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神聖騎セフィロマキナ  作者: ローリング蕎麦ット
第二話 アルベールvs緑の巨人
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アルベールvs緑の巨人 後編


 

 やがて状況もひと段落して、地下基地から家に帰る道行きのことでした。


 アルベールと愛馬は杯峠に差し掛かりました。


 かつては人通りでにぎわい、酒場や宿が繁盛していた場所です。


 誰もがこの峠を越える時、どこかの店で一献きゅっとやっていたので杯の名を冠して親しまれていました。


 今ではすっかり寂れて、盗賊たちがよく潜伏する廃墟ばかりの峠道です。


「おや?」


 そんな扉も朽ち果てた酒場の廃墟に、人影が見えたではありませんか。


 まさかこんな真昼間から盗賊が? と思ったアルベールですが、よく見ると老婆の背中でした。


 まさかこんな真昼間から老婆が? と思ったアルベールは愛馬を下りてその廃墟へ足を踏み入れました。


「もし、ご婦人。いかがなさいましたか?」


 アルベールの声に、老婆が振り返りました。


 すっかり髪が真っ白くなった、こぢんまりとしたしわくちゃの老婆です。


 カウンターに座っており、木のコップを手にしていました。


 その動作は年の割にしゃっきりとしておりましたが、アルベールを見て固まったようでした。


 じろりと鋭い眼光がアルベールを睨みつけ、たっぷりと間を置いてから、しゃがれた声で素気のなく老婆が応じます。


「……酒を、飲んでおる」


 はてとアルベールは思いました。


 この老婆と会ったことがある気がしたのです。


 しかし見覚えがありません。


 騎士オブ騎士であるアルベールが一度会った女性を忘れるはずがないので、少し困惑しました。


 やがて勘違いだろうと思い直して見れば、老婆が持つ木のコップの中身はエールのようでした。


 その隣にアルベールが並びます。


「ご婦人、この場所は盗賊も出没して危うい場所です。もしよろしければ、私が都までお送りさせていただきましょう。そして是非とも、良い酒場を紹介させていただきたく存じます」


「わしは騎士が嫌いじゃ。放っておけ」


「それは……ここに参上してしまったのが騎士でまことに申し訳ない。しかしご婦人、か弱き女性をこのような場所におひとりにさせてはおれませぬ。私はこの廃墟の外で警護をさせていただく。そしてご婦人の思うままに旅を再開してくださいますよう。私はあなたに見えぬよう、安全を見届けるまで守護することを剣の十字に誓いましょう」


 最上級の騎士の礼を伴い、アルベールが真摯にそう宣言します。


 それには老婆が、眉をひそめたようでした。


 踵を返すアルベールに、


「待て」


 と声をかけて隣の席をぽんぽんと叩きます。


「見えぬ場所に騎士がおると思えば、落ち着かぬ。なれば目の届く場所におるがよい」


「御寛恕、痛み入ります。ご婦人、私でよければ、一献お付き合いいたしますよ」


 アルベールが完全兜を外せば、凛々しく精悍な男の顔が現れます。


 その顔を老婆は、じぃと見つめます。


「そのような顔をしておったか」


 ぽつりと呟く声にアルベールが首をかしげます。


「私をご存じでありましたか?」


「……そなたは有名な騎士じゃ」


「恐悦です」


 アルベールは嬉し気に微笑みますが、老婆はぷいと顔をそむけます。


「ご婦人、どちらからいらして、どちらへ行かれるのですか?」


「ふん、あてはないわ」


「あてがない、ですか?」


「わしはかつてこの辺りに住んでおった。それが戦争、戦争でヒベルニアへと逃げねばならんくなったのじゃ。もうすっかり故郷も廃れた。それもこれも、おぬしらの王の祖、かの大帝と騎士たちが優れておったおかげじゃのう!」


 皮肉げな老婆に、アルベールは困った顔になってしまいました。


 今の王様のおじいさんにあたる大帝は、それはそれは偉大な人物でした。


 それを悪く言われてしまっては、当代に生きる騎士として憤慨しないわけにはいられません。


 しかしか弱い老婆に怒りを突き付けるわけにもいかないのです。


「それが騎士を嫌う理由ですか?」


「それだけではないわ! かの大帝の部下にとある騎士がおった。そ奴は騎士の鑑と言える男であったが……そ奴は国とわしとどちらかを選ばねばならぬ選択において、国を選びわしを捨てたのじゃ!」


「むむむ!」


「何がむむむじゃ! よいか、アルベールよ。若い頃のわしは、それはそれは美しかった。その評判で求婚に来た男もひとりやふたりではないわ。だがそのどれもが軟弱者ばかりよ」


