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10:セオドア、激怒する

 難破船の第一報が領主館にもたらされたのは、その日の日付が変わるか変わらないかの頃だ。

 まだ一日も経っていない。

 その短い間に、セオドアの生まれ育った邸は、訳のわからない場所に様変わりしていた。


 エロイーズの様子を尋ねると、(あるじ)の帰宅を出迎えた家令は、意気揚々と報告する。

「奥方様を使用人一同で丁重にもてなし、速やかに別館へ移動していただきました。今後は分をわきまえて、坊ちゃまに何か強請るような事はなさらないでしょう」


「……は? 別館? 何の話だ?」

 先代の頃から家令を務めて来た年寄りが、とうとうボケたのかとセオドアは思った。

 家令は銀色の髪を丁寧に整え、辺境伯直属の家令として隙の無い格好をしていたが、(あるじ)の反応に驚いて隙だらけの顔をしている。


 急いでセオドアが、エロイーズのいた部屋へ確認しに行くと、ドアを開けた途端甲高い声が響く。

「セオドア様!」

 先代に昔紹介された伯爵令嬢だ。

「お帰りな……」

 エロイーズとは似ても似つかない、醜い表情が近づいて来たので、セオドアは勢い良くドアを閉めた。

 ギャ、という悲鳴が聞こえた。


「なぜこの女が、ここに棲み着いている? 断っても断っても押しかけてくるこの厚かましい女を、私が毛嫌いしている事は知っているはずだろう!」

 普段は温厚な(あるじ)が怒鳴りちらすので、家令は蒼白になった。

「それは……あの、……奥方様があの伯爵令嬢に、ここに住めと言ったとかで。先代様もその方が……お喜びになるかと」


「エロイーズは別館に居るんだな? お前達とこの女に追い出されて?」

 もう一度ドアを開くと、顔面を押さえながら女が廊下に転がり出てきた。廊下にポタポタと、鼻血が落ちる。

「いたあいぃ……酷いです、セオドア様」


「この不法侵入者は、鉄格子付きの別室に丁重にお通ししてくれ。今は構っている暇がない」

 セオドアは騎士の一人に言った。

 恭しく礼をして、騎士は女を領主館内地下にある牢に連行した。


「今すぐ、部屋を念入りに掃除しろ。あの女の髪の毛一本残すな」

 セオドアは、別館にいるであろうエロイーズを迎えに行くつもりで、そう家令に命じる。

 殆どの使用人が、仕事を終えて自室に引き取っている時間だったが、全員が動員されての掃除が始まった。


「あの女が一人で勝手に入れる訳がないよな? 手伝った者は誰だ?」

 セオドアは年配の侍女長を呼び止めて、そう尋ねた。

「わ……私は、見ていただけで……」

 茶色の髪を品良く編んで、普段は厳めしい表情を崩さない彼女が、助けを求めるような視線を周囲に投げかける。

 皆視線を合わせないようにして、掃除に勤しんでいた。

「見ていたのなら、誰が女を引き入れたのかわかっているだろう。その者も牢に入れておけ。後日詳しく調べる」

「承知しました……」

 侍女長は、何度も頷く。


 セオドアは本館を出て、東にある別館へと向かった。

 まだ夜中というほど遅い時間ではないのに、建物の灯はすでに落ちていた。

 玄関のノッカーを鳴らしても静まり返っており、しばらく待ってみたが、誰も出てくる気配はない。


 拒絶されている可能性を、セオドアは考えた。

 エロイーズは、別館行きをセオドアの指示だと考えたのかも知れない。そうだとしたら、エロイーズの彼に対する心証は相当悪いはずだ。

 明るくなってから、出直した方が良いだろう。

 苦渋の思いでセオドアは本館に引き返し、玄関ホールで待機していた家令に憤りをぶつけた。


「私が一目惚れして、幸運にも貰い受ける事のできた彼女を、所領に到着して一日も経たないうちに本宅から追い出すとはな。何をしたか、わかっているのか? カラドカス公爵令嬢だぞ? 王族の方々とも親しく、立太子された第三王子の従兄弟に当たるお方だ! そんな事を説明するまでもなく! 正式に結婚して連れ帰った私の妻を、勝手に別邸に追いやるなんて、お前達いったい何様のつもりだ!」


 怒鳴り続けた後、セオドアは息切れし、言葉を切った。

 父親が水害の視察中に亡くなった後、セオドアは、辺境伯として相応しい行動を心がけてきたつもりだった。なのに、先代から仕えてくれていた使用人達は、ここまで若い自分を侮っていたのかと、悔しい気分になる。


