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森の中の小さな砦



 シュラウド様が草むらを進んでしばらくして、小道が現れた。

 夢中になって走って逃げたので、私は森の中ですっかり迷子になったと思っていたのだけれど、シュラウド様はご自分のいる場所をしっかり把握していらっしゃるようだった。

 私はシュラウド様の腕の中で、何も言葉を口にすることができずに、小さく縮こまっていた。

 迷惑をかけてしまったという罪悪感と、欲しいと言っていただけた喜びと、戸惑いと、それから、初めて目尻や頬に触れた唇の熱さで、どうにかなってしまいそうだった。


「アミティ、君は軽いな。そして、柔らかい。幸運の妖精を抱いて運べるとは、光栄なことだ」


「……シュラウド様……私、そのような、ものでは……私は、不吉な、蛇で……」


「王国は広いからな。オルステット公爵領は、我がハイルロジア辺境伯領とはかなり離れた場所にある。国の最北の領地になど、余程の物好きでもない限り来ないだろう」


ハイルロジア辺境伯家に馬車がたどり着いたのは昼過ぎで、今はもう、日が陰り始めている。

 毎日のようにお庭で洗濯をしていた私は、オルステット公爵家の暖かい日差しについては、よく覚えている。

 オルステット公爵領は温暖で、ハイルロジア辺境伯領とは、空に輝くお日様は同じものだと思うのに、その日差しも気候も、何もかもが違う。


「我が領地では、雪原に金色に輝く妖精を、幸運のアウルムフェアリーと呼ぶ。君の白い髪や金の瞳は美しく、崇められるものでこそすれ、貶められるようなものではないよ」


「……白い、蛇のようだって、……私の、家族も、使用人たちも、みんな、言っていて……白蛇と、私は、呼ばれて……」


「俺は白い蛇も美しいと思う。アミティ、君は美しい。こうして、暗い森の中にいると、本当に妖精のようだな」


「お世辞、でも、……嬉しい、です」


 こういう時、なんと返したら良いかわからない。

 容姿を褒められたことなんて、ない。

 小さな声を絞り出すようにして、なんとかそれだけを言った。

 シュラウド様は私を元気付けるために、たくさん気を遣ってくださっている。

 ありがたい、けれど──苦しい。


「アミティ、俺は腹芸の類は得意ではあるが、得意な分、不要な時にはそれをしたくないと考えている。つまり、俺は君に、嘘をつかない。数刻前、俺は君を妻として契約をして欲しいと言って傷つけただろう。その結果が、これだ。あと数刻遅れていれば、君は、森の中で無惨に食い殺されていた」


「……それは、私が」


「君に落ち度などない。慣れない地で、あのように言われれば、傷つき逃げ出そうとするのは当然のことだ。俺は君のことを知らなかった。知らなかったが、それは言い訳にならない。すまなかったな、アミティ」


 どうして、シュラウド様は私に優しくしてくださるのだろう。

 オルステット公爵家から押し付けられた、いらない、私を。

 わからない。わからないけれど、苦しくて、苦しくて、……嬉しいと、思ってしまいそうになる。


「あ、あやまらないで、ください……っ、そんな、私は、そのような……」


「俺のような男に触れられて、悲鳴をあげず、青ざめて震えない貴族令嬢など、この国には君ぐらいしかいないだろう。俺は幸運だ。君が、俺に幸運を運んできてくれたのだろう」


「そんなこと、私、には……」


 小道を進むと、そこに唐突に、立派なお屋敷が現れた。

 お屋敷というよりは、小さな砦に見える。

 高い石壁に囲まれた石造りのお屋敷は、どことなく寒々しい。


「着いたぞ、アミティ。思いがけず、ハイルロジアの屋敷から逃げ出せたな。皆には何も伝えてこなかったが、まぁ、良い。俺のことだ、連絡がないとなれば、問題がないと思われているだろう」