「ええ、ええ」


「しかしかの騎士は違った。他の男どもと違って、骨があったでな。わしもちょっとはその気になったのじゃ」


 コップの中身を飲み干して、老婆はさらにヒートアップしていきます。


 アルベールがすかさず腰の皮袋から、葡萄酒をお酌します。


 それを老婆はくんくんと匂い、少しだけ嫌な顔をしました。


「良い酒じゃな」


「それはもう。しかしお気に召しませんか?」


「わしらが飲むのはエールじゃ」


 不満気ですが、しかし老婆は葡萄酒を飲んで美味いとぶっきらぼうに呟きました。


「かの騎士も若かったわしを憎からず想っておった。幾度か逢瀬を重ねるうちに、熱い想いが通じ合ったものじゃ。しかし戦争じゃ。戦争の時代であった。かの騎士は国とわしと、どちらかを選ばねばならず……」


「国を選ばれてしまった……」


「そうとも。その時のわしの気持ちが分かるか!」


「……申し訳ありません、ご婦人」


「ふん」


 老婆がコップの中身を飲み干して、アルベールへと突き出します。


 丁寧にアルベールが葡萄酒をお代わりしました。


「しかしご婦人、私には分りますよ。かの騎士が、騎士としての道を選んだのが、どれほどに苦渋の決断であったかが」


「おぬしに何が分かる」


「騎士たるもの、国王陛下に対する忠義こそ本懐。しかもかの大帝に忠義を捧げられるとなれば、それは騎士としてこれ以上ない栄誉です。そしてご婦人が恋したかの騎士は、騎士であるからこそご婦人の恋を勝ち得た。そう、つまりもしもかの騎士がご婦人への愛を選んだならば、それはご婦人の愛をもないがしろにすることになるのです!」


 アルベールのこの言葉に、老婆がううむと唸りました。


「……なるほど、分っておるようじゃな」


「恐悦至極」


「だがでは、後に取り残されたこのわしの怒りはなんとする!」


「私が愛を注ぎましょう!」


 老婆の両手をアルベールが熱く握りしめます。


 そしてそのまなざしは、燃えるような感情を灯しているではありませんか。


「ご婦人、どうか私にご婦人と恋のひとときを過ごすことを許していただきたい」


「馬鹿なこのような老婆を!?」


「老若が関係ありましょうか! 否! むしろその気高き魂に、私は敬服と敬愛を覚えずにはいられぬのです」


 アルベールの真剣そのもののまなざしに、ここに来て老婆が怯んでしまいました。


 それにはアルベールも、まなざしの熱を和らげます。


「……ご婦人がこの手を振りほどく選択に、私は何の異存もございません」


 アルベールの声はどこまで優しく老婆の耳に響きました。


 かつてかの騎士が、老婆か国かを選択しました。


 しかし今、逆に老婆の手の中にこそ選択肢が握られているのです。


 老婆が何度か唸り、アルベールをじろじろと観察するように睨みました。


 それから何か結論づけたように、


「よかろう、アルベールよ! このわしの七十年前の青春、掘り起こせるものならば掘り起こしてみせよ!」


「七十年分の青春を存分に謳歌していただく! ご婦人、どうかその御名を我にささやきたまえ!」


「ギナと呼ぶがよい!」


「ギナ!」


 熱い血潮のままにギナをお姫様抱っこして、アルベールは颯爽と愛馬にまたがりました。


 そしてトニトゥルスを走らせました。


 アルベールの腕の中は、女としてここ以上に心地の良い場所などあるのかと思うほどでした。


 どんなお姫様もうらやむ完璧な相乗りでした。


 ギナをお姫様だっこした時、やっぱりアルベールはギナと出会ったことがあったような既視感を覚えましたが、それを騎士が言えずやはり小首をかしげました。


 しかし今は会ったことのありなしは問題ではありません。


 ただひたすらギナに騎士の愛を注ぐために集中します。


「さぁ、まずは都へ参りましょう!」


 白馬が一息に峠を下り、街道を駆け抜けます。


 やがて華やかな都が見えてきます。


 王宮のある都はたくさんの建物がひしめき、たくさんの人たちが行き来します。


「随分とにぎわいを取り戻したものじゃ」


 馬上でギナが感心したように俯瞰します。


「あなたがいた頃は、この都はまさに寂れていた時期でしょう。あれから国が三つに分かれてしまい、人が集まることができる街が限定されてしまいました。皮肉にもそのおかげで、また栄え始めたのですよ」


「なるほど」


「まずはお召し物を」


 巧みに白馬を操り、アルベールが最初に向かったのは仕立屋でした。


 そこでギナの旅塵に汚れた服を預けて、新しい服を調整してもらいました。


 ナウいけれどヤング過ぎず、上品でエレガントな服です。


 さらに髪を整えて軽い化粧をすると、なんということでしょう!


 市井に遊びに出ている貴婦人にしか見えません!


