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億回死せるは、偽勇者〜バッドエンドの集束地点〜  作者: つきらゆ
バッドエンドの集束地点
16/83

勇者監禁事件(後編)




 

 嗅ぎなれない薬の様な香りがして、不快感に襲われ目を覚ました。

 俺はゆっくりと目を開けて、そして明かりのついていない部屋を見渡した。

 カーテンも締め切られていて、真っ暗で何も見えず時間すらも分からない。

 俺は立ち上がろうと身体に力を入れて、しかし何故か微動だにしなかった。


 何かでベッドに縛られていた。

 訳が分からず、少し頭も痛かった。

 ここに至るまでの経緯を思い出して、するとこれが誰の仕業なのか直ぐに思い至った。


「ノノア…………?」


 返事は無い。部屋には誰も居ない様だった。

 慣れてきた夜目に目を凝らすと、ここが見覚えのある部屋だと直ぐに分かった。 

 ほぼ入学初日故にまだ質素ではあるが、見覚えのあるぬいぐるみが一つ棚の上に置かれていた。

 ここはノノアの寮の部屋だった。何度も来たことがあるこの部屋に、しかし抱く感情は恐怖しか無かった。

 

「……………ッ! クソ……!」


 再度身体が動かない事を確認して、そして魔力を練るが上手くいかない。

 ろくに回復していない魔力からして、恐らくそこまで時間は経っている訳では無かった。


 どうするべきか。これから何が起こるのか。

 なりふり構わなければこの拘束を解くことは出来た。

 しかしそれには命を代償にしてしまう。

 だから、むしろ落ち着いて話す良い機会だと俺は思う事にした。


「──あ、起きた?」

「……、ノノアか……?」


 話すべき事を纏めていると、入口が開いてノノアが入って来た。

 そして彼女と目が合って、彼女はとても良い笑顔を浮かべていた。

 その顔はとても可愛らしくて、眠る前の狂気なんてまるで感じられなかった。

 その事に俺は僅かばかりの希望を抱く。これはきっと何かの勘違いなんだと。


「ノノ──」

「ユーロ、二人で逃げよう?」


 しかし、それを告げる彼女の笑顔は急になりを潜めて無表情になった。

 拘束された状態の俺には何も触れず、やはり彼女の仕業なんだと理解させられた。

 あまりの差に俺は額に汗を浮かべた。

 明らかに正常でない様子の彼女に、俺はかける言葉を迷ってしまう。


「マモンが来たら皆死んじゃう……だから逃げよう?」

「…………」


 けど、その話を内容を聞いて直ぐに賛同出来ないと理解した。

 逃げるという選択肢は何処にも無いのだ。

 その考えは、確か彼女にも俺は伝えた筈だった。


「頷いてくれたら外してあげる」

「……ノノア、聞いてくれ」

 

 俺は唯一動く首をノノアへと向けて、彼女の目を真っ直ぐ見つめ返した。

 その目には俺だけが映っていた。

 対面しているのだから当然だが、何故か俺は不気味に感じてしまう。


「俺は何度も世界──」

「どうでもいいよ」


 彼女は聞く耳を持たなかった。

 あまりに早い段階で言葉を遮られる。

 そして彼女はどさどさと、服の中から色んなものを地面に落とす。

 注射、薬、変な色の飲料。他にも見たことの無い器具が幾つもあった。


「大好きだけど、ユーロはうそつきだから」


 それで何をするのかなんて、野暮な言葉は喉から出ない。

 怒ってるとか、傷ついてるとか、そんな次元の話じゃないように見えた。

 こんな言葉は彼女に使いたくなかったが、明らかに狂ってしまっている。

 話の通じる相手じゃない。だからと言って出来ることは何もなかった。

 

