サリア@四
空の闇は晴れ、魔獣は消え去った。
常時聞こえていた爆撃も、雄叫びも、悲鳴も今は聞こえて来ない。
唐突に始まった蹂躙はこうして前触れもなく終わり、生き延びた人達は空の明るさに感謝している。
戦争はこうして終わりを告げたのだ。
それが早かったか遅かったかは人によって解釈が異なるだろう。
私にとってそれがどちらになるのかは、今はまだもう少し結論が出せなかった。
「メイーー! ノノアちゃーーん!!」
外に出ればそこは地獄みたいな有様だった。
敵はいなくなったのに誰もが地面に項垂れている。
何を恨めばいいのか、これからどうすればいいのか分からないと言った陰鬱な雰囲気に呑まれていた。
都心の大通りですらこんな状態でいつもの活気ある街の面影はどこにもない。
走っても走ってもそんな光景ばかりで、煙とは関係なく空気がずっと重かった。
「メイーー!……っ、ノノアちゃーん!!」
ここにいる人達に必要なのは回復魔法じゃ無い。
だから私にはどうする事も出来なかった。
そんな言い訳を脳裏に走らせながら、その人達の横を通り抜けて二人の名前を大声で呼ぶ。
私を見る周りの目は「お前も諦めろ」と言っているような気がしてならなかった。
その不躾な視線に晒される度に泣きそうになって足がもつれて転けそうになる。
魔獣の姿は消え去ったとして、まだ何かが燃えるような臭いは消えていない。
今にも崩れそうな建物は見渡さなくてもそこら中にすぐ見つかった。
見れば見るほど、考えれば考える程嫌な予感が頭に浮かんでしまう。
お願いだからどうか無事でいて欲しいと、その為なら悪魔にだって魂を売っても良かった。
そして、誰かのその選択が今の結果なのだと私は知っていた。
「はぁ、はぁ……っ、あった、あれだ……!」
二人が予約した宿泊施設が見えてくる。
当然私は家族として行き先を聞いていた。
そこも当たり前の様に崩れ掛けていて魔獣の死骸も人の死体も転がっている。
こんなことになるならあの時止めておけばよかったと詮無い事ばかりが思い浮かぶ。
後悔に張り裂けそうになる胸を押えながら、どうせ誰も居ないロビーをぬけて階段を駆け上がった。
「にのご! にのご! にのごっ!!」
二階の階段から数えて五番目の部屋。
ここに来るまで二人は見つからなかった。
急ぐ気持ちと見たくない気持ちが相殺して何をしているのかもよく分からなくなって来る。
もし誰も居なかったら。その時は振り出しだ。
でもどちらかが死んでいたら。もしくは二人共が死んでいたら。
そんな思考を振り切って、私はただ神に祈りを捧げた。
お願いだから二人共どうか無事で有ります様にと。
「はぁっ、はぁっ───」
そしていざ扉を前にして、私は一秒も迷うことなく勢いのままに扉を開け放った。
考え出せば開けるのが怖くなるからだ。
「──メイ!!」
鍵がかかっていないと気付いた時点で、私はその扉を閉めるべきだったのだ。
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白い鳥が空を飛んでいる。
それは全ての元凶となる不幸の鳥だった。
終わったはずの終戦の空の上をぐるぐると同じところを回っている。
その姿はまるで行先に迷うようで、目的を見失った火に飛び込む蛾の様ですらあった。
全ての魔獣が既に消え去って、それでもその鳥がこの国を見渡すその意味は。
それは他でもない。
まだ、終わっていないからだ。
『───うぅらああああああッ!!』
「───ぜぁぁああああああッ!!」
互いの拳がぶつかり合う。
その衝撃が空気を媒介に二人の頬を強く叩いた。
爆撃みたいな音が鳴り響いて、耳鳴りに近い不快感が二人を襲う。
腰を入れた渾身の一撃は、ほぼ同じ威力、ほぼ同じ距離弾かれた。
そしてほぼ同じタイミングで体勢を立て直す。
ほぼ同時に走り出しまた拳がぶつかり合った。
「ざけん……ッなぁっ!!」
