天使と悪魔
初投稿です。至らない点がありますが、私の小説を楽しんでください。また、この文章は視点が段落ごとの切り替わります。読んでいる最中に「あれ?」と思ったら、視点の切り替えに注意してみてください。
この人は馬鹿なんじゃないか。俺は早乙女裁判長に最後の言葉を言い渡されたあと、改めてそう思った。
「...貴方は素晴らしい職業でした。まるで天使のような。悪魔に代われるのは簡単です。しかし、天使に成り戻るのは難しいことです。なのでまずは一歩一歩、悪魔から脱却して、社会に貢献してください」
俺はもともと天使なんかではない。そう見えていただけなのだ。更に悪魔に成り代わったつもりはない。それも悪魔というか、天使のように見えるのは俺だけだろうか。悪魔となって彼女を救うのはおかしいだろう。勿論、世間というものから見ればそうなのかもしれない。そして、なぜ俺が社会に貢献しなければならないのか?俺は彼女に貢献した。社会という大きな塊に貢献したら、天使。彼女という個人に貢献したら、悪魔。明らかに理不尽ではないか?まぁ、判決はもう出ているんだ。これで裁判も終わりだ。これからの事は、今から考えるのは時期尚早だし、今日はもう、寝よう。檻の中で。
この人は馬鹿なんじゃないか。私は裁判が終わったあと、そう思った。この事件、何かありそうなのに、あっさり認めて、上告もする気がなさそうだった。裁判長としてもそうだが、個人としてこの事件の被告人のことが気になる。医師という仕事を捨ててまで、殺すほど恨みがあったのだろうか。動機もぬけぬけと適当に誤魔化し、弁護士は付けなかった。私なりに調べてみようか。裁判長という立場上、検察官や警察官、刑事や弁護士まで様々な分野の人間の名刺をもっている。頼れる者がいると幾分か気が楽になるのは、私だけだろうか。
一年前、俺は彼女と出逢った。粉雪のように白い肌で、外なんて出たことがなさそうだった。実際聞くと、外なんて出たことないらしい。気温の変化を一度も感じたことがないなんてことも言っていた。そんな深窓の令嬢みたいな見た目の彼女は、俺ととても仲良くなった。アニメ観賞という共通趣味があり、一緒に出掛けはしないものの、傍でお喋りしたり、アニメ観賞したりすることが日課になっていた。
「先生、先生のお勧め冬アニメは何?」
「うーん、そうだなぁ...。やっぱりあの異世界ものの二期は期待かな」
「そっかぁ。…ねぇ、また一緒に見ようよ」
「いいよ。時間作っとく」
先生、先生と呼ばれる瞬間が妙に心地よくて。彼女の暇を潰しつつ、このまま続けばいいのにって思ってしまっている自分がいた。
被告人の名前は月影慈都。元医者で、容疑は殺人と死体遺棄。患者に睡眠薬を飲ませ衰弱死させた。その後は海に死体を流し、遺棄した疑い。これだけ見ると、明らかな殺意と計画的な犯行が伺えて、完全に月影が悪いけど…。何かがおかしい。…未羽に相談してもらおう。
俺は彼女の担当医ではなかったから、今までは友達のような感覚でトークできていたが、前の担当医が育休に入るとかで、俺が彼女の担当医になった。彼女に伝えると、とても喜んでくれた。
「ほんと!?…また、いっぱい喋れるね」
その時の何処か安堵したような、目を細めた彼女の落ち着いた笑顔は魅力的というか、魅惑的だった。
「そうだね。これからも、よろしく」
俺は心を読まれないように、しかし笑顔でそう答えた。
鍵山未羽は警視庁内では珍しい女性刑事だ。まぁ、私も女性裁判長という点では相当珍しいのだが。
「…ふ〜ん?なるほどねぇ。この事件でおかしい点がある気がするけど、わからない。そういうことだね?」
「そうなの。未羽なら刑事じゃん?何かわかったりするのかなぁって」
お洒落な音楽が流れる店内で、注文した珈琲に角砂糖を入れ、少し啜って喋り始める未羽は、さながら刑事というより探偵だった。
「この事件は私の担当じゃないから、詳細は知らないけど、くらげが言うこの事件の概要に違和感がある」
くらげ、というのは私のことで、みづきと読む私の漢字が海月だから。
「ほうほう?」
「それはね、患者の名前が書いていないことだよ」
「あっ!」
「まぁ…普通に考えたら裁判の記録とかあんじゃない?私、裁判のことはよく知らないけど」
「たしかに…」
