オルテアさんは甘いものが好き
ハイルロジアのお城の、私とシュラウド様の寝室に繋がっているリビングルームには、大きな暖炉がある。
冬に近づくハイルロジアのお城は、厚手のショールを肩からかけていても肌寒い。
それなので、暖炉にはいつも火が入っている。
暖炉の前には、毛足の長い絨毯が敷かれている。
その絨毯の上には、オルテアさんが寝そべっている。
オルテアさんは大きい。
大きなシュラウド様と私を乗せられるぐらいに大きいのだから、オルテアさんはとても大きい。
お部屋がいっぱいになるほど――とまではいかないけれど、敷かれている絨毯がいっぱいになるぐらいには大きい。
『アミティ、何をしているのだ』
最近オルテアさんは、私と二人きりの時は姿を見せるようになった。
シュラウド様は「俺の嫁に手を出すつもりか!」と怒っていたけれど、オルテアさんは『馬鹿者がうるさい』といって、あまりとりあってはいないようだった。
「ええと、これは、縫物をしているのですよ」
『縫物?』
大きなオルテアさんの横に揺り椅子を持って行って、私はちくちくと、針仕事をしている。
黒い丈夫な布を、太めの針で縫っていく。
中心部分の布地を、緩く縫ってきゅっと糸を引っ張って、薔薇の形にした布で装飾していく。
薔薇の下は黒い生地で、葉を縫い付ける。
「もうすぐ、建国の式典があるのです。国王陛下からご招待をされていて、それで……シュラウド様に、何か身に着ける物を縫って差し上げたくて」
『お前は何を作っているのだ』
「眼帯、です。シュラウド様、眼帯は目を隠せればそれで良いって言っていましたけれど、お花、つけたら可愛いかと思って……」
『顔に、花を……? あの馬鹿者の顔に、薔薇を?』
「変でしょうか……シュラウド様、顔立ちがとても素敵だから、華やかになって似合うと思うのですけれど」
『人間の美醜は、わからん。だが、お前が良いと思うのならばよいのではないか』
「オルテアさん、ありがとうございます。ここまで作ったので、完成させてみますね」
私は作り途中の眼帯を、両手に持って目の前に翳してみる。
シュラウド様はとても格好良いから、似合うのではないかしら。
片顔を、薔薇の眼帯で隠したシュラウド様、絶対に素敵だと思うのだけれど。
建国の式典への参加を、シュラウド様はとても迷ってらっしゃるようだった。
オルステットの家の者たちと会うかもしれないこと。
そしてそもそも、シュラウド様が夜会などに顔を出すと、皆シュラウド様を怖がること。
そんなことを気にされていたようだった。
私なら――シュラウド様と一緒なら、何を言われても、どのような目で見られても、もう、大丈夫。
けれどせっかくなら、華やかな衣装で、堂々と、参加したい。
シュラウド様が気にされているのは顔の傷。
私が気にしているのは、背中の傷。
背中の傷はドレスで隠れるけれど、顔の傷は、いっそのこと、目立つ装飾で隠せば良いのではないかしらと思う。
「薔薇の眼帯も素敵だと思うのです。薔薇の騎士のシュラウド様、素敵。でも、顔半分を隠すような、仮面も素敵だと思うのです。半月の騎士……素敵。シュラウド様は私の暁の騎士なのですけれど、他の呼び名も、全部素敵だと思います」
『他の呼び名は、全てお前が考えたものだろう、アミティ』
「はい! 全部私が考えました。どれもこれも素敵で、迷ってしまいますね……!」
私は仮面をつけたシュラウド様の姿を想像して、一人で盛り上がった。
どんなシュラウド様も素敵。私の想像の中のシュラウド様は、いつも私に微笑んで「アミティ、君は俺のものだ」と言ってくださる。好き。
『お前が喜びに満ちていると、どうも、心が湧きたつような気分になるな。何故なのだろうな』
「それは、オルテアさんもシュラウド様のことが好きだからではないでしょうか」
『それはない』
オルテアさんは呆れたように目を細めて、それから、私の前のテーブルの上に置いてある、チョコレートケーキに視線を向けた。
『それは食わないのか、アミティ』
「あ。縫物に夢中になるあまり、忘れていました。ジャニスさんが、お茶菓子を持ってきてくださったのでした」
お皿の上に手のひら大のチョコレートケーキが乗っている。
ジャニスさんの用意してくれるケーキは、たくさん食べて欲しいという気持ちが込められているためか、いつも大きめに切られている。