「よくお似合いですよ」


「た、たわけ」


 にっこりと微笑み褒めるアルベールには、さしものギナもぶっきらぼうに言いながら、内心の乙女心がヒートアップしました。


 アルベールがその手を取って、街に繰り出しました。


 そのエスコートは、老人を労わっている感じがまったくない究極の女性の扱いでした。


 道行く者たちは、まずふたりが恋人だと自然に認識してしまい、通り過ぎた後ふと年齢差に気づいて振り返るのです。


 時折、ふたりに奇異の目が向けられることがありました。


 しかしそんな視線をアルベールはギナが察しないように立ち振る舞い、冗談を語り掛けて気を逸らすのです。


 完全に完璧で髪の毛一筋もギナに恥をかかせる瞬間を生まない、アルベールのパーフェクトエスコートでした。


 大きな通りに出ると、人の流れがいっそう活気づいてきました。


 人がたくさん溢れており、それを狙った露店がずらりと並んでいます。


 アルベールは人通りからギナを守りながら颯爽と進んでいきます。


「人が多いのう」


「巡礼のために集まった者たちです。聖ヤコブの墓へ詣でるのが流行っていますからね」


「今はそういうのが流行っておるのか」


 敬虔な信者たちを送り出すため、派手に花を撒き、旅の無事を祈る神父様もいます。


 大道芸や吟遊詩人の歌なども入り交じり、お祭りのような雰囲気でした。


 露店を見て回れば美しい小物などが並んでいます。


 ふたりして楽しく見て回りますが、アルベールがふーむと顎を撫でました。


 そして、花を一束手に入れてギナへと差し出します。


「いろいろな品がありますが、あなたには花が似合いますね」


 その一輪でギナの髪を飾りました。

 

「……かの騎士と似たことを言う」


 ぷいと背けたその顔はまんざらでもなさそうでした。


 やがてすっかり日が傾いた頃、再びアルベールがギナを白馬に乗せて走り出します。


 そう時間もかけずに、都から少し離れたアルベールの館へと辿り着きました。


 使用人たちがふたりを出迎えて、すぐに豪華な食事が用意されました。


 ギナの年齢に配慮しながら、しかしその配慮を感じさせない技術を尽くした食事内容と、上等なお酒が並びます。


 ゆったりとした食事の時間、ギナは外国の話を、アルベールはこの国の話を、ぽつりぽつりと語り合います。


 やがて楽しい食事が終わる頃、ギナが降参するように言いました。


「アルベールよ、不覚にも楽しい一日であった。騎士は嫌いじゃ。この国も……しかしそなたを憎み切れなくなってしまった」


「恐縮です。この一日を、あなたにとって素晴らしいものにできたのなら、私にとってこれ以上ない喜びです」


 ギナが溜息をつきました。


「この国を離れてから、わしはろくな男との出会いがなかったものじゃ。わしをたぶらかそうとする者、わしを利用しようとした者。わしもまた、それらを利用し返し、返り討ちにしたものじゃったが……思えば寂しい遍歴ではないか」


「ギナ」


 物憂げになるギナの唇を、アルベールが人差し指でふさぎます。


「未だあなたにそのような顔をさせるのは、私の不徳の致すところ。ギナ、さぁこちらへ。この夜だけで、あなたのこれまでの人生の寂しさ全てを帳消しにして見せましょう」


 アルベールが優しく、しかし激しくギナの手を取ります。


 そのまなざしの熱に、ギナが躊躇を見せました。


 この手にそのまま導かれれば、アルベールが本気でギナを抱くと確信したからです。


 そしてギナは、それすら心の奥底で望んでいた最後の希望だったと、自分自身で今確信をしました。


 かの騎士とのデートや、蜜なる夜。


 アルベールはアルベールの想うままに行動しながらも、それがギナの未練をことごとく解きほぐしてゆくのでした。


 そんなアルベールの男ぶり、騎士ぶりを見せられて引き下がっては女がすたります。


 今ギナは七十年にも及ぶかの騎士への恋慕という呪縛を超越し、自由な乙女心で情熱のままその身をアルベールへ預けました。


「アルベール!」


 その夜、アルベールとギナは熱く激しく、甘く優しい夜を過ごしました。


 ───その深夜。


 寝室の窓辺で、夜空の満月を裸身で眺める美女がいました。


 若々しい四肢は芸術品と見紛う白さと艶を備えています。


 豊かな金髪をかきあげて月光を浴びる様子は、まるで異教の女神さながらではありませんか。


 まかさこの美女は!?


 そうです、ネメトンに乗り込んでいたあの美女ではありませんか!


 ベッドには精悍な肉体を惜しげもなくさらしながら眠るアルベール。


 先程まで華奢な老躯を丹精込めて愛撫し、蜜のような愛をささやいた騎士は泥の様に意識を失っていました。


 しかしベッドにはアルベールひとりだけ。


 はたしてギナはどこへ行ってしまったのでしょうか!


 その寝顔を見下ろし、金髪の美女の指先がアルベールの首にかかります。


 しかしいつまで経ってもその指先に力はこもりません。


「馬鹿な騎士」

 

 剣呑な言葉でしたが、美女のまなざしには慈しみと愛しみが溢れているではありませんか。


「……今日のところは、見逃してあげるわ」


 寂しげに騎士の額にキスをして、美女は身をひるがえしました。

 

 そうして窓の外へと身を滑らせて、美女はするりと夜へと消えていきました。


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