「これは頭がへんになる薬。これは真っ白になる薬」

「ノノア待て、話を──」

「これは魔力が練れなくなる薬。これはお仕置様の注射」


 つらつらと口を動かす彼女の目からは、ライラ以上の本気度が感じられた。

 逃げなければいけないと強く思う。

 しかし彼女は魔力を練れなくする薬を手に取って、俺へと一歩近付いた。


「これ以上は──」

「なんで」


 俺の言葉は届かない。

 何かを伝えようとする度にすぐ遮られる。

 彼女は既に覚悟を決めていたのだ。

 対話なんて初めから用意されて居なかった。


「私はあの時逃げようって言ったのに。

 次は幸せにするって言った癖に」


 ブツブツと何かを呟きながら、彼女は手に持った瓶の蓋を取り外した。

 そして、彼女はその薬を一息に呷る。

 俺はその意味不明な奇行に目を見開いた。


「──ンッ!?」

「………………」


 そして馬鹿みたいに呆けた俺に、彼女の唇が押し付けられた。

 頭を両手で固定されて、液状の薬が無理やり流し込まれる。


 しかし、俺はここでようやく覚悟を決めた。

 薬が回る前にライフコンバートを使おうと決意したのだ。

 今ならまだギリギリ間に合う筈だった。

 そう考えた俺の太ももに何か細いものが突き刺さった。


「──い゛ッ!?」

「変な事しないで」


 彼女は俺のこの切り札を知らない。

 つまり俺の表情だけで何かをすると読み取ったという事だった。

 俺は今彼女に後手に回り続けていた。

 ベリアル以上に追い詰められて、段々と詰みが見えて来る。


「大丈夫だよ。これからは全部私がしてあげるから」

「ノノア……何で……ッ」

「何でって……何が何でなの?」



「約束を破るなんて許すわけないじゃん」



 抑揚もなく、感情も無く。

 俺は彼女の本質を今理解した。


 人にしか効かない魔力を阻害する成分が回って、最後の切り札も音を立てて崩れた。

 無理に出力をあげれば多分脱出は出来る。

 けど、それをすれば命が先に尽きると思った。


「ユーロ」


 彼女はこれから俺をどうするのだろうか。

 分からないが、俺を薬漬けにする事は確かだった。

 しかし、彼女は知らないだろうけどどこに逃げたって悪魔は来るのだ。

 いずれは破滅に至る先延ばしの逃避でしかない。


 彼女は世界の事を何も知らない。

 知る前に話すら聞こうとしなかった。

 だから、俺はここまでだろうと思った。

 俺は目を閉じて、彼女にその言葉を告げた。



「──嫌いだ」


「…………………………え?」



 彼女は一時停止でもかけたみたいに、俺の言葉にピタリと止まった。

 半分嘘で半分本心。

 しかし何処までも恣意的に生きるならもうなりふり構ってられなかった。


「約束を破ったのは俺が悪い……けど、事情も聞かずにこんな事をする奴を俺は好きになれない」


 やりたい事、やらなきゃいけないこと。

 彼女と共にいる事でそれらが叶わないなら、俺は彼女よりも世界を選ぶ。

 それはずっと前に選んだ選択だった。

 だから、今更ここで覆す訳にはいかない。


「ノノア、解いてくれ」

「……ぃ…………ぃや…………っ」


 彼女の瞳が左右に揺れて、激しい動揺が伝わった。

 だんだん過呼吸になり始め、まるで何かに取り憑かれた様ですらあった。


「なんで……なんでなんでなんでなんでなんでっ」


「なんでそんな事言うの……ッ!?」

「ぐ…………ッ!?」


 彼女は動けない俺の上に乗って、そして俺の首に手をかける。

 その手はどんどんきつく絞られて、容赦が無いことをすぐに分からせた。

 明らかに異常だった。しかし説得しようにももう一言も話せない。

 魔力も練れず、身動きも出来ない。

 俺はこの周回の選択肢を完全に間違えてしまった。


「うそつきッ! うそつきッ!! うそつきッ!!!」

「がっ……ッかはッ……ッ!」


 もしかするとこの結末は最初から決まっていたのかもしれない。

 一人の女を裏切った時点で、俺という屑が辿る運命が。

 けれど、最後まで心だけは諦められなかった。

