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19/30

19:タンデム

 アリアの家の手前辺りまでは領主館が見えていたはずだが、今は山に隠れているのか、それとも夜の暗闇のせいか、月明かりにうっすらと煙る空しか見えない。村の南寄りの位置からなら、炎が見えたのだろう。


「想定の範囲ですな」

 と、グレーの揉み上げを引っ張りながらアオギは言った。

「ああ」

 セオドアも頷いた。


「領主館の皆様は、大丈夫なんでしょうか?」

 どこかのんびりとした様子の二人に、エロイーズは不安を拭えない。

「セオドア様は、今から向かわれるのですね?」


「君も一緒に行こう」

 セオドアが、エロイーズの手を引いて、用意された馬へと向かう。

 大勢の騎士達とアオギも馬に乗る準備をしている。


「火を消しにですか?!」

「悪人達の末路を見に行くんだ」

 セオドアは、爽やかな笑顔を浮かべる。

 その顔に見惚れている間に、ひょいと幼子のように脇を抱えられて、エロイーズは馬に乗せられた。

 貴族学園を出てすぐに第二師団に入り、以来軍人として身体を鍛えてきたセオドアにとっては、エロイーズの体重など無きに等しいらしい。


「でも、侍女のハルがまだ、近くの民家に隠れているのです。私が行かないと、ずっと隠れている事に」

「彼女なら見つけたよ。だから、ここがわかったんだ」

 セオドアが事もなげに言うので、エロイーズは驚いた。

「あの扉を、見つけたのですか」

「うん」

 エロイーズの賞賛するような視線を受けて、セオドアは嬉しそうに微笑む。

 彼が鐙に足を掛け、エロイーズの後ろに乗ると、馬は二人分の重荷に不満を表す様子もなく、ゆっくりと歩き出した。

 セオドアの左腕が、馬から落ちないようにと、しっかりエロイーズの胴を抱えている。


 後ろ髪を引かれる、という表現が、エロイーズの読む小説にはたびたび出てくる。

 だいたいは、恋人の元を去る時に使われる言葉だが、今エロイーズの心情を言い表すならまさに、後ろ髪引かれ状態だった。

 振り返りたいのに、できない。


(私のポーチ!)

 セオドアに気づいて動揺したのか、男にぶつけたタイミングで、彼女は思わず手を放してしまった。

(それを敵に拾われて武器として使われ、セオドア様にあのような迷惑をかけるなんて)

 と、彼女は意気消沈していた。

 だから今更、ポーチを持っていきたいなどとは言い出せない。


 男が捕縛されている間にこっそりと拾おうとする企みも、失敗した。

 ハルに、拾っておいて欲しいと伝言する事もできなかった。

(誰も中を見ませんように……)

 気にはなるが、仕方が無い。

 万一の時には、よく見ずに適当に買った、という言い訳が、通用するように願うしかない。


(それよりも今は、この状況をよく考えなくては)

 エロイーズは、気持ちの整理をつけようとした。


『君は、私が初めて好きになった人だ』

 と、セオドアが言った。


『好きになった』


 その単純な言葉を、彼女は何度も頭の中で繰り返す。

(好きになった……? 私を……?)

 背中に感じる彼の逞しい身体と、胴に回された腕を、エロイーズは急に意識する。


(私を……? お兄様ではなく……?)

 兄のドミリオを見た瞬間の、セオドアの笑顔が、頭の中に何度もちらつく。

(こんな、素敵な方が、私を)


 こんな素敵な方が私を好きだなんて、信じてはいけない……その考えは、もしも勘違いだったと後でわかったら、自分が酷く傷つくだろう、という保身の気持ちから来ている。

 私が、好かれる訳がない、という卑屈な思いが自身のどこかにある事に気づいて、エロイーズは自分を俯瞰した。


(自己中心的な保身や卑屈さで、セオドア様の純粋な気持ちを拒絶するなんて、馬鹿ね、エロイーズ)

 自覚する事で、すっと、負の感情が消えた。


『君は、私が初めて好きになった人だ』


 改めてその言葉を思い起こして、エロイーズは体中が熱くなるのを感じた。

(私の事を、好きとおっしゃった)

 幸福感と、気恥ずかしさが、同時に襲って来る。


『使用人達に、君の部屋を用意しろと言ったのは、本がたくさん入る部屋という意味だったんだ』


 そうだったのね、とエロイーズは思う。

 兄のドミリオが、本をたくさん買ってやれと言い、セオドアがそれを生真面目に実行しようとし、使用人が勝手に、別館へ追い出せという意味に曲解したのだとエロイーズは察した。

(大変だわ! お兄様に、訂正の手紙を送らないと!)


