燻る迷い
時は五月下旬。
学園も新学期が始まって凡そ二ヶ月が経ち生徒達も徐々に慣れを見せ始める頃合。
気温としても一日中過ごしやすく暖かな陽気は眠気と穏やかな気持ちを人々に感じさせた。
問題という問題は恐らく花粉位のもので、しかしそれも梅雨が来るまでの辛抱だろう。
総じて、今の状況は比較的平和と言えた。
それは本来当たり前では有るのだが、しかしこの世界では貴重なものだった。
「─────納得が行かない。」
「いやぁ……………」
しかし、そんな中。
狭い一人用の部屋の中で文句を垂れる人物が一人いた。
胡座をかいてその足の上に刀を乗せながら宣言した通り納得のいかない顔を浮かべている。
その人物はこの世界の勇者、ネメシス・ブレイブだった。
彼女は今この世界で最も重要な人物と言える。
そんな英雄と一人狭い部屋で相対するのは──言ってしまえば、そんな彼女の先輩だった。
「そうは言ってもなぁ……」
「……む」
元勇者、ユーロ・リフレインである。
ユーロはネメシスの話を聞いてただ苦笑いを浮かべていた。
それを見て余計にネメシスは不機嫌になる。
この事に付いて話すのもこれで二度目であり、けど帰ってきた返事は前回と、そして他のみんなと変わらないものだった。
普段から基本的に無表情なネメシスは、しかし今はいつも以上に目が笑っていない。
ユーロやライラ達頭を使う側の人間にどうも言いくるめられているような気がしてならなかったから。
話の内容は当然先日行われた勇者認定式の事についてである。
もう今更変えられない事はネメシスも分かっていたが、それでもこうして話さずには居られなかった。
自分は決して勇者などでは無いし、それに自分にとってそれはユーロ以外に有り得なかった。
なのにいつものように流れに任せていると気付けば取り返しのつかない所まで来てしまっていた。
つまり、半分自業自得も相まっている。
「そもそも、ユーロはこれでいいの……?」
「まぁ………仕方が無いことだとは思うよ」
そういうユーロの表情は、むしろ肩の荷が降りたようなものにネメシスは感じた。
──ユーロが勇者と認められるには、今までは二つの要素が必要だった。
その一つは第一の悪魔を倒した功績。
そして二つ目が、魔術武闘祭で優勝する事だった。
しかしこの世界では今までの流れとあまりに違っていて、まだ五月の時点で悪魔が二体も攻めてきていた。
当然そんな事は今まで一度もなく、結果その影響は予測できぬままあらゆる方面に齎された。
それがかつて一度もなかった程の早期の勇者の認定。
マモン戦がそのまま武闘祭の変わりになったのだ。
それ故各国の王達は話し合いだけで勇者を決めるに至り、しかしそれ自体はむしろ願ってもない事だった。
しかしこういう結果になったのはこの二つの悪魔との戦いの貢献度を見ればほぼ必然だった。
第一の悪魔ベリアル、第二の悪魔マモンの両方で活躍したのは分かりやすくネメシスのみだったから。
当然、それはただ目立つ貢献をしたと言うだけだ。
ライラもユーロも居なければ先ず何処かで破綻していた。
しかしその辺りは他の誰かが知る由も無く、結果満場一致の元にそれは可決される事になった。
それに、マモンの時に至っては生き返った兵士達など大勢の前で活躍を見せる形となった。
それがスプレンドーレ側の納得も引き出す要因となり、この五月時点でネメシスという勇者が誕生した。
ただ、それが良い事かと言われれば───
ネメシスは別だが、ユーロ個人の意見なら全くもって問題はなかった。
「俺が勇者になりたかったのは、他国への発言力が欲しかっただけだよ」
「でも…………」
「ネメシスには悪いけど、代わりにその辺やってくれると助かる」
むしろこういう結果になって初めて、ユーロはこの方が良いのではとすら思い始めていた。
そもそも現世においては勇者と言うのはただの称号でそれ自体に大きな意味は無い。
ただ自分の事を勇者と知っているからこそ、そういう固定観念が産まれていただけだ。
言わば誰がやっても同じ事。
何ならライラでも、それこそ会長やシーラでも。
「私に、そういうのは……」
「俺も手伝うし……こう言っちゃ何だけど、ライラの力を借りれば何とかなるよ」
勇者として必要な要素は言ってしまえば顔である。
それは別にルックスがどうとか言う話では無い。
人間の代表として矢面に立つだけで、そしてその為の要素はネメシスには充分に有ると言えた。
圧倒的な強さと、ブレないメンタル。そして積み上げた実績と学園での人望。
考えれば考える程に今の状況からしてやっぱり適任はネメシスしかいないとユーロは思えた。
それに、そもそも。
ネメシスが今更なんと言おうと、この世界の勇者にユーロはなり得なかった。
