ミリ@四
殺す為に刀を振り下ろす。
上段からの一撃は剣の腹を弾かれて、僅かに仰け反ると同時に二の矢が眼前に迫った。
それを後ろに倒れる事で紙一重で避け、バク宙し、切り上げながら三の矢を弾き返す。
迫る一方の刀を弾いたとして、その時にはもう一方が準備を終えていた。
受けるか避けるか迷う様な時間は無い。
一撃の重さは遙かにこちらが優れど、手数の多さで遥かに劣っていた。
「くっ……!」
『ッ!』
ミリがここに来るのは本来、来年の八月である。
しかしその時に引けを取らない気迫と動き。
記憶がもたらすその影響の大きさは他でもない自分自身が証明していた。
僅かな隙が生まれる度に攻守が交代し、そんな光景が続きどれ程経っただろうか。
金属同士がぶつかる不快な音は今のところ一瞬たりとも止まっていなかった。
気を弛めた方が最初に痛手をおう。
分かっていても、それはやはりネメシスに分が悪かった。
「───きゃああ!」
「……っ、フーコ!!」
ネメシスの背後から悲鳴が上がる。
それはここまで自分の意思で連れてきた親友で、悪魔との戦いには些か実力の伴わない守るべき存在だった。
当然気にかけているような余裕はネメシスに無い。
しかし気にかけないでいる覚悟も無く、結果当たり前のようにネメシスの思考は揺らめいた。
刀を弾く際に一瞬気が散って、ミリが仕掛けていたフェイントに騙される。
続くミリの切り下げへの対応が僅かに遅れ、ネメシスの右肩にその刃が食い込んだ。
「…………ぐッ!」
『まだ』
しかしミリはここぞとばかりに止まらない。
二刀流である事の圧倒的な利点。むしろ一刀で切り結べていること自体ネメシスは賞賛されて然るべきだった。
肩に刺さった刀にミリは力を入れ、そのままもう一方はネメシスの首へと向かわせる。
それは隙だらけという程に大振りの攻めだった。
それが逆にネメシスの思考を鈍らせる。
深手覚悟でカウンターを決めれば、次の一撃でミリに勝てるとネメシスは思った。
しかしそれは同時にフーコを失う事を意味している。
ネメシスの優先順位が強く警鐘を鳴らし、今はチャンスを捨ててでもフーコの元へと一足に跳んだ。
「──龍ッ!!」
「わぁあ゛っ!?」
フーコを襲っていたのはトカゲのような魔獣だった。
泣きながらこちらに手を伸ばしているフーコとすれ違い、今にも襲おうとしていたその首を切り落とす。
既に刃こぼれが目立ち出していた飾り物の剣はその硬い鱗への一撃で更に嫌な音を立て始めた。
そのまま後ろにいるフーコの首根っこを掴み、下へ落ちない程度に遠くへ放り投げる。
そして直ぐにミリへと向き直った。
最悪また一撃貰うくらいは覚悟はしていた。
しかし、ミリはその場で眺めているだけで不思議なことに追撃らしいものは何もなかった。
『見事です。ネメシスさん』
「…………?」
『ふふ、会話はお嫌いですか? 本当はお茶でもしたいくらいなのですが……』
ミリは左手の刀を降って、付着したネメシスの血が地面に痕を残す。
急に話し出したメイドの様子に気は抜かずその一挙手一投足を見逃さない。
フーコは視界の端で蹲っている。
出来ることなら刀を取ってきて欲しいが、贅沢は言わないのでせめて逃げて欲しかった。
おじさんの気配を先程から感じないが、それが逃げた故のものだと切に願う。
『お強いですね。本当に』
「…………よく言う」
『いえ、本心ですよ。正直勝てる気がしていませんし』
それは先に一撃入れたミリにしては酷く消極的なものだった。
しかし、それはネメシスも同様に自覚しているただの事実である。
ネメシスは守る為に気が散っている。
刀も何時もの物では無い。
それを言い訳と言うにはあまりに大きすぎる差で、しかし同時に戦場はそう甘くはなかった。
真正面から本調子で二人が戦えば、マモンやベリアル本物の悪魔と一体一を張れるネメシスに負ける余地は無い。
ただ、如何に本調子を出させないかというのもまた戦いの一つの要素と言うだけだ。
故にこの硬直状態を破る一番の要素は実はこの中ではフーコだったりする。
しかしお尻を突き出しながら蹲るフーコは、世界から目をそらすようにまるで動こうとしなかった。
「フーコ、フーコ」
「うぅ……ね、ネメぢゃん……」
「お願いだから、早く逃げ──」
ミリの姿が掻き消える。
嫌な予感にネメシスはすぐ走り出した。
しかしそれはフーコを狙ったものではなく、予想に反しネメシスの背後に現れた。
僅かに対応が遅れ無理な体勢で弾き返し、また一段と刃こぼれが酷くなる。
限界を近しい場所に感じていた。
しかし同時にネメシスは知る由もない。
ミリがしたいのはただの時間稼ぎであり、その為にフーコの事は逃がしも殺しもするつもりは無かった。
