夜の始まり、命の終わり
──五月十八日、午後六時二十分
──魔道国家スプレンドーレ、都市中枢部
明けない夜は無いらしい。
それを最初に誰が言い出したのかは分からない。
私はそんな妄言を宣う輩に目の前のこの光景を見せ付けてやりたかった。
数分前、空は突如闇に覆われて、沈む日と交代に絶望が顔を覗かせた。
次に大地は炎に包まれて、その影から無数の魔獣が押し寄せてきた。
赤と黒とのグラデーションの境目に歴史と文明が掻き消えていく。
それでも、明けない夜は無いらしい。
明けた世界にスプレンドーレは有るのだろうか。
「──ぁぁぁ───」
「──きゃぁぁぁ─」
「……………………」
人々が断末魔を上げながら消耗品の様に死んでいく。
積み上げて来た無数の技術が燃え盛る炎に包まれる。
僅か数分で地獄が押し寄せて、未来ある民から明日を奪って行く。
その炎がこの喉元に迫るのにもそう長く時間はかからないだろう。
この襲撃は流石に誰も予想出来なかった。
それでもこの光景にはどこか既視感の様なものもあった。
一週間前不法入国し問題を起こした、エタンセルから来た三人組が言っていた事。
それらを妄言と吐き捨てた事自体は立場がある以上悔いは無い。
それでもこの光景を目の前にして、どうしても“もしも”を考えてしまった。
「国王様! こちらに、避難を──!」
「………………」
若い側近が慌てて駆け寄って来る。
その言葉に私は手だけで静止をかけた。
一度深呼吸してから地獄から目を離し、短い現実逃避から目を覚ます。
「……出動命令は既に出ているな」
「はっ!」
「更に全武装の許可を出せ」
「全部……ですか?」
こうして話している間も爆発が起き、室内を夕暮れのように染め上げる。
最早周辺被害など気にしていても仕方のない域に達していた。
事態が一刻を争う事は多分五歳の末っ子でも理解出来る。
私は静かに目を伏せて、もう一度側近に強く頷いて見せた。
「……はっ!」
走り去る姿を見送って、そして先程までと同じように一人になった。
項垂れながら窓の縁に手をかける。
他にやるべき事が無いかを考えた。
逃げろと言うが、どこに逃げろというのか。国を失えば私に帰る場所など無い。
それに恐らく来たるは魔王の到来。勝つ為に必要な物はかねてから揃えてきた。
……つもりだった。
「────」
私はこれでも六十年生きて、色々なものを見てきたつもりだった。
若い頃は魔法を自在に操り、魔力が無くなれば魔道の最先端を走ってきた。
エタンセルにグレンツェン、オンブルにその他の小国にも脚を運んだ。
吸収できるものは全て率先して学び、惜しむことなくスプレンドーレに還元してきた。
「…………ぁあ……」
だから世の中の限界や、人の行き着く最高点等は良く理解している。
例えば魔力の総量。他は魔道具に使われる素材が抱える限界等。
だから、私は目の前のその光景にむしろ目を奪われ声を漏らした。
城下のシュトラール魔道学園が、一瞬にして闇に呑まれて姿を消した。
「………………終わり、か」
国を見渡せる城の部屋の中で、誰も居ない事を良いことにそう呟いた。
圧倒的な力を前にして、私はその存在に神を幻視してしまった。
国王がこんな体たらくでは今戦っている兵たちも浮かばれないだろう。
こんな弱音は国民には死んででも最後まで見せられない。
そんな意地に何か意味があるのかは、私に答えを出す事は出来なかったが。
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「──急げ! 急げ!」
「第一班から第三班準備完了しました!」
「第四班から第六班同じく!」
「報告不要! これは演習では無い!! 行けるものからすぐに出ろ!!」
慌ただしく武装した兵たちが駆け回る。
怒号が飛び交い焦りと緊張が張り詰めている。