「でも、月影なんて聞いたことない名前だから、患者の名前の隠蔽だったり、犯人の名前が偽名だったりするかもね。その時はまた私を呼んで」
「うん。ありがとう」
…盲点だった。個人的に調べていたものだから、ネットの情報だけだった。記録をみればよかった話なのだ。よし。早速明日見てみるか。
担当医という者はその患者のことを徹底的に理解していなければならない。それは患者の性格や症状、アレルギーに至るまで殆ど網羅しておくことが、患者を救うための最適解に導きやすいからだ。そこで重要になってくるのは、カルテだ。俺も彼女のことをもっと詳しく知るために、彼女のカルテを漁った。そこで俺は彼女の病を知った。その病は一億人に一人という超低確率の病。さらに、特効薬はなく、指定難病だった。なぜこんなにも愛おしく、輝いている彼女が不治の病に罹らなければいけなかったのだろうか。別に基督教というわけではないが、この時だけは神を恨んだ。彼女の代わりになれないのかと嘆き、苦しんだ。これで許してくれなんて思っていないから、彼女を助けて欲しいと。そう、願った。
記録によれば、被害者は日暮叶という少女。十四歳という幼い歳で月影に殺害されている。彼女は指定難病に罹っており、十一ヶ月前、月影は担当医になっていた。病院内の関係者の話では、非常に仲がよく、まさか殺すとは思っていなかったそうだ。動機はなんとなく、という明らかに不明瞭な癖に、計画的犯行で、違和感が残っていた。それを今日も優雅に珈琲を飲む未羽に話している。
「…なるほどねぇ。ねぇ、病院内の関係者って誰?」
「普通に月影の同期とか、看護師とか。叶ちゃんも、よく看護師に月影のことを自分のことのように、語ってくれてたらしいよ?」
「そっか…。じゃあ、共犯という可能性は低そうだね。んで、くらげが気になるのは、動機が不明瞭な点だよね。...私思うんだけど、それは本人に直接訪ねたら?」
「えぇ!?私が!?」
「なんで私も行かなきゃならないのよ。犯人の面なんて見たくないし」
「う〜ん。もうちょっと調べてからにするよ」
なんて言って逃げてしまった。しかし、月影と直接話すのはちょっと気が引ける。調査と心の準備ができたら、会いに行こう。
それからクリスマスまでなんにもないように、振る舞った。なるべく彼女を傷つけないために。ただ、彼女は恐らく自分がもう長くないことは知っていた。ただ、いつもの景色が愛おしくて。壊すのが惜しくて。お互い、隠していた。そんな中、病院のクリスマス会が行われた。そこそこ大きい病院なので毎年行われている。今年もクリスマス会は大好評だった。関係者は笑顔を絶やさなかったし、患者の笑顔も絶えなかった。彼女も楽しそうに、笑っていた。クリスマス会が終わって、病室で二人きりの時、俺は給料で買ったとある物を、彼女に渡した。
「…これ、あげる」
「えっ!ありがとう!開けていい?」
彼女はわくわくを隠しきれていなかった。
「うん、開けてみて」
「…わっ、すごい!何これ〜!」
「インスタントカメラだよ」
俺だけがあげられるもの。考えても全然浮かばなかった。だから、眠り始めた新宿の眩い店先でそれを見つけた時、買おうか迷った。だけど、それを持ったまま笑顔を向ける彼女を想像すると、白のそれがすごく、映えた。
「ありがとう!ねぇ、こっち向いて?」
俺は顔をを向けると、突然閃光に襲われた。
「えへへ〜。先生の一枚ゲットぉ」
彼女が焚いたフラッシュは、俺を捉えた。間抜けな顔がそのインスタントカメラの記念すべき、一枚目となった。一緒にあげたアルバムに保存している彼女は幸せそうな顔をしていた。
「俺も撮ってあげるよ。こっち向いて?」
「え〜。可愛く撮ってよね?」
カメラフレームに映る、柔らかく笑う彼女の目は、吸い込まれてしまいそうな優しい瞳だった。
…?おかしい。記録がない。病院内のカルテの記録はあるのに、担当医になった直後から、月影の目立った八ヶ月間の記録がない?なんだろう、あるのにない、靄のかかったようなこの違和感は。私は刑事ではないし、探偵でもないからわからない。違和感の正体を明かすことができない自分に苛立ちを覚えていた。もっと調べなきゃ。
「んで、私に頼ると。私は便利屋じゃないんだけど…」
色々と、未羽には本当に感謝している。
「まぁ…差押品を見てくればいいでしょ?見るだけ見てくるわ」
「その…撮れたら写真も…」