『いい加減死ねっスッ!!』
初めのシーラの渾身の一撃に、しかしサリアは見ての通りピンピンしていた。
あれから何度も拳をぶつけ合い、しかしあれ以降有効打は互いに出ていない。
作戦なんて二人ともあってないようなもので、当然意図的に息を合わせている訳でもない。
出会って、互いに絡めては苦手だと知ったその瞬間勝負は純粋な力較べとなっていた。
『真似すんなッス!!』
「どの口がよ!?」
しかし速さも、膂力も、戦闘センスもほぼ近しいレベルで均衡して勝負は付きそうにもない。
結果、サリアは空を飛ぶ鳥に気が付かなかった。
シーラも戦争が終わった事に気が付かない。
否、二人に戦闘の意思がある限り、この場においてまだ戦争は終わっていないのだ。
実際、サリアはシーラを殺す訳にはいかない。
それでも、殺す気で戦って初めて実力は拮抗した。
「流転無手気功術──!」
『そう何度も食らうか!!』
しかし身体能力が拮抗したとしてシーラには武術という利が明確に存在していた。
だがサリアからしても逆に一度見た型なら我武者羅に戦われるよりはまだ対策は立てやすい。
一概に絶対とは言えない勝負の世界、しかしそれも普通の武術だったらの話である。
気功術はただの型などではなく、魔法の世界でも脈々と受け継がれている一つの神秘だった。
シーラは何度も見せた正拳の構えをとる。
それはマモンの戦いだけでなく日頃から最も頻繁に使っている型だった。
サリアは知識よりも身体が先に反応し、それにあった的確なカウンターをいち早く準備する。
本来どちらが勝っても可笑しくない一瞬の攻防。
笑ったのは、今回ばかりはシーラだった。
「──非碌・威智阿ァッ!!」
『おごぉお!!??』
シーラの拳がサリアの腹に突き刺さる。
そのまま振り切ってサリアを吹き飛ばした。
「──しゃあっ!!」
脆い壁程度ではその勢いは止まらずに二つほどの建物をぶち抜き飛んでいった。
一瞬やってしまったかとシーラは内心焦るが激しすぎる戦いから周囲に既に人はいない。
サリアはようやく止まって瓦礫に埋もれながら、空に飛ぶ鳥をその目にやっと捉えた。
空の闇が消えていることにも今気がついた。
それだけ目の前の相手に夢中になっていた。
『いってー……ッス』
『くるるるっ』
白い鳥がサリアの頭に降り立った。
辺りからはいつの間にか魔獣の気配も消えている。
終わった、というか上手くいったのだと、思わず顔をにやけさせて同時に痛みも吹き飛んだ。
戦いの最中に目的の勝利を告げられるのはなんとも初めての不思議な気分である。
なら、この喧嘩にも勝つことが出来たのなら、それはどれだけ気分の良いことだろうかと。
サリアはゆっくりと立ち上がる。
その目はまだ敵を見据えていた。
『ごめんママ──アイツぶっ飛ばしてから帰るから!!』
『くるるっ!?』
再び衝撃が拳から伝わった。
建物の影からの奇襲も難なく拳で防がれる。
弾かれた瞬間体制を立て直し、今度は直ぐに連撃を叩き込むがそれもまた防がれる。
接触した箇所から煙がでるほどの一撃はそれなりに遠くまで聞こえている筈だった。
ここは敵地のど真ん中でサリア側が四面楚歌である。
あまり時間をかけすぎると余計な邪魔が入る可能性も高かった。
しかし、シーラにとっても目の前の相手は自分の手で倒したい。
ネメシスやユーロといった格上との組手とは違う、実力が拮抗したしかも戦闘スタイルも同じ相手。
「アンタは!!」
『オマエは!!』
「『アタシが倒す!!』」
互いの一撃一撃が音を置き去りにしている。
身振り手振りが風を強く生み出し、それだけで周りの建物が軋みだす。
しかしシーラ自身それを気にする余裕も無いし、目の前の女を殺す事だけにただ夢中だった。
サリアも本当はこんなつもりではなかった。
ムカつくのはあの白黒の女でシーラはそもそも眼中に無い。
それでも互いの存在感が拳を打ち会う度に、好敵手として高くなっていく。
