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『メロディ』~『十七歳の証明』

最終回です!

 高速を降りた私は久々に学園通りを通ってみようと思い、少し足を延ばした。陽が地上ぎりぎりのところから射しているのか、建物の長い影に早朝の静けさが潜んでいる。

 学園通りは昔と全然変わっていない印象だった。このスーパーも、あの頃珍しかった自家製のパン屋も、合宿のときにかよった銭湯もまだある・・・・・・?

 朝が早いせいか、人通りもなければクルマの一台も見ない。緑が多くなり、鳥のさえずりがうるさいほどなのだ。もうすぐ霊園山に突き当たる。ここにくるのは四十年ぶりだ。

 霊園山に出る三叉路の手前の交差点で異様なものを見た。道路の真ん中を車いすがゆっくりと走っているのだ。車いすはたしかに場所をとり、通行人の迷惑を考えれば歩道では操作がしづらいということはあるだろう。しかし、いくらなんでも車道の中央を通らなくてもいいじゃないか。しかも、いま歩道を歩いている者はいない。

 私はスピードを落とし、車いすのうしろに付いた。仕事でこういう年寄りの扱いには慣れているつもりだ、注意をしてやろうと思った。

 そのときルームミラーに動くものが、ちらっと見えた。人影だった。歩道を走っている。早朝ランニングでもしているのだろうと、無意識にその姿を見たとき自分の目を疑った。

(えっ⁉)

 街路樹から見え隠れしているそのランナーは流行遅れのアディダスのジャージを身にまとって、色白の顔を紅潮させているのがわかった。私はランナーの顔を見て何度も目をこすった。見間違えでなければ、あの男はWだ!

 私は助手席側のウィンドーを下げて声を掛けようと思ったが、素早く通り過ぎてしまった。だが、あのうしろ姿、あの走り方はWにちがいなかった。ちょうど信号が赤になったので、私はクルマを乗り捨て、あとを追おうとした。

 見れば車いすも交差点の停止線で止まっている。なんというオヤジだろう、車いすは()()()だと思っているらしい。ちょっと顔を見て、また腰を抜かしそうになった。

 座っているのは年寄りとばかり思い込んでいたのだが、私より若いのではないか。アディダスよりもさらに一時代前の、グリーン地に白い二本ラインの野暮ったいジャージ。センスのないスポーツ刈りに黒縁メガネ・・・ 

 シブイサンだった!

「シブイ!」

 私が思わず呼びかけると、彼はまるで私と知っていたかのようにいうのだ。

「押してくれよ。登りはきつい」

「霊園山にいくのか?」

「オマエもいくのだろ?」

(えっ・・・ )

 たしかに私は霊園山を見てみたいと思っていた。どうしてコイツに、それがわかるのか。

「いま、走っていったのはWだろ?」

 シブイは黙って頷いた。

 私はシブイの車いすを押しながら、霊園山の登り口であるアンカーを潜った。シブイは、正面からは急斜面で車いすでは登れないので、南側の道に回れと指示した。なるほど、そこにはもっとなだらかな林道がある。

「倒れたってきいたから心配したぞ。元気そうでよかったよ」

 シブイは、まるで他人事のように「うん」といった。

 それにしてもこの男といい、さっき見たWといい、昔とちっとも変っていない。私の方がよほど「シブイ」のではないだろうか。

 まだ影が濃い林道は朝の冷たく乾いた空気で爽やかだった。

「奥さんは元気かい?」

「奥さん」とは私がその昔、憧れていたC子サンである。シブイは、これにも冷ややかに「うん」といっただけだった。穏やかな表情をしてはいるが、あまりに反応のない彼の態度になんだか甲斐をなくした。

(情緒というものがないのか、コイツは。後遺症のせいかな?)

 しばらくいくと開けたところに出た。見渡す限りの緩斜面に芝のグリーンが目に眩しいほどだ。こんなところが霊園山にあったのか。

 いま登ってきたところを振り返ると林道の繁みより北側に、あの頃よく「どろけ」をやった窪地があった。その一帯を囲むように灌木が植えられ、ここからちょうど西側の木陰あたりに見えるのが「心臓破り」の坂の終点だろう。

 車いすをゆっくり押しながら、あの頃とはちがう角度の風景を堪能していた。すると林道の少し向こう側の尾根から人がこちらを見ているのがわかった。灌木から見え隠れして、グレーのトレーナーに青いアディダスのパンツといった格好の少年だった。

 私は最初、それがWではないかと思っていた。しかし、あんな少年のように見えるはずはないし、なによりグレーのトレーナーを着ているWなんて想像できなかった。グレーとか黒を好んで着ていたのは、むしろ私の方だ。

(・・・・・・え? オレ?)

 私は思わず、もう一度その少年を振り返った。そのとき無意識に車いすを放していた。灌木の陰には、もう人影がなかった。

(そんなバカな。オレであるはずがない、「ダブル」じゃあるまいし・・・ )

 私は自分を納得させようと無理やり笑みを漏らした。我に帰れば、緩斜面をシブイの車いすが、ゆるゆると下っていくのが見えた。

(しまった!)

 あとを追って芝のスロープを駈け降りると、そこここに若者たちが屯しているのが見えた。芝に腰を下ろして談笑している女の子たち。卓球台を持ち込んで楽しんでいる男の子たち。なんと平和な風景なのか。よく見れば彼らは私の知った顔ばかりだった。

 こっちを向いてラケットを振っているのは、あれはロバだ。うしろ姿で顔は見えないが仕草から対戦しているのはゴッコだと思えた。真ん中に立って、鋭いまなざしでカウントを数えているのはオールバックのアイパーが特徴的なウルフ。その傍らに制服姿の女の子と仲睦まじく体育座りをして見ているエッチ…

(なんだ、アイツらは? なんでここにいるのだ?)

