庭園
記憶は基本的に美化される傾向にある。
それは長年繰り返してきた経験則から導き出したもので、当然遠い記憶ほど顕著になる。
しかし曖昧な記憶は周回の弱点で、綿密な計画の中では真実以外は邪魔になった。
ノノアと回復魔法を勉強した記憶。
パスカルと魔道具の開発をした記憶。
ライラと生徒会で仕事をした記憶。
シーラと体術の修行をした記憶。
何度も繰り返す度にどれが今真実なのか、何が過去の話なのか分からなくなっていく。
だから、一番の敵は悪魔よりもある意味忘れる事だった。
人間では到底管理しきれない選択肢の数々、しかし記憶以外には何も持ち越せない。
確かあれはここに置いてあったとか、あの人はこう言えば仲間になってくれるとか。
果ては、初撃はこう来るからまずはこう避けて、次にこの魔法を使えば相手は避けられない、とか。
その間も前回死んだところまでのスキップ機能なんて当然ない。
時間は無限にある代わりに、その時間が記憶に霧を張り巡らしてきた。
そうする内に思い出は美化されていく。
上手くいかない現実に直面する度に、あの時に戻りたいなんて記憶が囁いてくる。
しかし結局どの世界も失敗に終わっている訳で、実際都合のいい場面を切り取っているだけでしかなかった。
どんなに楽しい思い出でも最後には最悪の別れが待っている。
その度にまた失って心をすり減らす。
……だから、言ってしまえばこれもそうだった。
『どうぞ』
『……ありがとう』
音を立てず静かに目の前に食事が置かれる。
その優雅で品のある所作にはどこか言いようのない懐かしさを覚えた。
段々日差しも気温も暖かくなる頃合で、本来ジメジメした洞窟に拠点を構える中、俺たちは今外に出てきていた。
多彩な植物に囲まれる庭園のような場所で、青空の下ティーテーブルに腰を下ろしている。
花の香りと、日差しと、食事の彩りと、そして目の前にはピンク色の角の生えた少女の笑顔。
こうして初めて記憶は鮮明によみがえる。
違っていた部分や脚色が全て剥がされて、真実だけが目の前に飛び込んでくる。
そうだ。彼女はこんな顔で笑うんだった。
食事も、こんなにも人間と変わらないものを食べている。
確か、食後にはミリが入れてくれたお茶が出てきて、外で遊ぶガル達を見ながら優雅に啜るのだ。
何のことは無い、人間みたいな平和な日常。
どこかでもっと殺伐としていた様に記憶していた。
これは記憶が悪い方に脚色される珍しいケース。
なんて、そんな都合のいいことは有り得無かった。
『…………』
『食べないの?』
これらは全部、恐らく奪ったものである。
そしてここは、森林国家グレンツェンの住人を殺して奪った土地の庭。
彼女達は封印される前は遥か昔の住人で、昔の土地が残っていた何て話もなければ当然金銭も所持していない。
そうだ。確か前回そう言っていた筈だった。
前は、今回だけは我慢だと見て見ぬふりをした。
曖昧な記憶が徐々に晴れてきて、見たくなかった部分がそうはさせまいと顔を出してくる。
なら今は。今の俺はどうするべきか。
既に勇者でもなんでもない、ただ悪魔を殺すためだけに生きる俺は、彼女達の期限を損ねてでも何かを変えるべきなのだろうか。
既に人としての魂は売っている。
俺は人間ではなく、最早人間の心を持った悪魔だった。
だから、目の前に出された牛のソテーと新鮮な野菜に、なんの疑問も抱かずかぶりつくのが本来正解なんだろう。
でも、そう考えるとみんなの顔がチラついた。
だから結局、俺はこうする他ないんだと思う。
『もう奪うのもやめてくれ』
『…………』
『俺は、出来れば皆を嫌いになりたくない』
上から目線で何を言っているんだと自分でも思う。
幾ら向こうに求められたとは言え、俺自身彼女達が必要である事にはかわりなかった。
それでもこうして我儘を突き通そうとする俺は、いい意味で人間らしく、そして悪い意味で筋が通っていないのだろう。
ここに来た時、彼女達は人を殺さないと約束してくれた。
言ってしまえばそれだけが俺たちの間にあるルールだった。
この土地を奪ったのはその約束をする前。それなのに、今更後付けのように文句を突きつけている。
どうして彼女がこんな俺を気に入ったのか、考えても分からないし思い出せもしなかった。
そんな大事な事、昔に聞いてない筈もないのに。
まだ記憶は曖昧できっと大事な何かを忘れている。
『人ってさ、よく分からないよね』
『……』
『大事なものの定義が人それぞれ違う。……常識ってなんなんだろうね? 知れば知るほど分からなくなるよ』
『ダージリンです』