 薄れゆく意識の中で、俺はもう一度やり直せることを神に祈った。








 ──ドガシャアッ、っと扉が吹き飛んだ。

 音と衝撃が室内に飛び込んでくる。

 その後すぐに誰かが乗り込んで来た。

 首が動かず、俺にはその人が見えなかった。


「──ライトスピア」


 そして、パン! と甲高い音が部屋に鳴り響いた。

 それは初級魔法にしては威力の高い、圧縮された魔法の発射音。

 俺以外にそれが出来る人を俺は一人しか知らなかった。

 そしてその声で誰かが分かって、思わず安堵が広がった。


「──ぃ゛ッ……!」


 けれど、これから起こる事を考えれば安堵など出来そうもなかった。

 それを証明するかのように、魔法がノノアの肩に突き刺さる。

 そしていとも容易く魔法は貫通し、ノノアは痛みに仰け反った。

 俺の首への拘束が緩んで、しかしライラはまだ止まらなかった。


 彼女はそのままノノアの顔を掴み上げる。

 引き摺るように、そして窓に叩きつけた。


 とてつもない騒音を立てながら二人は窓の外へと消えていく。

 助かった事は確かだったが、それ以上の問題が起きようとしていた。


「──はぁ、はぁ、…………ゲホッ!」

「大丈夫かい!?」


 少し遅れて部屋に入ってきたパスカルが慌てた様子で俺に駆け寄ってくる。

 額には汗が浮かんでいて、ここまで急いで駆けつけてくれた事がすぐに分かった。


「なん……ゲホッごホッ」

「無理するな。話は後でいくらでも出来る」


 パスカルは俺に声をかけながら、ベッドの拘束を解いてくれた。

 見れば患者を押さえつけるための固定バンドで、それが幾つも身体に巻かれていた。

 俺はすぐに立ち上がって、他に身体に異変が無いかを確かめる。

 魔力は無い。けど、身体は動く。今はそれだけで充分だった。


「助かった、ありがとう……!」

「……とんでもない事をするね、彼女」

「ああ……止めないと」


 彼女とはノノアの事であり、同時にライラの事でもあった。

 窓の外へと消えた二人。放置すれば確実にどちらかが死ぬと思った。

 俺はパスカルへの感謝もそこそこに、窓の外へと急いで飛び出す。

 俺は唇を強くかみ締めて、この事態を終わらせる方法を必死で探した。
















────────────────────

─────────────────





 やっぱりアイツは馬鹿だった。

 まるで何も理解してないお人好し。

 だからこうなる。だから境目が分からなくなる。

 故にこれは必然の尻拭いだった。


「──離してッ!」

「嫌よ」


 白髪しらがの馬鹿の顔を掴んで、私は窓から飛び出した。

 そして、そのまま地面に叩きつける。

 残念ながら一階だった為即死には至らない。


「ライトスピア」

「──!」


 故に、私は顔を掴んだまま魔法を唱える。

 当然念入りに圧縮したものをだ。

 私は確実にここでこいつを殺す。

 こいつは、一目見た時からダメだったから。


 非常事態でも男に媚びる事しか出来ない、邪魔にしかならないただの肉塊。

 こんな能無しが勇者の隣に立つなど、神が許しても私が許さない。


「離せッ!」

「…………ッ!」


 しかし火力に集中しすぎて防御がおろそかになってしまい、壊したはずの左手が顔に飛んできた。

 痛くは無い。しかし意表を突かれる。

 白髪と私の距離が一旦離れた。


「……アンタは最初から気に食わなかったのよ」

「関係ない!! 邪魔しないで……!!」

「……会話もできない猿がアイツと一緒にいられるとでも?」


 白髪は私を強く睨んで、しかし私はそれを滑稽だと笑って見せた。

 まるで戦闘に慣れていない様だった。ちょっとした挑発にすぐに乗ってくる。

 ああ、これは彼が諦めるわけだ。コイツは全く勇者に相応しくない。

 私は両手を白髪にかざして、その時点で勝利を確信した。


「ライトアサルト」

「エンデュアヒール!」


 いくつもの光弾を白髪に放って、しかしソイツは当たった端から治していく。

 回復魔法に関してはそれなりのようだった。

 それに痛みを恐れない根性も恐ろしい。

 