「はぁ…わかってるわよ、その辺は。でも持ち出し厳禁だから、その点はわかってよね」
なんだかんだ言って、色々と協力してくれる、優しい親友なのだ。
彼女について嫌なことを考えてしまった。そんな自分が一番嫌いだ。あのことを考えないようにしてたのに。人間の好奇心というのは恐ろしい。ふと気になってしまった。それから行動に移すのは早かった。彼女のカルテを漁り、病の進行度を確認する。そうして、計算をした。否、してしまった。そうして俺が割り出した答えは、十ヶ月。たったの十ヶ月だった。クリスマスのときのあの笑顔とは裏腹に、病は確実に彼女を蝕んでいた。年明け前に考えたことだったから、今年最後の冗談だと思ったし、冗談であって欲しかった。神は残酷だ。俺は悪魔になってもいいから神を殺したかった。必死で脳を回転させ、出した結論がこれだ。…余命宣告は、彼女が望んだときにしよう。そう、するしかなかった。
写真の写真を送る。この表現にちょっと笑ってしまった。未羽からのメールを見ながら、写真に写った写真を見る。日付が印字されている写真で、インスタントカメラで撮ったようだった。沢山あるうちの二枚、一番最初の日付を見ると、十二月二十四日だった。つまり、空白の八ヶ月間にあたる日付。…でも、写っているのは誰だろう?一枚目は、月影だろう。二枚目は…叶ちゃんだろう。月影は、間抜けな顔だった。突然撮られたような写真だった。叶ちゃんは、すごく柔和な微笑みだった。誰が撮ったのかは、二人共同じ部屋で写っていることから察することができる。恐らくだが、まだ、天使だった。
年明け早々、雪が降った。でも院内は暖房が効いているからか、温かい。窓を開けると凍てついた空気が肺の内側から刺激する。ほぅっと吐く白い息はどこか、儚かった。彼女はなぜか憂鬱そうに灰色に染まった窓の外を見ている。
「先生、明けましておめでとう」
「うん。明けましておめでとう」
鳩が、窓際に留まっている。
「ねぇ、先生。もう、出逢ってから三ヶ月だね」
「もう、三ヶ月か。意外と早かったな」
少し風が吹き、鳩が飛び立つ。
「先生。私、悪い子かな?」
「いや、そんなことないよ。我儘もあまり言わない、いい子さ」
向こうの電線に、烏が見える。
「じゃあ、ちょっとくらい、我儘になってもいい?」
「ん。いいよ」
烏が飛び立ち、こちらの窓へ来る。
「私の余命、あとどれくらい?」
意識が真っ白になるとは、こういうことを指すんだろうなと。ただ、思った。…彼女が聞いてきたら、言おう。そうやって先延ばしにしてきて。今、その期限が切れる。
「別に気にしてないよ。この先、幸せいっぱいで暮らしたいからさ。人生の賞味期限切れを、知りたいだけ」
傷つけてしまうかもしれない。悲しませてしまうかもしれない。この感情、全部が自分のエゴなら、捨ててもいいのだろうか。勝手に悩んでるだけなのだろうか。意味などないことなのだろうか。...でも、言わなきゃ。言って欲しいと。言われているのだから。
「...その状態なら、十ヶ月。装置、全部外すのなら、八ヶ月」
思わず声のトーンを下げて言った瞬間、彼女の顔が少し陰るのが分かった。その顔が痛くて。怖くて。脆くて。
「そっ...かぁ...。いやぁ。あはは。八ヶ月...。思ったより、短かった...かな?」
感慨深そうに瞳を濡らす彼女を見ていられなかった。
「ふふっ。なんで先生が泣いてるのよ。私も泣けて来ちゃったじゃん」
気が付けば、俺の白衣はびしょ濡れだった。大の大人の弱さを見せてしまったようで、少し恥ずかしかった。
「あ〜あ。ここで泣くつもりはなかったんだけどな」
シンクロするように、窓際の烏も啼いていた。
ほかの差押品の写真を見ていたら、気になる便箋のようなものを見つけた。そこには、まだ幼い感じが残る、女の子が書いたような文字が残っていた。
「私の死ぬまでにやりたいことリスト」
多分叶ちゃんの字だろう。余命宣告がいつされたのか分からないが、それから書いたことだろう。取り消し線が上書きされた、様々なやりたいこと。空白の八ヶ月間は全てここに費やされたのだろう。だが、少し不自然だ。殺害二ヶ月前から、月影と叶ちゃんは行方不明になっている。八ヶ月間あれば、全てのリストをクリアにすることができるだろう。その後の二ヶ月間はいったいどこで何をしていたのだろうか?
