアだ。
鞘付きの長剣が振り下ろされる。
マクシミリアン王子が短剣で受け、横に弾いた。
「殿下! セオドア様!?」
エロイーズは思わず悲鳴を上げた。
カンテラを手にしっかりと握って、怪我をしないようにと必死で二人を照らす。
「うわぁ」
それほど広くない玄関スペース内で、更に振り下ろされる剣を軽々といなしながら、マクシミリアン王子が間の抜けた声で言った。
「だぁれ? 強いね!?」
「マクシミリアン第一王子殿下?!」
灯りの下、相手が誰だか気づいたセオドアは、ようやく剣を引いた。
そして、エロイーズを庇うように立つ。
「違いますね。人違いです」
マクシミリアン王子が、短剣を構えたまま、少しずつ開いた扉に向かう。
今にも逃げ出していきそうな様子に、エロイーズは急いで声をかける
「王子殿下、こちらが私の結婚した、セオドア様です」
マクシミリアン第一王子が足を止めた。
なぜ彼がここにいるのかを端的に説明するため、エロイーズは言った。
「セオドア様、マクシミリアン王子殿下の側近ザイオンは、私の義兄なんです」
「ああ! ……そうだったね」
と言って、エロイーズに目を向けたセオドアは、カラドカス公爵の没落原因を思い出したようだった。
ノーマ・カラドカスとザイオン・カラドカスが、マクシミリアン第一王子の失踪原因だとされ、公爵は一旦全ての役職を解かれたのだ。
「違うね。僕は王子を辞めたし、ザイオンは僕の兄上なんだから」
マクシミリアン第一王子が自分の漏らした秘密の大きさに気づいたのは、エロイーズとセオドアの驚きようを見た時だ。
彼は即座に訂正した。
「今のは嘘!」
「そういう事だったんですね」
驚きから立ち直り、すぐに冷静さを取り戻したセオドアは、鞘をベルトに留めながら言った。うっすらと汗が滲んでいるのは、さっき何度も王子に対して激しく打ち込んだせいだろう。
「ドミリオから聞いた話の裏側を、今ようやく理解できた……エルフ王家の姫君が誘拐され、モスタ王国の王城内で死んだ、という話が真実だと考えられている根拠は、ザイオンの存在だ。彼はエルフの姫君と、国王陛下の息子なんですね?」
「兄上……? 兄弟……?」
突然暴露された話に、エロイーズは混乱していた。
彼女の記憶ではザイオンは、城内で墓守をしていた元騎士の遺児、だったはず。北の離宮でマクシミリアン第一王子の身の回りの世話をしていた彼は、側近になるために公爵家の養子に入った、という話を、エロイーズは今まで疑った事がなかった。
兄上、とマクシミリアン第一王子が呼ぶのなら、ザイオンは騎士の遺児などではなくて、国王陛下の落とし子、という事だ。
衝撃が大きすぎて、エロイーズの心は、その先に続くエルフの話に追いつけないでいた。
「嘘って言ったのにな。嘘吐いて、ごめん」
と王子は言うが、もはやどれが嘘で、どの嘘の事を謝っているのかわからない。
「本当に……? ザイオンと王子殿下は、兄弟ですのね……?」
エロイーズは、妹アメリアがかつて口にした言葉を思い出していた。
『王子殿下は、ある理由から、私がザイオンをお兄様と呼ぶ事が、どうしても許せないとおっしゃいました。私の口からは、その理由を申し上げる事はできません』
そうアメリアは言った。
それでエロイーズも、理由はわからないながらも、ザイオンを『お義兄様』とは呼ばなくなった。アメリアが理由を言えなかったのも当然だ。王位継承者の順位が変わるかも知れないほどの秘密なのだから。
マクシミリアン王子は、自分は実の兄を兄とは呼べないのに、他人が義兄と呼ぶ事を、どうしても許せないとアメリアに言ったに違いない。
だから今もマクシミリアン王子は、エロイーズがザイオンを義兄と呼んだ事に反応した。
「第三王子殿下が王太子になられたように、庶子であっても王の子は王位継承者として大切に扱われる。なのにザイオンの存在が公表されなかったのは、母親が異国から攫われてきたエルフである事を、国内外に秘匿しなくてはならなかったからだ。本当の第一王子はザイオン……ですよね、マクシミリアン王子殿下?」
セオドアは捲し立てたが、マクシミリアン王子は、ちょっと何言っているかわかりません、という顔をしていた。
実際マクシミリアン王子は、兄弟である事は秘密だと言い聞かされてきただけで、過去の詳しい経緯までは知らないのだろう。だから身分を捨ててしがらみから解放された今は、それほど重要だとは思わずにうっかりばらしてしまった。
「セオドア様の仰るとおりだと思います。共和国の小説に出て来るエルフ達は皆、金色の瞳を持っていました」
エロイーズが、セオドアの話を補足した。
「ザイオンも、金色の瞳をしていましたわ」
[マクシミリアン第一王子関連]
『モブ令嬢はお邪魔な王子を殺したい』
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[ノーマ関連]
番外編集『潮時』
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