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抜け出した罰



 裏門に近づくにつれて、美しいヴィスパルの街だけれど――どこか、不安になるような静けさが漂いはじめる。


 人の姿もどんどん減っていき、中心街とはまるで違う街のようだ。

 美しい石畳でさえ、それはただの石でしかないのに、私を拒絶する冷たいもののように感じられる。


 裏門は開いていて、門番の方々が立っている。


 このまま通して貰うことができるのだろうか。先にあるのはゴミ捨て場なので、許可が必要とも思えないけれど――。


 でも、ここで捕まって身分を確かめられて、ロクト様の元に連れ戻されるのは嫌だ。

 私は建物の影に隠れて様子をうかがった。


 ややあって、新しい門番の方が現れる。何やらもめごとが起ったらしく、門番の二人を連れて、剣を抜くとどこかに走っていった。


 私、運がいい。

 この隙だと、裏門を走り抜ける。

 ドレスは走りにくいけれど、私は足が速い。素早く門を抜けて、見つからないようにヴィスパルの街中とは違い、両脇に草木の生い茂る一本道を進んでいく。


 門が見えなくなったところで、走るのをやめて早歩きに変えた。

 さすがに長時間走り続けると息がきれる。それに、ロクト様の用意してくださった靴は、ヒールが高くて繊細で美しい作りだけれど、走ると足が痛む。

 踵も、折れてしまいそうだし。


 しばらくして、ゴミ捨て場と思しき場所が見えてくる。


 そこには、街中から集められたゴミが集まっていた。

 煙突からたちのぼるのは焼却施設の煙だろう。

 焼却待ちのゴミが――たぶん、放置しても問題のない服やぬいぐるみやソファや、壊れたランプなど。

 そういったものが、詰まれている。

 おもちゃ箱をひっくり返したような光景だった。


「ここに、ハリネズミさんが……」


 ハリネズミさんも、すぐに燃やさなければいけないようなものでもない。

 きっとどこかにあるはずだ。あるとしたら、新しく持ち込まれたのだからゴミの山の手前。

 

 私は詰まれたゴミを一つ一つ確認していく。

 手のもげた人形。

 古びた服。

 傷のついた椅子。


 どれもこれもまだ使えそうなものばかり。

 ゴミ山にあるものだけで、十分に暮らせそうだ。

 

 でも――美しくないものは、この街には置いておけない。


 鼻先に、冷たい水があたった。

 晴れていた空にはいつの間にか水気をたっぷり孕んだぶあつい雲が立ちこめている。

 ぽつぽつと、雨の雫が頬に、鼻に、髪に落ちる。


 さぁぁと音を立てて降り出した冷たい雨の中、私は必死になってハリネズミさんを探した。


 あの子を見捨てて逃げることなんてできない。

 きっととても、寂しい思いをしているだろう。

 あの子は私の――家族との、たった一つ残された繋がりだ。


「――あった!」


 ドレスに雨水が染みこみ、結って貰った髪がぐちゃぐちゃに崩れて水滴がぽたぽた落ちてくる。

 目の中に入り込もうとしてくる雨水を腕で拭って、私はゴミ山の中にくったりと倒れ込んでいるハリネズミさんに駆け寄った。


「あった、よかった……!」


 ハリネズミさんを抱き上げようとした。

 けれど私の手は空をきった。その代わりに鈍い痛みが腕に伝わってくる。


 手首を掴まれて、腕をひねりあげられている。


「ロクト様……?」


 ロクト様が私を罰しに来たのだろうか。

 言葉は冷たいけれど――気に入らないと、乱暴さえする人だったのだろうか。

 

 振り返った私が見たのは、ロクト様ではなく、怖い顔をした男性たちの姿だった。

 とてもヴィスパルの住人とは思えない、薄汚れた姿をしている。

 髭のはえた口に、にやにやといやらしい笑みを浮かべていた。


「やっぱりな! そうだと思った。お前はロクトの妻だな、最近結婚したばかりの妻だ!」


「まさかと思ったが、こんなところでゴミ漁りとはな!」


「裏門を通してやって正解だっただろ? 騒ぎを起こしてよかったじゃねぇか、俺の言ったとおりによぉ」


「あなたたちは……!」


 間抜けな質問だわ。

 そんなこと、考えなくてもわかるのに。

 この方々は、悪い人たち。それだけは確かだ。

 掴まれた腕が、気持ちが悪い。私を取り囲むようにしている男たちからは、酷い匂いがする。

 ロクト様とは、当然だけれど――全く違う。


「俺たちが誰だろうとお前には関係ねぇことだ。馬鹿な女だ、こんなところに一人で来るなんてよ」


「俺たちはついてるぜ。こいつを攫えば、ロクトはいくらでも金を出すだろ」


「金を出させて、こいつは売っぱらって、さっさと恐ろしい侯爵閣下の元からおさらばしようぜ」


 男たちは下品な笑い声をあげた。

 それから、唐突にいいことを思いついたように目配せをしあう。

 嫌な汗が背中を流れる。

 雨に濡れて体は冷え切っているはずなのに、更に体温がさがっていくようだった。

 体の奥が、凍り付いてしまったようだ。ハリネズミさんのつぶらな瞳が、男たちに投げ飛ばされた私を見ている。


「あの侯爵には、ずいぶん痛い目に合わされたんだ」


「この街で罪を犯すな、だとよ。あいつが侯爵になってから、警備はさらに厳しくなった。俺たちの仲間もずいぶん捕まって、首をはねられた」


「あいつは血も涙もない、冷酷な怪物だ」


「ロクト様は……変わっていらっしゃいますけれど、怪物などではありません! 罪を犯さず生きることは、ごく当たり前のこと。それができない方々のほうがよほど怪物です!」


「大人しそうな顔して生意気な女だ」


「どーせ売っぱらうんだ。その前に、お前を痛めつければ少しは気が晴れるってもんだ」


「顔もまぁ、悪くねぇしな。貧相だが」


 貧相――と、また言われた。

 ロクト様に言われたときは腹も立たなかったけれど、どうしてこんな連中に馬鹿にされなくてはいけないのだろう。

 許せない。酷い。最低だ。


 でも――起き上がって抵抗をしようとしたら、もう一度投げられて、痛みに視界が揺れる。

 男たちの手が私に伸びる。


 これは、罰なのだろうか。

 嫁いだ先で大人しくしていなかった、罰。ロクト様ときちんと話し合わなかった罰。

 侍女の方々は優しくしてくれたのに、相談もせずに飛び出してきた、罰。


「いやぁああっ! 触らないで! 近づかないで! 来ないで、来ないで……!」


 大きな悲鳴が、次第にか細くなっていく。 

 恐怖のせいで声が震える。うまく息ができない。声も、掠れてしまって、出てこない。

 大きく見開いた瞳が――赤く染まった。


 男たちが、苦悶の表情で地面に転がる。

 血と雨が混じって、黒い地面に赤い川をつくる。


 唖然としながら見つめた先に、雨に濡れてもなお月の化身のように美しいロクト様と、ロクト様の兵士の方々がいた。




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