01:兄を好きな人
未だに信じられない。
どうして、こうなったのか。
エロイーズは広いベッドに腰掛けて、隣にいる男を見やる。
金髪碧眼の貴公子然としたハンサムな男性が、彼女と同じようにベッドに腰掛けている。
この人が、私の夫だなんて。
あまりにも烏滸がまし過ぎる。
エロイーズは、自分が美人では無い事を充分自覚していた。令嬢らしからぬ日に焼けた健康的な肌もだが、自己主張の弱い小さめの目鼻立ちは、彼女が貴族の男性達から求婚されなかった理由の一つだ。
金髪や銀髪がもてはやされる世の中、母親に似てしまった赤毛は癖が強く、クルクルと巻いていて収拾がつかないので、固く編み込んでいる。おまけに、身長も女性の平均には届かないという、欠点だらけの自分が、誰かの恋愛対象になれるとは思っていなかった。
そんな自分がなぜこんな素敵な男性と結婚する事になったのかというと、十九歳になっても貰い手の無い妹の事を心配した兄ドミリオが、久しぶりに会った級友に押しつけたのだ。
王都で慌ただしく結婚式を挙げ、王国最南端にある彼の領地へ数日かけてやってきたわけだが、別々の馬車に乗っていたのでまだほとんど会話は交わしていない。けれど、王都でずっと彼を観察していて、わかった事が一つ。
「私は……その」
言いにくそうに、男は言う。
「君のお兄さんが」
「ええ。存じておりますわ、セオドア様」
エロイーズは深々と頷いた。
「貴方は、私の兄、ドミリオが大好きでいらっしゃるのね」
金髪碧眼の貴公子、二十六歳の辺境伯セオドア・ロスは、王都に居る間、ずっとエロイーズの兄ドミリオを見ていた。
兄はエロイーズよりも七歳年上で、王城勤めで、公爵である父の財務管理職を手伝っている。小柄で、小さめな目鼻立ちはエロイーズと同じだが、いつも上機嫌でお喋りが好きで、誰にでも自分から話しかけて打ち解ける。プライドを重視し、感情を見せない事が美徳とされる貴族社会には、なかなかいないタイプだ。
「それは」
サイドテーブルに置かれたランプの明かりの下、セオドアの表情は、戸惑ったように見えた。
気づかれているとは思わなかったのだろう。
「確かにそうなんだが」
エロイーズを見つめる彼は、兄の面影を見つけたのか、ゆっくりと顔を赤らめる。
「わかりますわ」
エロイーズは理解を示す。世の中には、男性しか愛せない男の人も居るのだ。彼らは、同性愛に寛容ではないこの王国で、ひっそりと息を潜めて生きている。
子どもの頃からたくさんの本を読んできたエロイーズは、その事をよく知っていた。
密やかな愛。隠さなくてはならない心。その切なさに、彼女は本を読みながら時には涙し、時には安堵の溜め息を吐いた。
「兄はまだ独り身ですが、以前婚約破棄した侯爵令嬢の素行があまりにも悪かったため、今は慎重にお相手を選んでいるところです。兄は(残念ながら、とエロイーズは心の中で付け足す)、心底女性が好きなのです。昔は、ベッドの下にいかがわしい本を隠していたのに、数が増えてくると堂々と本棚を設えて部屋に並べるようにまでなりました。父も母も呆れておりまして」
「それは、知ってる」
セオドアは苦笑した。
「学生時代は、彼が無理矢理にいろんな本を薦めてくるので、宿舎で隠し場所を探すのがとても大変だった。幸い宿舎の部屋は自分で管理する事が基本だから、勝手に掃除されて見つけられたりはしなかったが、舎監の先生が抜き打ちで調べにきた時には皆が戦々恐々としていたな」
「それは大変ご迷惑をおかけしました」
エロイーズは微笑む。
(やはり、ドミリオお兄様の事になるとたくさんお話しになるわ)
「迷惑だなんて」
緊張がほぐれたのか、セオドアに笑顔が増えていく。
「私はいつも、君の兄に助けられていた。この辺境から貴族学園に入学する事になって、知らない貴族子女ばかりの中で孤立していた私に、ドミリオは声をかけてくれたんだ。友達がたくさんできて、楽しい学生生活を送る事ができたのは、彼のおかげだ。あの三年間は、私の人生の宝物だと思っている」
きっとその頃から、兄に対する切ない想いを抱いていらっしゃったのね、とエロイーズは考える。地味な顔立ちだが人気者の兄。友達に囲まれて賑やかに話す兄を、陰からそっと見守るハンサムなセオドア。
(兄が美形であったならば、私の妄想はとどまるところを知らなかったでしょう)
と、エロイーズは残念な気持ちになる。
「その彼が、きっと私達二人は気が合うだろうと言ってくれた。ろくに君の意思も確認せずに、このような事態に至ってしまって、すまない。それなのにいきなり同じ部屋で、戸惑っただろう」
「こちらこそ、兄がそのように思い込んで、縁談を進めてしまって。本当に申し訳ございません」
兄が好きだからこそ、断れなかったのだろう。本来なら愛を告げたい相手から、結婚相手を勧められる。その心中はいかばかりか。エロイーズはセオドアの切なさを慮って、悲しげに微笑む。
「いや。思い込んだ、というか……」
セオドアはエロイーズから視線を逸らした。
「……昔から私は、美しいものよりは可愛いものが好きで……」
赤面している彼は、まるでこれから告白をするかのように見えた。
「ドミリオに……君の兄上に相談したんだ。それがいつの間にか、こんな事になってしまって」
「かわいいもの、ですか」
その言葉に、エロイーズは心当たりがあった。
「兄は学生時代、『かわいいドミリオ』と呼ばれていたそうですね?」
そう、そうだったのね、とエロイーズは勝手に思い込む。
(彼はついに、長年想っていた兄に告白して、玉砕したんだわ。そして、よく似た妹との結婚を勧められたのね。悲しい事だわ)
「え? ……ああ、そうだった。彼はいつも元気で、面白い事があれば自分から突っ込んで行くし、人望が厚く、こぢんまりした目鼻立ちがかわいいと令嬢方には人気で、背が低い事もあって、かわいいドミリオという二つ名があった。学園のみんなは、ドミリオが大好きだったよ。君は、そんなドミリオに良く似ている。つまり……」
兄への愛を語るセオドアを、エロイーズは温かく見つめていた。
言い淀んだセオドアは、彼女を窺うように見返した。
続きを言う機会は失われた。
夜遅い時間だというのに、南に面したバルコニー側から、馬の蹄の音が聞こえてきた。
なんだろう、と思いながらセオドアとエロイーズが顔を見合わせていると、ほどなく階下で、来訪者が何かを怒鳴るように伝えている声がした。
「すまない。少し見てくるよ」
そう言ったセオドアは、少しほっとしているようにも見えた。
「王都から着いたばかりで疲れているだろう? 遅くなるようなら、先に寝ていていいから」
彼が身なりを整えながら急いで出て行った後、屋敷内ではバタバタと急ぐ足音や、寝ている人を起こしているであろう声が相次ぎ、賑やかになる。
初夜とはいっても名ばかり、到着が深夜になったためにすぐに用意できる部屋が夫婦用の部屋しかなく、やむなく同じベッドに寝るしかなかった訳で、彼としては同衾するつもりは無かったのだろう。
一人でベッドに横たわり、エロイーズは目を閉じたが、すぐには眠れそうになかった。
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