「ライトソウ」

「えっ」


 けど、それだけだ。

 私は走り回る馬鹿の右足に、魔法を置いて切り裂いた。

 何の抵抗も無く右足が切り離されて、ドクドクと赤い液体が流れ出る。


「〜〜〜ッ!!」

「そのくらい治るでしょ?」


 馬鹿は流石に痛みに耐えかねて、声にならない声を上げた。

 欠損を治すには上級以上の魔法が必要だ。

 しかし巻き戻しもあるしどの道治す方法はいくらでもあるだろう。


「まあ殺すけど」


 そもそも私は魔力が少ない。

 だから勝負はいつも短期決戦だ。

 持久戦に持ち込まれれば厄介だが、そもそもの経験が違い過ぎる。

 目覚めたての雛鳥に私が負ける筋合いはない。


「死ね」

「…………ッ!」


 目の前の馬鹿は一丁前に泣いていた。

 しかしその程度で揺らぐ覚悟を私は持ち合わせてはいない。

 圧縮して、圧縮して、僅かな魔力を更に小さくする。

 そして、私は一切の躊躇なく魔法を放った。

 















「───な」

「え………」


 ライラは魔法をノノアに撃った。

 容赦なく、寸分たがわず眉間を狙った。

 だからこそ、俺は彼女の狙いがわかった。


 その射線に身体を捩じ込んで、俺は腹から血を吹き出した。


「──何してんのよッ!!」

「あ……」


「ぐ………………いッてェ……ッ!」


 俺はとある事情で闇に傾倒したせいで、光魔法は悪魔みたいによく効いた。

 ジクジクと痛む上今は回復魔法も使えず、俺はそのまま地面に倒れ込んだ。

 何をやってるんだろうとは思うけど、それでも不思議と後悔はない。

 嫌いとは言ったが死んで欲しいわけじゃない。俺は守れた事に安堵した。


「さっさと治しなさい!!」

「………………あ、ぅ……」


 ただ俺の血を見て放心するノノアに、ライラがすごい剣幕で激を飛ばす。

 それにノノアは肩をビクリと震わせ、虚ろな目のままでも回復魔法は唱えてくれた。

 俺の腹も、彼女の足も、何も無かったかのように綺麗になっていく。

 彼女が治してくれるかどうかは、正直部の悪い賭けでしか無かった。


「やっぱ良い腕だな」

「ユーロ……」


 ノノアは相変わらず抑揚のない声で、そして感情のない顔で俯いていた。

 当然そんな顔が見たくて助けた訳がなく、俺は出来るだけ優しい声になる様意識した。


「ノノア、聞いてくれるか」

「…………」


 今ならきっと話せると思った。

 そして、今度は俺の言葉を遮らなかった。

 その事にまだやり直せると強く思って、俺は彼女の手を取った。

 

