代償
「メイ〜〜!!」
保健室。
ミラの説明会も凡そ終わって、時刻は大体午後三時頃。
今は先輩と後輩の雑談会が開かれていて、室内には緩い空気が流れていた。
室内で幾つかの小さなグループが作られ、お菓子や紅茶を片手に少女達が談笑している。
回復系統はそもそも女性比率が高く、人数も少ない為静かな百合が広がっていた。
そんな中、メイとノノアは二人揃って、メイの姉であるルイ・ピックと一緒にいた。
ノノアにとってもこの一月良くしてくれて、前の世界でも面倒を見てくれた良い先輩である。
「お姉ちゃん! 苦しいよ!」
「えへへ、ちょっとだけ〜」
ルイとメイは双子かと思う程よく似ていて、そんは二人が抱き合う姿はとても絵になった。
ノノアはそんな二人を羨ましそうに眺めて、何処か入れない空気にもじもじとしている。
そんなノノアを見て、ルイは思う。彼女は当然ノノアの病気の事を知っていた。
そして、ノノアを追いやった勇者の事も。
ルイは優しく笑って、ノノアの事も抱きしめた。
「ノノアちゃん、元気?」
「ん………あんまり、です」
お互い椅子に座った状態で、ノノアを抱き締めれば彼女もルイを抱きしめ返す。
これも一種の治療法であり、ルイはノノアに安心を与える為に色々試していた。
当然、それは医師として接しているだけでは無い。
妹と仲良くしてくれているこの子を、優しいこの子を心から助けてあげたいと思っていた。
けど、それはずっと奮わなかった。
妹からも色々と相談を受けて、それでも尚彼女の顔は日に日に弱って行った。
なのに、彼女は無理して大丈夫だと言う。
それがルイにとっては何よりつらかった。
しかし、急に素直になりだしたノノアの変化に、ルイは驚いてその目を真っ直ぐ見た。
「そ、そっか……あ、そうだ。今日から正式に保健委員に入ってもらうからさ!」
「は、はい」
「……はいこれ! 保健委員の腕章! 二人ともつけてつけて!」
白い新品の腕章を渡して、ノノアは懐かしいそれを両手で受け取った。
そこには見慣れた汚れや傷は無く、ノノアはそれを無性に寂しく感じた。
けれど、そんな我儘を言ったところで、何にもならない事はノノアにも分かった。
手こずって姉に付けてもらっているメイを横目に、ノノアは手馴れたように左の二の腕付近に付けた。
「えへへ、どう! お姉ちゃん!」
「よく似合ってる! ノノアちゃんも!」
「……はい」
彼も昔、そう言ってくれたと、ノノアは自分の腕章をそっと撫でた。
これは自分の居場所の証明である。
私の力は助ける為のもので、決して人を傷つけるものでは無いと。
その力も、ノノアは新たに手に入れた。
今ならあの時みたいな、欠損だって治す事が出来ると思った。
今までより、もっとユーロの役に立てる。
しかしもう彼は隣には居なく、その資格も私にはない。
「………………」
「うぇぇ!? ど、どうしたの!?」
「だ、大丈夫? わ、腕章アレルギーとか……」
「お姉ちゃんそんな訳無いでしょ!?」
ノノアはまた感情が制御出来ずに泣いてしまい、その事を本当に申し訳なく思った。
こんなに面倒な女、それは彼にだって捨てられるだろう。
迷惑をかける度余計に泣けてきて、どうにも抜け出せない悪循環だった。
彼は今、どうしているのだろうかと考える。
ふとした時に、いつも彼が脳裏をよぎった。
それが自分を追い詰めると自覚しているのに、彼はまるで麻薬みたいだとノノアは思った。
そして王女の事を考えれば考える程に、胸の内に黒いものが燻っていく。
「……ノノアちゃん、おかわりいる?」
「……はい」
「あ、私やるよ!」
ルイはノノアに紅茶のおかわりを用意しようとして、しかしそれを遮ってメイが走り出した。
本当はメイが傍にいた方がいいと思ったのだが、もう行ってしまったのは仕方がなかった。
ルイは浮かした腰を椅子に戻して、そしてどうしたものかと考える。
