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花嫁の疑惑 



◆◆◆◆



 オルステット公爵家からアミティが到着してから数刻。

 いつものように政務室で側近のアルフレードから辺境伯領に隣接する、北の蛮族であるスレイ族について報告を受けていると、遠慮がちに扉が叩かれた。

 アルフレードは一度会話を止めて、広げていた地図を畳んで軍服の内側にしまった。


「旦那様、お忙しいところ申し訳ありません。ジャニスです」


「入れ」


 来訪したのは、アミティの世話を命じていたジャニスだった。

 アミティは、オルステット家の次女シェイリスと取り違えられて俺の元へ来てしまったのだという。

 少々痩せすぎているように見えたが、美しい女性だった。

 それに、良い色をしていた。

 アミティは俺と会話をしているとき、終始怯えたような表情を浮かべていたので、俺の元から逃げたいと、泣いているという報告なのかと思った。

 自分の評判ぐらいは、よく知っている。


「どうした、ジャニス」


 政務机の椅子に座ったまま、俺は尋ねる。

 アルフレードは一歩後ろに下がった。退室する気はないようだった。

 特に隠すこともないため、構わないのだが。

 ジャニスは俺の前に来ると、礼をして口を開いた。


「お仕事の最中申し訳ありません、旦那様。公爵家から来られた奥様について、お話があるのですが」


「──帰りたいと、言っているか」


「それはそうでしょう。公爵家から遥々来てくださったのに、わずかに言葉を交わしたきりで、シュラウド様は仕事に戻られたのですから。ともに時間を過ごさなくて良いのですかと、何度か言いましたよ、私は」


「俺のような恐ろしい男がそばにいるよりは、一人の方が気が休まるかと思ったのだがな。それに、アミティは取り違えられてここに。本来なら嫁ぐことなどはない、公爵家の二人娘の長女だ。余計に、俺のような男は恐ろしいだろう」


「……取り違い?」


「らしい。そのようなことがあるだろうかとは思うが、手紙を書くときに俺が間違えたのかもしれない。女性の名前など、文字に書くことは少ない。だから、間違えたのか、と」


「シュラウド様、間違いだとわかっているのに、アミティ様を家に帰さないのですか」


「旦那様、間違いというのは……」


 アルフレードとジャニスが、信じられないものを見るように、俺を見る。

 俺は眉間に皺を寄せると、深くため息をついた。


「気になることがある。……手紙の書き間違いの可能性などは、まずないだろう。確認をしたが、公爵家からは、シェイリスを輿入れさせると返事が来ている。その上であえてアミティを送ってきたということは……何か理由があるのだろう」


「そ、それは、そうです、そうだと思います、旦那様……! 奥様のここに来た時のご様子を、旦那様は見ていたでしょう? 公爵家の使用人たちは酒でも飲んだような赤ら顔で、肥えていたというのに、奥様は……」


「使用人のような服を着て、髪や、スカートの裾には、藁がついていたと」


「そのお体だって、……私の口からは、言えません、けれど……ともかく、公爵家の方々は、奥様を……アミティ様を、まるで人ではないような扱いをしていたのではと、勘繰ってしまいたくなるほどです。……旦那様もそれを知って、アミティ様を引き留めているのでしょう」


 ジャニスの目に、涙がたまる。

 女性というのは涙脆い生き物だと知ってはいるが、ジャニスは侍女たちの中では古株で、何人もの侍女を育て上げたような女性である。

 立場を弁えていて、仕事中に俺の元を訪れることなど滅多なことではない。

 泣いているところを見たのは、これが初めてだろうか。


「理解はしている。輿入れに従者も、荷物さえ持たずに来るなど。これではまるで、死刑囚のようだ。それ故、少々横暴な方法で俺の元にとどめた。……その羽を無理やりもぎ取り檻に閉じ込めるような男だと、彼女が俺のことを思っていてもおかしくはない」


 机に両肘を突いて、口元で手を合わせる。

 確認すべきことが済んだら、然るべき場所へとアミティを帰さなければいけない。

 それ故、これは契約だと伝えた。

 俺はアミティには触れず、形ばかりの婚姻だと。

 そうすれば公爵家に俺が抱いた疑惑が解決した時に、俺などではなく、まともな男とアミティは結ばれることができるはずだと考えたのだが。


「旦那様……アミティ様は、仕事がしたいとおっしゃって」


「仕事?」


「はい……掃除や、洗濯や馬の世話など、使用人の仕事をしたいと……」


「……アミティ様は公爵家のご令嬢なのですよね?」


 ジャニスの言葉に、アルフレードは信じられないというように目を見開いた。


「あぁ。……そうか。それは、ずいぶんなことだな」


 当たり前だが、身分の高い公爵令嬢に限らずとも、貴族ならば使用人の真似事がしたいなど、口にする者はまずいない。それは恥だ。

 身分の高い者ほど、そのような行為を行うのは、矜持が許さないだろう。

 けれど、アミティは自ら率先して、そんな言葉を口にしたのだという。

 それほど、貶められていたということなのだろうか。

 そしてオルステット公爵はそんなアミティの様子に気づかずに、彼女を捨て置くような男だと思ったのだろうか、俺を。


「ずいぶんと、馬鹿にされたものだ」


「違います、旦那様……っ、それは違います、奥様には、何の罪もありません……」


「あぁ、わかっている、ジャニス。今の言葉は、オルステット公爵に向けたものだ。取り違えたことに俺が激怒して、アミティを害するとでも思ったのか。厄介払いだな、どう考えても。……どうやら俺は、見境なく人を殺す山犬のような男だと思われているらしい」


「辺境の、死神でしたか、シュラウド様」


「良い名だろう。……オルステット家の内情について、陛下が知らなかったとは思えないが。どういうつもりなのだろうな」


「旦那様、アミティ様は……お食事に手をつけることなく、部屋の隅に座っていらっしゃいます。床の上に。私が何度も声をかけても、震えて、謝るばかりで」


「……そうか」


「あの、旦那様、奥様のことはどうしたら良いのでしょうか」


「……しばらくはゆっくり休ませてやれ」

 

 不安そうにジャニスに問われて、俺は短く答えた。

 落ち着くまでは、一人にしたほうが良いだろう。

 俺が近づいたとしても、余計に怯えさせてしまうだけだ。

 しばらくジャニスや侍女たちに任せておけば、その心も休まるだろう。

 そう──思っていた。

 けれどそのさらに数刻後、ジャニスが血相を変えて俺の元へ飛び込んできた。

 奥様がいなくなった──と、言って。



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