 私は、もうシブイのことなど頭のなかになかった。たしかめようと、そこへゆっくり近づいていった。不意に上がってきた女の子の二人連れとすれ違う。

(マドンナ⁉)

 そのうちの一人は、まぎれもなく「通学電車のマドンナ」だ。朝陽を浴びて眩しげな笑顔で話している。あの頃見た瑞々しいマドンナのままだ。

(ママになったのではないのか?)

 もう一人もどこかで見たことのある可愛い娘だった。だれだったか思い出せないが、艶やかな二人連れだ。

 ぼんやりと通り過ぎるのを見送っていたら、なにかが頭にコツンと当たった。たいした衝撃はなかった。なにか柔らかいものだ。

「?」

 見れば、目の前の芝の上を肌色のゴムボールが転がっていく。どこかから飛んできたのだろうと振り返ると、小高い斜面に何人かの少年がこっちを見て笑っている。

「えっ⁉」

 彼らの顔も私は知っていた。少年のように見えるが、ここにいるのは知り合いばかりだった。ロベルト、マンキチ、フーチャンにヒロシマ…

「放課後観賞会」のメンバーたちじゃないか!

 おまけにニコニコしながらこっちに歩み寄ってくるのは、なんとMだった!

「M! 生きていたのかよ」

 Mは私の問いかけにも応えず、無邪気な笑顔で指さしている。その先には緩やかな丘陵が見えていた。あそこにいくということだと私は覚った。よく見れば彼らは、それぞれ自転車を携えているのだ。

 なんたる幸運! 私は()()()()()()()()()()()()()ことを思い出した。ここから、たいして離れていない。いまから戻っても追いつける距離だ。

「自転車をとってくるから先にいっててくれ」

 彼らは、なにもいわずに自転車を漕ぎ始める。だが、みんなその表情が和やかだ。

 私は丘を降りようと急いだ。駈け下りながら、あそこになにがあるのだろうと思った。久々に「放課後観賞会」をやるとでもいうことなのか? 

 私にとって、それは嬉しい企画だ。身も心も軽やかになった。

 ふと見ると、そこには大きな打ちっぱなしのコンクリートの長水(50m)プールがあった。プールはここに移動したのか、と私は自転車が置いてある昇降口に向かった。まだ私の自転車はあそこにあるだろうかと考えながら、フェンスのないプールサイドを歩いた。澄んだ水面からは深い底が見えた。光の粒子が水面でキラキラと踊っていた。プールサイドにはギャラリーもいる。

 不意に、だれかが飛び込んだ水音がした。私は、なんだかワクワクした。水泳なら得意だ。私とどっちがうまく泳げるのか、と見ていると、飛び込んだ男は浮かびあがってくるや、おもむろにバッタを飛び始めた。よりによって、私が一番不得手な種目じゃないか。

 大きな長水プールに張られたコースロープの中央のコース、そう、いちばん速い者に与えられるコースをダイナミックに泳ぐのだ。泳者を見ているとブレスでちょっと顔を横にそむける。この泳ぎ方には見憶えがあった。

 太陽の飛沫を撒き散らして、派手にはばたく飛び方やこのブレスの仕方はパンパンにそっくりだった。いや、パンパン本人が模範演技みたいにギャラリーの目の前を泳いでいる!

 目でその航跡を追っていくと、向こうのプールサイドでストップウォッチと睨めっこしている人物にいきあたる。鍔の深いキャップを被って、表情までは見えないが、その立ち姿から思い当たるひとがいた。あれは新しいコーチになったS先輩ではないのか?

 なんだ、ここは…

 まるで忘れられた昭和のお中元(!)を見つけたように 私は唖然とした。

 そんな私をよそに、ギャラリーの視線はスタート台のうしろ側に集まっていた。屋外スピーカーからは、なにかフェスティバルのように音楽が流れている。だれかが歌っているのだ。


♪人生は競争じゃないわ メリーゴーラウンドのようなもの…


 まるでステージのようになったプールサイドに逆光を浴びて女の子が立っていた。華奢な身体にワンピースのミニドレスをまとい、長い髪を靡かせてハンドマイクを握っている。

 これは私自身の記憶じゃない。なぜなら、私はホンモノの波間シンシアに会ったことがないからだ。夢でもない。夢なら、そう思ったとたんに目覚めるはずだ。だが、出来事は続いた。

 波間シンシアはここにいた。あの日の、まだ十七歳だった波間シンシアと、その歌の世界がそこに広がっていた。彼女は私が好きだった、あの映画の主題歌を歌っていた。

 メリーゴーラウンドはゆっくりと回転を落とし、やがて動きを止めた。どうやらここが目的地らしい。

 ギャラリーの間から拍手が沸き起こった。

 そして次のイントロが始まる。軽快なイントロは、ちょっと洋楽のヒット曲にも似ているが、私たちの世代では忘れることもない波間のデビュー曲だ。


♪真夏の海 ふたりの気持ちをたしかめたくて 波打ち際を走り続けたの…


 まるで歌詞を辿るかのように夏の太陽がギラギラと空にのぼった。芝や木々の緑が目にも鮮やかに映った。そうだ、ここからもう一度始まるのだ、と私は希望に胸を膨らませた。

 さて、ぼちぼち甘く生暖かい記憶のなかにもう一度没入しようか…


 了


※作中の実在する一部を除いた人物、団体、作品などに特定のモデルはありません。


よければ、もう一度最初から通して読んでみてください。

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