「俺にはさ、やらないといけない事があるんだ」




「──ユーロ!」


 遅ればせながらパスカルが駆けつけてくる。

 しかし彼女は直ぐに口を噤んで見守る姿勢をとった。

 今、俺のかつての恋人たちがここに揃っていた。

 俺の辿ってきた道の集束地点が今ここにあった。



「俺はノノアの事が今でも好きだよ」

「……………ッ!」



 その言葉に、しかし彼女はもう笑ってくれなかった。

 ただ代わりに泣きそうな顔を浮かべて、どうしてそんな嘘をつくのかと俺の事を非難していた。


 けど、嘘じゃない。情けでもない。

 こんなことになっても、まだ好きな気持ちは確かにあった。

 それが人として生きた俺の本心だった。

 これも、今更変えられるものでもない。


「けど、屑みたいな話だけどライラもパスカルも好きなんだ」

「ホント屑ね」


 俺の言葉には三者三様だった。

 ライラは怒って、パスカルは照れて、ノノアは悲哀に溢れている。

 それらが全部、俺に向けられていた。

 全部を救いたいのだと、人である俺は願っていた。


「俺はさ、何度も世界をやり直していて……ノノアとはその中の世界で出会ったんだ」


 彼女にしてみればどうでもいい話だとは分かっていた。

 彼女との約束。それは俺から告げたものだった。

 次は絶対に幸せにしてみせる。

 今にしてみれば何と薄っぺらい言葉だろうか。


「ノノアとの約束は守りたい。けど、俺は色んな世界で色んな約束をしたんだ」


 パスカルは少し特殊ではあるが。

 それでも三人とも、俺を好きでいてくれている事は確かだった。

 その事は素直に嬉しく思う。

 けれどそれと同時に、責任も付きまとってくる。


「俺の願いは二つ。魔王を倒したい。それと皆を傷つけたくない」


 この世界に来て、そして彼女達と過ごしてよく分かった。

 俺は結局、何処までも勇者に成りきれていないのだ。

 魔王を倒したい勇者としての俺。

 そして皆を切り捨てられない人としての俺。


「勇者としてやるべき事に専念したい気持ちがある。けど同時に、ユーロとして皆を幸せにしたい気持ちもあるんだ」


 勇者だから皆を切り捨てるといいながら、土壇場で彼女達に手を伸ばす。

 彼女達を傷つけたくないと言いながら、下手に甘やかして最後には突き放す。

 屑で、馬鹿で、女たらしで。

 死んでいいのなら今すぐに死にたかった。


「それはどっちの気持ちが強いとかじゃなくて、どっちも揃って俺なんだ」


 でも、結局そうなんだ。

 傍から何かを捨てるなんて出来るはずがなかった。

 それが出来ないから、俺は何度もやり直していた。

 勇者として人を助けて、ユーロとして彼女たちと過ごしていた。


「だから、知恵を貸してほしい。この願いは俺一人じゃ絶対に叶えられない」


 そして、俺は三人に頭を下げた。

 頭を地面に叩きつけて、今できる限りの誠意を見せた。

 言っていることはただ一人の女も選べずに、更に妥協を求めているだけだった。

 けど、俺にはこれしか無かったから。

 俺は一人で考えて上手くいったことなんて何一つ無かったから。


「……私は、偶に魔道具を一緒に作ってくれたらそれでいいさ」


 パスカルはそう言って笑った。

 どこまでも度量が大きくて、まるで包み込むような慈愛の持ち主だった。

 俺は感謝と同時に申し訳なく思う。

 彼女のそれが、本心では無いと分かったから。


「私は譲らないわよ」


 ライラはらしく、断固譲らなかった。

 けど、少しだけ揺らいでいる様にも見えた。

 今だって大人しく話を聞いてくれている。

 今までの彼女からすればノノアを殺そうとしてもおかしくなかったのに。


「…………」


 そして、最後はノノアだった。

 彼女は未だに虚ろな目をしていた。



 そして、彼女は立ち上がった。

 俺は彼女の顔を見ようとして、逆行でその顔が見えなかった。






「──ノノア……?」



 彼女は、何も言わずに去っていった。

 その後ろ姿はびっくりするくらいに小さく見えた。

 俺は当然のようにその背中に声をかけた。



「ノノ──」

「待ちなさい」




「……今は、一人にしてあげなさい」


 嫌がらせでもなんでも無く、ただそうした方が良いと言うようにライラに止められた。

 俺はあげた手の行き場が見つからなくて、少しさ迷わせた後何も出来ずその腕を降ろした。
















────────────────────

─────────────────





 空っぽだ。

 なんにも無い。

 魂が抜けて、心がふわふわしていた。


 私は廊下をフラフラと歩いて、何度も壁にぶつかった。

 どこに向かっているのかも分からない。

 何がしたいのかも分からない。


「………………」


 今になって冷静になってくる。

 私がやろうとしてしまったこと。

