割れる卵
膝をつくシュラウド様の横に、アルフレードさんが倒れている。
私とオルテアさんは、二人の前に降り立った。
「アミティ……何故、来た。オルテア、アミティを連れて、逃げろ」
シュラウド様の、食いちぎられた脇腹からの出血が、酷い。
それ以外にも、体中に傷があり、まだ意識があるのが不思議なぐらいだ。
「嫌です! シュラウド様はおっしゃいました。私は、神獣の愛し子だと。私にその力があるのなら、お父様の暴虐をおさめることができるのは、私しかいません」
「君を危険な目にあわせるぐらいなら俺は……!」
「あなたと一緒に、私は生きる。オルテアさん、シェイリスの卵を奪います」
『あぁ。馬鹿者が死ぬところなど見たくない。行くぞ、アミティ』
オルテアさんが、シェイリスに向かって駆ける。
向かってくる光の獣を搔い潜って、一瞬でシェイリスの前へと躍り出る。
「お姉様……」
シェイリスの瞳に、大粒の涙が浮かんでいる。
その体は、小刻みに震えている。
怖いのだろう。
人の血が、これほどまでに、流れている。
シェイリスは公爵令嬢として、大切に育てられた。
人の死も、血も、些細な怪我ですら――見たことなど、今までなかったはずだ。
「お姉様……たすけ、て」
「シェイリス! 愚かなことを言うな!」
お父様が、シェイリスの頬を思い切り張った。
大きな手のひらが、シェイリスの頬に打ち付けられる。
その衝撃でシェイリスは、卵を抱えたまま、床にぺたんと座り込んだ。
シェイリスの瞳が恐怖に見開かれる。
「助けて、お姉様、助けて……っ、お父様が私に、私の体に、私を眠らせて、紋章を縫い付けた……聖峰にのぼり、神獣の卵を、手に入れて……っ、怖い、怖いの、お姉様、怖い……」
ぼろぼろと、シェイリスの瞳から涙が零れ落ちる。
「王子様なんて、いなかった……スレイ族の男と、私は、結婚を……嫌、嫌なの……お姉様、ごめんなさい、ひどことをして、ひどいことを言って、ごめんなさい、助けて、助けて……」
うわごとのように、シェイリスは助けてと繰り返した。
今まで感じたことのない感情が、胸の底から湧き上がってくる。
それはたぶん、激しい憤りだ。
私はオルテアさんから降りて、シェイリスの前に膝をつく。
「シェイリス、怖かったわね」
「お姉様……っ、ごめんなさい、ごめんなさい、お姉様、こわい、お父様が怖い……っ」
「大丈夫、私があなたを守る」
悲しみと、憤りに、頭が痛むようだった。
私があの家からいなくなったあと、シェイリスはお父様に酷いことをされた。
全ては、お父様が王になるために。
そんなことのために。
シェイリスは泣きながら、私に向かい、輝く卵を差し出した。
「父に逆らうというのか、シェイリス! アミティに毒されたか……!」
「消えろ、公。子供は、お前の道具ではない」
私に向かいお父様が剣を振り上げる。
オルテアさんが私を庇い、空から落ちるようにして私の前に現れたシュラウド様が、お父様の喉に剣を突きつけた。
私の手が、輝く卵に触れる。
血液が沸騰するように、体が熱を持った。
何かが体中を駆け巡っているみたいだ。
熱い。
――そして。
愛しい。
卵から、その感情が、ただ一つの感情が伝わってくる。
待っていた。ずっと、待っていた。腕に抱かれる日を。卵から、孵る日を。
「―――っ」
光る卵の殻が、ぱきぱきと割れていく。
背中が焼けるように熱い。
私の背中に大きく紋章が描かれていく。
見えているわけではないのに、感じることができる。
「あぁ、くそ……! 私の国が、王になるという、私の夢が……!」
「くだらない夢の為に、多くの者を犠牲にしたのだな、公よ。届かない夢を思い――もがき苦しみながら、逝け」
シュラウド様の剣が、お父様の首から腹部までを、真っ直ぐに切り裂いた。
私は割れていく卵を腕に抱いて、その光景を目をそらさずに見ていた。
欲望は、野望は、夢は。
家族よりも、愛よりも、平穏よりも――大切なものだったのだろうか。
荒ぶる光の獣たちが、粒子を残して消えていく。
オルテアさんが私に向かい、首を垂れた。
『――主よ。待っていた』
卵から、強い光があふれて大広間を輝かせ、光の奔流は傷ついた人々の肌を優しく撫でていく。
光が収まると、私の腕の中には――小さな白い翼のある蛇に似た何かが、体を丸めて眠っていた。




