雷獣オルテアと神獣コルトアトル
外は寒いからと、シュラウド様は私に大きな黒いマントをかけてくださった。
小砦から外に出ると、冷たい風が頬を撫でる。
昨日一人で歩いていた時は、足も手も、感覚が薄れるぐらいに冷え切っていた気がするけれど。
今は、シュラウド様の腕の中にいるおかげか、暖かく、風の冷たさがかえって心地よいぐらいに思える。
「アミティ、昨日俺が君をすぐに見つけることができたのは、後を追いかけて走ってきたから……というわけではない。当然俺は走るのも狩をする獅子のように早いわけだが……わかりにくいか。そうだな、昨日の狼たちにも負けないぐらいに足が速いわけだが」
「それは、すごいですね」
「すごいだろう。小さな少女は、兎角足の速い少年を好むものだ。そういう気持ちは魂に刻みついているのではないかなと思うのだが、どうだろう。アミティ、惚れ直したか?」
「はい……! 素敵だと思います」
私が小さな少女だった頃、足の速い少年というのはそばにはいなかったけれど。
よくはわからないけれど、シュラウド様は素敵だと思う。
「ふふ、そうだろうそうだろう」
シュラウド様はうんうん頷いた。
それから、私を片手でかかえて膝に座らせると、ごそごそと首の辺りからチェーンのネックレスを取り出した。
先端は笛になっている。
その笛を咥えて吹くと、か細い音がする。
小さな音なのに、空気が震えるような不思議な音色だった。
ピューイ、ピューイと、響く音とともに、木々がざわざわとざわめく。
空から、風圧でざわめく木々と共に何かが飛来してくる。
それは、大きな動物だった。毛皮がふさふさしていて白い。
四つ足で、足の一本一本が私の体を半分にしたぐらいに大きい。
白い体にところどころ黒い縞模様があって、長い尻尾が二本、真っ黒い大きな瞳に、耳はつんと尖っている。
大きいけれど、可愛らしい顔立ちをしている獣だ。
ただ、四つ足の爪は鋭く尖っていて、人間の体なんてすぐに引き裂いてしまえるぐらいには大きい。
空を飛ぶ獣をはじめて見た私は、驚きのあまり何も言うことができなかった。
「アミティ、聖獣ははじめて見たか?」
「せいじゅう……?」
「あぁ。これは、雷獣。名はオルテア。俺の友人だ。昨日はオルテアに乗り、君を探した。空からの捜索だからな、すぐに居場所が知れた。だから、間に合ったというわけだ」
「シュラウド様の、お友達、ですか……?」
「あぁ。聖獣は、我がハイルロジア領にある、聖峰キドゥーシュに住んでいる。山から降りることはまずなく、こちらから聖峰に足を踏み入れない限りは、こちらに危害を加えることはない。聖獣たちは、聖峰の山頂に住むと言われている、神獣コルトアトルを守っていると言われている」
「神獣コルトアトル……」
はじめて聞いた話だからよくわからないけれど、雷獣オルテアは私の知っているどの動物とも似ていない。
それに、空から舞い降りてきた。
空を飛ぶことができる動物を、私は鳥以外知らない。
オルテアには翼はないのに、どうして飛ぶことができるのだろう。
「スレイ族が俺たちの領土を奪おうとするのは、神獣コルトアトルの住む聖峰キドゥーシュには自分たちの神が住んでいると、思っているからというのも一つある。奴らにとっては、自分たちの神の住む土地に住む我らこそが、簒奪者だと言ってな」
「……私、王国のことを、詳しく知らなくて……歴史も、他国との関わりについても、あまり詳しくはありません。ごめんなさい」
「謝る必要はない。知らないということは良いことだぞ、アミティ。世界は広い。俺が全て、君に教えてやろう。それに、愛する女性に色々なことを教え込むというのは、男の理想の一つでもある」
