『哀しい余生』~『懐かしぐれ』
『哀しい余生』は私にとって、『女性なんだもん』以来の波間のスマッシュヒットなのではないかと思われた。ここのところ波間らしくない曲が続いていたが、この曲はシンプルな構成の憶えやすいメロディで、かつての波間が戻ってきたように感じたものだ。
――その年の合宿のこと。去年はシーズンを病院で過ごしたおかげで合宿に参加しなかったが、中学一年のときから夏休み突入直後に行われる合宿が競技会以上に憂鬱なイベントだった。
復帰後初の合宿は学校の都合で屋内プールに寝泊まりすることになった。グループに分かれ、管理室、更衣室、乾燥室にマットを敷いて寝て、プールサイドで食事の支度をした。練習のクオリティは依然としているが、なんだかキャンプのような楽しさが伴っていた。
この年も中日が過ぎ、最終日の夜の打ち上げに、みんなはなにをやるかと思案していた。私は三年生のS先輩に誘われ、ふたりでフォークデュオを組もうということになった。
その日、管理室で打ち上げの練習をしていたら、女子部の主将になっていたC子サンがコーチに「お先に失礼します」と挨拶にきた。コーチは不在で、代わりに私たちがギターを掻き鳴らし、ヘンな声をあげて歌っているので驚いた様子だった。
「Sクン、コーチは?」
「いまいない」
「キミたちは、なにやっているの?」
「見ればわかるだろ、歌の練習だ」
「水泳の練習は?」
「さっき死ぬほどやったから、今度は打ち上げのアトラクションの練習をしているんだ」
「なにかやってみてよ」
「いいけど、サインはお断りだぜ」
するとC子サンは帰りかけていた女子部員たちを呼んで、私たちのパフォーマンスを面白がって見ていた。女の子は、こういうパフォーマンスが好きだ。
私たちも女の子ウケするユニットだった。なぜなら坊主頭の二人組が、高音が美しい女性デュエット、〝ジュモンズ〟の『恋人もいないのにあなたは京都へいくの』や〝ヘッツイ&クスリ〟の『白い色は恋人がサンタクロース』などのアイドル系フォークを気持ち悪いファルセットで歌うのだから。
意外とキーが合っていたのが波間の『哀しい余生』だった。裏声でなくても楽に歌えるのだが、さすがにジャニーズイヤンのコード進行は、複雑に思えない曲展開にも拘らず難しくて採用にはならなかった。私たちは合宿打ち上げの演奏で、顧問の先生から「甘い歌声のコンビ」と妙な評価をいただいた。
この年も朝、父に荷物を持って帰ってもらい、合宿最後の練習を終えていつものように電車で帰った。もう、私のなかでは憂鬱なイベントという感覚ではなくなっていた――。
S先輩は大学進学後ミュージシャンを目指し、いままで坊主だった反動かどうか知らないが、波間ほどもあるロングヘアーにした。好きな先輩の一人だった。
彼は次期コーチ就任を放棄した件で部に迷惑をかけたことをいまでも悔やんでいて、OB会には出てこられないらしい。後年、街でばったり会ったときには家業を継いで、立派な経営者になっていた。あの頃からは想像もできない貫録だった。いまでも趣味でバンドをやっている、という。
「いまなら『哀しい余生』をスムーズに弾けるぜ。オマエ、歌ってくれるか」
いいですとも、といって別れた。それ以来、いまだにオファーはない。
走馬燈はメリーゴーラウンドのように、ぐるぐる巡っていく—―
あの八月も半ばを過ぎて久々にFMから聴こえてきたのが、波間の『懐かしぐれ』だった。晩夏の、まだまだ明るい夕方六時から放送していたリクエスト番組だった。