『ずっと、見ていましたよ』
「…………ッ」
『マモンとの戦い、お父様との修行……貴方は恐らく、じきに人の限界を越えようとしている』
二刀相手に鍔迫り合いをする程不利なことは無い。
距離を離そうと一度強く押し返し、ネメシスは後方に下がるがしかしまた追撃は無かった。
霞のような女だとネメシスは思った。
数にものを言わせる特殊な悪魔の癖に、このレベルが後三体も居るのだから巫山戯ている。
『いつもの刀だったなら……ええ。考えるだけで恐ろしいですね』
「………」
ミリはその場で刀を静かに構え直し、長いスカートが風でふわりと揺れる。
それはまるで高価な絵画の様だった。
魔人になる以前、病室を出なかったせいで白い肌は魔人になってからも焼けることは終ぞ無かった。
それはミリに取って誇りであり、そして同時に呪いでもある。
目の前にいるのは生まれついての人間の最強。
ハンデはあれどここで勝つことが出来たのなら、自分を苦しめた神に一泡吹かせられるのではないかと。
『勝ちます』
ミリの周りから不自然な程に音が消える。
それは魔法ではなく純粋な歩法によるものだった。
悠久の時を過ごす不老の魔人のその知識量は人の及ぶ域には存在しない。
人が歴史の中で生み出した、そして埋もれて言った数々の武術の収束地点。
千年という空白は確かにあれど、それを抜いても人の何倍もの時をミリは生きている。
ミリは刀を静かに振り上げた。
第六感が危険域の警報を強く鳴らし、ネメシスは刀を正面に構え防御の体勢をとった。
「………………?」
赤い液体がネメシスの視界の中に写った。
痛みを感じたのはその数秒後。
右肩から左脇腹にかけて、ネメシスの身体に深い一文字が刻まれていた。
刀は二つに折れて先端が宙を舞い砕けた破片が身体に降りかかる。
気付いた時にはミリの剣は振り下ろされていた。
計二度の攻撃を右肩に受け、もう剣とも呼べない塊を床へと取りこぼした。
「…………ッ……!」
「ね、ネメちゃん……っ!!」
『おや……? この技は、前回の私は見せなかったようですね』
ぼたぼたと命が床を濡らす。
フーコの叫びが少し遠くに聞こえ、視界は一瞬光で埋め尽くされた。
見えなかった。
と言うよりは、知らない初見殺しの技術が使われていると言った感覚だった。
たしかにネメシスは前回こんな技は見ていない。
前は純粋な一体一で、ハンデも邪魔もなく終始圧倒してそのまま殺した。
警戒するあまり攻めの姿勢を忘れ、結果隙の大きい技の発動を許してしまった。
『……ふむ』
ミリ目線、目に見えてチャンスである。
ネメシスは武器を失い、利き腕の動きも制限している。
人間は放っておけば失血死する上、しかもネメシスはノノア以外の回復は効かない。
しかし実は今この中で一番緊張しているのは他でもない優勢な筈のミリ自身だった。
ここへ来る時一番ママに心配されたのも彼女である。
だがネメシスを抑えられるのも彼女しかいないと、何度も話し合った結果によるものだった。
ミリ自身半分死を覚悟してここに立ち、だからこそ以外な結果に内心困惑していた。
勝てるかもしれない。
その期待が刀に乗って、ミリにあまり経験の無い高揚を覚えさせる。
『人というものは難しいですね。あなたに必要なのはきっと引き算なのでしょう』
「…………」
『このまま勝てるとは思っていませんでしたが……こうなると、少し期待してしまいますね』
ネメシス目線も実に不利だった。
刀は折れて友達は逃げてもくれない。
ミリは未だに無傷であり、対し深手を負って右肩への負担が特に大きかった。
羅列する程絶望的な状況。
だからこそ、ネメシスは選択を誤らなかった。
『せめて、その腕くらいは今の内に──』
「ペラペラと」
流れが変わった。
その一言だけでミリは無意識にそれを肌で感じとった。
攻めの構えを即座に解いて全力の防御の体勢に移る。
距離は少しあるがネメシス相手にそれはあってないようなものだった。
ミリの記憶の中ではネメシスとは初対面である。
しかし、圧倒的なまでのリアルな敗北感が優勢なはずの彼女に襲いかかった。
一体それが何によるものなのか、しかしミリは常に見ていたからこそ答えに行き着いた。
優勢な筈の立ち位置が一瞬で変わる、圧倒的で意味不明な理不尽の化身。
それは果たして人と呼んで良いモノなのかすら、ミリはあの時見ていても結論を出せなかった。
「極伝・真気解醒」
それはあの時マモンとの戦いで最後見せたもの。
気化状態と名付けられたそれは世界の気と繋がり、身体能力と感覚の限界を超える。
ネメシスの目は、眩しいくらいに輝いていた。
ほんの一瞬、瞬きの何千分の一。
