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13:エロイーズ、物欲に負ける

 セオドアがレーションを囓りながら、エロイーズがどんな目に遭っているかと心配していた頃。

 彼女は買い込んだ怪しい本を布製ポーチに納めて肩から提げ、逸る気持ちを抑えて帰宅するところだった。

 村は街と山に挟まれており、街を通らないとどこにも行けない袋小路のような立地だ。街と山の境界が村なのだと言ってもいい。北の高台にある領主館が、村に向かう途中も左側にずっと見えている。

 そちらを見るとつい、ロス辺境伯の事が思い浮かぶので、エロイーズは真っ直ぐ前を向いて家路を急いだ。




 その日の昼は、アリアの店で鶏肉のシチューをたっぷりと食べた。

 帰ってから食べな、とアリアはソーセージとキャベツの酢漬けも持たせてくれたので、今日は晩ご飯の支度はしなくても良さそうだ。

 差し出した宿代を、彼女はなかなか受け取ろうとはしなかったが、今後もお世話になるからとエロイーズは強引に押しつけた。


「それで? 一日経ってみて、どうだい?」

 と、アリアに尋ねられた意味が、エロイーズにはわからなかった。

「え……と、お家の事でしょうか?」


「甲斐性無しの男の事だよ。もう一度やり直したくなったとか、向こうが探しに来たとか、そういう進展はないのかい?」

「えっ」

 エロイーズは、考えてもみなかった事を言われて、固まる。


 代わりにハルが毒づく。

「探し回るぐらいなら、最初からあんな風に追い出したりしませんよ。それにあの……」

 ハルが悔しそうな表情で、更にこの地の領主を貶めようとしたので、エロイーズは止めた。

「ハルちゃん、駄目よ。旦那様には、いろいろと事情があるのよ」


「そーでしょうか」

「男はどいつもこいつも、これには事情があって、などと言い訳をするもんなんだよ」

 と、アリア。

 彼女の過去にどんな事があったのか、とエロイーズは勘ぐりかけて、自制する。


「旦那様は今、とてもお忙しいので、私などを探しに来るとは思えません。私が別邸にいない事にも、気づいてはいらっしゃらないのではないでしょうか。私と、望んで結婚した訳ではありませんので」

 自分で言った言葉に、エロイーズはじんわりと傷ついた。


「おやおや?」

 アリアは少し驚いた様子で、エロイーズの表情を見る。

「それじゃ、もしもあんたを心配して探しに来たら、甲斐性無しの男から格上げして、ポンコツぐらいにしておこうかねぇ」

「そうですね」

 エロイーズは、それは有り得ないと思いながら、悲しげに微笑む。


「ポンコツの次は何になるんでしょう、アリアさん?」

「でくの坊か、へなちょこだね。どっちが合うと思うね?」

「うーん……一見仕事ができそうなお方ではあるんですよね……」

「じゃあ、最大限譲って、朴念仁かねぇ」

「おばちゃんラム酒!」

「あたしはラム酒じゃないよ!」

「私もラム酒くださーい」

「お嬢ちゃんにはまだ早いよ!」


 お店に居た港湾関係者は、昨日よりも多かった。

 難破船から逃げた悪の親玉はまだ掴まっておらず、港は閉鎖され、物流は止まったままだそうだ。男達は昼食を食べに来たのではなく、ラム酒を飲みに来ていた。


(という事は、ロス辺境伯はまだお忙しいはず)

 この国の貴族社会では、淑女が政治に口を出したり、男性同士の話を邪魔する事は歓迎されていない。その習慣の中で生きてきたエロイーズには、自分からロス辺境伯に会いに行って、仕事中に自分の話を割り込ませる、という発想がない。

 悪の親玉が捕まって街道封鎖が解けた頃に別館に行けば、会って話し合う事もできるだろうと、エロイーズは思っていた。




 エロイーズとハルは、昼食を終えた後は、アリアに教えてもらった本屋へと向かった。

 着替えの衣料品と、生活必需品の買い物は午前中に済ませ、ハルの背嚢に入っている。


 本屋は街の外れに並んでいた。店と言うよりは、ジャンルごとに並んだ問屋街だ。

 図鑑だけを扱う店、主に学術書を扱う店、刺繍・裁縫など家政の本を扱う店、楽譜専門店、絵本・児童書専門店と辿っていった先に、文学・ロマンス小説をメインに扱う店が数軒あった。