それでも染み付いた日々の訓練の結晶が、止まりそうになる両手足を無意識に動かした。
ここはスプレンドーレの兵隊が集まる国衛魔道隊詰所の本部。
兵士たちの中でもエリートが集まる、都市中枢に最も近い戦争の為の組織。
魔道は魔力を失った人達でも、等しく戦う力を得ることが出来るまさに魔法の道具。
だからこそここスプレンドーレでは、他国と比べて兵力の数に限りがなかった。
「国王から伝令! 国王から伝令!」
「何だ!!」
「全武装を許可との事! 繰り返します、全武装を許可との事!!」
「──聞いたか! 直ぐに動け!! 魔獣共を根絶やしにしろ!!」
税金泥棒と日々揶揄され続け、それにもめげず日々血のにじむ努力を重ねてきた。
そしてここにはスプレンドーレの叡智の結晶が全て惜しみなく詰め込まれている。
これで魔王に負ける様なら人類に勝ち目は無い程の自負と積み重ねがあった。
周辺被害が気になる武装も、今国のトップから直接許しを頂いた。
「学園との連絡は」
「それが……」
「何だ」
そんな中二人の男が中央の机で、顔を突合せ作戦を細かく精査していた。
ここの本部長である壮年の男性と、副本部長の五十台前半の男性である。
彼ら含め防衛戦の経験こそ無いものの、魔獣との実践は幾らでも積んできた。
それにこれほどの規模の戦闘ともなれば、魔法を使える学生達も直ぐに出張ってくれる。
「狙撃兵の報告で、学園がどこにも見当たらないと」
「何……?」
しかし副本部長から語られたその言葉に、本部長は一瞬思考を停止させた。
未だ外の被害状況は詳しく確認出来ず、しかし想像を絶する答えに耳を疑う。
「……シュトラール魔道学園は事実上壊滅したと見た方が宜しいかと」
「な……」
今国中に配備された十万弱の兵と、学園の生徒が戦えば恐らく引き分ける。
それ程の力を彼らは素で行使できる。戦う前から半身を失った様な気分だった。
「緊急事態発生! 緊急事態発生!」
「……今度はなんだ!」
「魔道具の全てが機能停止! 原因不明、魔銃すら打てません!!」
「──ガァァァアアア!!」
魔銃を雑に抱えた兵士が焦った様子で部屋に飛び込んで来た。
その顔は恐怖に塗られていて、その後に続くように無数の魔獣がなだれ込んで来る。
隊列を乱した能無しの馬鹿に、しかし何か言う前にその兵士は魔獣に食われて死んだ。
前線の中でも補給地点になるこの場所が、一瞬にして魔獣にとっての補給地点となった。
「バリケード突──うぁぁあああ゛あ゛!!」
「魔獣が入ってきたぞ!! 作業を止めて迎撃体制!! 囲め!!」
なだれ込んでくる無数かつ多種の魔獣。
魔獣の討伐経験が無いものはこの本部にはただ一人もいない。
いざ迅速に囲んで銃を向ければ、しかし死んだ兵の言う通り魔道具が全く使えなかった。
本部長も腰の拳銃を確認して、動かない事実に震えて戦慄する。
魔獣の身体には変な紋様が浮かんでいて、それを見るだけで気分が悪くなって来た。
「本部長──」
「…………」
外に蔓延る魔獣の数は、今ここにいる数の数倍では恐らく効かないだろう。
脳裏にあっさりと敗北が過ぎって、思わず口を覆って吐き気を堪えた。
今まで積上げたものが簡単に崩れ去り、目の前が急に真っ暗になっていく感覚。
国が、仲間が、国民が。
何者かの手によって弄ばれていた。
「グルル」
魔獣の声がすぐ側で聞こえた。
真っ青な顔をゆっくりとあげる。
いつの間にか静かになっていた、副長の腕がその口からはみ出ていた。
私はそれを見て、頭の中の何か大事なものが壊れる音をハッキリと聞いた。
こんなに自分は弱かったのかと、初めて自覚した時にはもう腹の中だった。
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「……はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……」