チョコレートケーキは、チョコレートが練り込まれた生地に、中央にはフランボワーズのソース。
それから、表面を溶かしたチョコレートでコーティングされていて、甘い。
「オルテアさん、食べますか?」
私のために用意してくれたものを、オルテアさんにあげるのはいけないかもしれないけれど。
でもオルテアさん、自分から食べたいとか、あまり言わないから。
オルテアさんが私と一緒にいるのはジャニスさんには内緒らしいし。
ジャニスさんとか、他の侍女の方がいらっしゃると、大きな体をすっと消してしまうのよね。
まるで、蜃気楼みたいに消えてしまうオルテアさん。
どうやって消えるのかとか、どこにいるのかとかは、言葉では説明できないと言っていた。
『お前が食わないと言うのなら、仕方あるまい』
私は縫物を一先ずテーブルに置くと、オルテアさんの元にチョコレートケーキを持って行った。
大きく開いた口に、お皿を傾けてチョコレートケーキを乗せる。
オルテアさんの口はとても大きい。
私なんて丸かじりにできそうなぐらいに大きい。
けれど私はオルテアさんが私に危害を加えないことを知っているから、怖くない。
「オルテアさんには、チョコレートケーキ、小さすぎますね。もっとたくさん、大きいケーキを食べたくないのですか?」
『お前がいらないというものを、仕方なく食べているのだ』
「じゃあ今度、私、ホールケーキが食べたいって、ジャニスさんにお願いしておきますね」
『お前が食いきれないと言うのなら仕方ない』
私はくすくす笑いながら、オルテアさんのふかふかな毛皮を撫でた。
ふかふかな毛皮を撫でたあと、オルテアさんの顔に、ぎゅっと抱きつく。
ふかふかな毛皮に全身が包まれているみたいで、あったかくて気持ち良い。
『なんだ、アミティ。寒いのか』
「寒くないです。こんなにあたたかい冬を迎えるのは、はじめてなんです、私。心も体も、とてもあたたかいのです」
『そうか』
「シュラウド様と出会って、傍に居させていただいて、愛して頂いて……私、幸せです。ハイルロジアはオルステットよりも寒いですけれど、オルステットよりもずっと、あたたかいです」
『アミティ。お前は奇妙だ。お前は今まで他の人間どもに食い物にされてきたのだろう。貶められたときに感じるのは、まず怒りではないのか』
「怒る……そうですね、怒らなければ、いけなかったのだと思います。シュラウド様のように、毅然と、立ち向かわなければいけなかったのだと思います。でも、私にはそれができなくて……」
『純粋な疑問だ。だがお前には牙がないからな。難しいだろう』
「私にもオルテアさんみたいな牙があれば、また違っていたかもしれませんね。オルテアさん、……私、自分が嫌いでした。弱くて、情けなくて、何もできなくて。……でも、今は違います。シュラウド様が、私を認めてくださって、私を欲しいと言ってくださったから」
私はオルテアさんの顔をぎゅっと抱きしめる。
こんなに心があたたかいのは、シュラウド様のおかげ。
シュラウド様の周りの人たちが優しいのは、シュラウド様が優しいから。
私も、同じように在りたい。
「私、強くなりますね。誰に何を言われても、もう、俯いたりしません。自分を恥じたりもしません。怒る必要があるときは、怒ろうと思うのです。私は、アミティ・ハイルロジアですから」
オルステットという名を捨てられたとき、とても体が軽くなるのを感じた。
もう私は、あの家の子供ではない。
私はシュラウド様の妻。
そう思うと、今まで私に重くのしかかっていたオルステットのお父様やお母様、妹を、記憶の中の箱へと閉まって、鍵をしめて、閉じ込めることができた気がした。
「……アミティ! 抱きつくのなら俺にしてくれ……!」
私がオルテアさんの毛皮に顔を埋めていると、いつの間にかやってきたシュラウド様に背後から抱きしめられた。
拗ねるようにそう言って、私の首筋に口づけてくるので、私はくすくす笑った。
式典までに、華やかな衣装を仕上げよう。
誰に見られても恥ずかしくない素敵なドレスを一緒に考えようと、ジャニスさんたちも言ってくれている。
シュラウド様と並んで、国王陛下にご挨拶をするのが、とても楽しみだ。
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