 そこには、この世界に存在する五つの大陸から買い付けてきたという物語本が、たくさん展示されていた。

 貴重なものなので手で触れる事はできず、タイトルと装丁、それから粗筋と冒頭数行の見本を見て、購入を決める方式だ。

 ハルを児童書専門店に残し、エロイーズは一人で丹念に見て回る。


 エロイーズが昔叔母からよく借りて読んでいたような系統の本は、実に見事に、普通の小説に擬態していた。タイトルは短く、例えば『若き武将の嗜み』などという、どうとでも取れるものだ。いったい何の嗜みかと粗筋を読むと、美丈夫の武将と、幼き頃から付き従う美しき小姓が出て来る。表向きは武将と小姓の敵討ちの物語。だが、おそらくこれは、物語中盤で敵討ちを終えた二人が、両片思いのじれったいすれ違いを見せ始める、というのが、読書経験豊富なエロイーズの推測だ。


 数軒ある小説専門店を全て見て回ったエロイーズは、経験に裏打ちされた臭覚で、『僕達は闇に啼く』『愛は白くほとばしる』『跪いて君を抱き』『異種兄弟』『後宮の男』というタイトルを見い出した。


 後宮ものである『後宮の男』は、ベリシュテ神聖帝国が舞台だ。

 モスタ王国では、国の頂点である国王を娯楽小説に登場させる事は禁忌だが、他国の『帝』なら許された。だから、後宮ものの小説といえば神聖帝国、登場人物は全員()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 後宮ものの醍醐味である策謀や権謀術数が盛り沢山、それを乗り越えて結ばれる帝と主人公。という定番の話に違いないとエロイーズは信じて、『後宮の男』を購入した。レアもので、少し高い。


 カプリシオハンターズ共和国の小説は、全てファンタジーで、政治的背景や貴族、身分制度が出てこない。エルフ族や獣人、竜人が当たり前のように登場し、エルフ族だけが魔法を使える設定で、読み慣れないうちは、固有名詞や前提条件が理解できない。

 だが慣れてくると、同性同士で惹かれ合う葛藤以外にも、異種族間にまつわる障壁が立ちはだかり、それを乗り越えるカップルの純愛に、より深くのめり込む事ができる。

 今回選んだ『異種兄弟』は、獅子型獣人と猫型獣人の二人で交互に綴る形式の狩猟日記だ。両片思いの二人が徐々に距離を詰めていく過程が描かれている、とエロイーズは推測している。

 共和国は印刷技術が発達しているため、本は大量生産したもので、価格が安い。


 他三冊はモスタ王国の小説で、比較的最近に出たものだ。タイトルが非常にいかがわしく、エロイーズとしては見過ごせない。


 他の二大陸については、普通の小説はあるが、エロイーズの嗅覚に引っかかるような類いのものは皆無だった。おそらく、文化がとても健全なのだと思われる。




 エロイーズがその男に出会ったのは、支払いを済ませて店を出た直後だった。

「デボラ嬢?」

 違います、と言おうとして振り返ると、声を掛けてきた男は特に驚いた様子も無く言う。

「おや、これは失礼。知り合いのご令嬢と見間違えました」

 ズボンと男もののシャツというエロイーズの出で立ちが、令嬢に見えるはずもない。注意を引くためのでまかせだろう。


 薄茶色の髪を後ろに撫で付け、貴族っぽい上等な服を着た男は、本を二冊抱えている。

「見え透いた嘘を、と思われたでしょうが、ある特定の本をお探しの方々は皆、貴方のような変装をしてここに来られるのですよ」

 と、本の表紙を、ちらっと見せてくる。


 黒髪の美青年と美少年が寄り添っている、肌色多めのイラストから、エロイーズは視線を逸らす。


 男はエロイーズの購入した本から、彼女の読書傾向を一瞬にして掴んだに違いなかった。その手際の良さから考えて、この本屋は表向きの商売とは別に、堂々と売れない本をこのような形で流通させているらしい。


