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15:エロイーズ、ソーセージを食べる

 ソーセージをボイルにするか、油で炒めるかで、エロイーズはその夜、少し悩んだ。

 油で炒めた方が好みだが、脚付きのスキレットを竈の火にかけて、弱火を長い時間維持する事は、案外難しい。強火で炒めてしまうと、外は焦げているのに、中まで火が通っていないという事になる。

 ボイルなら、鍋の方を自在鉤に掛けて上げ下げして火加減を調節でき、焦げる事もない。

 

(今日は時間のかからない、ボイルにしましょう)


 そう言えば妹のアメリアが数年前、ソーセージとパンを使って面白い食べ物を作っていた事を、エロイーズは思い出した。

 細長く焼いたパンを真ん中で割って、ソーセージや野菜、フルーツソース、粒マスタードなどを中に挟み込んで食べるのだ。

 両親や一番上の姉は、貴族に相応しい食べ方ではないと言って良い顔をせず、兄のドミリオだけが面白がっていた。

 アメリアはそれをホットドッグと呼んだが、なぜそんな名前を付けたのか自分でも説明できないようだった。


(私も食べてみたけれど、悪くなかったわ。今度街に出たら、ソースを揃えましょう)

 エロイーズは、権力争いに巻き込まれる以前の公爵家での、のんびりとした日常を懐かしく思い出す。


 一番上の姉は第一王子と同じ年齢で、王子妃の候補に選ばれた時、舞い上がって王子の部屋に押しかけるという失態をしでかした。それだけならまだ、短期間の謹慎で済んだはずだが、翌日第一王子は、側近と共に失踪してしまった。その責任を取る形で、姉は未だに公爵邸から一歩も出る事を許されていない。公爵家では姉の事は、タブー扱いだ。


 第一王子と共に姿をくらました側近は、ザイオンという名の美しい青年だった。彼の出自は不明だが、第一王子が幼かった頃から仕えており、側近という地位を得るためにカラドカス公爵家の養子になっていた。


 王太子である第一王子の失踪に、カラドカス公爵家の長女と、カラドカス公爵家の養子という二人が関わっていた事から、エロイーズの父は職を追われ、上位貴族会議への参加資格も手放さざるを得なかった。


 同時に、第三王子を狙った恣意的な攻撃が相次ぐようになる。

 あれから三年と少し経って、ようやくこんな風に、ソーセージの調理方法などという幸せな悩み事のできる余裕が生まれた。


(第一王子とザイオンは、仲睦まじく過ごしているかしら……?)

 巷では、失踪した二人は実は第二王子派に暗殺されて、王国の北部にある原生林のどこかに埋められている、と噂されている。だがエロイーズは、女性と結婚させられそうになった第一王子が、愛する側近と共に駆け落ちしたのだと信じていた。彼女は一度、やんちゃな第一王子が葉っぱだらけになってお茶会に乱入して来た時に、ザイオンがせっせとグルーミングしていた場面を見ている。その美しい二人の姿は、今もエロイーズの心の糧だ。


(あの時、第一王子は十三歳、ザイオンは十七歳だったかしら。今はもう二人とも成長して、二十一歳と二十五歳ね。二人が王国内のどこかに隠れ住んでいるとして、夫婦を偽装するために、ザイオンは女装しているかも知れない。あの見目の良さと、線の細さだもの。喋らなければ絶対にばれないわ。それなら、外を歩いていても手を繋げるし)

 などと、エロイーズの妄想は、ソーセージと酢漬けキャベツ、パンを食べている間も、延々と続いていた。


『人前で手を繋ぐなんて』

 美しい眉を逆立てて、手を振り払おうとするザイオン。

 掴んだままの彼の手を口元へと運ぶ、第一王子。

『僕達はもう、誰の目も気にしなくていいんだ』

 怒った金色の瞳を覗き込みながら、その指先に唇を押し当てる。

 かつて十三歳の子どもだった王子は、いつの間にか成長し、ザイオンの背を追い越していた。国王そっくりの紫紺の瞳に、アッシュブロンドの髪。


『王子殿下……』

 手を引き離そうとして、ザイオンは逆に引き寄せられ、その身体を絡め取られる。

『その地位は捨てた。君の為に……』

 王子の瞳に、ゆっくりと劣情の炎が

「エロイーズ様?」

 と声が割り込む。

「えっ何?」

 反射的にエロイーズは、布製ポーチを膝の上に抱え込んだ。

 目の前には、テーブル用燭台の炎が揺れている。


 台所で洗い物をしながら、

「外に、犬がいるみたいです」

 とハルが言う。

 確かに、家のすぐ外から、キュウン、キュウンと鳴く声が聞こえていた。


「なんだか、困ってるみたいな感じね」

 野犬なら、人家に近いところでそんな鳴き方はしないだろう。

 だが、飼い犬が迷って来たのだとしても、安易にドアを開ける事はできない。


 隣の空き家に何者かがいて、こちらを窺っているかも知れないのだ。

 ハルの見た鬼火が、本当に鬼火なら害はないが、勝手に空き家に入り込んだ誰かが、灯りを使ったのだとしたら? 