「連絡をしないと、心配、されてしまうのではないでしょうか……シュラウド様は、大切な立場のある方、です」


「死神と呼ばれるほどに俺は強い。一人にしていても死にはしないと思われている。心配はされているだろうが、させておけば良い」


「で、でも……」


「家人たちが俺の心配をするのは、家人たちの勝手だ。心配をするなと言っても勝手に心配をする。放っておけば良い」


「私のせいで、迷惑を……」


「娶った嫁と、二人きりで一夜を過ごすのは、ごく、普通のことだろう?」


「シュラウド様……私……」


「怖いか、アミティ。狼に襲われたところを助けた男もまた、狼だとしたら」


「私、私に、できること、なら……」


 私はシュラウド様の軍服をぎゅっと掴んだ。

 こんな私を、求めてくださるのなら、差し出せるものはなんでも、差し出したい。

 シュラウド様が欲しいと、言ってくださるのなら、何でも。


「なんて、な。そう急くつもりはない。だが、アミティ、君は俺のものだ。俺の嫁である君と二人で一夜を明かすのだから、なに一つ悪いことはしていないだろう。家人に、気を遣う必要はない」


「……私」


「今はなにも考えなくて良い。アミティ、俺に抱きついていろ。君は柔らかく温かい。ハイルロジアの寒さも、忘れてしまいそうなほどな」


 シュラウド様はそう言うと、門を抜けて、私を抱き上げたまま器用に鍵を取り出して、鍵穴に差し込んでガチャリと回した。

 お屋敷の扉を開くと、中は外と違って絨毯が敷かれていて、寒々しさはあまり感じなかった。


「ここは、森の見張り用の小砦だ。ハイルロジア辺境伯領に隣接して、北の蛮族であるスレイ族がいる。それから、隣国のオスタリア帝国。どちらも我が国の領土を狙っている。ハイルロジア辺境伯家は有事に備えて強固な作りになっているが、そこまで兵に攻め込まれないために、森の各地にこのような小砦が点在していてな」


「そうなのですね……」


「あぁ。今は季節が冬に向かっているだろう。冬に戦争を仕掛けてくるのは余程の愚か者だ。冬の行軍は、兵站を食い潰す。つまり、現状は落ち着いている。小砦も、いつでも使用できるように管理はしているが、常に人が詰めているわけじゃない。二人きりだ、アミティ」


「は、はい……」


 シュラウド様はそう言いながら私を部屋の奥まで運んだ。

 一階にある広いリビングのソファに私を座らせると、私の足元に膝を突いた。


「あらためて、すまなかったな、アミティ。それに、怖い思いをさせた。衣服も、切れてしまったな。足はどうだろうか、切り傷はないか。走って疲れただろう。靴を脱ごう」


「わ、私……」


「俺に全て任せておけ。君はなにも考えなくて良い」


 シュラウド様はそう言うと、私の履いている足首まである茶色い革靴を丁寧に脱がせた。

 靴下を履いた足が顕になる。

 靴下もするりと脱がせて、白すぎるほど白い不健康な足が、顕になった。


「シュラウド様……っ、だめ、です……」


「やはりな。慣れない靴で走ったせいだ。踵が切れている。それに、草で切っただろう。擦り傷もできている」


「あ……」


 大きくて無骨な手が、私のふくらはぎをたどり、スカートを捲り上げて顕になった太腿に触れた。


「この分では、腕にもあるな。せっかく嫁いできてくれたのに、傷を負わせてしまうとは。アミティ、ここにいろ。傷薬を持ってくる。それから、逃げてはいけない。逃げたとしても、俺は君を追いかける。俺はしつこいぞ、かなりしつこい。だから、逃げるだけ無駄だ」


「……シュラウド様……ご自分で、しつこい、なんて……」


 どことなく自慢げにシュラウド様が言うので、なんだか、胸がふんわりして。

 私は、思わず笑みをこぼした。

 シュラウド様はそんな私の頬をさらりと撫でると、目を細めた。


「愛らしいな。……アミティ、良い子で待っていろ」


「は、はい……」


 私は捲り上げられたスカートの裾を掴んだ。

 シュラウド様は「寒いだろう」と言って、手早く暖炉に火を熾してくれた。

 パチパチと炎の爆ぜる音が、小さく聞こえる。

 部屋が暖まるとともに、窓が、白く曇った。




 

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