『懐かしぐれ』はマイナー調のフォークソングで、ニューミュージックのような洗練された響きとはほど遠い。歌詞の内容も、ウチに帰ってきたら、置手紙を残してキミは去っていたという冷酷極まりない彼氏の思い出を歌っていた。
この曲は波間らしくないのであまり好きではないのだが、彼女の歌はとりあえずエアチェックすることにしていたので知っていた。
どうりでカラーが違うと思っていたら、フォークグループの提供だったのだ。波間は稀にこういう曲を歌いたがる。たしか井戸上用水の『ここの模様』のカヴァーもこんな感じで暗かった。
その日は午後七時に駅に集合して、「放課後観賞会」毎年恒例の「肝試し」にいくことになっていた。去年は町境にある大規模な防空壕にいった。一昨年は受験でやらなかったが、その前は例の神経科病院の裏山にある神社跡にいった。
フーチャンから、あそこの竹藪で女の叫び声をきいたという話を面白がったMが、みんなでいこうといい出したのが始まりだった。そうだ、あのときはまだMがいたのだ。
企画は年々大きくなっていき、ついに今年は都立霊園を巡ってみようということになった。都立霊園といえば私の守備範囲だ。暗くなれば当然のごとく正門が閉まってしまうので、霊園山の方から入ろうと計画していた。
電車から薄暮に染まる街を眺めているときは、なんだか興奮した。今回の参加者は私を含め、ロベルト、フーチャンの三人だけという淋しいイベントになったが、いずれにしろ怖がりにいくのだから無駄に賑やかなのよりはましだ。
車中、フーチャンが私に、〝W〟というヤツを知らないかときいてきた。私が知っている〝W〟といえば、中学時代一緒に部活で切磋琢磨したあの男だけだ。そういえば、フーチャンはWと同じ都立高にいっていたのだ。
「二年で同じクラスになった。カセと同じ中学の出身だときいて、オマエのこと話したらよく知っているって」
「そうか、Wとフーチャンは同じ高校だったっけ」
「最初はヘンなヤツだと思ったよ。ヌンチャクの先が抜けて人の後頭部に当たったとか、団地の三階から飛び降りて膝の骨が飛び出したヤツの話とか、そんな話ばかりするのさ」
そういえば、私にも話していた。知り合いのオヤジが雪駄でスクーターに乗っていることをさもおかしそうにいうのだ。ほとんど、なにが面白いのか理解できなかった。
そんな話をしたら、フーチャンが含み笑いで続ける。
「Wが、カノジョとデートするのにどこかいいところがないかっていうのさ」
「カノジョがいるのかよ、アイツ。ウチらの近所で?」
「そう。だから例の精神病院の裏山を教えてやった。そうしたら次の日、学校で凄く怒っていたよ。なんだよ、なんにもないじゃないかって」
私とロベルトは電車のなかで思わず大声で笑ってしまった。とくに私は彼のことをよく知っているので、その顔が浮かんでくるようだった。
そこで私は、フーチャンやロベルトと同じ地元中学出身のエッチのことを思い出して、彼のことを話した。ロベルトがいうには、私が知っている軟派な男とはちがい、中学時代のエッチは目立たないおとなしいヤツだったらしい。
「エッチがいっていたけど、えらくモテるヤツがいたって? なんでもファンクラブがいくつもあったっていってたな」
「それ、Mのことじゃないか?」
(Mか! なるほど、アイツならそうかもしれない… 待てよ?)