今まで彼女の強い要望で、保健委員を手伝って貰ってきた。
しかし、これから本腰を入れるとなると、この様子では休養を優先せざるを得ない。
「ノノアちゃん、もし辛い事があったら直ぐに私の所に来ていいからね」
ルイはノノアの手を握って、するとノノアは赤子のようにそれを握り返してくる。
ルイにとってもノノアは二人目の妹の様で、思わず何でもしてあげたくなってしまう。
でも、してあげたい事と出来る事は、圧倒的に違うのだ。
本気で救いたいからこそ、今後彼女の事を思って厳しく当たる事も必要だと思った。
渡しはしたが、その腕章の出番はもう少し後かもしれないだろう。
何て考えていると、保健室の扉が空いて、ルイは説明会の第二陣かと思ってそちらを見た。
「……失礼します……」
「え……?」
その声に一番に反応したのは、他でもないノノアだった。
扉に背を向けていたノノアがその声で振り返り、その入室してきた人物を真っ直ぐと見つめた。
そこに居たのは、今この学園で最も有名な男だった。
ユーロ・リフレイン。
彼は何故か低姿勢で扉に手をかけていた。
そして、ノノアを見つけると笑顔を浮かべ、迷いなく中へと入って来る。
「いたいた」
「な、何で……?」
勇者が保健委員の見学に来た。
客観的に見ればそれだけの事で、しかし当然彼は視線を集めた。
室内に異様な空気が広がって、それは嫌悪だったり尊敬だったり人によって大きく変わる。
そして、ノノアはその目に驚きと、少しの期待を宿していた。
「遊びに来たんだ」
「え、ふ、風紀委員は……?」
「終わったよ。ほら」
そう言ってユーロは左腕の黒い腕章を見せて、それからはい、とノノアに袋を手渡した。
ノノアはそれをポカンとした顔で受け取って、中を開けると購買のクッキーとドーナツが入っていた。
「ノノアも保健委員入れたんだな」
「う、うん……うちは、審査とか無いし……」
「まあでも、おめでとう。腕章があるとやっぱりしっくりくるよな。よく似合ってるよ」
ユーロはそう言ってノノアの髪を撫でる。
ノノアは一瞬固まって、しかしされるままに気持ち良さそうに目を細めた。
そんな光景を目の前で見せられ、ルイは宇宙人でも見るような目を勇者に向ける。
ルイはメイと同じ部屋に住んでいる為、昨日の顛末は一応メイから聞いていた。
だからと言って、王女が居る癖に何を平気な顔で女の髪を撫でているのだろうと。
そんなルイはさておいて。
ノノアは、やっぱりどうしようもないくらいユーロが好きだと実感する。
何で態々会いに来てくれたのか分からなかった。
それでも、彼が隣にいて、自分に言葉をかけてくれるだけで胸の穴が埋まっていく。
「あ、あの!」
「うん?」
そんな二人を遮って、ユーロに声を掛けたのは名前も知らない新入生の子。
その子は目を輝かせながら、そばに居たもう一人に必至で服を掴まれていた。
「ゆ、勇者様ですよね! ファンです、握手して下さい!」
「──やめなって馬鹿! 食い物にされるだけだから!」
来てそうそう、すぐに「あー!」と言いながら引きずられて去っていく女の子。
ユーロはそれを見て、とても複雑な気持ちでほろ苦い涙を一滴流した。
考えれば彼の悪い評判は、殆どノノアが作り出したものだった。
ノノアは一人そう思って、彼が嫌われている現実に罪悪感が湧き出てくる。
「……ユーロ」
「どうした?」
「その、ライラさんは……」
そして、ノノアは肝心な事を切り出した。
今この場にライラは居なく、彼はどうも一人で来たみたいだった。
それがやっぱり何処か不自然に思えて、今どういう状況なのかと不思議に思った。
また期待してしまいそうな自分が怖かった。
駄目だと分かっているのに、離れたくない気持ちが勝ってしまう。
それでも、次々に産まれてくる不安は、ユーロの顔を見るだけで掻き消えていく。