「はい……色々、教えてください。私、知らないことばかりで……できるだけ、あなたにご迷惑をかけたくない、お役に立ちたいのです」
「アミティ、君は俺のそばにいるだけで、十分俺の役に立っている。君は俺に、幸せと幸運を運んでくれるのだから」
シュラウド様はそう言いながら、私をオルテアの背に乗せてくださった。
オルテアは私が背中に乗っても、おとなしくしていた。
背中には鎧がついている。それは馬の鞍に似ているけれど、オルテアは馬よりも大きいので、特別に作ったのだろう。
シュラウド様は私にかけていたマントを、私の首に巻いてくださる。
それから自分も、軽々とオルテアの背に乗った。
シュラウド様は私を横抱きにして、オルテアの轡から伸びている手綱を掴んだ。
「オルテア、街に行くぞ。久々だな、街まで飛ぶのは!」
シュラウド様が楽しそうに言う。
オルテアは特に勢いをつけることもなく、ふわりと宙に浮き上がった。
とても静かで、体に衝撃もない。まるで、滑るように木々の隙間を縫って空に浮き上がり、空を駆けて進んでいく。
眼下には深い森と、少し離れたところにハイルロジアのお屋敷──お城がある。
森には確かに小砦が点在していて、遠く幾重にも柵が張り巡らされている光景も見える。
雪を被った切り立った山脈が連なり、森の向こうには、大きな街がある。
「遠くに見える山が、聖峰キドゥーシュ。王国の人間ならば、まず足を踏み入れたりしない山だ。踏み入れた途端に、聖獣たちが一斉に襲いかかってきて、骨も残さずに食われてしまうからな」
「そうなのですね……」
「神獣コルトアトルは、世界の創造主とも、破壊神とも言われている。その姿を見たものは、誰一人としていない。この国の宗教画には、コルトアトルの想像図がよく描かれているな。美しい女だったり、筋骨隆々な男だったり、はたまた、獅子のような姿だったり、様々だ」
オルテアの背に乗ってゆっくりと空を駆けながら、シュラウド様が言う。
風が髪や服を揺らしたけれど、それ以外は椅子の上に座っているぐらいに、体に負荷はほとんどかからない。
馬車の方がずっと、揺れるぐらいだ。
「皆、神獣を崇めているということですか……?」
「信仰心はあるのだろうな、おそらくは。信仰心なのか、それとも、畏れなのかはわからないが。コルトアトルは守護神であり、破壊神でもある。王国を守ってくれるように、そして、王国を滅ぼさないように、皆、祈るのだろうな」
「……シュラウド様は、どうして聖獣と、ご友人になられたのですか?」
「あぁ、それは、俺が聖峰にのぼったからだ」
「あ、危ない、って……っ、危険なことだと、先ほどおっしゃったのでは、ないですか……?」
何でもないことのようにシュラウド様が言うので、私は驚いてしまって、目を見開いた。
シュラウド様はさっき、誰ものぼらない場所、骨も残らないぐらいに食べられてしまうと、言ったのに。
「俺は強いからな。大丈夫だ。いや……自分の領地に、不可侵な領域があるとは納得がいかないだろう。俺の領地に住むのだから、俺に挨拶をするべきだと、神獣コルトアトルに言いに行ったんだが、結局、会えなかった。途中、襲いかかってきた聖獣たちを良い度胸だと返り討ちにしていたら……そのうち、オルテアが現れた」
『……そいつは、馬鹿者だ』
低く唸るような声が聞こえた。
私はきょろきょろと周りを見渡す。
シュラウド様の声ではないけれど、ここには、私と、オルテアとシュラウド様しかいないのに──。
「シュラウド様……オルテアが……い、いえ、オルテアさんが、言葉を……っ」
「そうか、聞こえるのか、アミティ!」
シュラウド様は笑顔を浮かべると、それはもう嬉しそうに笑顔を浮かべた。
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