最後の結論
最後に見た光景は、視界の全てが細切れになって行く瞬間だった。
「ぅ……っ」
身体に限度を超えたような痛みは無い。
周囲は不自然な程に真っ暗で足元どころか指先すら見えなかった。
おぼつかない足で立ち上がり、その際に足場の悪さと手を着いた感触で周りが瓦礫で出来ている事が分かった。
光魔法で光源を作り暗闇を照らす。
明らかに意図的に象られた空間に、しかし今にも崩れそうな程のもろさを感じた。
ロイゼの能力によってライラの自室が絶たれ、一瞬で廃墟のような様相へと変わり果てた。
分断されたのだとすぐに分かった。
ライラはシールドが守っているから怪我の心配が無いのが不幸中の幸いだった。
「くそ……」
『さ。これでゆっくり話せるわね』
今ここには俺とロイゼの二人だけ。
ロイゼは瓦礫の上に座りながら腕の中に納まった白い鳥を撫でている。
いや、厳密にはここにはもう一人いた。
全ての元凶がその小さな瞳の先で自分だけ安全な状態で成り行きを見守っている。
彼女は鳥だろうが魚だろうが虫だろうが“死んだ生物”なら全てを支配下に置くことが出来る。
それは当然、人だって。
一筋の光すら届かないこの場所も、しかし悲鳴だけは岩を透過して俺の耳にまで届いた。
俺は彼女も守りたかったのに。
しかしこんな事をされてしまっては抱いていた思いも急激に冷めていく。
『答えを聞いてもいいかしら』
答えとは、俺が彼女について行くか行かないか。
一度ライラによって反転した俺の決断が、また元の形に塗り替えられようとしていた。
とは言え俺にだって許せる範囲はある。
彼女達は明確に一線を超え既に大勢の命が失われていた。
俺は殺戮に溺れる彼女たちを肯定した訳ではなく、彼女達なら人の生き方をわかってくれると信じた結果だ。
しかしこうなってしまえばもうどうにもならない。
握ろうと思っていたその手は既に赤い血で染まっていた。
「答え……? ……こんな事して、本気で俺が着いていくと思ったのか……ッ?」
『大丈夫よ。ユーロの大事な人達は殺さないであげるから。というかその為に来たんだし』
俺は彼女が何を言っているのか正直分からなかった。
微妙に話が噛み合わない感覚に、価値観の違いを見せつけられているようで冷や汗が出る。
しかし彼女達は元来こういうものなのかも知れなかった。
あまりに遠い記憶のせいで俺の中で良いように美化されすぎていたのだろうか。
彼女達は何処までも悪魔で、魔人である。
生まれついての人間の敵で、しかもロイゼ達には人を憎む動機と記憶があった。
だからこそ彼女達には幸せになって欲しかったのに。
傷つけられたからといって傷つけていい理由にはならないし、彼女達を追い詰めた屑達はもう皆死んでいる。
「何を、言ってるんだ……ッ」
『分からない? ……例えば、さっきの白黒の女。自殺しようとしてたみたいだけど……“連れ去られた”とかなら、彼女も取り返そうと考えて一先ず自殺はしないんじゃない?』
「…………は?」
そのロイゼの発言には心底驚いた。
その発想が無かったと言うよりも彼女達はライラが死のうがどうでもいいと思っていたからだ。
人の命を軽く見ているからこそこの凶行に至ったのだと思っていた。
しかし先程の発言だとまるで彼女の命と考えを尊重した上でのものに聞こえた。
だからこそいよいよ持って分からなくなってくる。
彼女たちに人間と歩み寄る意思があるのなら、そもそもこんな事はしないで欲しかった。
前提が先ず間違っている。
人を殺した時点で彼女達は敵なのだ。
「おかしいだろ……」
『え? ……………………どこが?』
「俺の事を考えたフリで、大勢の人達を殺して……!」
俺はロイゼに、そしてもう一人に声を荒げながら詰め寄った。
俺の拒絶の意思はもう充分に伝わっただろう。
ライラ達を殺さないと言ったのは所詮彼女達の最低限の譲歩だと見て取れた。
その代わりに全人類殺すと言われれば当然そんなもの鵜呑みにできるわけが無い。
彼女達が言っていることはそういう事だ。
俺は既に勇者では無いが、だからと言って今までと考えはそう変わらない。
『え? 何言ってるの?』
しかし、ロイゼはまるで深淵みたいな目をしていた。
それは何処までも深く暗い、それこそ悪魔みたいなものだった。
けどそれは罪悪感がどうとか考え方がどうとかじゃなくて──
それは、俺を非難するような目をしていた。
『貴方は、大切な人以外は別に死んでもいいじゃない』
「は……? なに──」
『関わったこともない無関係な他人がいくら死のうが、その事に多少の罪悪感は抱いても特に気にしない』
『そうでしょ?』
ロイゼは瓦礫を降り立って、白い鳥は彼女の手の中から飛び立った。
そしてゆっくりと俺の元へと歩み寄ってくる。
そんな彼女に対し俺は──
俺は冷水をかけられたみたいに寒気がして動けなかった。
すぐにでも否定しないといけないのに、まるで言葉が口から出て来てくれなかった。
