誰が為の襲撃
観光に訪れている方々で賑わう街の一角にあるレストランで、夜行羊の煮込みを食べた。
羊のお肉は口に入れるとほろほろほどけて美味しかった。
レストランの窓から見える運河の橋や、壁や手すりなどには蓄光石が使われているらしく、夕陽が落ちて宵闇が訪れると、白く薄ぼんやりと輝き出した。
輝きは橋や壁や手すりだけではなくて、街全体を覆い尽くした。
街の至る所が白く輝く光景は、まるで、夜空の星の中に街が浮かんでいるようにさえ思える。
「すごく、綺麗です。……こんなに綺麗な景色を見たのは、初めてかもしれません」
シュラウド様は果実酒の入ったグラスを傾けながら、窓の外を見つめている。
「もちろん、ハイルロジアの景色もとても綺麗で、私は大好きです。……シュラウド様と見る景色はどれも特別です。でも、この街は、本当に綺麗……」
「喜んでくれて嬉しいよ、アミティ。女性をエスコートするのははじめてだが、君を喜ばせることができて、良かった」
「シュラウド様、……ありがとうございます。とても、楽しいです。首飾りを、いただいて、美味しいものを一緒に食べて、綺麗な景色を見て……まるで、夢の中にいるみたいです」
「夢ではないよ、アミティ。だが、君と二人で夢の中に溺れるのも悪くはない。……そろそろ、行こうか。宿で君と、二人きりになりたい」
「はい……私も、同じ気持ちです」
シュラウド様の手が伸びて、白いテーブルクロスのかかっているテーブルの上で、私の手と重なった。
「不思議なものだな。馬車での移動中にもずっと二人きりだというのに、どれほど君と時を過ごしても、飽きるということはない。もっと、……君に触れたい。君の声が聞きたい、笑顔が見たい。君が、俺のものになってくれて満ち足りているはずなのに、足りないと、思ってしまうな」
「は、はい……っ、私も、シュラウド様といると、胸がいつも、苦しくて……そうやって、たくさん気持ちを伝えて下さるから……嬉しくて、でも、緊張します。シュラウド様が素敵過ぎて、過呼吸に、なりそうです……」
指先を絡まるようにして手を繋がれる。
たったそれだけのことなのに、剥き出しの神経に優しく触れられているように、心臓がうるさく高鳴り、体温が上昇するのがわかる。
お酒を飲んでいたのはシュラウド様なのに、まるで私が酩酊してしまったみたいに、体がふわふわした。
以前の私は、生きていることや、誰かに迷惑をかけてしまうことの罪悪感から、息がつげなくなることがあったけれど。
今は、シュラウド様が素敵すぎて苦しい。
シュラウド様の、少し照れたように目を細める表情が、直視できないぐらいに素敵で、私はスカートをぎゅっと掴んだ。
好き。素敵、好き。
すごく、浮かれている。初めての恋に、すごく。
けれど、それが悪いことなんて、今は思わない。
ぎゅっと握られる大きな手が私の全てを許してくださるから、私は、私の心は自由でいられる。
もう、誰に遠慮することも、感情を抑えることも、したりしない。
宿までの道を、シュラウド様と手を繋いで歩く。
蓄光石の輝く街は確かに明るいけれど、太陽がすっかり沈んでしまうと、それでも通りの隅には闇が溜まっていて、路地の奥などは薄暗い。
シュラウド様と二人だから──怖くは、ないけれど。
「私、シュラウド様と知らない景色をたくさん見て、初めてのお料理を食べて……幸せです。たくさんの幸せな記憶が、記憶の箱の中からこぼれ落ちないで、ずっと、しまって、覚えておけたら良いのに」
石畳を靴底が踏む硬い音が、静かな街に響く。
食堂や酒場が多くあった街の中心街は陽の落ちたこの時間でも賑やかだったけれど、宿に向かうにつれて、人通りが少なくなっていく。
煌めく静かな街を二人で歩いていると、まるで、妖精の国に迷い込んでしまったみたいだ。
ここでは私は、シュラウド様の妖精で、シュラウド様は私の妖精の騎士様。
子供染みているかもしれないけれど、そんな空想をするのがとても楽しい。
「忘却というのは、人間に許されている生きるための免罪符のようなものだと、俺は思う。俺たちは忘れることができるから、生きてゆける。どれほど辛い記憶も苦しい記憶も、時が風化させてくれる。……だが、それと同時に、幸せな記憶も、忘れてしまう」
「辛いことは、忘れて、楽しいことだけ、覚えていたいです」
「そうだな。それが一番良い。君の記憶の箱を、楽しい思い出で溢れさせよう、アミティ。それなら、全部覚えていなくても大丈夫だろう。次から次へと新しい、幸せな記憶が積み重なっていくのだから。例えば、今この瞬間はすでに過去になっているわけだが、過去の俺よりも今の俺の方が、ずっと君を愛している」
「シュラウド様、私もです。愛は、有限ではないのですね。シュラウド様を想う気持ちは、私の体から溢れて、この世界を、輝かせているみたいです。シュラウド様と見る景色は全部特別で、全部の記憶を、愛しく思えるのです」
「君は、俺を口説くのが上手くなったな」
「シュラウド様のそばにいるから、似てきましたでしょうか。言葉を交わせることが嬉しくて、つい、たくさん、お話ししてしまいますね……」
「もっと、君の声を聞きたい。アミティ……こちらに」
運河にかかる橋を渡ったところで、シュラウド様は私の腕をひくと、広い通りから少し入り組んだ場所にある、狭い路地へと入った。
壁に押し付けられるようにして、抱きしめられる。
「シュラウド様……?」
「アミティ、少し、静かに」
片手をついて、もう片方の手で私の腰を引き寄せたシュラウド様が、私に覆いかぶさる。
シュラウド様の体に私の体はぴったりとくっついた。
呼吸の音が聞こえるぐらいに、距離が近い。
服の布ごしに、シュラウド様の硬い体の感触が、私の体に重なる。
体を重ねたことは一度や二度ではないけれど、それでもすごく緊張するし、どきどきする。
それに、こんなところで──。
「いたか……!」
「見失った、どこに行ったんだ!」
シュラウド様に言われた通り口をつぐんでいると、私たちが歩いていた少し広い通りが騒がしくなる。
数人のばたばたとした足音が、静かな街に響いた。
苛立ったような男性の声が、「探せ!」「これは大公様からのご命令だ!」と、はっきりと響く。
やがて足音は、私たちの潜んでいる路地から遠ざかっていった。
「……行ったな」
「シュラウド様、今のは……」
「宿に急ごう、アミティ。せっかくの君とのデート中に、血を見たくはないからな」
「は、はい……」
シュラウド様は私を抱き上げると、宿までの帰路を急いだ。
大公、と、男性たちは言っていた。
それは多分、オルステットのエドアルドお父様のこと。
だとしたら、探していたのは──私?
何のために。
どうして……?
急に氷水を浴びせられたように、体が冷たくなる。
シュラウド様にぎゅっとしがみつくと、「大丈夫だ」と、優しく声をかけてくださる。
私は頷いた。
大丈夫。だって、私には、シュラウド様がいてくださるのだから。
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