互いの拳がほぼ同時に顔面を捉え、また同じだけ弾かれて同じタイミングで起き上がる。
完全に互角。
とはいえ鼻から垂れた血を拭いながら、余裕があるのはまだシーラの方だった。
「ったく、拉致があかないわね……!」
『そッスね……なら、とっとき見せたげるッスよ……!』
シーラはその言葉に怪訝な顔を見せる。
サリアはそれを無視して深く腰を落とした。
その顔は勝利を確信したように薄く笑っておりはったりでは無いことを感じさせる。
かくしてサリアのとっておきは、しかしまた同じように愚直な突進に見えた。
ほぼ変わらぬ速度で目の前に迫った姿に合わせるように迎撃の構えをシーラはとる。
何ら変わらない今まで通りの攻防、しかし次のサリアの行動に度肝を抜かれた。
『流転無手気功術!!』
「は───」
一瞬、シーラは驚きで固まってしまった。
しかし当然戦いの中でそれは致命的である。
サリアはその隙を予想していた様に正確に捉え、シーラの迷った様なガードをすり抜けた。
『う────らぁッ!!』
「ぶあッ……ッ!?!?」
殆ど先程の焼き増しである。
ただ立場が入れ替わって今度はシーラが吹き飛んだ。
地面を跳ねながら遠くの壁に激突して、止まった頃には視界が真っ赤に染った。
明滅する赤い世界の中で余計に頭を混乱させたのは先程サリアが放った技。
それは流転無手気功術、壱の型、威智阿。
などではなく、それはただのパンチだった。
『へへ、騙されたっスね!』
「あ、アンタ……ねぇ……ッ!」
たった一言の嘘に騙された。
それで重たい一撃を貰っているのだからちっとも笑えない。
ふらつく足で瓦礫の上に立ちあがれど、思ったよりも良い一撃でまた膝を着いてしまう。
額から零れた血が床を染め上げて視界が二重にブレて気持ちが悪い。
卑怯だなんだは勝負の世界に存在しない。
だからこの場において悪いのはただ自分だった。
なんて、そんな風に思える程達観していないし、急な卑怯には普通にムカついた。
「なによーッ!? そんなんで勝って嬉しい訳!?」
『なはは! 騙される方が悪いんスよー!!』
「はーー!?!?」
『そう……騙される方が悪いんス』
でもこれは、サリアにも酷く寂しいものの気がした。
やって少し後悔するなんてあまりない事である。
純粋に産まれ、純粋に生きて、純粋に死んだ。
不幸な記憶しか殆どないけれど、それでも死ぬ前の自分自身には胸を張れた。
シーラはこんな手段で勝って嬉しいかと聞いた。
ああ、答えるならばちっとも嬉しくは無い。
それでも、世の中はそういう風にできている。
だから自分は馬鹿みたいに死んだのだ。
「はぁ!? 何言ってんのよ!?」
『え……?』
「騙される方が悪い? どんな育ち方したのよアンタ……!」
シーラの気が高まったのをサリアは感じた。
それは一瞬、ミリがいる方から感じたおぞましいものと同じ質だった。
気とか言う訳の分からないものが視覚で見えそうなくらい、次元の違うものを見ているような高密度。
怒っている。
しかしそれくらいしか分からなかった。
今の問答でシーラが怒るその理由がサリアには分からない。
明らかにこちらが優勢を保っている筈なのに、まるで手負いの獣の様な危うさを感じた。
「世の中馬鹿ばっかりなのよ……アタシみたいにね」
『……急に自虐ッスか?』
「そうよ。でも、それでも一生懸命生きてんのよ。幸せになる為に生きて……それは絶対、奪われたり騙される為なんかじゃない」
膝を着いて顔を伏せているシーラが、ゆっくりと顔を上げてサリアを向いた。
その目は、光り輝いていた。
それは瓦礫の中でも曇らず綺麗だった。
冷静になれば明らかに今すぐ止めるべきであるが、サリアは何故か身体がちっとも動かなかった。
それはシーラが発した言葉のせいで、それはまるで自分を肯定してくれてるみたいで。
ただそれも、死ぬ前の自分の話である。