「コックリサンのお告げを言い当てたり、トランプを透視したりする超能力者だって」
ロベルトとフーチャンは暫くお互いの顔を見合わせて、同じタイミングでいうのだ。
「ああ、Mだよ。それ」
「よくやっていたよ。なにかコツがあるみたいなことをいっていたな」
たしかに考えてみれば、超能力はともかくとして、どれもMならやりそうなことだ。
「Mのことか。そういえば中三のとき、転校したっていっていたしな・・・ 」
そこまでいいかけて、私はエッチからきいたときのことを思い出した。エッチは転校したあとのこともいっていたはずだ。
「えっ・・・・・・ M?」
二人は頷いている。
「ええ? ええーっ!」
ロベルトは、なんて声を出すのだと渋い表情をした。
「いや、モテそうなヤツは他にもいたよ。でも、いつも女の子がクラスの外にいて煩そうにしていたのはMだけだ」
そんなことじゃない。もしかして、こいつらも知らないのではないか、と私は思った。
「エッチは、そいつは転校して、そのあと向こうで事故死したって」
途端にふたりの顔色が変わった。今度はロベルトたちが素っ頓狂な声をあげる番だった。
「ええーっ、嘘だろ?」
「そんな話きいたことないよ。エッチは、だれからきいたのさ」
「そこまでは知らない。まさかMのことだとは思ってないから」
なんだかヘンな雰囲気になってきたが、すっかり日の暮れた駅に着いてしまったので、とりあえず私たちは電車を降りた。気持ち的には、もう肝試しどころではなかった。
霊園山の方に向かうバス停で、私たちは乗るでもなく、戻るでもなく、立ち話を続けた。フーチャンは私に、エッチにきいてみろという。電話しようにも、まだケータイなどない時代だ。公衆電話ならあるが、ウチに戻らないとエッチの電話番号がわからない。
ロベルトが、マンキチならなにか知っているかもしれないというので、公衆電話からマンキチに電話を入れることにしたが、私は疑問があった。
「マンキチはなんで今夜こなかったの? いるのかよ?」
「いるはずだ。声はかけたけど、絶対いかないっていうのさ」
フーチャンのこたえにロベルトが補足する。
「アイツやヒロシマは、あんまりこういうのが好きじゃないらしい」
それは意外だった。ふたりとも防空壕のときにはきたのに。あっちの方が、よほど凄味があるような気がした。
そんなことを話しているうちにマンキチが電話口に出た。なんだか、ぶっきらぼうな口調だった。私たちが都立霊園にきているのをわかっていて、気まずいのをごまかしているかのようだった。
「Mのことでなんかきいてないか?」
私が遠回しにいうと、マンキチは「いいや、なんで?」と逆にきいてきた。
私はエッチからきいたことを話し、いまロベルトたちから、それがMのことだときかされたというと、彼は最初要領を得ないようだったが、やはりみんなと同じ反応を示した。
「えーーーっ!」
私は笑いそうになるのを必死に堪えて、ロベルトたちに首を振った。やはりマンキチも知らなかったようだ。
「そいつに確認してみろよ。いつの話だよ」
「七月頃かな、最初にきいたのは」
マンキチが詳しい話をききたいから戻ってこいというので、地元のいきつけの喫茶店で落ち合うことにした。マンキチがそういってくれて、私たちはある意味ホッとしていた。こんな気持ちで霊園巡りなんてできるわけがない。
再び、帰りの電車のなか。ロベルトが不気味な話をしだした。
ちょうど梅雨時の雨がしとしと降る夜、季節の変わり目に彼は風邪をひいて寝込んでいた。熱に浮かされウトウトしながら目を覚ますと、まだ家人は起きている様子で、開きっ放しの扉から向こうの部屋の明かりが射していた。人の気配がするので枕から首をもたげると、薄暗い光に照らされた自分の机の椅子にだれか座っているのだ。その座っている仕草から、ある人物を特定することができた。
「Mじゃないか・・・・・・ 」
そういった自分の言葉に意識がクリアになった。よく見たら、椅子に掛けた自分の制服だったという。
「そりゃ、やっぱりMだよ。たぶん、別れにきたんだ」
フーチャンは、ロベルトの話に相槌を打つように「そういえば、こんなことがあった」と話し始めた。