俺は勇者である。それは世界中の人が認めなくても、神様から直接賜った否定しようのない事実だった。
人を守る、人の代表の、人のために生きる神様に選ばれ存在だ。
そんな俺が他人はどうでもいいなんて。
そんなふざけた事、あっていい筈が無いのに。
『私はグレェンツェンで兵士を皆殺しにした。でも私を庇ってくれたわよね』
「それは……生き帰ったから……ッ」
『そもそも昔一緒に沢山殺したわよね。無かったことになるなら、いくら殺しても良いんでしょ?』
「そんな訳……!」
『魔王を倒すなんて無理難題だとしても、大切な人は一人も死なせたくない』
『でも関わりの薄い人達はある程度仕方ないと思ってる』
『大丈夫。分かるわよ。私達だって家族以外はどうでもいいもの』
違う。
そう叫びたいのに俺の今までの行動と過程がそれをさせてくれない。
ライラが死んだ時、ノノアが死んだとき、パスカルが死んだ時、シーラが死んだ時、ネメシスが死んだ時、ユニが死んだ時。
俺は何度もその時点で“やり直し”ていた。
しかし他はどうだろうか。
助けられるときは勿論助けてきた。しかし被害をゼロに抑えられるとは今思うと考えた事も無かった。
今回は被害を何人に抑えられたとか、せいぜい終わった後数字で考える程度の重さ。
いつからだ。
いつから俺はそんな風に他人の命を軽く見るような言動をとっていたのだろうか。
大事な人達の命は俺は何よりも執着していた。
だからこそその対比に俺自身寒気が抑えられない。
『ほら、今もまさに死んでるのに。早く決めなくていいの?』
「…………!」
『私達は別に貴方の大事な人も殺してもいいのよ? ただ、その一線を超えると貴方は来てくれないだろうから』
ロイゼたちはまだ俺の一線を超えて居ない。
自分でも気付いていなかったその事実に俺はロイゼ達側の存在なのだと自覚し始める。
どちらにせよこうして今迷っている時点で彼女達の推察が正しいと言っているようなものだった。
『勿論、魔王倒す協力はしてあげられる』
そう言って目の前に白い手が伸ばされる。
目の前を白い鳥が滑空して、“彼女”は俺の頭の上に止まった。
俺はそれを払い除ける事も出来ずに、しかし同時にその手を取ることも出来なかった。
俺は今ここで考えを改めるべきだった。
しかし何をどう改めるべきなのかその肝心な部分が分からない。
どっちに転んでも積みに近い状況に段々何を考えていいのかも分からなくなってしまった。
『……もう、本当優柔不断ね』
「俺、は……」
『はぁ、あの時の思い切りの良くてカッコイイ貴方は何処に行ったのかしら』
『それでも好きよ。愛してる』
「………っ」
『──だから、目いっぱいその背中を押してあげるわね』
黒い穴が俺とロイゼの隣に広がった。
それはアスモデウスだけが操ることの出来るワープゲート。
これがあるから第四の悪魔は追い詰めてもすぐ世界の裏だろうが何処まででも逃げてしまう。
俺は現実逃避みたいに余計な事を考えて、ただ成り行きに任せその光景を見守った。
けど、すぐにそんな場合じゃないと思い知らされる。
その穴からのそりと出てきたのは、項垂れたノノアを口にくわえた白い狼の魔獣だった。
「………………………………あ?」
『最後通告よ』
『来て、ユーロ。……選択肢は、まだあるかしら?』
俺はロイゼに右手を突きつけた。
ありったけの魔力を一点に集め、光系統の超級魔法を限界まで圧縮する。
怒りで脳が沸騰し、ほぼ反射で動き出した身体はしかし直前で止まった。
『……撃たないの?』
「…………ッ」
『ふふ、撃てない撃てない。大丈夫よ、無理しないで』
ロイゼは光がほとばしる俺の右手に触れ、絡めとる様に指先を這わせてくる。
しかし当然、それだけで彼女の手が焼けただれた。
至近距離で傷つく彼女を見せられて、俺は慌てて展開していた魔法を消し去った。
消して、しまった。
『あはは』
ロイゼの表情は一切の痛みを感じさせず終始楽しそうに、嬉しそうに笑っている。
結局魔法を解いて無防備になった俺に、まるで恋人のようにより強く腕を絡めてきた。
『大丈夫よ……“まだ”死んでない』
「ま、だ……」
『もう分かるでしょ? どうすればいいかなんて』
握られた彼女の手は焼けただれて熱を持って嫌に熱かった。
皮が剥がれ脈がほぼむき出しになったせいで彼女の鼓動が繋いだ手から伝わってくる。
そのリズムは何処までも人と同じだった。
けど、何処までも人と乖離した思考回路を持っている。
それでもひとつ確信を持って言えるのは、彼女達は俺の事を誰よりも正しく理解していた。
すぐ目の前にはロイゼの顔がある。
俺の頭の上には彼女が未だ乗っていた。
懐かしい家族たちとの久々の邂逅に、俺は終ぞ一度も笑顔をうかべることは出来無かった。
『………………………………ああ』
それ以降の言葉は口を噤んだ。
代わりに、ロイゼの手と目を治すことで意志を示す。
ロイゼはゆっくりと悪魔みたいに笑みを浮かべ、白い鳥は飛び立って黒い穴の向こうに消えた。