 ユーロを閉じ込めて、その首をしめた。

 その癖傷つく彼を見て酷く心が揺さぶられた。


 殺そうとして、助けた。

 裏切られて、裏切った。

 もう駄目だった。私はおかしくなってしまっていた。

 彼と居てはいけない事だけは分かった。


「………………ぁぁ………」


 おかしい私といれば彼を傷つける。

 それはもうひとつの私の人を助けたい気持ち(アイデンティティ)と両立しなかった。

 私は彼が大好きだった。

 だからこそ、これ以上彼の邪魔はしちゃいけないと思った。


「………………駄目だなぁ、私…………」


 私は廊下にへたり込む。

 心が空っぽになってしまって、もう一歩もここから歩けそうに無かった。

 どんどん涙が溢れてきて、どんどん嗚咽が込み上げて来る。

 もうあの頃には戻れない。それは例えこの力を使ってもだ。


「──なにやってんのぉ……っ! わだじぃ…………っ!」


 人が通るかもしれない廊下で、みっともなく私は泣き叫ぶ。

 泣いたって許される筈もないのに、泣いたって戻れる筈もないのに。


 どうしてこんな事になってしまったんだろう。

 どこから私は間違ってしまったんだろう。

 けどそんなことはどうでも良くて、大事なのは彼を傷つけたという事だった。

 人を助ける私が、人を助ける道具で彼を追い詰めた。


 彼がうそつきだったとしても、私はそれより酷かった。

 だから、潔く諦めが付いた。

 うそ、こんなのが潔いいわけが無い。


 まだ好きだ。

 こんな事になっても好きだ。

 離れたくない。

 どうしても一緒にいたい。


 けど、それ以上に傷つけたくなかった。

 私はもう、普通じゃないから。

 だから、さようなら、大好きな人。

 最後に貴方の邪魔をしてごめんなさい。












「…………あ、あの……?」

「ぅぅ…………っ、ぐすっ………………?」


 誰かに話しかけられた。

 それはユーロじゃない、女の人の声だった。

 私はその酔狂な人に視線を向けた。

 何故かその声に、懐かしいと私は感じたから。



「だ、大丈夫……? どこか痛い……?」

「え………………」



 それは、私のよく知る人だった。

 クラスメイトで、しかも同じ保健委員の私の一番の大親友。

 メイ・ピック。メイちゃん。

 その人が、私に手を差し伸べていた。


「メイ、ちゃん……?」

「え? 私の事知ってるの……?」


 キョトンとした顔で、不思議そうな顔を向けるメイちゃん。

 記憶がある人とない人がいる事は私も何となく分かっていた。

 それでも、実際に目にするととても寂しいと思った。

 これを何度も繰り返すなんて、とてもじゃないけど私は耐えられそうに無かった。


「あ。いやいや、とにかく立てる?」

「………………立てない」

「うん、じゃあ…………っえ!? 立てないの!?」


 私はぐずるように、子供のようにわがままを言った。

 私はまた変な事を言って、大切な人を困らせている。

 本当に救いようのない、何も覚えない馬鹿な女だ。

 しかし彼女は最初驚いていたが、しばらく迷った挙句私に背を向けた。


「はい、乗って!」

「…………いいの?」

「いいよ! これでも私、保健委員志望だから!」


 そう言って笑う彼女の笑顔を、見ているだけでまた泣けてきた。

 今更ながらに思い出す。

 こんなに大切な居場所を、今の今まで忘れていた。


「よし、しっかり捕まっててね!」

「…………うん」


 そして、メイちゃんはゆっくり歩き出した。

 その体は暖かくて、小さな揺れが心地が良かった。

 懐かしい匂いがして、私はその背中に顔を埋めた。

 さっきまで空っぽだった心に、暖かい何かが流れ込んでくる。


「私ね、保健委員にお姉ちゃんがいるんだ!」

「……うん」

「それでね、本当はまだ委員会の募集はしてないんだけど、私もうお姉ちゃんのお手伝いしてるんだ!」

「…………すごいね」


 私は全部知っている。

 彼女の好きな事も、癖も、休日の過ごし方も。

 一緒に良く街にも出掛けた。

 彼の相談にも何度も乗ってもらった。


「そうだ! 知ってるかもだけど私、メイ・ピックって言うんだ! 貴方は?」

「…………ノノア・エレノイト……」

「ノノアちゃん! よろしくね!」


 二度目の初めましては凄く寂しくて、それでも彼女は彼女だった。

 私の事を知らなくても、私にくれる笑顔は一緒だった。

 だから、涙が止まらなかった。

 彼女の背中を汚しても、彼女は何も言わなかった。



「困った事があったら何でも言ってね! 私保健委員だから!」


「………………ぅん゛……………っ!」



 私はまだ生きてても良いのかな。

 もう少し生きたいと願ってもいいのかな。

 ユーロが居なくても、笑ってられるのかな。

 わかんない。わかんないけど、今は。