隣町の楽器屋で友だちとレコードを物色していたとき、Mとよく似た格好の後姿を見たという。そのいでたちが、あの頃遊んでいたときのMがお気に入りの原色のベストに襟の大きな花柄のシャツ、ベルボトムのジーンズに例のサンダルなのだ。Mにそっくりだなと思った。
そのうち、M本人なのじゃないかと思い始めた。この店は、よくMがギターを見にきていたのだ。その男も二階にあるギターコーナーに上がっていくじゃないか。
友だちをそこに残し、あとを追った。しかし、二階は加湿器の音がきこえるほど静まり返り、人がいる気配がなかった。仕方なく降りてくると、ちょうど店を出ていく後姿が見えた。あとを追って店の外に出てみると、もう人通りのなかに捜すことはできなかった。
「冷静に考えてみれば、関西にいっちゃった人間がここにいるわけがないと思って、それ以上は捜さなかったけど。Mにそっくりだった」
「ダブルだったのかもしれないな」
ロベルトが、拍車をかけるように不吉なことをいう。「ダブル」とは、夜中トイレに座っている自分と瓜二つの影で、これを見ると死期が近いといわれる。私たちの世代の「ドッペルギャンガー」のことだ。
私はフーチャンにきいた。
「それはいつのこと?」
「やっぱり雨が降っていたから六、七月頃かなあ」
時期的に見れば、もうその頃にはMは死んでいることになる。「ダブル」ではなく、フーチャンに別れを告げにきたM本人の思念だとしか思えない。
私もちょうどその頃、Mの足音をきいている。今度は私がその話をすると、もはやふたりの顔色はなかった。私たちのなかでは、もうほとんどMは死んでいた。
だが、まだエッチにたしかめるまでは確信を持てなかった。地元に戻ってくるとロベルトたちを先に待ち合わせの喫茶店にいかせ、私はエッチに確認するためにウチに向かった。
都合よくエッチは捕まり、それがやはりMのことだとわかった。情報源は、どうやら当時の担任らしい。当時のクラスの連絡網を使って流したらしいのだが、なにせ卒業生のクラスのことだ、どこかで途切れてしまっても文句のいえないところだ。いずれにせよ関西に引っ越してしまっていれば、いくら人気者といえども、そこまでのオッカケはいなかったようだ。熱が冷め、忘れられても仕方がない年頃だった。
喫茶店に私がいくと、まずマンキチがきいてきた。
「なんで死んだの?」
「いや、それが交通事故っていうヤツもいれば、校舎の屋上から落っこちたって説もあって、それが事故か自殺かも正確にはわからないらしいよ」
「なんだよ、それ」
マンキチは不満そうにいう。
「担任はだれだよ?」
「Mが二年のときといえば○○じゃないか」
記憶力抜群のロベルトが思い出すと、フーチャンも「そうだ」と頷いた。
「でもよ、○○も困ったと思うぜ。担任のときの連絡網で回すのも、しょうがないかもよ。卒業生全員には連絡できないだろ? 十五クラスもあったし」
ロベルトはおかしそうに補足する。
「○○といえば、先生のなかで最も投げやりだったからな」
ロベルトが、中学二年のときにあった校内歌唱コンクールのことを話した。
「Mがいっていたけど、なにを歌うかホームルームで話し合ったときに、だれも意見を出さなかったらしい。それでMがビートルズの『ロングアンドワインディングロード』を適当に提案したら、それでいい、オマエに任すって決まった」
すると、いままで眉をひそめてきいていたマンキチが途端に相好を崩した。
「アレだろ? 直訳をそのまま全員で歌って、途中から滅茶苦茶になった…」
「そうそう。英語や翻訳してある歌詞で歌うのは面白くないからって、Mかだれかが直訳したものをクラス全員で合唱したら、木村拓郎の歌より字余りで、どこで切っていいのかわからない歌詞をろくに練習もしないで本番で歌った」
「音符一個に最高五文字くらい入っているかと思えば、エラく間延びしたりしてな。それがまったく揃わない。途中から輪唱みたいになったりしてさ、大ウケだったな」
「♪なが~く~まがりくねったみち~ なんて調子で」
私はその場面を想像して大笑いした。
それにしてもMという男の発想は、やはり際立っている。本番でウケを狙ったかどうかはわからないが、そのアイデアを考えつくという才能は尋常じゃない。もし本当に死んだとしたら、日本の逸材の損失だったかもしれないとも思える。
「ロベルトたちはなにを歌ったの?」
私は彼らの中学校の催しのイメージが湧かなくてきいた。するとロベルトより先にマンキチがこたえた。
