月下美人の君/ロクト・ライドゥン
◆◆◆◆
エドアルド・オルステット公爵が仕向けた刺客は、二度、ハイルロジアから王都へと送り出した使者を襲撃している。
どちらも失敗に終わり、刺客の数人は部下たちにより捕縛されて、今はハイルロジアの屋敷の一角にある騎士の駐屯所の中の、牢に入れられている。
二度も失敗をしたのに、懲りないことだ。
そう思いながら俺は、アルフレードの待つヴィスパルの懲罰牢へと向かった。
光の都ヴィスパルは他の街に比べて治安が良い。
それは観光によって金を稼ぐために、罪人への取り締まりをかなり厳しく行っているからである。
金がないところには犯罪者が溢れるが、金があるところにも同じように溢れるものだ。
ヴィスパルまで遊びにくるようなそこそこに裕福なものたちから金を盗んだり、子供を攫って人質に取り、金をせびったりするものは多い。
どこの街でも多かれ少なかれそういった連中はいるものだが、金は他人から奪うものだと勘違いしている連中にとっては、ヴィスパルは格好の狩場である。
「シュラウド様、アミティ様は?」
「色々、不安なことはあるだろうが、気丈に振る舞っている。大丈夫と言ってな。健気で、愛らしい」
「大公の名を聞いたでしょうか」
「おそらくは、聞こえていただろう。だが、何も言わない。……俺もまだ、何も伝えていない。確証のないことは話したくはない。まさか、実の父が、殺そうとしているなどと……」
光の都ヴィスパルの中央街から外れた場所に、かなりの予算をかけて運営されているのだろう警備兵たちの駐屯地があり、その一角に懲罰牢がある。
ヴィスパルというのは、軽度の盗みでさえ、死罪になる可能性がある場所だ。
小さな部屋に、鉄の檻。その中には、若いものから年寄りまで、かなりの数の罪人が入っている。
いくつかの牢獄の中の一つに、先ほど街でアミティを探していた数人の刺客が、縄を打たれて転がされている。
アルフレードに剣で切られたのだろう、腕や肩から血を流しているものもある。
放っておけば死にいたる傷だ。だが、生かしている。
殺してしまえば話をすることができないため、アルフレードはわざとそうしたのだろう。
牢の中から苦しげなうめきごえや、叫び声が聞こえる。騒がしい。
「せっかくの旅の邪魔をするとは、無粋なことだ」
「襲撃の予想はしていたのでしょう、シュラウド様。それにしても、我らハイルロジアも舐められたものです。訓練された暗殺者たちのようですが、この程度の傷で泣き喚くなど」
「気に入らないものなら誰でも殺す、知性のない獣だと思っていた俺が、アミティを手元に置いた挙句に、蜜月が公に伝わり、焦っているのだろうな」
「焦り、ですか」
「おそらくは」
「アミティ様を一人にして、大丈夫ですか?」
「部屋の外に、見張りをつけている。窓には施錠を。何かあっても絶対に扉を開けてはいけないと言ってきた。アミティは生真面目だからな。俺の言うことは、きちんと聞いてくれる」
「アミティ様には、悲しい光景を見せたくないですね。シュラウド様の側であれほど優しく笑うことのできる女性は、アミティ様ぐらいのものでしょうから」
「俺もそう思う」
カンテラの炎に照らされて、牢の中の冷たい石の床に滑りけのある液体が広がっていく。
鉄錆の匂いが鼻につく。それだけではない。
牢獄というのは、どの場所も汚い。
「シュラウド・ハイルロジア。死神が、美しい私の都を、血で汚す」
暗闇の中からぬっと顔を出した男に、アルフレードは一歩下がり礼をした。
「久しいな、ロクト。元気そうだな」
「死神は、揉め事ばかりを連れてくる。我が麗しの街に相応しくない、血に塗れた死神よ。そういえば、嫁を娶ったらしいな」
月の光を受けたような金の髪に紫紺の瞳の、夜を纏ったような男が、僅かに首を傾げながら言った。
ロクト・ライドゥン侯爵は、ヴィスパルの街を治めている男だ。
ヴィスパルを観光都市として繁栄させたのはこの男である。
そして、罪人に、どんな軽犯罪者でも必要以上の重い刑罰を下すのも、この男である。
ロクトはどこか浮世離れしたところのある男で、商人とは真逆の性格をしている。
単純に、美しいものが好きで、潔癖症なのだ。
美しいものが好きだから、街中に蓄光石を埋め込んだ。
潔癖だから、犯罪者を憎んでいる。
ただそれだけのことだが、ただそれだけが、この街を発展させている。
「あぁ、可愛いぞ」
「死神からそのような言葉をきくとは」
「死神とて恋ぐらいはする。恋をした結果、俺は死神ではなく、妖精の騎士となった」
「妖精の騎士?」
「あぁ。妖精の騎士であり、暁の騎士であり、薔薇の騎士であり、リボンの騎士でもある」
「ふ、はははははは……!」
ロクトの笑い声が、牢獄に響き渡った。
呻き声や悲鳴や鳴き声や怨嗟の声をかき消すぐらいの、大きな笑い声である。うるさい。
「何がおかしい」
「いや。随分可愛い名がついたものだと思ってな」
「お前も、嫁に、月下美人の君などと呼ばれているだろう」
「ふふ、似合うだろう」
「俺も自分の呼び名が気に入っているぞ、愛するアミティのつけてくれた名だからな」
「……アミティ・オルステット。オルステット家の幽霊姫」