アテルとはぐれた。
おっちゃんが死んだ。
右を見ても左を見ても、赤と黒しか見当たらなかった。
血の水たまりを勢いよく跳ねる。
転がる死体に躓かない様飛び跳ねた。
誰かを助ける余裕何て微塵も無い。
私は街の中を一人全速で駆け抜けていた。
『みーっけ』
「あっ」
得体の知れない、空飛ぶ何か。
そいつの気は禍々しくてとても直視すら出来なかった。
まるで死ぬ直前の人間の憎悪を詰め込んだ、見るだけで精神が歪む醜い化け物。
背後からソイツの声がかけられて、私は無様に逃げ足をただ早めた。
何故かそいつは私に酷く執着していて、逃げても逃げても何処までも追ってくる。
「──ガアアアアア!!」
「……なッ──!?」
すると目の前に魔獣が急に飛び込んで来て、私はそれを慌てて蹴りつけた。
気を練った足をそのまま本気で放ってかつ急所を捉えた重い一撃。
それでようやく魔獣は倒れ、開いた道を更に突き進む。
明らかに魔獣は強化されていて、一匹倒すだけで相当の気力が必要だった。
『んー……オマエ、何か弱くない?』
「…………ッ!!」
そして少しでも気を緩めると、直ぐに後ろから魔法が飛んでくる。
真っ黒に塗り固められた触れただけで駄目と分かる異質な魔法。
それでも最初の頃と比べればまだ値踏みするような緩い弾幕になっていた。
時間が経つにつれ段々と探るような、遊ぶような軌道に変わっていく。
「……クソ……ッ!!」
当然出来ることなら反撃したい。
コイツはおっちゃんを殺した元凶である。
それに私はこの時の為の勇者候補で、今一番戦わなくちゃいけない立場だった。
でも、
『──ばぁ』
「きゃあ!?」
路地裏に入って一度巻こうとすれば、ソイツが目の前に現れて慌てて急ブレーキをかける。
しかし靴が血で濡れていた様で、滑って尻もちを着いてしまった。
『はは、何してんの?』
完全に弄ばれていた。
しかしそれだけの実力差がある事もわかっていた。
ユーロ達はなんでこんな私を、こんな弱い私の力を欲しがったのだろうか。
『なぁお前、オイラの事覚えてる?』
「………、…はぁッ!?」
急にかけられた訳の分からない質問に、私は荒らげた声をあげるしか無かった。
当然こんな奴知らないし、イメチェンなら趣味が悪いと言う他ない。
『……オイラだけ? ……本当に? 』
疑り深く何かを探る、軽い口調のまるでキメラみたいな化け物。
色んな動物を混ぜ合わせたような、その姿には生命の冒涜しか感じなかった。
「…………ッ」
私は最初そいつの事を、まさか魔王が来たのかと一瞬思った。
しかしユーロ達の発言を思い出して、何となく悪魔というものなのだろうと当たりをつけた。
しかし目の前の存在が、そういうことを聞いているのではない気はした。
胸の内を燻る変な感覚。初対面なのに私を知っている様な言動を見せたユーロの存在。
「……、知ってる、訳──」
『ワープホール』
しかしソイツは話は振るくせに、一切の時間的容赦は与えてくれなかった。
私の周りに黒い穴が空いて、無数の魔獣が落ちるように飛び込んでくる。
「ぐっ……!」
それらを慌てて飛んで避けながら、更にビルの壁を蹴って屋上へと飛び出した。
「──な」
するとまた目の前に悪魔が先回りしていて、私は闇と共に地上に叩き落とされた。
「────がはっ」
『ははっ、弱い弱い!』
最後の一撃。見間違いでなければ、奴は詠唱をしたようには見えなかった。
私は直ぐに起き上がろうとして、しかしそれよりも早く魔獣に囲まれた。
「いっ゛……!」
そして腕を、肩を、足を噛まれて激痛が走って目がチカチカと明滅する。
私はなりふり構わず気を放出して、ちぎれそうな痛みの中体を無理やり回した。
「……らぁッ!!」
まとわりつく魔獣をとっぱらう。
そして直ぐに動き出そうと足に力を込めた。
血が流れて傷口がひりついて、直ぐに治療しなければ雑菌で膿みそうだった。
『オカワリだよ』