「あー、どっか行ったよ」
「ど、どっか?」
「うん。どっか」
ユーロはあっけらかんとそう言ったが、その実普通に嘘である。
ユーロは先程の昼食での出来事を後悔して、風紀委員での用事が終わり次第彼女に頭を下げてここに来た。
ライラも普通なら許す筈はないが、ノノアの状況を加味して送り出してくれた。
今頃彼女は食堂で、購買で買ったドーナツを一人頬張っていると思う。
「おまた──ぅああ!?」
と、そこに三つのカップを持ったメイが、ユーロの居るこの場に帰ってきた。
そして勇者の顔を見るなり驚いて、カップをひっくり返して紅茶が舞う。
別に狙った訳では無かったが、それら全てがユーロに降り注いだ。
一瞬ユーロは被った方がいいかと考えたが、普通に勿体ないので風魔法を展開した。
飛び出した液体はカップに戻って、そのカップもメイの持つお盆へと帰っていった。
本気でメイはわざとでは無かったのだが、無事なカップを見て何故か無性に残念に思う。
「な、何で君がここに居るの!?」
「いや、ちょっと遊びに来て……」
「あそ……ノノアちゃんで遊ぶですって!?」
「それは曲解だろ!」
メイは謝るよりユーロに食ってかかって、ユーロは勘弁してくれと声を荒らげた。
ノノアはそんな二人の様子を見て、ケンカはやめて欲しいとオロオロとしている。
そしてルイはそんな三人を見て、内心心がぐちゃぐちゃだった。
ノノアが笑ってるのもそう。メイが人に対して気を使っていないのもそう。
そして彼女は、まだ一言も話せずにいた。
「うるさい馬鹿共」
「ぐぇ」
「い、委員長!?」
そんなルイの胸中を救ったのは、この委員会の長であるミラだった。
彼女は勇者の首根っこを捕まえていて、その気安そうな関係にルイに再び激震が走る。
「ウチの期待の新人にちょっかい掛けないで頂戴」
「ちょ、待って待って」
ミラはそのまま掴んだ首を引っ張りあげて、ユーロは呻きながら無理やり立たされた。
抵抗すれば解けはするだろうが、後の折檻を考えれば抵抗などあって無い様なものだった。
そして、ノノアはかけられた期待という言葉に、呆けてユーロを掴むミラを見た。
期待なんて、あるだけ重荷としか思わなかった。
それなのに、心は無意識に喜んでいる。
「凄いなノノア。期待の新人だってさ」
「ぁ……」
「ほら、アンタは特別に、二人できりで説明会してあげるからこっち来なさい」
「え? いや、俺は遊びに来ただけで──」
しかし、ズルズルと引きずられていく勇者に、皆が視線を向けるが誰も声はかけられなかった。
ルイは結局、終始何も出来ず、二人が扉の奥に消えてようやく彼女は動き出せた。
そして嵐のように去った勇者に嫌悪を向けるべきか、いくら何でも人に対して失礼な妹を叱るべきか迷った。
そして、まずはノノアの事だろうと、ルイは一度唾を飲み込んでから振り返った。
「な、何だったの……あ、ノノアちゃ──」
「んふふ」
ノノアは、笑っていた。
まるで抑えきれないと言った風に、手で顔を覆って笑顔を隠していた。
今まで見てきた中で、一番嬉しそうだった。
私たちでは決して出す事が出来なかった幸せの顔。
ルイはそれを悔しく思うと同時に、一応やるべき事はやった勇者に感謝する。
不純な関係ではあると思うが、それでもノノアが笑ってくれて嬉しくない訳が無い。
複雑な胸中を内包しながら、ルイは扉の先をため息をついて見つめた。
そして、ルイは冷静になって考える。何故あの二人は二人きりになる必要があるのかと。
「んふふっ」
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「ほら、寝なさい」
「ぐえっ」
ベッドの上に放り投げられる。
俺はその野蛮な扱いに抗議の目を向けて、するとそれ以上の軽蔑の目が俺に向けられた。
