因縁と、愛し子
見知った顔が――吠えるような笑い声をあげている。
「久しいな、シュラウド……! 裏切り者め!」
俺は腰の剣に手をかけた。
城の兵たちが貴族たちを避難させ、ロクトの兵とハイルロジアから呼び寄せた兵たちが、スレイ族の兵と剣を合わせる。
テーブルが倒れ、グラスが割れる。
零れた赤ワインが血のように広がり、床を汚した。
「ロクト、陛下とアミティを頼む」
「私はヴィヴィしか守らない」
「ロクト様! アミティ様は私の大切なお友達です!」
ヴィヴィアナ嬢に咎められて、ロクトは深く嘆息した。
「ならば、仕方あるまい」
ヴィヴィアナ嬢はアミティと共にロクトの後ろに隠れる。
ロクトとフレデリクの前に、兵たちが壁を作るようにして並んだ。
「シュラウド様……!」
不安そうなアミティに、俺は笑顔を浮かべて見せた。
「心配ない。俺は、強い」
俺は剣を抜きながら、戦場と化している大広間に檀上から飛び降りる。
オルステット公が娘を庇うようにしながら、イシュタールの後ろに隠れている。
スレイ族の王イシュタール・スレイ。
俺たちはスレイ族と呼んでいるが、奴ら自身はその狭い土地を、スレイ王国と呼んでいる。
イシュタールは、俺がスレイ族に人質にされている時も、王だった。
暴力に晒され――死を悟ったとき。
俺は、反抗よりも恭順を選んだ。
生きてさえいれば、復讐の時が必ずやってくる。
死にたいと思ったことは、一度もなかったように思う。
殺してやるとは、ずっと思っていたが。
「シュラウド! 我が国への忠誠の証を体に刻みながら、我が国を裏切るとは! 我らは裏切り者は、許さん! 命を以て償え!」
「裏切る? 貴様らに忠誠を誓ったことなど、一度もない」
「その背の紋様は、スレイ族の証だ! 我らの仲間の証……! 貴様は父である俺を裏切ったのだ!」
「馬鹿だな」
湾曲した剣は、遠心力が刀身に乗り威力が増す。
剣を受けるにも、真っ直ぐな刀身同士よりも側面が当たらずに滑り、滑った力を利用して腕や指を切り落とす。
扱いが難しく、偶然うまれた力によって動きが変化するため、時には使用者の体を傷つけることもある。
特に狭い室内においては。
一対多では威力を発揮するが、乱戦ともなると、味方も傷つけかねない。
俺はイシュタールの振りかぶった刃を受けずに、その力を利用するようにして受けた反動で弾きかえした。
「弱い」
弾き返された反動で、剣を持つイシュタールの腕が大きく開く。
一瞬、防御ががら空きになった。
右足を軸にして体を回転させて、がら空きになったその顎を蹴り上げる。
イシュタールの体が仰け反ったが、それだけでは倒れずに、仰け反った体を無理やり戻して俺の腕を掴み、剣を振り上げる。
弱い。
あぁ、弱い。
スレイ族の人質になった頃は、この男はもっと大きいのだと、思っていた。
けれど――今はあまりにも、脆弱に過ぎる。
「死ね」
掴まれた手を掴み返し、思い切り引く。
バランスを崩し蹈鞴を踏んだイシュタールの足を払って、床に沈める。
湾曲した剣が床刺さり、俺は靴底でイシュタールの背を踏み、剣を掲げた。
背中を貫通し、心臓まで、剣が沈む。
肋骨を避ければ、人間の体は柔らかい。
その感覚に慣れていない者は、手ごたえの無さに恐怖して、何度も刺してしまうほどに。
聞くに堪えない呻き声と共に、イシュタールの体から力が抜けていく。
剣を引き抜くと、血が噴き出す。
体にかからないようにマントで血を受けて、俺はイシュタールから離れた。
「貴様らの王は死んだ。まだ抵抗をするつもりか?」
剣についた血を、剣を振って払う。
オルステット公に抱きしめられるようにしているシェイリスが、悲鳴をあげて泣いている。
哀れなことだ。
こうなることを――あの女は、考えなかったのだろうか。
反乱を起こせば血が流れる。
神獣の愛し子の前に皆が皆、首を垂れるとでも考えていたのか。
イシュタールの沈黙と共に、スレイ族の兵から、戦意が目に見えて喪失するのが分かる。
抵抗する者は命を奪われ、剣を捨てた者は、捕縛されていく。
オルステット公は、憎悪に近い怒りを内包した瞳で、俺を睨みつけた。
「せっかく――アミティが褒めてくれた衣装が、汚れた。公よ、お前はアミティの背の皮をはがし、シェイリスにそれを与えたのか」
「シュラウド・ハイルロジア! 戦うしか能のない、人殺しの獣め! 貴様がアミティを捨てていれば……野犬にでも、食わせていれば、こんな面倒なことにはならなかったものを!」
「貴様にも同じ痛みを与えてやろう。俺は――辺境の死神だ。慈悲があると思うな」
俺は剣をオルステット公に向ける。
戦う力を持たない、老齢の――ただの、爺に見える。
だが、オルステット公は口元に不敵な笑みを浮かべた。
「シェイリス! 我が娘、その力を皆に見せる時だ……!」
「お父様……」
シェイリスは両手に何かを抱きしめるようにして、掲げた。
その手の中に、何かの卵のようなものが現れる。
光り輝く、両手で抱えなければ持てない程の卵。
そうとしか見えない何かの輝きの眩しさに、俺は目を細めた。
「シュラウド様!」
アミティの、悲鳴のような声が聞こえる。
「シュラウド様……!」
スレイ族の兵と戦っていたアルフレードが俺の元に駆け寄ってくる。
俺の脇腹に――何かが、食いついている。
それは、狼に似た姿をした、けれど狼の二倍ほどの大きさのある、輝く獣――聖獣だった。