 本と言えば、さっき、

『どうか、君の好きな本について、教えて欲しい』

 と言われた事を思い出す。

 無理……それは無理です、とエロイーズは表向き無表情のまま、身悶える。


『一緒に街へ出るたび、君の好きな本を一冊贈ろう』

 それが、街へ行って一緒に本を買おう、という意味だとしたら、エロイーズは彼の目の前で、あの手の小説を買う事になる訳で。


(一般の小説に擬態しているものも多いから、案外わからないかも知れない)

 エロイーズは楽観的に考えようとするが、初見で食器棚の隠し扉に気づくほど目端の利くセオドアが、気づかない訳がなかった。


『君の本棚が、君の好きな本でいっぱいになった頃』

 という言葉でエロイーズが想像したのは、本棚いっぱいの、いかがわしい本だ。

(お兄様と違って、まだそこまでは踏み切れません……)


 などと考えていたエロイーズだったが、ふと、北へ行くなら月の位置が逆だと気づいた。

「行き先は、領主館ではないのでしょうか?」

 馬は噴水広場を経由して、南に向かっていた。


 夜なので、道の両側に並ぶ店の殆どは閉まっていて、人気はほぼ無い。酒場だけが営業中を知らせるカンテラを下げている。

 騎士を乗せた他の馬が、時々エロイーズ達を追い越していった。

 それにつられたように、馬が時折速度を上げるが、セオドアがその都度手綱を操って、元の速さに戻す。エロイーズに危険がないようにという配慮だろう。


「領主館の火付けはただの陽動だ。悪人達は北側に騎士達を集中させておいて、南側で事を起こすつもりのようだ」

 セオドアは身を屈めたらしく、彼の声がすぐ耳元で言った。

 とても柔らかいものが耳朶をかすめ、エロイーズは身をすくめた。

「大丈夫。この辺境の地では、外敵からの侵攻を想定して手順を決めてある。領主館を守っている騎士達は、手筈通りに動くだろう」


「あの……」

 エロイーズは、セオドアの腕の位置が変わった事に気づいた。

「では南へお急ぎになった方が……」

「アオギ達が先に行った。昨日のうちに、作戦は立てておいたから大丈夫」


「……セオドア様」

 エロイーズは自分の大きな思い違いを、改めて実感する。

(そう……セオドア様は、『女性には勃たない』方ではなかった訳で……)


 当初エロイーズは、兄を好きで、男性しか愛せないセオドアと結婚したので、身体の関係は一生無いものと思っていた。

 セオドアを傍で眺めていられるのなら、そうした仮初めの結婚でも良かったのだ。


 それが全て勘違いだったと知った今、エロイーズは、自分を好いてくれている男性と本当の意味で結婚していて、今後は顔や容姿を鑑賞するだけでなく、身体を触れ合って、あれやこれやする関係なのだと、思い当たった。

(あれや……これや……この方と、私が……)

 一瞬、気が遠くなった。


「うん、その……」

 セオドアは、うろたえたような声が、エロイーズを現実世界に引き戻す。

「私は、君との心の距離を充分に詰めた後、こういう事をしていいか訊こうと、思っていたんだが……今ちょうど、掴みやすかったので」


 掴みやすかったので……エロイーズが小柄なので、場所的に胴よりも胸の方が、手が届きやすい、という事だろう。


「そ……そうですわね。しっかり掴んでいただかないと、私、馬から落ちます」

 馬の歩みはゆっくりだったが、落ちたらちょっとした怪我どころでは済まない高さだ。

 はるか下に見える道は、馬が歩きやすいように固められている。


「……嫌ではない……?」

「ええ、もちろん! 旦那様ですもの」

 つい今し方その事に思い至りました、という事はおくびにも出さず、心得た風にエロイーズは言う。

 そんな事とは気づかないまま、結婚に至るまでの短い日々や領地に到着した日の会話で、何か変な事を口走らなかっただろうか、と彼女は必死に思い出そうとしていた。

(兄の事をしきりに話題に出してしまったけれど、世間話程度に収まっていたはずよね?)


「さっき、あんな事を言って、その……まずは文を交わし、それからデートをして、もっとロマンチックに進めようと思っていたんだが、……それまで待っていられないような気がしてきた」

 と言うセオドアの手は、エロイーズの胸から離れない。


「それは、もちろん夫婦ですから」

(ロマンチックに進める、というのは、本棚を私の好きな本でいっぱいにする話ですね?)

 エロイーズは、自らの腹黒さにそそけ立つような思いを抱きつつ言った。

「遠回りせずとも、自然に任せていただいて大丈夫ですよ。でも、お手紙は書いてくださいね」

 これで、好きな本を告白するという羞恥プレイは回避できそうだと、エロイーズは安堵する。手紙については、文章を読む事も書く事も大好きなエロイーズなので、セオドアからもらえるものなら是非とももらいたかった。


「書くよ、何度だって書く。君の事をたくさん知りたいから、たくさん返事が欲しい」

 セオドアの返事に、エロイーズは嬉しくて前のめりになる。

「私も、セオドア様の事をたくさん知りたいです。どんなものが好きか、どんな子どもだったか、亡くなられたご両親の話や、貴族学園時代の話、騎士団時代の事を、たくさん教えてください」

 何気なく口にしたその願望が、セオドアの魂を揺り動かした事に、エロイーズは気づかない。




 セオドアは、自分の事ばかり喋る令嬢達から、愛の言葉を求められる事はあっても、彼自身について教えて欲しいなどと言われた事はなかった。


 生真面目故に彼は、家人や私兵達には常に、領主として接してきた。

 個人としての自分は、辺境伯となってからは無いに等しい。それが当たり前だと思っていたし、不満を感じた事は一度もない、が。


 エロイーズに教えて欲しいと請われて初めて、セオドアは、役目を果たそうとするあまり、何年も置き去りにしてきた自分自身の存在に気づく。

 エロイーズから差し伸べられた手は、領主としての彼ではなく、セオドア自身に向けられていた。


(だからこそ、私の、一人の人間としての人生は、エロイーズと出会った時から新しく始まったんだ)

 感極まった声でセオドアは言う。

「ああ、エロイーズ。君が好きだ。本当に好きだ」











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