EPISODEライラー4
水面が緩やかに揺れている。
太陽が私と水面を照りつけて、さざ波の音が耳に心地いい。
空にはカモメ何かも数羽飛んでいて、運命の日は、こうして希望に満ちて始まった。
──ここは海の国オンブル近海の船の上。
私は甲板の手すりに凭れながら“彼”がここに来るのを待っていた。
周りには私の他に誰もいなくて、しかしそれも当然この船は今日の為に貸切にしてあった。
空は快晴。雲ひとつなく晴れ渡り、風も無いため絶好の海水浴日和である。
一応海の上なので水着は着て来たが、しかし残念ながらここへは遊びに来た訳では無かった。
「にしてもいい天気ねぇ……」
因みに船は既に沖合まで出ていて、ここまで操作も私がした為本当に他に誰も居ない。
なら誰が何処から来れるんだという話だが、私が待つ彼は今空を飛んでいる頃だろう。
なのでその待人がここに到着するまでは退屈が私の対戦相手件、話し相手だった。
別に数時間も待たされている訳では無いが彼がいない時間は今は一分でも辛くなっている。
何はともあれ、
「…………遅いわね、アイツ」
水面を眺めながらそう独りごちる。
自然は綺麗だけど今欲しているのはそれじゃ無い。
仕事の書類でも持ってくれば良かったと考えて、そんな自分に嫌気がさして私は目を閉じた。
するとさざ波の音とカモメの鳴き声と、船が揺れる音だけが私の世界になる。
肌を焼く日光までもが眠気を誘ってきた。
私はそれに抗うように彼の事を考える。
「ユーロ…………」
そして目を閉じれば自ずと思い起こされる。
心に深く刻み込まれた彼と紡いだこれまでの軌跡。
もう一度目を開けてみれば、彼との思い出が水面に映った気がした。
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──今まで本当に色々あった。
それは思い返すだけで随分時間がかかりそうなほど。
始まりはやっぱり入学式の日で、彼はいきなり私の常識を軽く壊してのけた。
『勝負しなさいッ!』
『はぁ……また来たのか』
そんな風に私はしつこく付き纏って、それは今に思えば随分恥ずかしい記憶だった。
でも、今なら余計に彼の優しさが良く分かる。
彼は一度も私との決闘を蔑ろにしなかったから。
次に五月。第一の悪魔ベリアルが来て、そして彼は一躍世界で有名になった。
そして十月の魔術武闘祭で見事彼は優勝し、連盟国内で公的に勇者として認められる事になる。
その時くらいからどんどん遠くなっていく彼の背中に私は耐えられなくなってある決意を固めた。
彼に釣り合う様な優しい王女になろうと、私の根底が大きく変わったのは間違いなくこの時だった。
そして、次に私達の関係が大きく変わったのは、その年のクリスマスの後の事だった。
『今年のクリスマスさ、スプレンドーレと合同に出来ないか?』
『…………何、その発想』
聖夜のホワイトクリスマス。
しかしその幸せの中に第二の悪魔が顕現した。
それはユーロの案でたまたまルフレに居合わせた、シーラとネメシスが力を合わせ退ける事となる。
しかし勝ちはしたものの相当な激戦で、ベリアルの時以上に校舎の大半が消し飛んだ。
そんな時私が何をしていたかと言うと、ただ遠くからその戦いを見ていただけである。
魔法が使えないのだからそこは仕方が無かった。
私以外だって、元会長やリグも歯痒くても見ていることしか出来なかった。
けど皆が皆魔法を使えない中で、ユーロも当然使えないのに彼だけは少し違っていた。
彼の未来予知みたいな的確な指示のお陰で被害も随分抑えられてついぞ死人は一人も出なかったのだ。
そういうのは本来私の役目の筈なのに、私は彼の背中に追いつく事も終ぞ出来なかった。
『ちょっと、どこ行くの!?』
『見届ける!! ライラはここにいろ!』
そう言って彼は避難をそうそうに終えた後、身一つで戦場の中へと消えて行った。
私は結局、そんな彼を追いかけられなかった。
死んだと思って、そしたら三人とも無事で帰ってきた。
『皆ーーッ! 勝ったぞーーーッ!!』
『はは……ぶい!』
『やったよ、皆』
たった二人で共に死線を潜ったお陰か、この日から異様に仲良くなったシーラとネメシス。
そしてユーロは見たこと無いくらい喜んでいて、雄叫びまで上げる奇行には彼を知る全員が驚いた。
元々ユーロは基本物静かな方で、あまり感情を表に出さない事で有名だった。
当然ベリアルの時だってそんなでも無かったのに、一体何が彼を駆り立てたのか、そこは未だに謎である。
──そして、翌日私は彼に告白した。
……べつに唐突じゃない。前々から考えてた事だから。
『私のものになりなさい!!』
『………は?』
「〜〜〜〜〜〜ッ!」
思い返すだけで顔から火が出そうだった。
身体が火照ってそれこそ海にでも飛び込みたくなる。
今考えてみればあんなの振られて当たり前だったし、キモイというか恋愛を知らないにも程があった。
しかもあの後数日引きずった気まずい感じは私の数ある黒歴史の中でも一際輝いている。
本当にこればっかりは消したい記憶筆頭だと言えた。
けど人生はやり直せない事くらい、私だって良くわかっている。
「はぁ………………どこが賢者よ……」
そして、その後どうしても諦められなかった私は、最早なりふり構わず何度も彼にアタックした。
そして、最終的に三月の私の誕生日に。
『もう、これで最後にするから……っ』
泣きながら親の前で告白するという、何とも無様な姿を世に晒したのであった。
「……………………………だめ、しにたい」
ここに誰もいなくて本当に助かった。
水着姿で悶えるなんてあらぬ誤解を招きそうである。
