古い傷跡
シュラウド様は約束通り、トレイにコーヒーと、着替えを腕に引っ掛けて戻ってきた。
暖炉の前の、私の座っている絨毯の上に銀のトレイを置くと、腕に引っ掛けていた服をばさりと広げた。
それは、男物の黒いローブに見えた。何の飾り気もないすとんとしたローブで、私が二人は入ってしまうのではないかというぐらいには大きい。
「アミティ、軍というのは基本的には男所帯でな。荷物置き場を漁ってみたが、着替えとしては、これぐらいしかなった。これは本当は上下揃いの寝衣なんだが、上着だけでも小柄な君には十分なのではないかと思うが、どうだろう」
「ええと、あの、はい……」
私の身長よりもお洋服の裾が長そうだった。
頷く私の前にシュラウド様は膝を突いて、着替えを絨毯の上に置くと、私のショールに手をかけた。
「部屋は暖炉の炎で暖まっただろうが、脱ぐと少し寒いかもしれない。薬を塗ったらすぐに服を着せる。我慢できるか?」
「はい……」
私は俯いた。
それはつまり、お洋服を脱いで、見せるということ。
シュラウド様に嫁ぐと決まった時から、好きにしていただく覚悟なんてとっくにできている。
とはいえ、覚悟を決めるのも烏滸がましいほどの、貧弱な体だ。
見せたところで、失望されるだけ。
それに──私には、生きてきた環境と同じぐらいの、欠陥がある。
「アミティ、傷を見るだけだ。心配ない」
怖がる私を宥めるように、シュラウド様が声をかけてくださる。
シュラウド様は私からショールを外すと、スカートや袖がぼろぼろになっている辺境伯家で着せていただいた長袖のワンピースを脱がせてくれた。
背中にある紐を解かないと脱げない作りなので、一人での脱ぎ着は困難なお洋服だ。
人に着せてもらうことを前提で作ってあるのだろう。
貴族の女性の服は基本的にはそのような作りになっている。
自分で服を脱いだり着たりすることは、まずない。
私は、違ったけれど。
「……あぁ、美しいな、アミティ。なんて、見惚れている場合ではないな。やはり腕にも、擦り傷がある。薬を塗ろう。寒くはないか?」
「大丈夫です……」
白いレースの下着だけになった私は、自分の体を両手で隠した。
けれど、腕を出すように言われて、遠慮がちに片腕ずつシュラウド様に差し出した。
丁寧に傷薬が腕に塗り込められる。
皮膚の上を無骨な手が滑るたびに、皮膚が粟立つようなぞわりとした感覚が背中を這い上がってくる。
嫌悪感とも違う何かに私は戸惑い、空いている方の手をぎゅっと握りしめた。
「腕と、足、だけかな。軽い傷で済んでよかった。少しでも俺がたどり着くのが遅れていたら、体のどこかが、噛みちぎられていたかもしれない。本当に、無事でよかった」
シュラウド様はそう言って、私の体を確認するように視線を向ける。
腕や、腹や、足や顔を見た後に、その視線は背中で止まった。
「アミティ、これは」
私はびくりと体を震わせる。
気づかれてしまうだろうことは、わかっていた。
背中のそれを、私は自分で見ることができないけれど。
きっと、無残な状態になっているのだろうと、思っていた。
「……何があった。何をされた」
シュラウド様は私の両腕を掴むようにすると、私の顔を覗き込む。
私は俯いたまま、首を振った。
「ごめんなさい、私、傷のある、女なのです……どのみち、私はシュラウド様には、ふさわしくなくて……」
「そんなことは良い。君に傷があることを咎めているのではない。新しい傷は、傷薬で治るが、古い傷はそうはいかない。……これはかなり古いものだな。子供の頃か? こんなに、大きく……残酷な」
「……っ」
シュラウド様は私の体を腕の中に閉じ込めるようにして、きつく抱きしめる。
服を着ていない皮膚に、シュラウド様の軍服の硬さや、その下の、体の逞しさが、より近くに触れる。
鼓動さえ、皮膚を通して伝わってきそうなほどに近い。
呼吸をするのを忘れてしまうぐらいに、胸が苦しい。
シュラウド様の手のひらが、私の肩甲骨の上あたりにある古傷の形を辿るようにして、優しく触れた。
「……何故、このようなことを。火傷ではないな。皮膚を剥がされたような、傷跡だ。何のために……!」
「私にも、よく、わかりません……ある日、父に呼ばれました。手足を、縛られて、動かないようにベッドに、括り付けられて、背中を……。その後のことは、よく覚えていません。ただ、あつくて、痛くて、訳がわからなくて……」
忌まわしい記憶だけれど、今でもそのことを思い出すと、微かに混乱する。
父は私を嫌っていたけれど、父から暴力を振るわれた記憶は、後にも先にもそれ一度きりだ。
私が憎くて、背中の皮膚を切り裂いたのかと思った。
けれど、罵られるわけでもなく、殴られることもなく、何かの目的を持って、そうしたようにも感じられる。
何のためなのかは、まるでわからないけれど。
「……アミティ。俺の考えている以上に、君の暮らしというのは、劣悪なものだったんだな」
「……わかりません。私にとって、それは、当たり前の生活、でしたから……」
「それは当たり前などではない。アミティ、残酷な傷跡だが、傷跡を含めて、君は美しいよ」
シュラウド様は、私の体をそっと離すと、私の背中に祈るようにして口をつけた。
傷跡に触れる唇の感触に、羞恥心から頬が染まった。
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