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──定食を乗せたお盆が宙を舞う。
それは当然誰から見ても異様な光景だった。
ただそれは決して楽しい光景などでは無くパフォーマンスでも無くただ暴力が生み出した結果である。
入学初日も似たような光景を見たなと冷静に考えながら俺はそれを目で追った。
そして、それは当然重力に負けてカラカラと寂しげな音を床の上で奏でる。
半分以上残った中身がぶちまけられて、そして必然とこの場の視線が俺へと集まった。
しかし、それは同情を向ける類のものでは無かった。
俺はそれを片付けようと無言でその場にしゃがみ込む。
すると、伸ばした俺の手を誰かの足が踏みつけた。
「…………悪魔の味方が、どの面下げて人間の飯食ってんだ?」
「………………」
足にそのまま力が込められる。
魔法こそ使っていなかったもののその勢いには手を潰す意志が込められていた。
しかし、別にそんな事は気にもならなかった。
物理的な痛みには慣れている上に、嫌悪の視線を向けられる事もこの回ではよくある事だったから。
ただそれでもいつもと毛色が違う事は流石に鈍感な俺でもすぐ理解が出来た。
誰もこの状況で助けようとしないどころか、このイジメのような行為に視線は賛同を示している。
むしろ何処かやられて当然という勧善懲悪の成敗に近い感覚。
正当性が生まれた時に人間が見せる集団的な排除である。
しかし、俺はそれを否定する事が出来ず、何故ならそれは全てが自業自得だったから。
彼らからすればやっている事はただの“悪魔退治”だ。
もはや俺を見る生徒達の目は人に向けるものには到底思えなかった。
「偽勇者が…………皆を騙して、人気者になって……楽しかったか?」
「……………………」
非は確かに全て俺にあった。
それを分かった上で、俺は──
「退けよ」
「なっ……!? テメェ!!」
名前も知らない行き過ぎた正義感と勇気をもつ青年を俺は突き飛ばした。
とは言え仮に、ここに俺が一人で居たのなら甘んじて彼の暴力を受けていたと断言できた。
それだけのことをしでかした自覚はあるし、俺自身罪の意識は未だ拭えない。
けど、たとえ時をやり直したとしても他に方法が無いなら俺はきっとロイゼ達を助けただろう。
つまり反省はしているが後悔はしていなかった。
それにそれすら覆せば本当に全てがブレる気がしたから。
──それに、今俺は一人では無った。
一緒にいたノノアまで巻き込む訳にはいかなかったから。
「ゆ、ユーロ……」
「ノノア、ごめん。大丈夫……行こう」
「……クズ野郎が……」
俺はノノアに謝りながら手を引いた。
同時に周りの避難する視線も余計に強まった。
俺の恋路はそもそも広く知られる所でノノアやライラとの関係もほぼ周知の事実である。
彼らからすれば俺は悪魔に傾倒し、勇者と偽り、複数の女を誑かしている最低のクズ男だ。
それらは概ね事実ではあるが俺個人の観点からすれば当然理由と譲れない物があってこうなった。
けど、もっといい方法があったのではと、こうして巻き込む度にそう強く思う。
「待てよ!? 逃げんのか!?」
「…………行こう」
「……ッ、お前も目ェ覚ませよ! そんな男と居て幸せな訳ねぇだろ!?」
「ち、違う……! そんな事……っ!」
この男子生徒に限った事では無いが既に全生徒が事情を知っていた。
放っておいても直に広まる話ではあるが、やはりその時を早めたのは例の口の軽い新聞部員の仕業である。
今回の事にライラは箝口令を敷いたはずだが、それは彼女の正義感を止めるには至らなかった。
結果、裏で出回った全てを告発する号外。
その内容は例の尋問会の事が事細かく書かれていた。
俺がロイゼ達を戦いの中で守った事。
やり直しの事まではさすがに書かれていなかったが。
しかしそこにネメシスが勇者となった事実も合わせて、俺の居場所はもうこの学園には無かった。
「俺の友達はベリアルとの戦いで死んだんだ……お前を殺せば、アイツも多少は喜ぶかもな……!」
そうして男は俺の前に回り込んで、その右手を俺へと真っ直ぐ突きつけた。
それに対し、俺は、
「──ちょっと! 何してるの!?」
誰かが、一触即発の空気を切り裂いた。
俺の目の前に立ったその人物はシーラだった。
シーラは当然ルフレでも既に有名人で勇者に肩を並べる相棒として広く知られている。
そんな彼女は俺を庇うように間に割って入り、男は驚きと共に目に見えてたじろいだ。
俺はこうしてまた大切な人を巻き込んだ。
これはきっと永遠に切れない鎖の様なものなのだろう。
「どけよ……ッ、コイツは名声欲しさにみんなを騙してたんだぞ!?」
「んな訳無いでしょ!? それはただの行き違いよ!」
「知るか!! そもそもコイツは悪魔を助けたんだ! ならさっさと殺すべきだろ!?」
