新しいドレスと幸運の妖精
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春になり白に覆われていた大地が雪解けを迎えるように、アミティの閉ざされていた心も少しは柔らかく解けたのだろうか。
肌に触れられ慣れていない者特有の拒絶にも似た緊張が体に走るのは変わらないが、俺の腕の中でほんの少しだけ表情を和らげているアミティは、とても愛らしかった。
ぶかぶかのローブに小さな体を包んでいるアミティは、その白い肌や髪や、月明かりのような金色の瞳も相俟って、まるで本物の妖精のようで、その妖精を俺が強引に攫ってきたようにも見える。
実際に街の者たちなどは「ハイルロジア様が幸運の妖精を攫ってきた!」「どこの姫を強奪してきたのですか?」などと言って囃し立てた。
アミティが萎縮してしまうかと一瞬思ったが、萎縮よりも驚きの方が優ったのだろう。
人々の様子に戸惑うように視線を彷徨わせて、困り果てたように俺を見上げるさまがとても──愛らしい。
「アミティ、まずは服だな。君のその姿は可愛らしい。それに靴がないだろう。靴がないことを言い訳に、俺は君を抱き上げることができているわけだが……このまま歩いていると、嫁を盗んできたと道ゆく領民たち皆に言われてしまうからな」
「は、はい……あの、シュラウド様……」
「なんだ? なんでも言ってくれ。君の声は愛らしい。いつまででも聴いていたいと思うぐらいに」
小さな声で話しかけてくれるアミティに、俺は笑顔を浮かべる。
笑顔を浮かべることができていると良いのだが、生憎俺の顔はあまり見られたものではない。
なんせ、顔の片側は眼球も瞼もなく、虚になっているために眼帯をしているし、眼帯で隠しきれないぐらいの広範囲に皮膚が焼けている。
髪が無事だったのだけは幸いだ。ある程度は前髪で隠すことができる。
傷を恥じるようなことはないが、初対面の者たちは俺の顔を見ると大抵怯えるか、哀れむような視線を向けて、視線を逸らす。
貴族令嬢などは悲鳴をあげるか、作り笑いを浮かべるかどちらかだろう。
アミティには──そういったことは一切ない。
俯きがちなのは自分の存在意義に、自信を持つことができないからなのだろうが、俺を恐れないアミティが欲しいと思ったのは本当だ。
「……シュラウド様は、街の方々にとても好かれているのですね」
「そうかな。そう見えるか? そうだとしたら光栄なことだ」
「は、はい……あの、みなさん、とても楽しそうに、シュラウド様に話しかけるので、そう思って……」
「俺はよく街をうろついているからな。最初の頃こそ皆怯えていたものだ。だが、慣れたのだろうな」
「そうなのですね……慣れ、ですか」
「あぁ。何事もな、大抵のことは慣れるものだ。月日がおおよそのことは全て解決してくれる。だから、アミティ。君も俺に慣れる。いつか、そのうち」
「は、はい……私、……もう、あなたが……」
「俺が?」
「そ、その、……シュラウド様に、感謝しています」
アミティは小さくそういうと、俯いた。
「それは好きと同義か?」
「はい……好き、です。……シュラウド様が、好き」
自分の感情を確認するように、訥々とアミティは言って、嬉しそうに微笑む。
胸の奥に何かとろりとした温い蜜のようなものが溢れるのを感じる。これは、愛だろうか。それとも欲望なのだろうか。
──アミティは、俺に似ている。
幼い頃の俺に。
この手の中に閉じ込めようと思ったのは、同情も、あったかもしれない。けれど、それだけはない。
俺はどうしようもない苦しさを、かつて憎悪へと昇華させたが、アミティはそうではない。
誰にも迷惑をかけないように、呼吸さえひそやかに繰り返しているような切ないぐらいの健気さに、あぁ──この少女は、壊れなかったのかと、思った。
薄氷の上を歩くように、尖ったナイフの上を、肌を薄く切り裂きながらも真っ直ぐに進むように、アミティの心は危うい状態にありながらも、粉々に砕けたりはしなかった。
俺にはそれが、とても尊いものに思えた。
誰もアミティを欲さないというのなら、俺が貰う。
これは、僥倖だ。
俺はアミティを手に入れた、巡り合うことができたのは、幸運に違いない。