 朝、アリアが見せてくれた隠し戸棚の事を、エロイーズは思い出した。

 違法図書を隠すのに丁度いい、などと思ってしまったその日に、購入の機会が訪れるなんて。


(駄目よ、エロイーズ。実質は伴わないけれど、今は一応、この地の領主の妻なんだから。万が一発覚したら、ロス辺境伯様の名誉に関わる……)


 若い男は、渋るエロイーズの目の前で、今度はその本をパラパラとめくってみせた。

 小説ではない。

 文字よりも絵の比重が高い、今人気の画本だ。

 画本は小説よりも、没入度が高いと聞いた。


(そんなモノを欲しがるなんて、とんでもないわエロイーズ)

 久々に襲ってくる強い物欲に、エロイーズは抗い続ける。


 男はエロイーズの顔色を見ながら、困り果てたように言う。

「私もね、無理矢理に売りつけるなんて本当はやりたくないんですよ。でも、生活して行かなきゃいけなくてね。大枚はたいて仕入れたコレが売れなかったら、家族が食えないんです。今日帰ってから首をくくらなきゃ行けないぐらい、追い詰められているんですよ。お願いです、助けると思って」


 男の服装から、その言葉が大嘘だとエロイーズにはわかっていた。

 彼はただ、エロイーズが渋々購入する口実を、作ってくれているのだ。


「それはお困りでしょう」

 エロイーズは、自分の言葉に驚きながら、言った。

「私でお力になれるでしょうか? おいくらぐらい必要ですの?」






 画本は、小説本の何倍も高かった。

(これは、気の毒な方へのお布施よ)

 家路を急ぎながら、エロイーズは自分への言い訳を続けていた。

(そもそも、違法なモノかどうかなんてわからないわ。だって、ちらっと見ただけだもの。ただの絵本かも知れない。早く帰って、中身を確認しなくては)


 画本は今布ポーチの中で、正規の本屋さんで買った本ですよとでも言いたげに、小説本の間に収まっている。小説本でほぼ満杯だったところに二冊無理矢理突っ込んだので、非常に重量がある。頑丈な金具と補強した紐を付けていなければ、重さで紐が千切れていただろう。


 古家に着いた時は、陽が赤く染まる前だった。

 明るいうちに水を汲み、火を熾し、湯浴みをし、夕食を食べ、カンテラに灯を入れて、寝る準備をしなくては。


(やる事が多いので、すぐに読むのは無理ね)

 家の鍵を開けながら、エロイーズは大人の判断をせざるを得ない。内容も内容だし、ハルが寝る頃を見計らって読む方がいいだろう。

 エロイーズにとって、何かに夢中になるこの感覚は久しぶりで、自分の感受性がまだ死んではいない事がわかって、嬉しかった。


 背嚢を下ろしたハルの視線は、川向こうの隣家に向いている。

「あの家……」

 彼女は、少し怯えた様子を見せながら、言う。

「昨日、鬼火が飛んでいたように見えたんです」


「鬼火?」

 エロイーズは、ハルが小さい頃に読んであげた本を思い出す。


 タイトルは確か、『愛されなかった小さなウィルのお話』だ。

 怒りんぼのウィルがいろんな人に嫌われて、母親にも嫌われて、ひとりぼっちになってしまって、みんなが俺を嫌うと怒り過ぎて鬼になり、死んだ後は鬼火となって彷徨うという、救いようのない話だった。人にやった事は全部自分に返ってくるよ、という事を子どもに教える道徳本で、完全な作り話である。


「可哀想な魂が、彷徨っているのかも知れないわね……」

 そう言いながらエロイーズは、別の事を考えていた。

 本を買った事で、さっきまでふわふわと宙を浮いていた気分が、急に地面に引き戻された気がした。

 夢見がちなだけでは、命は守れないのだ。

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