コルトアトルのお風呂
ジャニスさんを筆頭に、侍女の方々が「アミティ様、神獣様の湯浴みの準備ができました」と呼びに来てくれたのは、昼過ぎのことだった。
その時コルトアトルはお昼寝をしていて、私はお部屋が汚れないように布を敷いて、エプロンをつけて、木彫りに挑戦していた。
柔らかい木を彫刻刀で削って、形にしていくのである。
シュラウド様の執務机の上には、騎士団の皆様からのプレゼントの木彫りの羆がいるのだけれど、もっとリスとか、ウサギとか、可愛いものが作れないかなと思ったのだ。
ちなみに今は、オルテアさんを作っている。
オルテアさんにはずっとお世話になっているから、私のはじめての作品はオルテアさんにするつもりだ。
「アミティ様の頼みなので用意したのですが、絶対に手を怪我しないようにしてくださいませね。ジャニスは心配です。アミティ様の白い手が、彫刻刀で切れてしまったらと思うと」
「大丈夫ですよ、ジャニスさん。これでも、ずっと包丁を持ってお料理を手伝っていましたし、薪割りだって、縫い物だって、なんでもしてきたのです。だから、結構器用なのですよ」
「アミティ様……」
「あっ、ごめんなさい。昔の話は、あまりよくないですよね。でも、もう悲しいとか苦しいとかはないのです。いろいろ経験できましたから、むしろよかったかなと思うのですよ」
「とてもお強くなられました、アミティ様。でも、ご無理なさらないでくださいね」
「私が強くなったのだとしたら、それはシュラウド様やジャニスさんたちのおかげです。もちろん、オルテアさんやコルトも」
「はい!」
木彫りはひとまず終わりにして、木屑を片付けてエプロンを外した。
木を削るのは、時間がかかる。
出来上がるまでは、一ヶ月以上かかりそうだった。
私は結構、地道な作業が好きだ。
シュラウド様の眼帯を作るのも楽しいし、パイやクッキーを作るのも楽しい。
栗の皮剥きも、芋の皮剥きも好き。
無心になれる作業が好きなのだと思う。
今まで自分が何が好きかなんて知らなかったけれど、少しずつ自分のことが分かっていく日々がとても愛しく、楽しい。
「コルト、お風呂ですよ。起きてくださいな、行きますよ」
ジャニスさんに木彫りの作業の片付けを手伝ってもらってから、私はオルテアさんのふわふわの毛並みの上で眠っている、小さなコルトアトルを抱き上げた。
白くてすべすべして、少しひんやりしている。
私の腕の中で身じろいで、小さな口を開けてあくびをした。
「か、可愛い……」
「可愛いですね……」
ジャニスさんが「可愛いなんて、神獣様に失礼……でも可愛いです……」と悩んでいる。
私は笑いながら「可愛いと言っていいのではないかなと思いますよ。この子は、人の愛を知りたいのだと思います。愛情を向けられて、嫌だと思う人なんていないのと同じように、コルトもきっとそうなのでしょう」と言った。
「ありがとうございます、アミティ様。アミティ様はきっと素敵なお母様になりますよ。このジャニスが保証します」
「嬉しいです。シュラウド様との子供が、たくさん欲しいなって思っているのですよ」
「旦那様は幸せ者ですね。ハイルロジア家も賑やかになりますね! 私は長生きをしないといけません。アミティ様の孫までこの手に抱くのが夢なのです」
「ふふ……ジャニスさん、ずっとそばにいてくださいね」
「もちろんです!」
ジャニスさんは、ふくよかなお腹をぽんっと叩いた。
「私の肉布団は、子供がよく寝ると評判なのですよ。アミティ様にも見せて差し上げますね。私に抱かれた赤子は、一瞬で眠りにつくのです」
「お肉……ふふ、ごめんなさい。でも、ふふ……」
笑っていいのかしらと思いながら、私は堪え切れずに肩を震わせた。
腕の中のコルトアトルが嬉しそうに、私に体を擦り付ける。
私のそばをのしのしと歩いているオルテアさんが『愉快な女だな』と、珍しくジャニスさんについて好意的な感想を呟いた。
ジャニスさんに案内されたお部屋に準備されていたのは、つるりとした陶器の丸い浴槽だった。
コルトアトル用に小さいけれど、特別製なのだろう、ただのタライではなくてきちんと浴槽の形をしている。
その中のお湯には、いい香りがする薔薇の花弁が浮かんでいる。
「アミティ、コルトを風呂に入れるのだろう? 今、呼び出されたから見にきた」
「シュラウド様! すごく素敵なお風呂を用意していただきました」
「噂を聞きつけて、屋敷のものたちが全て集まってきたようだな」
顔を出してくださったシュラウド様の後ろから、使用人の皆様が部屋を覗き込んでいる。
皆がコルトアトルを大切に思ってくれているのが嬉しい。
ルーウェルの手記を読んだ後では、余計に皆の優しさが貴重なものに思えた。
「さぁコルト。お湯に入って見ましょう。怖くないですよ。あったかいです」
私はコルトアトルを、ゆっくりとお湯の中につける。
尻尾の先端がお湯に触れると、コルトアトルはびっくりしたように小さな羽を大きく開いてパタパタさせた。
いつもなんとなく眠そうな瞳が、驚きに見開かれている。
驚いている姿も可愛い。すごく可愛い。親馬鹿かもしれないけれど、可愛い。
「可愛いです、神獣様……」
「驚いている顔も尊い」
「なんて可愛いのでしょう」
侍女の皆さんも骨抜きになっている。そうよね、そうよね。可愛いものね。うんうん。
と、私は心の中で激しく同意した。
もう一度慎重にお湯に触れさせると、コルトアトルはもう慣れたのか、今度は嬉しそうに羽をパタパタさせる。
完全に体をお湯に浸けたコルトアトルは、気持ちよさそうに目を細めた。
それから「ぴー」と、小さな声で鳴いた。
「シュラウド様、コルトが鳴きました! お話、してくれましたよ!」
「そうだな、アミティ」
「嬉しいです……」
「よかったな。コルト、風呂は気に入ったか?」
「ぴー」
シュラウド様は私を撫でたあと、指先で軽くコルトアトルをつついた。
コルトアトルはシュラウド様の指に顔を擦り付けて、もう一度鳴いた。
大好きなシュラウド様に可愛いコルトアトルが懐いている。
あまりにも素敵な光景に、私は頬を紅潮させながら心の中で「素敵です……」と、何回も呟いた。
流石に口には出さなかった。
お屋敷の人たちがみんな集まっていたので、あまり恥ずかしい態度を表に出すのは憚られたからだ。