「それは……っ、でも、ユーロはアタシを助けてくれたし……ベリアルの時だってちゃんと戦ったんでしょ!?」
「シーラ」
先程の静かな緊張感とは相打って学食の外にまで二人の怒号が飛び交った。
風紀委員が飛んでくるのも時間の問題だろう。
シーラの気持ちは泣きたくなるくらいに嬉しかったが、でもだからこそこんな事に巻き込みたくはなかった。
シーラはこの学園で大勢に囲まれて、俺や、魔王が居なくなった世界をも導いていく様な存在だ。
だからこんな所で俺が泥をつける訳には行かなかった。
だから、こんな形で彼女に良くない視線が集まるのなら、
なんなら、もう関わらない方がまだマシだった。
「大体、アンタ誰──!」
「シーラ」
「──っ、え? な、何?」
そもそも俺は傍からここへ来るべきでは無かった。
少し考えれば分かる事ではあったと今更思う。
意図しなかったとは言え号外が世に出回って、俺の謹慎はこう言ったことから守る側面もあったのだろう。
今までは誰かが食事を部屋まで運んでくれて、今日偶然当番のノノアが忙しく購買も売り切れてしまった。
その結果こうして二人で食堂に赴いて、そしてその思考があまりにも単純で甘いものだった。
やはり隠れて悪い事は出来ないものだと全て手遅れになってから思い知る。
けど、今は何よりもノノアが最優先だった。
彼女の心はとっくに壊れていて、本当は少しの刺激だって与えたくは無かったから。
「ごめん…………もういいんだ」
「ユーロ……」
「ごめんな、シーラ。……ありがとう」
最後、俺はシーラに笑顔を見せたけど上手く笑えているかは正直分からなかった。
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「──ごめんな、ノノア」
「うう、ん……わたし、の、方こそ……」
食堂を出て廊下を二人で歩く。
周りには人の影は見当たらなかった。
それも当然、俺がそういうルートを選んだからで、今は少しノノアと静かに話しがしたかった。
ノノアは酷く繊細で、それはあの日から一度も変わっていない事である。
マモンの時に見せてくれた勇気には目を見張ったが、それでも回復はまだ見込めていなかった。
だからライラの優しさに付け込む形ではあるがこうして二人で出会う機会も少なくは無い。
その度にそばに居ることで余計に不幸にしている事実をこうして無視できない形で突きつけられる。
それでも未だにこうして隣に居るのは、彼女自身がそう強く望んでいるから。
本当に、ただそれだけなのだろうか。
本当の幸せを考えるのなら、今みたいにいっその事───
「ユーロの方が……つらく、ない……?」
「え? ……俺?」
ノノアは目の端に涙を貯めながら、それでも途切れ途切れの言葉で俺を心配してくれた。
当然辛くなかったことなんて一度もない。
それは、今回のことに限らず生きてきた全てにおいてそう言えた。
それでもこうして誰かが隣にいてくれる時は少なからず心が安らぐのもまた確かだった。
辛くても、大丈夫。
それが答えとして一番しっくり来た。
「俺は大丈夫だよ。皆が……ノノアもこうして分かってくれてるし」
「…………」
ノノアは難しそうな顔をした。
きっとノノアは互いに本心を言い合って共に慰め会える関係を望んでいるのだろう。
けど俺は彼女に余計な負担は掛けたくないし、何が傷つけるか分からない中で下手な事は言いたく無かった。
しかし、それは見方を変えれば彼女を信用していないことにもなるのだろうか。
俺は勝手に守る対象として何処か決めつけている。
もう何が正解かは俺には考えても分からなかった。
「…………う、ん……」
ノノアの言葉は何処か歯切れが悪い。
俺も彼女も多分、嘘は下手な方である。
演技は数多ある時間の中で上達したが、俺に関してはアドリブにめっぽう弱かった。
次があるとか、次はここを少し変えようとか、いつも後手の帳尻合わせで何とか凌いできた。
だから突発的な事や知らない何かが起こると、馬鹿みたいに頭も体も本能でしか動かない。
こうして冷静に自分を分析は出来るが、しかしこの世界にもう次は存在しなかった。
だからそれらは全て今回に活かさなければならない。
けど、どうしようもなく手遅れな気がしてならなかった。
「ね、ねぇ……」
「………なに?」
──ノノアは酷く繊細だった。
それを言い訳にして俺は今も彼女を切り捨てれずにいる。
ライラを選ぶと決めた癖に、そして目の前に差し出された手を俺は黙って握り返した。
人類を選ぶと決めた癖に、まだアスモデウス達を助けようと足掻いているように。
綺麗事は実力さえあれば誰も文句は言わない。
だからこれは全部弱い男のただの我儘だった。
「えへへ……」
「……………」
その先に待つどうしようもなく暗い未来に、俺は既に片足を踏み込んでいた。