しかし簡単に逃げられるはずも無く、追加で黒い闇から魔獣が溢れ出てくる。
先程から本能が警鐘を鳴らし続けていた。
私は多分、今日ここで死ぬことになると。
『なーんだ、こんなんなら直接勇者を殺しに行けばよかった』
「…………何を──」
雑談の様な言葉とは裏腹に、私の喉元に魔法が突きつけられた。
そして更に囲うように魔法が展開されて、簡単に一歩も身動きが取れなくなってしまう。
勝てないどころの話じゃなかった。
さっきからまるで駆られる兎が脳裏の片隅にいた。
仲良くしてくれたおっちゃんを目の前で殺されて、それでも一撃報いる事すら出来やしない。
「……何なのよ、アンタは……ッ!」
『はは! オイラは第二の悪魔、強欲のマモンだよ!』
フワフワと宙に浮いて、楽しそうにクルクルと回って笑うマモン。
どうしてこの状況で笑ってられるのか。根本から違う存在だと認識させられる。
「悪魔…………ッ」
『そうだよ。あーあ、それにしても残念。こんなに弱いならアイツに借りなんて作らなきゃ良かった』
その醜悪な笑みを浮かべる悪魔の顔に、私はどうしようもない詰みを自覚した。
ココ最近、本当に私は何をやっても上手くいかなかった。
最後までこんな終わりだなんて、むしろ滑稽すぎて笑いまで込み上げてくる。
何て、そんなのはただの強がりで、今にも泣いて逃げ出してしまいたかった。
『まぁいいや! 今はムカつくオマエで遊ぼっと!』
すると私を取り巻いていた魔法が消えて、今度は黒い縄に身体を拘束された。
悪魔はいよいよ私で遊び始めた。
これ程の理不尽を浴びた事は初めてだった。
最初は足。右足の甲を鋭利な闇が貫いて、穴を開けた後塵になって魔法だけが消えた。
すると大きな穴だけがそこに残されて、とめどない血と同時に喉から悲鳴が漏れ出る。
次は手。そして肩、脛、肘と続いた。端から、死なない程度に段々内側へと命を削られていく。
「……いぃ゛……ッ、あっ、……ああ゛!!」
私は必死で泣き叫ぶのを堪えた。
泣いたってコイツが喜ぶだけだから。
『もっと叫べよ!』
「──か、は……」
腹に大きな穴が空けられた。
マモンは知らないだろうが、それは私にとって命より致命的だった。
気を練る元となる丹田がある位置。
この時点で私はもう、殆ど死んだも同然だった。
「……………………なん、で……」
項垂れて、すると無意識に喉がそう呟いた。
目の端から一滴の涙がこぼれ落ちる。
なんで私がこんな目に合わなければ行けないのだろうか。
私がなにか悪いことをして、その結果ならまだ幾らか納得出来た。
……ああ、でもそうか。
そういえば私は何事にもどっちつかずだった。
勇者候補として専念する訳でも無く、かと言ってそれを否定する訳でもなく。
アテルの味方をせず、かと言ってユーロ達の肩も持たず。
宙ぶらりんを何も考えず貫いた結果、こうして私は一人になっていた。
「…………うぅ……ッ、…………ぅぐ……」
誰の見方もしない奴が、誰かに味方になってもらえるわけが無い。
最後を誰にも看取ってもらえない事すら、考えれば納得の結果だった。
『んー、もういいや。オマエつまんないし』
『オマエの次はあのいけ好かない剣士の番だよ』
最後に、私に何か少しでもできることは残されて居るのだろうかと考える。
何も無かった。気ももう使えない。魔法に関しては平凡より大したこともない。
『シャープダーク』
ようやく詠唱らしい詠唱をしたマモンが、目の前に黒い塊を生み出した。
今までのどれよりも禍々しくて、何となく終わらせる気なんだと私は思った。
けど、そんなのほとんど関係なくて、ほっといても私は後数分で死ぬだろう。
つまんない走馬灯が駆け巡って、私は最後にこの世に残す言葉を考えた。
「──死にだぐない゛……ッ!」
『残念でした!』
「──え」
命を刈りとるその魔法は、急に目の前に現れたアテルを貫いた。