ネメシス自身まだ完全に掌握しきれておらず、自由に引き出せるのはほんの一瞬だけ。
ただ、その一瞬で充分だった。
「戦場でよくしゃべる奴は────弱い」
短剣並に短くなった刀が翻り、弧を描くようにその肉体を捉え振り抜いた。
それを視認できたのも最早本人だけである。
ほぼ致死量に近い鮮血が宙を舞い、ミリは膝からその場へと崩れ落ちた。
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『負け……ですか』
敗因はなんだろうかと。
考えれば考える程に最初から勝ち目はなかったのだという結論に至ってしまった。
それは何と救いのない事で、しかし驚く程にミリの胸の内にスっと収まった。
刀は既に手の内から零れ落ち、しかしそれを拾うことすらままならない。
圧倒的な優勢、慢心も油断もなかった。
むしろあのマモンと一人で立ち会ったネメシス相手に、今生きている事が最早奇跡と言えた。
「何か、言い残す事は」
『……ふふ、聞いてくれるんですか?』
首に刀を突きつけられる。
その冷たい感触はミリの体温を奪い自分の命の軽さを際立たせた。
ミリを見るネメシスの冷たい目には、しかし同情のようなものも少し感じられた。
ミリは走馬燈に思いを巡らせながら、他人事の様に向こうは上手くいっているだろうかと考える。
この光景を今見ている母は何を思っているだろうかと、そんな事ばかりが無意味に頭をよぎった。
言い残すこと。言い残したいこと。
何かあるだろうか。
基本的に家族には言いたいことは常に言うように心がけている。
ずっと欲しかったものだからこそ、それを手放さない為の努力は欠かさずしてきた。
……でも。
一つだけ、母にも言っていないことがあるとするならば。
それは彼を本当は父ではなく男として見ている事くらいだろうか。
でも、それも多分とっくにバレている。
だって私以外の三人も、隠しているようでちっとも隠せていないから。
『彼はこちらに来ますよ』
「………、それは──」
それは無い。
そう言おうとしたネメシスの言葉は無意識のうちに自分自身が止めてしまった。
口にするのは別に容易い事である。
しかしそれすら出来ない状況に、ミリの言っていることが正しいと思ってしまっている事に嫌でも気づく。
仮にここでミリの首をこのまま落として、後三人の魔人も自分が倒したとして。
アスモデウス本人にはきっとこの刃は届かない。
それに無数に広がった魔獣を倒すのに一体どれ程の時間が掛かるのだろうかと。
だから、この事態を解決できるのはそもそもユーロしか存在しなかった。
マモン戦で魔獣を一掃したあの魔法なら。逆に言えばあれだけが盤面をひっくり返せた。
しかし当の本人がそれを望まない。
勝つ為に寝返る事が必要と考えている彼は、むしろ例の条件を嬉々として呑んでもおかしくなかった。
彼にとって第四の悪魔にその身を渡すことは実質メリットしかないようなものなのだ。
それを止めるだけの理由を彼に与える事は、終ぞネメシスには出来た気がしなかった。
むしろ新たな勇者の誕生は彼に後を託せるという安心感すら与えてしまった。
「…………ッ」
その後悔を振り払うようにネメシスはボロボロの刀を振り上げた。
少なくとも今ここでミリは確実に殺す。
その結果彼を悲しませることになったとしても、こればかりは迷ってはいけなかった。
大事な人の大事な人は、本当はネメシスだって傷つけたくはない。
それでも限度はとうに超えている。
この刀を止めることは今更出来ないと、
「悪い」
ネメシスは、その刀を振り下ろした。
黒い小さな穴が虚空に開いた。
「な──」
『!!』
穴から白い鳥が飛び出してくる。
その鳥は一直線にネメシスに向かい、ほぼ反射でネメシスは剣の軌道を逸らしその鳥を一刀の元に打ち払った。
しかし同時にミリの足下にも同じ穴が現れて、重力に導かれ落ちるようにミリの姿が消えていく。
その顔は何処かうすらと笑っていた。
まるで計画が上手くいったとでも言うように。
逃がすまいとネメシスが放った追撃は、しかし何も無いただの地面へと突き刺さった。
「─────くそッッ!!」
逃げられた。
刀はその衝撃で粉々になり、今度こそ本当に使い物にならなくなった。
最後に現れた白い鳥。
それは少し前に見たのものと同じもので、しかしその体には第四の紋章が刻まれていた。
一件現れたタイミングからしてミリを助けに来たのだと思われる。
しかし、核心はそうでは無いと本能が訴えていた。
「………ッ、ユーロ……!」
助けを呼ぶ声は以前ここまで聞こえて来る。
しかし、魔獣の雄叫びは不自然なまでに止んでいた。