「先生。そう言えば私、ちょっと書き出したんだよ」
「何を?」
「やりたいことリストだよ。未練は残したくないもん」
「そっか。出来ると、いいね」
少し、冷たい対応をしてしまった。最近、どんな顔で彼女に会えばいいのか、わからない。
「出来る出来ないじゃない。やるんだよ」
何処かの進学塾の謳い文句のような言葉を言いながら、彼女はこう続けた。
「だから…先生にも、協力して欲しい」
駄目だと、わかっていた。俺が彼女に協力するということは、彼女の寿命を少なからず削ることに等しくなる。医師という仕事人として、絶対にやってはいけない、タブーであることは、わかっていた。そう、わかっていたのだ。だが、俺は協力することを選択した。
「あぁ。勿論。何だって協力する」
また、嬉しそうに笑う彼女が、見たいから。
叶ちゃんが作ったリストは、見ないようにした。死人のものを見るのは、少し気が引けた。他の差押品について、特に目立ったものはなかった気がする。気がするというのは、もう、苦しかったから、見るのを止めた。インスタントカメラの写真を見ると、星のような眩しい笑顔しかなかったから。ちっとも死ぬことを怖がっておらず、その瞬間を大切に、生きている。それがひしひしと伝わってきた。だからこそ、叶ちゃんを殺す動機がちっともわからなかった。もう、手がかりは恐らくない。最後の段階になった。月影に会おう。
桜ってこんなに綺麗なんだって。青空だけを見てたいねって。雲が遠いよって。雨に濡れた紫陽花が儚いって。日照りが苦しいねって。でもそんなとき飲むジュースが美味しいんだって。色んな人がいるんだよって。優しさが集まった世界なんだって。富士山って大きいねって。夜は暗いけど、ビルは眩しいって。歌を歌うと気持ちが晴れるんだって。色んなことを伝え合って、思い出を重ねて、リストが一つ一つ、消えていく。六月辺りまでに、リストを全部書き出して、病院内で出来ることを消化した。だから、七月から、二人で抜け出すことにした。
「…あなたが月影慈都さんですね?」
「そんな他人行儀なのはいいですよ、早乙女さん。今日はどうしたんです?」
アクリル板越しの月影は、落ち着いていた。まっすぐこちらを見据えて。
「俺の近況を確認するためなら、俺は檻に帰りますよ」
「いえ、今日は聞きたいことがあって、ここまで来ました。質問に正直に、答えて欲しいです」
「…手短に済みますか?」
「いえ、恐らくそれは無理な話です。申し訳ありません」
少し苛ついたような態度を取る月影に、刺激しないように接する。
「では、早速ですが始めましょうか」
私は今まで調べたことを大まかに話した。
「…ということで、時系列、合っていますか?」
「いえ、少し違いますね。空白の八ヶ月間と言いましたが、空白ではないです。俺は敢えて、担当医になった直後のカルテの近況部分を、書いていません。まぁ…色んなことをしました。別にその辺りは関係ないと思うので、話しませんけど」
本当に、空白の八ヶ月間は関係ないのだろうか?