どうもミラは勘違いしている様だが、男は皆そんな目を向けられて喜ぶ訳では無い。
俺は何も悪い事をした自覚は無かったが、今は大人しくベッドに横たわった。
すると、上着を雑にまくり挙げられ、心臓付近にミラの手が添えられた。
容赦のないひんやりとした感覚は、実の所これで二度目である。
「……もう、使ってないわよね?」
「はい」
ミラは俺の胸に手を添えて、一言「エグザム」と回復系統の魔法唱えた。
するとミラは一瞬険しい顔を浮かべて、そしてもう分かったと直ぐに手を離す。
遊びに来たのは本当だったが、これも一応ひとつの目的ではある。
俺は捲られた上着を下に降ろして、できる限り皺が無いよう手で伸ばした。
「──変わらず、四年よ」
「はい」
四年。その数字の意味を知っているのは、この世界で今の所ミラ委員長と俺だけである。
ライラにもまだ伝えていないし、正直伝えるのが怖すぎる内容だった。
俺の、寿命。ライフコンバートを使った命の代償。
これはもう今更どうにもできなくて、決まりきった約束のバッドエンドと言えた。
「……彼女にはもう言ったの?」
「いえ」
「そ。気持ちはわかるけど、医者として早い方が良いとオススメしておくわ」
そんな事は俺にもわかっていて、しかし今はまだ駄目だと何となく察している。
因みにこの秘密の検査はミラから持ちかけられたもので、言ってしまえば監視の様なものだった。
身体検査のエグザム自体は俺にも使えるし、バレてしまったのは単に彼女が優秀だからと言えた。
ただ、彼女は他には黙ってくれている。しかし、度々こうして諭しては来た。
「四年かぁ……」
「無茶しすぎよ」
「……仕方なかった……と思います」
あそこでやるべき事をやらなければ、どの道ベリアル戦で全滅していた。
とはいえ四年という月日は、長い様であまりに短かかった。
覚悟はとうにしていたとはいえ、こうして突き付けられると来るものがある。
ノノアの固有能力「リ・バック」でも、最大で二十四時間しか状態を戻せない事が判明していた。
「どうするの、色々と」
「……どうしたら、いいですかね」
俺は天井を仰いで、その後窓の外の空を眺めた。
ミラは机に腰掛けて、腕を組んで鋭く俺を見てくる。
「取り敢えず、その気もないのに女の子に期待させるのは駄目ね」
それは、ノノアの事を言っているのだろう。
しかしそんな事を言われても、じゃあ一体どうしろと言うのだと思った。
俺だって不純な事は分かっていてやっている。それでも、俺の身体はひとつしかないのだ。
「じゃあ、どうしたらいいんですか」
「………」
「ライラを振れば良いんですか? それともノノアを見捨てたらいいんですか?」
ミラ相手に感情的にこんな事を言っても、何も変わらない事だけは俺にも分かる。
それでも、俺だっていっぱいいっぱいで、もう何が何だか分からなくなってきているのだ。
ライラを大切に出来ているのか分からない。
今からノノアを救えるのかも分からない。
分からない。それでも俺はやるしかないのだ。
それが俺の望む世界だから。
「……そうね、さっきのは少し意地悪だったわ」
ミラの謝罪も、本来はする必要が無い。
むしろ謝るべきは俺で、それが分かっているのに口から出なかった。
俺はベッドに倒れ込んで、するとミラは腰を浮かして扉へと歩き出した。
この密会もこれで終わり。ある種、俺のカウンセリングも兼ねている気がした。
「悔いは無いように。……あんまり女の子を泣かせちゃ駄目よ」
それだけ言って、彼女は部屋を出ていった。
俺は考えがぐるぐると回って、今はどうしようも無いと結論に至る。
四年で死ぬ。それ迄に魔王が来るのかすら分からない。
出来ること、やらなければいけないこと。
悔いは無いように。
悔いは無いように。
ミラが出ていった扉の陰で、ルイが俯きながら口を手で覆っていた。