やっぱり傷だらけの思い出を振り返るのは、ベッドの上と相場が決まっているものだ。
なら何で今黒歴史を掘り返しているのかなんて、そうだ、彼がいないから死ぬほど退屈なんだった。
つまりこれは全部アイツのせいだった。
……同時に、今感じている幸せも全部アイツのお陰である。
「ライラ」
「────」
私は手すりから離れて身体を起こす。
風で乱れた髪を手ぐしで軽く整えた。
呼ばれただけで高ぶった心を悟られないよう、私は出来るだけ静かに後ろへ振り向いた。
「……遅いわよ」
「悪い」
そこには待ちに待った彼が立っていて、そしてこの瞬間から時間の進みが早くなる。
そして鏡を見なくても直感で理解した。
私は今凄く笑顔で、そして女の顔をしていると思う。
「……? 何かいい事でもあったのか?」
「別に?」
そっか、と彼は一言呟いて、ユーロは私の横に並んで手摺りにもたれかかった。
その顔は至って真剣なものだ。
けど前みたいな根暗な感じはどこにも無い。
ユーロはあの日限定のハイテンションという訳でも無く、第二の悪魔を倒した後から随分明るくなった。
本人曰くこっちが素らしいけど、周りからしてみればそのギャップに慣れるのには時間がかかった。
「にしても良い天気だなぁ……あ、カモメだ」
「……ちょっと、まず言う事がそれかしら?」
「ん?……………ああ、似合ってるよ、水着」
一応彼に見せる為に新調してきたこの水着。
それがカモメに負けていては些か納得がいかないというものである。
何かついでみたいな感じで褒められたけど、まあ今回は特別に許してあげる事にした。
出来ることなら彼の視線を釘付けにしたいけど、残念ながらそんな場合では無いと分かっているから。
それに何ならこの戦いが終わった後にでも、今度こそ二人きりでここに遊びに来ればいい。
「……いよいよね」
「ああ」
──約一週間前、生徒会宛にある一通の手紙が届いた。
しかし差出人も、誰が届けたのかも何故か誰にもわからない。
そしてこれは後から分かった事なのだが、ルフレ以外の主要国、主要施設にも似たものが届いていた。
見たことも無い紋様が封筒に描かれた、公文書にしては嫌に禍々しい黒い便箋。
恐る恐ると言った感じでリグが念の為に、確かその時半泣きになりながら中身を改めていた。
その内容は、
『八月一日ノ正午。エタンセルヲ地獄二落トシマス』
というものだった。
この怪文書が当時至る所に送られて、違うのはそれぞれ送られた場所への宣戦布告だった事だ。
エタンセル、スプレンドーレ、オンブル、その他小国全て。同じ日付と時間での襲撃が記されていた。
既に勇者の名のもとに協定を結んでいたので、その文書が届いて直ぐに各国集まって会議を開いた。
ただのイタズラだと切って捨ててしまうには、あまりに第三の悪魔が引き起こした被害が大きすぎたから。
「……ライラ、すっごい今更なんだけどさ……」
「逃げろ以外なら聞いてあげてもいいけど、何?」
「………………」
するとユーロは口をつぐんだ。
私はシラケた目を向ければ彼は逃げるように顔を背ける。
ここまで来て流石にそれは無いだろうと、それにこの配置もさんざん話して来たことだった。
いつにも増して自信なさげなユーロは、しかしマモンを倒した後から割とずっとこんな感じだった。
まるで何かに追われるかの様に、明るく振舞ってはいてもどこかで酷く怯えている。
そして、そこに来ての第三の悪魔だったから。
自然国家グレンツェンが滅んだ事を、彼はずっと自分のせいだと思い込んでいる。
「……あー、そういえば一個聞いときたい事があったな」
「はぁ…………何かしら」
明らかに彼は話を逸らそうとしていたけど、しかし特別にそれを私は受け入れる。
さっきの内容は到底頷けないけど、それでも彼の気持ちは理解出来たから。
私だって彼を失う何て考えられないし、その可能性がある場所に本当は送りたくない。
逆の立場なら私だってそう言っただろう。
でも、この戦いは負ければどの道だったから。
「ライラっていつ俺を好きになったんだ?」
「……………………はっ!?」
急な角度の質問に私は心臓が飛び出そうになった。
巫山戯ているのかと思いきや、ユーロは至って真剣な表情をしている。
その質問の意図は流石に読めなかったがその場しのぎの適当な問にも何故か思えない。
本当に彼と居るだけでいつも予想外で、さっきまで退屈していた事も私はもう忘れていた。
「な、何でそんな、急に……」
「いーからいーから」
普段ユーロはイチャイチャする事をあまり好まない。
何なら近づきすぎると変な顔をする時だってあるくらいだ。
だからこういった話は私が振る事はあっても彼から始まったのは多分これが初めてだと思う。
「……えっと、……その、い、意識し始めたのは……」
「うん」
「………そう、ね……多分生徒会に入って……しばらくしたあたり、かしら」
まるで拷問でも受けているような気になってきて、攻められる側の気持ちを私は今ようやく理解した。
私が猛アタックして来た一年間、彼はずっとこんな気持ちだったかと考えると死にたくなる。
「……じゃあ、そのくらいの時期なら、俺から告白しても付き合ってくれたか?」
「え? ……ど、どうかしら……完全にその、自覚したのは武闘祭の後だと思うけど……」
「……そうか、武闘祭か」
「………………ユーロ?」
そう呟いた彼の目は、どこか私の知らない世界を見ているような気がした。
その目は少なくとも今の私を見ていない。
そんな気がして、日は暖かいのに少し寒気がした。
「──────来た」
そして、そんな不穏な空気の中で地獄は始まった。
その始まりは、今までに比べて静かなものだった。