「憶えてないなあ。なにせ全校で三十クラスくらいあったから… 憶えてる?」
「オレも憶えがない」とフーチャンが首を振ると、即座にロベルトがツッコんだ。
「憶えるもなにもアンタは、やってられないとかいって屋上にエスケープしたでしょ?」
「そうだったか」とフーチャンは他人事のように笑った。
「オマエは参加したのかよ」
「それがさ」と、ロベルトは渋々話しだした。彼のクラスの女生徒の提案で、彼女が観てきたアングラ芝居を再現することになったというのだ。
「だって合唱コンクールだろ?」
「その芝居っていうのが、ミュージカルじゃないけど途中途中にフォークソングが入ってきて、エラく感動したらしい。だからそれをやりたいって提案したら、担任が芝居はいいけどフォークはダメだっていって。ウチの担任は流行歌に偏見を持っていた」
「芝居をやったの?」
「ちょっとした寸劇みたいなものだけど意味不明でさ」
それをきいたマンキチが「そんなクラスがあったなあ」と思い出したようだった。フーチャンは「アングラ芝居」ときいて興味を持ったようだった。彼は映画や演劇などに造詣があった。
「どんな芝居なの?」
ロベルトは相変わらずの渋い面で説明する。
「オレも理解して演ったわけじゃないけど、なにかの調査で宇宙人のスパイが日本に潜入しているって設定でね。それで定期的に本部に報告をするのに、その方法が雨の日に公園の水溜りに釣り糸を垂らしてやる。それで宇宙人が公園のベンチに座って水溜りに釣竿をかざしていると、通りがかりの人が、釣れますかってきくのさ。宇宙人が、私は釣りをしているのではないのですよ、とこたえる。そこで『雨にぬれても』の合唱が始まる」
「なんじゃ、それは?」
さすがのフーチャンも首を傾げたが、ロベルトがいうにはもともとの歌はなんとかいうフォークソングで、それが感動的らしいのだそうだ。しかし、担任がそれを認めず、シュールな寸劇に脈絡をつけるため、仕方なく雨繋がりで『雨にぬれても』になったという。
フーチャンは面白そうにきくのだ。
「オマエはなにを演ったのさ? 宇宙人?」
「それはオレじゃない」
「じゃ、なんだよ? まさか〝ロバートレッドフォード〟じゃないだろうな」
「いくら『雨にぬれても』だからって、バカなことを・・・ 」
そこへマンキチも参加して、いつもの無意味な展開が始まる。
「ちがうよ、ベンチだろ?」
なんでもいいだろと、いいたがらないロベルトに次々とツッコむふたり。
「わかった、木だ。でなければ通行人が連れていたシロとか」
「じゃあ、公園の噴水にある小便小僧の石像」
横でききながら私はクスクス笑っていたが、ふとMを思うと現実のこととは思えなかった。こんなくだらないことで時間をつぶす「放課後観賞会」の連中が好きだったにちがいない。本当に死んでしまったのか、そのときは信じられなかった――。
Mのことについては、だれもそれ以上のことをたしかめようとせず、だれも真実を知るための伝手を探そうともしなかった。エッチのまたぎき話がすべてとなってしまったのだ。私がきいたあの足音やロベルトの見た幻覚や「ダブル」の後姿などは、まるでMの置手紙のようなものだった。
サイクリングにいったとき、上り坂でみんなに置いていかれて「待ってくれー」と情けない声を出して追いかけてくるMは、下り坂になった途端、だれよりも速く降りていくようなヤンチャな性格をしていた。
近くの大学祭にいったときには、みんなが飽きて帰ったあとも、軽音楽部が催しているロック喫茶に居続けるほどの音楽好きだった。
商店街の秋祭りのときは彼にずっとつき合わされたのだが、なにをするでもなく、その雰囲気に浸っているのが好きな様子だった。
彼は賑やかなところが好きだったのではないか。淋しがり屋だったのではなかったか。実はヤンチャに見えて非常に繊細な神経の持ち主だったのではないかと、いまは思える。
もしMの未練だとすれば、彼の無念ははかり知れない。残された私たちは、どうしたらいいのかわからなかった。
記憶のなかで溌剌としていたMは、次第に色褪せたピンナップとなって一枚、また一枚と手もとから失われていった。まるで『懐かしぐれ』の歌詞のように。
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