怖い夢を見ないように
シュラウド様は本当に毛布をベッドから剥いで暖炉の前へと持ってきた。
それから、私を後ろから抱きしめるようにして、腕の中に収めると、毛布をかぶってぐるぐる巻きにした。
シュラウド様の体と毛布に包まれた私は、心臓にきつく巻き付けられていた鎖がほろほろと解けていくような、奇妙な感覚を味わっていた。
ずっと、息苦しかったのに。
今は、すんなりと呼吸をすることができるみたいに。
「アミティ。君は、色が違うからと、ずっと使用人のような扱いをされてきたというのか?」
シュラウド様に尋ねられて、私はぽつぽつと自分のことを話した。
といっても、私に話すべきことなんて、ほんの少ししかないのだけれど。
「はい。……いえ、ずっと、というわけではないのです。幼い頃は、……家族からは嫌われていましたけれど、最低限の、食事や、着る物や、お部屋……それから、教育も、していただきました。字が読めないとか、算術ができないとか、そのようなことはなくて」
「オスルテット公爵は、君を娘として育てていたのだな。君がある程度の年齢になるまで」
「はい……。誰かに嫁がせると、お父様はおっしゃっていました。けれどその日は、来なくて。十二を過ぎたあたりでしたでしょうか、私の見た目では誰しもが気味悪がって、嫁には欲しがらないと、お母様に言われて。使用人として働くようにと……それからはずっと、私は使用人のうちの一人でした」
ぽつぽつと記憶を辿りながら私は話した。
シュラウド様は急かすようなことはなく、熱心に聞いてくださる。
「私、……こんな見た目、ですから。傷も、背中にあって。だから……シュラウド様が私をと望んでいると聞いた時は、何かの間違いかと思ったのです。……案の定、間違いでしたから、私は、帰らなくちゃって、思って……でも、シュラウド様が私をお屋敷に置いてくださるとおっしゃって、私、ほっとして……」
「ジャニスが、それはもう心配していた。君の様子は、どこかおかしい。公爵家で酷い扱いをされたのではないかと」
「……ジャニスさんには、迷惑をかけてしまいました。困らせてしまって……」
「気にする必要はないよ。ジャニスは人の世話を焼くのが好きなんだ。それでも君が気になるというのなら、帰りに街で土産に栗のタルトでも買っていこう。ジャニスの好物だ。二十は食うな」
「栗のタルト……」
「あぁ。パイ生地の中に、栗のペーストが入っていて、上に栗の甘煮と栗のバタークリームが載っている。甘いぞ。脳髄が痺れるほど甘い」
「そんなに、甘いのですか?」
「そうだな。これでもかというぐらい甘い。……食べてみるか、アミティ」
「は、はい……」
「俺にとっては、君との口づけの方が甘い、な。もう一度触れても?」
「……っ、はい……っ」
私はシュラウド様の腕の中で小さくなって頷いた。
まだ、慣れない──けれど。
珈琲と、シナモンクッキーのおかげか、私は少し、気持ちが楽になっていて。
胸が詰まるような息苦しさも罪悪感も、シュラウド様のそばにいる時には、考えなくて良いのかもしれないと思い始めていて。
私が申し訳ないと思うことは、シュラウド様の気遣いを、優しさを、拒絶することのような気がして。
「……ん」
背後から覆いかぶさるようにして唇が重なった。
軽く触れて離れていくそれは、確かに、ひどく甘い。くらくらするぐらいに、甘くて。
私は、ここにいて良いのだと、思うことができる気がした。
「俺の幸運の妖精。君に口づけられることに、感謝を。……アミティ、俺は本当に幸運だ。オルステット公爵が君を俺の元へと、間違えて送ってきてくれて、君に出会えて、良かった」
「……違うのです、それは……違うのです、シュラウド様」
「違うとは?」
「お父様は、わざと私を、あなたの元に……要らない方を、あなたに、押し付けたのです。妹は、王太子殿下と結婚をすると言っていました。……シュラウド様のことを、貶めるような行為を、父は……」
「理由はどうであれ、俺が幸運であることには変わらない。俺はアミティを手に入れることができた。美しい、アウルムフェアリーをこうして、腕に閉じ込めることができているのだから、公爵の思惑などは、些少のことだよ」
「……でも、シェイリスの方が、美しいのです。私みたいに、不吉な容姿をしていないから……金の髪と、青い瞳の、美しい子で……」
「それは、嫉妬をしてくれているのか、アミティ。可愛らしいな。俺がシェイリスに取られるのではと、不安に思ってくれているのか?」
「そ、そうでは、なくて……」
「可愛い嫉妬をしてくれるのだな、アミティ。俺は嬉しいよ。その調子で、どんどん嫉妬をしてくれ。いや、嫉妬をさせるようなことは何もないのだが。とすると、今の感情は、とても貴重だな」
「違うのです、そうではなくて……」
シュラウド様は私の言葉などまるで聞こえていないかのように、嬉しそうに笑った。
それから私を抱きしめたまま、絨毯の上に寝転がる。
シュラウド様に抱えられたまま横になった私は、そのまま力強く抱きしめられた。
暖炉の炎も、シュラウド様の体も、毛布も、全部、暖かい。
ここは、すごく暖かくて、安心、できる。
「アミティ、君が俺のものであるように、俺も君のものだ。君から手を離したりはしないし、君を誰にも奪われることもない。だから、心配する必要はないよ」
「でも、私……ごめんなさい。……嬉しいのに、……シュラウド様が私を大切にしてくださることは、間違っているって、思ってしまって……そんな価値は、私にはないって、どうしても、考えてしまって……」
「それで良い。俺は、構わない。長い年月をかけて、君の心は削られていったのだろう。人はどこまでも残酷になれるものだ。兎角、自分が正義と信じているときは、残酷さには拍車がかかる。……オルステット公爵家の者たちにとって、君が貶めても良い異物だったとしても、俺にとっては君が幸運の妖精であることに変わりはない」
「でも……っ、私は、不実です。……シュラウド様の優しさを、疑うのと、同じで」
「アミティ、君は、本当に美しく清らかだ。そんなことを気にする必要はない。俺は君を愛している。愛とは、増えることはあっても減ることはない。君の削られ損なわれた心に、硝子の空き瓶のように、愛情が空だったとして、俺が毎日それを満たしていこう。君が、もう十分だと音を上げるぐらいに」
シュラウド様の手が、私の髪を撫でる。
額に、目尻に唇が落ちる。全身で、愛情を伝えていただいているみたいで、私の空っぽの小さな硝子瓶は、すぐにいっぱいになって、溢れてしまうような気がした。
「アミティ、良い夢を。怖い夢を見ないように。もし、怖い夢を見てしまったら、俺が君を脅かす者たちを、全て退治しよう。俺は死神だからな。夢の中まで、君を助けに行くことができる」
「シュラウド様……それは、とてもすごい、です」
「あぁ。自慢ではないが、俺はかなり、すごい。おやすみ、アミティ。明日も、ずっと一緒だ。安心して眠ると良い」
「……はい……シュラウド様、おやすみなさい」
私はシュラウド様の胸に額をつけると、目を閉じる。
あぁ、私は。
この方といると──眠ることが、できる。
意識がふわりと宙に浮かんでいくようだった。
炎の音と、風の音と、シュラウド様の心音と、呼吸の音と。
全部が、心地よくて。
夜の帳が降りるように、私の意識も、暗闇の中へと落ちていった。
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