目の前に香り立つ紅茶が静かに置かれる。
食後の様な気がしていたが、やはり記憶とは少し違っていたようだった。
記憶なんて当てにならないと改めて思う。
目の前で頬杖を着きながらため息を着く彼女は、それでも楽しそうに笑っていた。
『分かった。もう奪わないよ。でも、それなら代案は出してよね?だってお金ないし』
『……働くよ』
『だーめ。ずっと一緒にいるのー。出稼ぎなんてしたら一緒にいられる時間が減るじゃない』
人間の様な優しい笑みを浮かべるアスモデウスの姿に、まるで平和の中にいる気がして気持ち悪くなる。
俺たちは決して正義の味方じゃない。
言ってしまえばどちらにも属さない第三勢力。
本質は奪うべくして奪う。殺すべくして殺す。
眷属の彼女たちに至っても明確に人間に殺意がある。
それでもこうして普通に過ごしていると、確かな幸せがある気がしておかしくなりそうだった。
でも、俺はそれを知っているからこそ彼女達を生かそうとした。
そして少なくとも彼女達は今最大限歩み寄ろうとしてくれている。
あれから彼女達は本当に一人も殺していない。
だからこそ俺に彼女たちを拒絶する権利は無いし、むしろ早く受け入れる準備をするべきだった。
『ほら、取り敢えず食べよ?勿体ないし』
『……そうだな』
ナイフとフォークをざっくばらんに操ってミリが作ってくれた食事を口に運ぶ。
ここまで来てしまえば捨てる方がもったいない。
俺だって食べなければ死んでしまうし、それは悪魔である彼女たちだって同じ事。
目の前に座る彼女はニコニコと笑いながら、何が楽しいのか俺の食事をじっと見つめてくる。
彼女たちはもう人間を殺さない。
なら、一体後何が人間と違うのだろうか?
『ぱぱーっ!』
『……ガル?』
植物で作られた庭園の入口、そこには緑と白の花がアーチ状に散りばめられている。
そこから少女が大声を上げながら真っ直ぐこちらに駆け寄ってきた。
そして一瞬、血まみれの姿を幻視した。
そんな訳は無いと冷静に一度深く目を瞑ると、次に開けた時ガルは見事に泥まみれだった。
外で遊んできたのだろう。
じわりと手に滲んだ汗をバレないようそっと拭った。
『ぱばっ……!?』
『こら、いけません』
そのまま遠慮無しに飛びついてこようとしてきたガル。
その襟を掴みあげ、俺が汚れるのを止めてくれたのはミリだった。
空中でじたばたと暴れるガルに汚されながら、それでも笑顔を携えたままミリは建物の中へと連行していく。
その後、遅れて庭園に来たサリアも泥まみれで、引きつった顔で恐る恐る中へと足を踏み入れてくる。
ロイゼは先程から庭の植物に水をやっている。
まるで、ただの休日の平和な家庭の一幕だった。
『何してたの?』
『うぇへへ……いやぁ、どっちが多くキノコ集められるか勝負してたんす』
『……それでそんなになるか?』
『実際なってるんだから不思議っスね! あ、私もシャワー浴びてくるっス!』
ドタバタとどこでも走り回る元気な二人に、遠くでロイぜが呆れた様にため息をついていた。
アスモデウスはずっと楽しそうに笑っている。
俺も、いい加減素直になるべきだった。
『自給自足か。やっぱりそれが一番だよな』
『それなら“みんな”に頼もっか。数なら幾らでも居るからね』
アスモデウスが言う皆とは、世界中に散らばっている魔獣達の事を言うのだろう。
ここに来て初めに彼女が持つ戦力を教えてもらったが、恐らく、既に人間側に勝ち目は無い。
記憶の中で第四の悪魔を倒すには、毎秒超級魔法を撃つような規格外の魔力と範囲攻撃が必要だった。
今の世界で仮にそれが出来るなら、生徒会長になったライラ以外には考えられないだろう。
それでも、光魔法だけでは機動力は補えない。
だから第四の悪魔を脅かす存在は最早この世にいない。
彼にネメシスやシーラが攻めてきたって、アスモデウス達はどこか別の場所に黒いゲートで飛ぶだけだ。
悪魔の中で唯一群れをなす、仲間意識を持った少し異質で人間みたいな悪魔。
彼女がいれば俺はきっと他の悪魔に勝てるだろう。
だから、その為にもう少しだけ俺は心をこちらに落とした。
『好きだよ。アスモデウス』
『……!』
驚いて、しかしすぐに嬉しそうに頬を染める。
裸足になっている彼女の素足が机の下で絡みついて来た。
遠くでロイゼが面白くなさそうにジョウロを地面に置いて、溜息をつきながら部屋の中へと入って行く。
綺麗な外の庭園で、二人きり。今後もこういう機会は無限にあるだろう。
それはひとえに俺の寿命が尽きるまで。
心と命を明け渡す代わりに、オレはこの世界を救うと決めたのだから。