 それが悪意ある存在ではないとは言い切れない。


「二階から、下を覗いてみるわ。ここに居て。何かあったら避難部屋に隠れるのよ」

 不安そうなハルを居間に残して、エロイーズはカンテラを持ち、自分用の寝室に上がった。本の詰まったポーチは、しっかりと肩から提げている。


 エロイーズが寝室に使っている部屋には、川のある東側と、南側にそれぞれ窓があった。


 カーテンを開けると、遠くに幾つもの灯りが動いている様子が見える。

 朝、息子を探していたアリアの知人が、村の人達に捜索を頼んだのだろう、とエロイーズは思った。実際にはそれは、セオドアの派遣した騎士達が、行方不明になった息子の家周辺を調べているところだったのだが、彼女が知るはずもない。


 掛けがね式の鍵をくるりと回して、エロイーズは窓を外側に開いた。

 そっと下を見ると、一階の燭台の灯りが窓から漏れて、周囲を薄く照らしている。


 犬はいなかった。


 代わりに、勝手口の前に立って、小さな人影がこちらを見上げている。

 驚いて声を上げそうになったエロイーズだが、その前に影が、犬のようにキューンと鳴いた。


 人間ではなく、猿のような輪郭をした何かの動物だ、とエロイーズは気づいた。

 彼女は、カンテラをそっと外に差し出して、その猿の様に見える動物をよく見る。

 灯りが下まで届かず、はっきりと見えた訳ではないが、犬のように突き出した鼻にエロイーズは気づいた。


「あら?」

 エロイーズは、その生き物が何か知っていた。カプリシオハンターズ共和国のファンタジー小説に出て来る、挿絵の一つにそっくりだ。

「あなたまさか、……猩猩なの?」


 猩猩は小説の中では、共和国だけに生息する、知能の高い使役魔獣だとされていた。猿の身体に犬の顔を持ち、言葉は喋れないが、身体能力も高く、器用に仕事をこなし、主人公達をいろんな場面で助けてくれる。

「まさか、実在するなんて……」


 エロイーズは、ふいに気づいた。

 今までファンタジー小説だと思っていたものが、実はファンタジーではなくて、共和国に実在する世界をありのままに記述しているものではないか、という事に。

(現実のものだから、説明なくいきなりエルフ族が魔法を使い出したり、使役魔獣の可愛さについて、説明というには過剰過ぎるほど延々と語られている箇所があったのね?)


 普通の状況ならエロイーズは、獣人やエルフが実在するかも知れない事に、心を躍らせたはずだ。

 だが彼女は、使役魔獣が現実に居るのなら、昨日海岸を埋め尽くしていたという遺骸は、共和国の猩猩達に違いないという事実に思い至った。

「何てこと……」

 共和国の人々にとって、その光景は悪夢だろう。

 猩猩達の死を目の当たりにした彼らの気持ちを想像すると、心が痛んだ。


 それほどたくさんの猩猩を乗せて難破した船は、おそらく普通の船ではない。

 扱いを一つ間違えば、共和国との間に軋轢が生じる。

 ロス辺境伯が自ら対応に当たり、奔走しなくてはならない理由が、エロイーズには理解できた。


 猩猩は悲しげに鳴きながら、片手を後ろに向けている。

 川の向こうにある、空き家の方向を指さして、何かを伝えようと懸命だ。

「他にも、生き残っている子がいるの?」


 助けを呼んでいるのか。

 それとも、危険を伝えようとしているのか。

 両方だ、とエロイーズが気づいたのは、何かが川を渡って近づいてくる気配を感じたからだ。ほんの微かな、水を乱す音の後で、ブーツを地面に軽く打ち付ける音が聞こえた。


「あなた、ここまで上ってこられる?」

 エロイーズは両手を差し伸べた。

 猩猩は、鳴くのをやめて、考えているように、身体を左右に傾けた。それから、手と足を使って、ひょいひょいと壁を伝い、エロイーズのいるところまで上ってきた。


 幼児のように小さい。

 これはきっとまだ子どもだろう。

 カンテラの灯の下で、大きな黒っぽい瞳が潤んでいる。

 赤毛の短い毛皮には、海藻のようなものやホコリが付いていたが、取ってやる時間はない。


 首に縄が巻き付いていたので、エロイーズは腰にぶら下げた鞘からナイフを取り出して、外してやった。

 窓を閉めて鍵をかけ、カーテンを閉じると、エロイーズは猩猩を連れて、階下に降りた。











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