今の自分は純粋だとは到底言えなかった。
「その腐った精魂叩き直してやるわよ」
『はは……何か、間違ったこと言ったっスか……? 世の中、騙される馬鹿がいるから騙す奴が居るんスよ!!』
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『なんでっ!?どうしてこんな──』
『はは、騙される方が悪いんだよ?』
『騙される馬鹿が居るから騙す奴がいるの。だって賢く生きるならその方が楽でしょ? ……恨むなら馬鹿な自分を恨みなよ』
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「んな訳あるかァッ────!!」
『!!!』
眼前に拳が迫っていた。
最早避けれる距離と速度じゃない。
戦場で一瞬でも気を抜くなんて、自分自身どうかしてるとしか思えなかった。
それでも、サリアは。
もし仮にこれを避けられたとしても。
この攻撃を避ける気分にはなれないと、何となく本心からそう思ってしまった。
これは罰。
もしくは正義の鉄槌だった。
もし、あの時こんな友達がいてくれたなら。
そして、その命すら刈り取る一撃は───
ぷすん。
「???」
『???』
そんなへんぴな音が鳴ったと幻聴が聞こえるくらい、高まっていたシーラの気が急に消え去った。
恐る恐るサリアは目を開ける。
そこにはダラダラと汗をかく真顔のシーラがいた。
拳はサリアの頬に当たっている。
しかし、多少頬にくい込んだくらいで先程までの威力にすらまるで届かない。
サリアは恐る恐る拳を振り上げると、シーラは先程までの面影もないほどにビクついた。
『……なんスか?』
「ちょっ、タンマ!!」
そそくさと普通の小走りで離れるシーラ。
その隙だらけの背中に激しい苛立ちを感じる。
しかし何故か今だけは追撃する気になれず、そもそも何が起きたのかと今は様子を伺った。
シーラは気功術とかいうよく分からないものを使うが今目の前の女からはその力を一切感じない。
それはミリの方で一度膨れが上がった気がその後消滅したかのように消えたのと同じ状態だった。
「く、くそ……! 何かイける気がしたのにぃ……っ!」
『…………』
サリアは当然預かり知らぬ事だがシーラがしようとした技には欠点がある。
気化状態になる為の真気解醒。
それは成功失敗に関わらず使った後全ての気を一時的に失ってしまう。
それは外の気と繋がった代償で、中の気が全て外に出るからだ。
間違いなくここぞと言う時の最終手段で、つまりシーラは賭けに負け一般人へと成り下がった。
『………オマエェ』
「……っ!?」
サリアは俯きながら揺らめいた。
ここまで怒りを感じた事もあまり記憶にない。
どちらかと言うとあの最悪の記憶は、怒りというより悲しみの方が近かった。
普段からロイゼの嫌味ったらしいところはムカつくし、出来れば白黒の女はこの手で殺したい。
それでも、この女はそれらを今飛び抜けた。
今ここで殺さないとどうしても気が済まない程に。
あれだけ好き勝手否定しておいて、結局最後は騙した方が勝つのかと。
ママとの約束だってもう頭から消え去った。
結局、やっぱり騙される方が悪いのだ。
『死ね』
「──」
サリアの目には少しの涙すら溜まっていた。
出会い方が違えば、二人は友達にすら慣れたのかもしれない。
しかし勝敗は、シーラの死で持ってついに決着と成る。
筈だった。
『……え?』
「……これ……!」
サリアの拳を止めたのは無色透明の堅牢なシールドだった。
そしてそれを成した主が黒い穴から現れる。
その肩には、先程の白い鳥が止まっていて──
『……そこまでだ』
「ユーロ……?」
そこに居たのは、ユーロだった。
この事件の渦中にいたシーラにとっての恩人である。
間違いなくシーラを守ってくれたこのシールドに、しかしその目に嫌な予感はどうしても拭えなかった。