「……あり゛がどう゛っ………ぅぅ……っ!」


「……よしよし。泣かなくても大丈夫だよ。」



 ありがとう、大好きな人。

 さようなら、大好きな人。
















────────────────────

─────────────────







 俺は扉の前に立っていた。

 割と見覚えのある、何度も通ったシンプルな扉。

 あの出来事から結構時間は過ぎて、太陽は少し前に沈んでしまった。

 そして、俺は一人医務室の前にいた。


「……………」


 彼女はここに居るはずだった。

 しかし開けようと思えば手が勝手に止まる。

 そんなこんなを五分程続けていた。

 俺は自分がこんなにヘタレだとは思わなかった。


「………………」

「アッ」


 すると、ガラリと横開きの扉が勝手に開いた。

 扉が反対側から開けられたのだ。

 そこにいたのは、俺が会いに来た人。

 ノノアが、俺の目を真っ直ぐ見つめていた。


「………………、入って」

「……おう………………」


 ノノアに促されるまま、俺は医務室の中に入った。

 患者が寝る部屋は隣に繋がっていて、言わばここは診察室だった。

 あの後、実はずっと影で見ていたから分かる。

 彼女は既に保健委員として働き始めていた。


「ノノア、その…………」

「まって」


 俺から口火を開くべきだと、しかし俺の言葉は彼女の声に遮られた。

 今の彼女はとても落ち着いていて、午前中の面影は殆ど見られなかった。


「ごめんなさい」


 そして、彼女は頭を下げた。

 その事に俺は酷く動揺した。

 様子が違うのも去ることながら、謝るべきは俺の方だったから。

 彼女が罪悪感を抱いていたとしても、元を辿ればそれは俺が宿したものだった。


「俺の方こそごめん。何度ノノアを傷つけたか分からない」

「ううん、私が馬鹿だった。話も聞かずに、ずっとわがままばっかりで……」


 ノノアはスカートを強く握り締め、本気で後悔している様子だった。

 俺と離れて、新しい拠り所を見つけて、心の欠けていた部分を取り戻した様だった。


「わたし…………っ、ほんとに、邪魔ばっかりっ……」

「……やめてくれ。ノノアが居なきゃ、ベリアルには勝てなかった」


 段々と声に嗚咽が混じって、声量が大きくなっていく。

 違う。俺は彼女を追い詰めにここに来た訳では無い。

 ただ、ちゃんと話し合いたかっただけなのだ。


「もう、いいの……っ」

「ノノア………」

「私にユーロと居る資格なんて無いから……っ」


 その顔は、どうみたって良い訳が無い顔だった。

 ポロポロと涙を零して、泣き喚かないように必死で唇を結んでいる。

 彼女は必死で俺を忘れようとしていた。

 そうさせているのは、他でもない俺だった。

 

「わたし……、ユーロと、いるべきじゃない……!」

「ノノア……」

「大好き、だから……っ!……だから、もう邪魔したくないの……ッ!!」


 最後は最早慟哭になって、彼女は手で自分の顔を覆い隠した。

 それを見て、俺はどうするべきなんだろうかと考える。


 彼女の本当の望みを叶えるのか。

 それとも取り繕った勇気を汲むのか。




「ノノア、俺は………ッ!」





「──大丈夫だよ……私っ、ともだぢ、できだから……っ」



「わだしっ……! ユーロが居なぐでも、頑張っでいけるから゛……っ……ユーロがいなくでも、頑張ってみ゛るがら゛……っ!」



 そう言って、彼女が浮かべた笑顔はとてもじゃないけどぎこちなかった。

 涙で濡れて、鼻水も垂らして、明らかに無理した作り笑いだった。

 それでも、その顔には過程があった。

 勇気があって、決意があった。


 それは、この世界で浮かべていたどの時のノノアよりも。

 一番綺麗で、俺は心を奪われた。



「……ノノア、今までありがとう」

「…………っ!」

「俺、ノノアと居られて本当に幸せだった」



 だから、俺は彼女を尊重することに決めた。

 この世界に来て、会うなり彼女に抱きしめられて。

 次の日にこんなことになるなんて一体誰が想像出来ただろうか。

 どれだけ周回を重ねた俺だって、こんなの分かるはずがなかった。


 だから、俺も泣きながら笑った。

 泣くのも笑うのも止められなかった。


「本当に……ありがどう゛……………!」

「うぅ……、………ぁぁああぁ……っ!」


 狭い部屋で二人で泣いて、それでも俺たちは精一杯笑った。

 二人共、前を向くためのさようならだ。

 俺は絶対に、愛した彼女の事を死んだって忘れない。


 死ぬ訳じゃない。もう二度と会えないわけじゃない。

 だから、いつかきっとまた笑い合えるだろう。


 どうかその日まで元気で、愛した人。

 いつかまた、共に歩ける事をただ願う。

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