 家令がおずおずと告げた。

「申し訳ございません……息子の話を鵜呑みにしてしまいました」

 家令の息子は、王都行きに同行していた侍従だ。


「アルドか? あいつが何を言った?」

 不穏な声で辺境伯が尋ねる。

「正確に、言ってみろ」


「ご領主様が、ご学友の不細工な妹を、押しつけられて仕方なくご結婚する羽目になったと。宝石やアクセサリーをたくさん買えと強要されていたと聞きまして、私達は勝手に、貧乏な貴族のご出身だと思い込んでおりました……」

 怒鳴り続けられたせいか、家令は震えていた。


「ああ。そうか」

 セオドアも、怒りの余り震えていた。

「俺が可愛いと思う娘を、そんな風に吹聴して回る奴は、後で必ず相応の罰を受けてもらおう。お前は自分も含めて、使用人を、積極的に妻を追い出した者、傍観した者、全く知らなかった者に分けてリスト化しておけ」


 これ以上話していると一層怒りが募るだけだと思い、セオドアは護衛の騎士達に朝まで休むように言って、掃除の終わった部屋に一人戻った。


 これまでセオドアは、坊ちゃんと呼ばれて、大切に育てられてきた事を感謝し、その分家人や領民に尽くさなくては、と思って努力してきた。


 学生時代はドミリオによく、お前は生真面目過ぎると揶揄われた。

 それが自分の唯一の長所だと思っていたので、変える気はなかった。真面目過ぎて面白みのない人間だという自覚はある。


(なぜだろう、エロイーズ。君がキョトンとした表情で私を見返してきた時、こんな私を理解してくれるのは君しかいないと思ったんだ。言葉を交わした事もないのに、君を昔から知っていたかのように感じた)


 エロイーズが描いていたという絵の事を知って、この気持ちは運命だと、セオドアは信じた。


(この事で、どうか私を、嫌いにならないで欲しい。嫌われたら私は……私の人生は、終わったも同然だ)


 エロイーズに拒絶されるかも知れない、という恐怖が、彼を苦しめ続けた。

 前夜は寝ていないにも関わらず、セオドアはその夜もほとんど眠れずに過ごした。




 夜が明けると、セオドアは侍女長を別館にやって、エロイーズの様子を見に行かせた。

 侍女長は顔色を真っ青にしながら報告してきた。

「ご不在のようです」


「こんなに朝早くからか? 彼女の朝はそんなに早いのか。昨日の朝、エロイーズは何時に起きてきた? 夕食は何時頃に食べたのだ?」

 質問をまくし立てているうちに、セオドアは恐ろしい考えに突き当たった。

「食事は、しっかり作って、食べていただいていたんだよな?」


「それが」

 侍女長は、そう言ったきり、絶句した。

「それが?」

 低い声で、セオドアは促す。


「……お食事は、提供しておりませんでした」

 侍女長は、(あるじ)の顔を見て、死を覚悟した。

 セオドアは、無言で部屋を出ると、別館へ向かった。


 別館は無人だった。

 絶望にも似た気持ちで、セオドアは全ての部屋を調べた。

 殆どの荷物は玄関ホールに積んだままになっている。

 どの部屋の寝具も、使われた様子はない。


 キッチンには料理をした後はあったが、廃棄されたゴミの量から見ると、せいぜい朝食一回分だろう。

 朝食後彼女は、出かけたのか?


(使用人があてにならないので、私に頼ろうと思った……? それとも、単に食事をするために、街に行こうとした? それとも……)




 護衛の騎士達を率いて、セオドアは街へと向かった。

 途中、庭師と行き会う。

 領主館の庭と周辺の畑を管理する庭師は、領主に気づいて帽子を取り、丁寧に挨拶をした。

「昨日貴族の女性が、領主館の方からここを通っていかなかったか?」

 セオドアの声が珍しく感情的だったので、庭師は驚いたようだ。


「見かけませんでしたが……」

 続きがありそうなその言葉尻に、セオドアは先を促す。

「でしたが? 何だ?」


 その横柄な物言いに、自分は何かまずい事をしてしまったのかと、庭師の目が泳ぐ。

「見た事の無い、みすぼらしい女が二人、お屋敷の方から来たので、追い払いました」


「そうか」

 セオドアの口元が思い切り歪んだ。

 その二人の女とは、おそらくエロイーズと、公爵家から来た侍女だ。

 身の安全のために、エロイーズは変装をしていたらしい。


(彼女の泊まった宿を探そう)


 セオドアは、騎士の一人に、その二人の女性の服装について聞き取りをしてから来るようにと告げると、私兵騎士団の本拠地へと急いだ。

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