やはり、日頃の行いが良いからなのだろう。
死神の俺になど貰われて喜ぶ女などはいないだろうと思っていた。それに、自分の子などいらないと思っていた。
適当に養子をもらうなどすれば良いかと考えていたのだが、今は、違う。
「アミティにドレスと靴と、装飾品を見繕ってくれ。俺はドレスには詳しくないのでな。アミティに似合うものを。そうだな、一番高級なものが良い」
「は……! ハイルロジア様……! 了解いたしました!」
大通りにある金持ちが通う洋品店に入ると、店主が恐縮しながら俺の対応をした。
それから、店の奥から出てきた少々派手な女性たちが、数人がかりで俺を取り囲んだ。
「ハイルロジア様! なんてこと……! 女性をこのような姿で連れて歩くなんて!」
「これだから、軍人は駄目なのよ」
「あらまぁ、裸足ではないですか! 女性の扱いを知らない男はこれだから!」
「なんてきめ細やかな白い肌! それに美しい白い髪に、金の瞳……幸運の妖精だわ……!」
などと口々に言いながら、毛足の長いふかふかした敷物を敷いて、その上にアミティを降ろすようにと俺に指示をした。
瞬く間に椅子が準備されて、店の扉が閉められて、カーテンがかけられる。
俺と店主は別室に行くようにと、追い払われた。
店主は申し訳なさそうにしながら、俺に甘い珈琲を出した。
しばらく暖炉の炎がパチパチと爆ぜる音を聞きながら、ソファの上で足を組んで目を閉じる。
(あの、背中の傷は……)
昨日見たものを思い出す。
幼い頃にオルステット公爵が剥がしたという、アミティの紋章。
──それは、もしや。
けれど、何故、紋章を剥がす必要がある。
俺の記憶が確かならば、それはこの国にとっては欠かせない、とても大切なものだ。
そしてそんな紋章を宿した者を娘に持ったとしたら、オルステット公爵家の地位は盤石なものになっただろう。
ある意味では、国王にも勝るぐらいの権力を手に入れることも、可能なはずだ。
(なぜ、剥がす必要があった。実の娘に、あのような傷を作り、その後も捨て置くとは。それほど、色の違いが気に食わなかったのか)
人は、形の違う他者を区別するものだ。
色だったり、言語だったり、造形の違いだったり。
傷の有無も、貧富も差も、着るものでも、地位でも。
顔に傷のある俺はいつでも好奇の目に晒されてきた。区別というものは、結局、差別になるものだ。
恐る視線も、憐憫も、好奇心も。
どの視線にも、慣れたものだが。
オルステット公爵は、色の違うアミティを差別して、同じ色をしたシェイリスを愛したということなのだろうか。
オルステット公爵家の二人の娘については、名前ぐらいしか知らなかった。
俺も、社交界とは縁遠い人間だからだ。
「……フレデリクに、詳しい話を尋ねる必要があるな」
社交の場は避けて通っていたが。
ラッセル王家が国を興した建国の祭りが、近々ある。
フレデリク・ラッセル──国王陛下から、たまには城に顔を出せという手紙をもらっていたことを思い出した。
そんなことを考えていると、隣室から俺を呼ぶ声がする。
呼ばれて向かうと、そこには、雪の妖精が佇んでいた。
「アミティ! なんと美しいんだ!」
俺は感嘆の声をあげる。
元々美しい少女だとは思っていたが、着飾って、髪を整えてもらうだけで、アミティはその輝きを増していた。
正直、俺が今まで見たどの女性よりも美しかった。
嘘は得意だ。
だからできるだけ、嘘をつく必要のない場においては、俺は自分の感情に正直でありたいと考えている。
艶めく空色のドレスの上に、花を模した白いレースがあしらわれている。
華奢な肩には白い毛皮のショールがかけられていて、長い白い髪は整えられて結われて、輝く金の小鳥を模した髪飾りが飾られている。
雪の結晶をそのまま美しい少女にしたような姿だった。
「本当に、幸運の妖精が舞い降りたようだ」
アミティが恥ずかしそうにはにかむので、俺はその体を両手で抱き上げた。
抱き上げたら──ドレスや髪が乱れると言って、それはそれは、店の女性たちに怒られた。
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