不穏な海
ここはサンティオーネ沖。水平線が明るく滲み出す静かな海に一艘の小舟。そこでは二人の漁師が漁をしており、手繰り寄せる網の重さは大漁を予感させるものだった。
「今日も調子が良さそうですね!」
「そうだな、これもフロディア様のおかげよ! 帰ったら酒でも飲むか!」
二人は確かな手応えから酒盛りの話しに花を咲かせている。しかし、重過ぎる。手繰り寄せる腕にはいつも以上の負担がかかり、それは網が上がるにつれて船が傾いていく程であった。それでも何とか二人がかりで網を持ち上げ、ついに終わりが見えてくるが……
「な、何だこいつら!?」
海の中から浮かび上がる二つの目玉。この海では見たことがないその影は水面下を静かに動き回った。それらは水の中から一つ、また一つと浮かび上がり、瞬く間に数を増やしていく。
「おい! その網を今すぐ捨てろ!! 急いでここから離れるぞ!!」
「で、でも! 大切な漁具じゃないですか! こいつら、この棒で痛めつけてやる!」
「お、おい! お前そんな事したら……」
大丈夫です、見ててください! こいつら覚悟しろよ! おらっ!!──
──うあああっ痛っ
「うう、もう一回!!」
サンティオーネ内の訓練場には護衛団が集まり剣を振るっている。中央では木でてきた剣で打ち合う姿も見られ、そこにソラの姿もあった。たった今、団員の一人、中背のがっちりとしたアルタが繰り出した打ち込みが、ソラの頭に当たったところだ。
「ほらほら! どこでもいいから早く打ち込んでこいよ!」
アルタがソラを挑発する。ソラは呼吸を整えると余計な力を抜き、再び地面を蹴り出した。
「はあー!!」
ソラは気合いを全面に出し剣を振り下ろす! アルタは後ろへ体を流しそれを避けると、続けて上に切り返してきた剣を体を捻って躱す。
しかし、ソラはその動きにもついていく。空に舞った剣に逆らわずに体の重心を横へ傾けると、その勢いを剣に伝えて横に薙ぎ払う。
たまらずアルタはそれを剣で受け止めるが……子供の剣筋とは思えない滑らかな連携。更にはここに来た時よりも段違いに力が付いているので、受け止めた剣が重い。だが──
「うわっ!!」
アルタの方が一枚上手だった様だ。打ち付けた剣に意識が向いていたソラの足元を払うと、その場に転び落ちたソラに木でできた剣先を向けた。
「ふぅ、これが勝負ってもんよ。剣だけが全てじゃないぞ?」
そう笑って剣を下げる彼をソラは悔しそうに見上げる。剣を振り出してからは何度もアルタに挑んできたが、まだ一度も勝てた試しがない。
「でも、動きは格段に良いし力も申し分ない。よく頑張ってるな!」
そう言いながら差し出された手を取り、ソラは体を起こした。
「うう、次の一撃で決めてやるって思ったのに……」
剣を握るソラの掌は何度も剣を振ったのであろう。皮膚が擦れた跡が硬くなっており、それからは努力を積み重ねている事が伝わってくる。それを見たアルタがソラに問いかける。
「ソラは今、どれくらいの歳になった?」
「んーっと、あと少ししたら11歳になるのかな」
「そうか。ソラは俺がその歳の時よりもずっと努力してるし、何よりも諦めない強い心を持っている。少しのきっかけがあればお前は更に伸びる。自信を持て! さぁ! もう一度だ!」
アルタに励まされたソラの目の奥には熱いものが映っている。再び激しい打ち合いを始める二人。何度倒れても向かっていくソラの姿を周りは暖かく見守っていた。すると、
「アルタ! あんまりソラをいじめてやるなよ! 次は俺たちとやろうぜ」
見守っていた団員の中の二人が近づいてきた。一人は背が高く細身な体をしていおり、もう一人は背が低く丸い輪郭をしている対照的な二人だ。
「ベータさんにガンタさん! もう怪我は大丈夫なの?」
打ち込みを止め、ソラが二人の元に駆け寄って行く。二人は、この間のデシウルフとの戦いで怪我を負っていたのだった。
「フィリア様が治してくれたからな! ほら、もうこの通りだ」
ベータは後ろを向き背中の傷跡を見せた。背が高くソラには見えずらいが、肩のところにはまだデシウルフの爪痕が残っていた。
「俺ももう平気さ! ほら見てくれよ」
隣のガンタはそう言うとお腹の傷を見せる。丸いお腹に薄らと歯形が付いているのが見えた。
「ガンタは美味そうに見えたんだろうよ。俺がデシウルフならまずお前を狙うね」
そこにアルタも合流してくる。ガンタのお腹の傷を見るや否や、爪を立てる様な仕草を取り、デシウルフの真似をしてみせた。
「アルタも酷いや! 俺だってこんなに美味しそうに育つ予定はなかったんだから!」
ガンタが寂しそうに自分のお腹を撫で回す。その姿を見てソラはつい吹き出してしまった。それに続きベータもガンタを揶揄いだす。
「あ、ソラ、今こいつの腹を見て笑ったな? フィリア様もわざと歯形を残しておいたんだろうよ」
四人は穏やかな空の下でそのまま談笑を続ける。デシウルフの群れがサンティオーネを襲って以来、魔物達が襲ってくる様子はなく何事もない日々が続いていた。その間は鍛錬を続ける団員達だが、こうも魔物がやって来ない日が続くのは珍しく、少し不気味な平和が流れているのを皆が感じ取っていた。団員達は、その不安を振り払うかの様にいつもより冗談を言い合う機会が増えているみたいだ。
「ところでソラのおでこが少し腫れてきたか? フィリア様のところへ行ってきた方がいい」
会話の中でアルタがソラを気遣う。きっと大人の会話に入り込んだソラを気にしてくれたんだろう。その言葉に甘え、それじゃあフィリアのところへ行ってくる! と言うソラだが、そう言えば今日はフィリアの姿を見ていない。フィリアはどこに行ったんだろう──
──時を同じくしてサンティオーネ港では人だかりができていた。しかし、それはいつもの賑わいではなく、皆が海を見つめ何やら不穏な雰囲気を醸し出していた。その騒ぎを聞きつけフィリアが人混みの中を割って入っていく。
「みんなごめん通してー! なになに一体どうしたの?」
重なる人の間を通り抜け少しずつ前に進んで行く。何とか海が見える場所まで辿り着くと……そこには不気味な物が流れてついていた。
「なに……これ……」
海に漂うその光景をみたフィリアは目を開き言葉を失った。そこには何かに襲われた形跡が残る、ぼろぼろになった一艘の小舟が流れ着いていた。人が乗っている姿や漁に使う道具もなく、獲れたであろう成果の後すら見られなかった。ただ、そこに残されているものは、何かが引っ掻いてつけたと思われる五本の爪痕だけ。
「大きな魔物が生息していない海の筈なのに、一体何が起こっているの……」




