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十年前の記憶



 シュラウド様が私の髪や頬を撫でている。

 夜の帳がすっかり降りて、立派な蜜蝋の蝋燭の炎が揺らめいて、壁や天井にゆらゆらと陰影を形作って、まるで夜空の中に浮かんでいるみたいだ。

 私はくたりと体の力を抜いて、ぼんやりとシュラウド様の手の平のぬくもりを感じていた。

 美しい湖の水底へと沈んでいくようで、激しく燃え上がる炎を前に立ちすくんでいるようで、眩暈がするぐらいに熱く激しくそして、優しかった。

 交わる前も、後も。

 耳で、唇で、味で、体で。全身で、愛情を感じることができる。

 あなたを、愛していると伝えることができる。

 恥ずかしいけれど――嬉しい。


「アミティ、無理をさせたな。君が、愛らしくて……夢中になってしまった」


「大丈夫です。私……とても、幸せでした」


「だが、辛かっただろう? 体は痛まないか」


「大丈夫です。シュラウド様、全部が優しくて……私、こんな私、ですけれど、あなたを喜ばせることができるのですね……嬉しい」


「そう健気なことを言われると、抱きつぶしてしまいたくなる」


「は、はい……私、頑張りますね」


「俺も良い大人だ、初夜の夜に大切な花嫁に、これ以上の無理は強いたりしない」


 シュラウド様は苦笑すると、私の目尻に掠めるようにして口づけた。

 それから私の隣にごろりと横になって、私の体を腕の中に閉じ込めるようにして抱きしめてくださった。


「アミティ、俺を受け入れてくれて感謝する。……愛する人がこの腕の中にいるというのは、これほどまでに満たされるのだな。俺は君を離さない。たとえどんなことがあっても、君を守る。まぁ、俺は強いから、君を残して死ぬようなことはないだろうが」


「シュラウド様……シュラウド様に何かあったら、私……」


「心配することはない。俺は死神だ。死神とは、死を運ぶ神。つまり、俺は不死身ということだな」


「……はい……シュラウド様は、私の、大切な……暁の騎士です」


「あぁ、そうだった。死神は廃業だな」


 シュラウド様は私を抱きしめながら、喉の奥で密やかに笑った。

 体が揺れる。笑い声が直接体に響いてくるみたいで、私も、くすくす笑う。


「君の笑い声は、小鳥の囀りのようで愛らしいな、アミティ。もっとたくさん、君を笑わせたい。明日も、明後日も、一緒に楽しいことをたくさんしよう。楽しいことと、少し、不埒なこともな」


「は、はい……」


 艶やかな声で耳元で囁かれて、私は頬を染める。

 それから、シュラウド様の背中に腕を回してきゅっと抱きついて、その首元に頬を寄せた。


「シュラウド様……私も、どんなことがあっても、シュラウド様のことが好きです。何を聞いても、何を知っても……あなたが」


「あぁ。……わかっている、アミティ。俺の体を見ても、君は嫌悪することもなく、俺を気づかってくれるのだな。……君は本当に優しい女性だ。君と出会わなければ、俺の人生はずっと精彩を欠いていた、寂しいものだったのだろうな」


 シュラウド様の低い声が、蜜蝋の心許ない明りに照らされた部屋に、静かに響く。

 触れ合う素肌があたたかい。

 カーテンのひらかれている窓からは、空が近い。

 お城の一番上にあるお部屋だからなのか、それとも、ハイルロジアの冷たい空気が澄んでいるからなのか、星や月が、手を伸ばせば届きそうなほどに近くに感じる。


「……俺が十五の時だ。スレイ族がハイルロジアの城まで攻め込んできたことがあってな。城に内通者がいたのだろう、暗殺部隊が城に侵入して、俺の両親はその命を狙われた」


「暗殺部隊……」


 それがどういうものなのか私にはよくわからないのだけれど、きっと、おそろしい兵士の集団なのだろう。

 シュラウド様は頷くと、続ける。


「俺には弟と、妹がいた。二人とも俺とは年齢が離れていて、まだ幼かった。両親は、命を助けてくれたら何でも要求を呑むと言い、スレイ族は、ならば人質を家族の中から寄越せと言った」


「人質……? でも、どうして」


「ハイルロジアの血筋の者を攫い、今後の侵略が優位になるようにしたかったのだろう。人質は、脅しにも、取引にも使える。それに、スレイ族の者と番わせれば、スレイ族の血を引いた、ハイルロジアの跡継ぎを生むこともできる」