「ご指摘ありがとうございます。では、次の質問に移ります。…空白の八ヶ月間の内、行方不明になった二ヶ月間、何をしていましたか?そして、本当の動機を教えてください」
「…動機は裁判のときに話したでしょう?あれが全てですって」
突然投げやりに答え始めた月影に違和感を持ち、少し攻める。
「…あんなに笑顔の写真があるのに?」
「…。はぁ…。早乙女さん。あなた、面倒くさい人ってよく言われません?」
…その通りだった。だから婚期が遅れるのよって未羽にも言われたことだった。
「…まぁ、いいですけど。ただ、話すのに条件があります」
月影は誰にもはなさないことを条件に出してきた。
「…わかりました。他言無用を厳守します」
「そうしてくれると、有り難いです」
そうして、月影は、ゆっくり話し始めた。
今から思えば、余命を伝えたときから、早乙女さんの言う、悪魔だったのかもしれない。彼女のリストを時間内に消化するために、残りの二ヶ月間、色んなところへ行った。軽トラを買って、色んな荷物を詰め込んで、富士山にも行ったし、九十九里浜にも行った。早朝、小さな丘から朝日が昇るのをただ、見ることもあった。荷台で寝て、起きて、今日は何処へ行こうかなんて喋って。まぁ、他所からみたら無断欠勤して子どもと遊び尽くしている、悪い大人だった。それでも、彼女のやりたいことをどんどん達成していくと、彼女の笑顔は向日葵のように、咲いていた。それがただただ好きで。守りたくて。だから俺は、叶え続けた。天使のように。そうしている内に、八月も後半へと入り、寿命も近い中、残りの願いも相当少なくなった。
「ねぇ、先生。願い、言っていい?」
髪に絡む風が、優しく靡く荷台の上で、彼女が問う。
「いいよ。何でもどうぞ」
少し、逡巡してから彼女が言う。
「ねぇ、先生。…私の彼氏になってよ」
…は?何を言って…
「私はあなた、月影慈都のことが好きです。私と付き合ってください」
…一つの薔薇を胸に抱えながら、真っ直ぐな瞳で見つめてくる。冗談かと思ったが、そんなことはないようだった。しかし、すぐに返事を返さないのは、男が廃るので、返事をする。
「…俺も好きだ。これからも、宜しくね」
俺が返事をすると、真っ直ぐだった彼女の瞳は、羅針盤を失い、沈んだ船のように、涙でいっぱいになっていた。
「よがっ…うっ…駄目かと…」
泣きながら笑っている彼女の顔はグチャグチャだった。彼女を抱きしめ、もう要らなくなった癖に、まだ着ている白衣に涙を吸わせる。抱きしめてくれたから、かける言葉は要らなさそうだった。その後は、願いが増えた。願いが増えたというか、俺が彼氏になったから、彼氏としたいことが増えたらしい。一緒に寝たり、星空観察をしたり、ただ、一緒にいたり、キスをしたり。ベタな行動かもしれないけど、本人はそれがいいらしい。まぁ、俺も楽しいからいいのだけれど。まぁ、そんな感じで彼女の医師として、彼氏として、願いを叶えていった。そして、八月二十六日。その日も二人で、背中を合わせながらただぼーっと、空を見ていた。
「ねぇ、慈都」
「どうしたの?叶」
いつしか、名前で呼び合うようになっていた。
「...私は、あとどれくらい生きられるの...?」
お互い背中合わせだから彼女の表情は、分からない。いや、分かるが分からないようにしているだけだ。泣いているのは声色で分かる。
「...もうすぐかな」
敢えて、現実を突きつけた。しかし、それほど驚かなかったのだろうか。大泣きというわけではなく、静かに涙を流しているようだった。
「...苦しいよ、先生。...もうすぐ死んじゃうって、寂しいんだよ?彼氏も傍にいるのに、いなくなっちゃうんだよ?...辛いの。不安と恐怖で、押しつぶされちゃいそうなの。だから、最後は慈都と一緒にいたい」
「...最期まで傍にいるよ」
ベタな言葉しか言ってあげられない自分に吐き気がした。
「痛くはないの。そういう病気だからかもしれないけどね。でも、私の体を悪魔が蝕み続けてるの。美味しくないよって言ってるのに。...だから、天使に頼りたいの」
まだ、救ってあげられないかと考えて、彼女の話を聞かないようにしている自分を殺したくなる。
「ねぇ、慈都。...天使になって、救ってほしい。これが、私の最後の願い」
...やめろ。そこからは言うな。俺が、その言葉を聞いてしまうと、叶えてしまうから。頼むから、最期の最後まで。太陽みたいなその笑顔を絶やさないで。
「私を、殺して」
そして、俺は天使になった。
話を聞き終わった後、思わず、涙が頬を伝った。
「...眠るときの彼女はいつも、笑顔だった。微笑みが、美しかった。それを遺して、旅立って欲しかったので、睡眠薬で殺しました」
「そう、でしたか...」
「分かっていただけたなら、結構です。俺はあの判決で満足していますし、もっと重い刑でも良かったと思っています。なので、わざわざこれを広めたりしないで下さい」
「...はい。有難うございました」
そうして彼は去って行った。月影慈都。悪魔から少女を救った天使。傍からみたら単なる悪魔。去り際の彼の背中は、天使とも悪魔とも取れない、灰色の大きな翼があるように見えた。
早乙女さんから聞かれたからか、色々と思い出した。また彼女の笑顔が見たいなぁなんて。彼女がいつも歌っていたあの曲を鎮魂歌として、あの暑い夏を思い出しながら、今日も一人、囀る。...涙が、止まらなかった。
いかがだったでしょうか。私の初の短編小説でした。楽しんでいただけたなら、嬉しいです。