「そんな呼び名なのか?」
「貴族たちはそう呼んでいる。名は知っているが、姿を見たものは誰もいないせいでな。オルステット公は、次女のシェイリスを常に社交の場に連れていき、度を越すほどの溺愛をしている。何せ、シェイリスは、特別、らしい」
「特別、か」
俺は腕を組んで、眉を寄せる。
ロクトは口元に手を当てて、冷めた瞳で牢の中で倒れている男たちを見据えた。
「話は聞いた。死神を襲おうなどという馬鹿者が、この世に存在しているとはな。しかし手酷く傷つけたものだ。牢が血で汚れる。街も血で汚れた。汚い」
「先に切り掛かってきたのはこいつらなのだろう、アルフレード」
「はい。ハイルロジア伯はどこだと、それはもうすごい剣幕で。あまりの恐ろしさに、がむしゃらに剣を振るったせいで、こんなことに」
「良く言う。お前の部下もお前と同じだ。血に飢えた獣め。私の街を、汚すな」
「正当防衛だろう、ロクト。それに、どのみちお前はこのものたちを死罪にするつもりだろう」
ロクトは不思議な男である。
友人というわけではないが、突然親しげに話しかけてきたり、怒ったりと忙しい。
それでも他の貴族のように俺を見て怯えない、つまり、変わり者だ。
「当然だ。麗しき我がヴィスパルで、剣を抜く馬鹿者たち。ここでは私が法だ。私は穢らわしいものを好まない。ところで、死神。その眼帯は、良いな。実に良い。私も欲しい」
「駄目だ。これはアミティが俺のために作ってくれたものだからな」
「なるほど、それで、黒薔薇の騎士か。私ならば、黒薔薇の君、と。そうだ、建国の祝いのために王都に向かっているのだろう、私も黒薔薇を身につけよう。お前ばかりが美しく、目立つというのは、癪に障る」
「好きにすれば良いが……ロクト。この連中は、オルステット公の手の者だ。公は、俺とアミティを殺したいらしい」
「公も、建国の祝いに参加するのだろう。娘を連れて。一体どんな顔で現れるのやら。さて、死神。この連中に今から尋問をするのだろう。私も共にいよう。我が街を汚したものたちの苦しみうめく声を聞くと、多少は溜飲が下がる」
「あぁ。……アルフレード」
「御意に」
牢の中に、カンテラを持ってアルフレードが足を踏み入れる。
明かりに照らされた男たちの顔は、ひどいものだった。
恐怖に震える体と、身開かれた瞳。連中にとって俺は、死神そのものに見えるのだろう。
服が汚れるのは嫌だなと思う。血の香りをさせた体で、アミティに触れたくない。
「オルステット公は、なぜ俺を付け狙う? 俺ではなく、狙いは、アミティなのだろうが」
「し、知らない……! 何も聞いていない、ただ、金をもらって、命じられただけで……」
「では質問を変える。公は、自分の娘を特別だと言っているらしいな。それに、王子と結婚させるなどと言っているらしい。現王であるフレデリクの息子は、まだ四歳に満たない。一体、娘を誰と結婚させるつもりだ?」
「そんなこと、知るわけがないだろう! 俺たちは金で雇われているだけで……」
俺は男の一人の、大腿にある切り傷を、靴底で踏み躙った。
「ぐ、ぁあああ……っ」
「嘘をつくと、良くないことが起こる。場合によっては、そこの恐ろしい男が、お前たちに温情をかけてくれるかもしれない。正直に、知っていることは言うべきだ」
「知らな……っ、ぐ、が、ああ……」
思い切り足を踏みつけると、鈍い音が聞こえた。
靴底に、ごり、と、骨が折れる感触があたる。
痛みというのは、他者を支配するための最も原始的な方法の一つである。
他者の尊厳を貶める行為の一つが、暴力。単純が故に、効果がある。人は痛みを恐れる。
人は死を恐れる。これは人の本能だ。その本能故に、痛みを忌避する。
俺にとってそれも馴染んだ感情であり、幼いアミティも、同じ目にあっている。実の父親によって。
喉をかきむしりたくなるほどの怒りが、湧き上がる。
俺の可憐な妖精を傷つけ貶めて、さらにその命を、奪おうとするとは。
許されることではない。
「言え。知っていることを全てな。金で雇われているだけなのなら、裏切るのも容易いだろう。お前たちは、ハイルロジアを敵に回して、この先無事でいられるとでも思っているのか?」
「公の娘は、神獣の愛し子だ! 神獣コルトアトル様に愛されし乙女……っ、我らは、正しい、神獣の愛子は、この国を光に導く……公はその父、聖父……!」
痛めつけていた男ではない、別の男が叫んだ。
ふと気づいた違和感に、俺は眉を寄せる。
「……その訛り。お前は、スレイ族だな」
「違う、違う……」
「スレイ族であれば、俺が何故死神と呼ばれているか、よく知っているだろう。……そうか、なるほど。公は神獣を神と崇めているスレイ族を、娘を使って懐柔したな。王子というのは、スレイ族の王子か。国を簒奪する気か」
「違う……!」
「教えてくれて感謝する。きっとロクトが温情を与えてくれるだろう。楽に死ねる、という温情をな」
アルフレードと俺は、牢を出た。
腕を組んで涼しげな顔で中の様子を見ていたロクトが「公の野心はまだ燃えているのか」と、ため息混じりに言った。
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