「……まさか、シュラウド様が」


「あぁ。両親は、俺を売った。俺はスレイ族の元へと連れていかれて、背中に刻印を彫られた。これは、奴隷の刻印。スレイ族に忠誠を誓っているという証だ。……俺はこの通り、気が強くてな。向こうに連れていかれても、ずっと反抗的だった」


 私はシュラウド様の背中を撫でる。

 きっと、痛かっただろう。

 体も痛かっただろうし、心も、すごく。


「両親を恨み、スレイ族の連中を憎んだよ。全員殺してやるとさえ、思ったこともある。反抗的な俺は、鞭で打たれ、剣で切りつけられ、スレイ族を侮辱した罰で、片顔を焼かれた」


「……シュラウド様、……お辛かったですね……」


「今となってはもう過去の話だからな。気にしてもいないし、この醜悪な姿を、君が受け入れてくれたのだから、この姿もそう悪くないとは思っているよ」


 シュラウド様は明るい声でそう言って、私の髪に唇を落とす。

 私は、お父様に――されたときのことを、思い出す。

 人は、人に、どこまでも残酷になれるものなのだろうか。

 誰かを傷つけたら、心が痛いと思うのに。

 シュラウド様の痛み苦痛や怒りを思うと、心が軋んだ。


「俺が十五の時だから、それは十年前の話だな。それから三年して、兵士として育てられた俺は、スレイ族のハイルロジア城制圧に、同行させられた。そのころには俺は暴力によって奴らに従い、従順なふりをしていたから、信用されていたのだろうな」


「自分の家族の住むお城を……?」


「あぁ。俺が両親を憎んでいたのは確かだ。その憎しみを買われたということもあるのだろう。奴らは自分たちの行いを棚に上げて、まるで俺の味方のような顔をして、実の子供を敵に売った親に復讐をしてやれと、俺に言った。……俺はスレイ族に同行し、この城に押し入って……」


 シュラウド様はそれから、深く息をついた。


「俺がここに辿り着いたとき、既に先行部隊が城の中には入りこんでいた。ハイルロジアの兵士たちは半数以上が倒れていて、……俺は、ハイルロジアに寝返って、スレイ族の連中に刃を向け、道を切り開きながら、城の奥へと進んだ」


 私は、小さく頷く。

 何を言って良いのかがわからなくて、シュラウド様の体をただ抱きしめていることしかできない。


「手遅れだったよ。俺の両親や弟妹はすでに、事切れていた。それから、俺は城に入り込んでいたスレイ族を全て、この手で屠った。……あの時の俺を突き動かしていたのは、憎しみだけだった。その恐ろしい姿を見た者が、俺を死神と……まぁ、悪くない呼び名だとは思っている」


「シュラウド様は私よりもずっと、苦しいのに……私に、笑いかけてくださるのですね」


「すべては時が解決してくれる。それは昔の話だ。だが、……今でも思う。俺が家族を救うことができなかったのは、俺が、家族を救いたくないと思っていたからではないのかと。憎しみに沈んだ心で、俺を売った両親など、俺の犠牲で幸福を享受している弟妹など、消えてしまえと、思っていたからではないのかと、な」


「……痛くて、苦しくて、辛かったら、誰かを恨んでしまうのは、仕方ないことだと思います」


「君は誰も恨んでいないだろう、アミティ。君は、強いよ。俺よりもずっと。……俺は、俺のような怒りと憎しみに染まった男の血など、絶やしてしまおうと思っていた。子供を成す気などはなかったのだがな。君と出会って、気が変わった」


 シュラウド様はそう言って、私の体を痛いくらいにきつく抱きしめる。


「俺は君との子が欲しい。君の優しさがあれば、死神の子供は生まれない。その子はきっと、暁のような、輝く希望に満ちた子になるだろう」


「シュラウド様も、優しい方です。……教えてくださって、ありがとうございます。私、あなたが好きです。あなたを知るたび、もっと、あなたを……愛しています、シュラウド様」


「あぁ、アミティ。……俺は、幸せだ。本当に、君と出会えてよかった」


 苦痛も苦悩も感じさせない振る舞いをするために、どれほどの努力があっただろうと思う。

 悲しいことがたくさんあったけれど――でも、これからは。

 私も、暗い顔をしないで、シュラウド様の傍にいてさしあげたい。

 好きだとおっしゃってくださった笑顔を浮かべながら、ずっと。


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