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序章:シュラウド・ハイルロジアとの邂逅



 まるで、罪人を護送するかのような静かな旅路だった。

 皇国の中央にあるオルステット公爵領を抜けて、北に三日。

 本来なら公爵領から辺境伯領へ行くには五日以上かかるのだろうけれど、何かに追い立てられるように、休憩もろくに挟まない強行軍。


 使用人たちは路銀だけはたっぷり持たされているようだから、補給と休憩のために寄った街で、走り潰れた馬を買い替えたりしていたようだ。

 それでも、辺境伯領へ私を送り届ける役目の使用人たちが、路銀を使って享楽に耽らなかっただけ良いのだろう。


 それほど、戦場の悪魔と呼ばれているハイルロジア辺境伯が怖いのだろうけれど。

 私は馬車の中で、水を少し飲んで、干し肉を少し齧って、三日を過ごした。

 夜になると使用人たちは街の宿で休んだ。私は馬車から抜け出すと、馬屋で眠った。


 そうして、三日。

 オルステット公爵家の馬車は私をハイルロジア辺境伯家に送り届けると、逃げるように帰っていった。

 ハイルロジア辺境伯家に引き渡された私は、使用人に促されて旅装束を脱がされ、湯浴みをさせてもらった。


 さすがに、薄汚れた服のままでは辺境伯に会わせられないと判断されたのだろう。

 身支度を整えられて、部屋で待つようにと言われた。

 中央に天蓋のある立派なベッドが置かれた部屋だ。ベッドの他にはソファと、文机が置かれている。

 飾り棚には百合の花が生けられていて、独特な香りが部屋に漂っていた。


 私は所在なく、窓辺に立って、窓の外を見ていた。

 窓からは、寒々しく雪を被った山脈が見える。北の領地は寒いのだろう。

 私が今まで着たことのないような上質なドレスの上から、使用人の方は毛糸で編んだ暖かいショールをかけてくれた。だから今は、寒くはない。


 ややあって、扉が叩かれる。

 返事をすると、黒髪の立派な体躯の男性が部屋に入ってきた。


「君が、オルステット公爵家のシェイリスか」


 男性は私の前で立ち止まると、口を開いた。

 静かな夜に聞こえてくる遠く響く獣の遠吠えのような、低くよく通る声だった。

 濡れた烏の羽のような黒い髪は少しだけ長い。


 片目を覆うように伸ばされた前髪の下には、目を覆う眼帯がある。

 残された左目は、指先を針で突き刺したときにぷっくりと膨れてくる鮮血のように赤い。

 首元までがきっちり止められた黒い軍服のような服で、立派な体躯を窮屈そうに包んでいる。


 見上げるほどに背が高い男性だ。

 年齢も、私よりもずっと年上に見えた。

 一切余計な肉のついていないような精悍な顔立ちで、意志の強そうな眉の下の瞳は、何の感情もないような不躾な視線を私に注いでいる。


「……私は、アミティです。……申し訳ございません、シュラウド様」


 私は目を見開くと、深々と頭を下げた。

 シュラウド・ハイルロジア様。

 戦場の死神と言われている、ハイルロジア辺境伯。


 父に──ハイルロジア辺境伯がお前を妻に欲しているので、嫁げと言われた。

 まさか、どうして、私を。

 そう思っていた。


 けれど、やはり間違いだったのだ。

 シュラウド様が妻にと望んでいたのは、私の妹のシェイリスで、私ではない。

 シェイリスは、私と違い美しい金の髪と青い瞳をした、愛らしい容姿の少女だ。

 私のように、白い髪と不吉な金の瞳をした、色のない女ではなく。


「アミティ?」


「は、はい……アミティ・オルステットと申します。……シュラウド様が妻にと望んだのは、シェイリスだったのですね。どこかで、間違いが起こったのでしょう。……申し訳ありません」


「オルステット家には、二人の娘がいる。一人は長女のアミティ・オルステット。もう一人は、次女のシェイリス・オルステット。アミティという君は、長女なのだろう。で、あれば、家を継ぐ者だ。それなのに、なぜ俺の元へ?」


 詰問されるような口調で問われて、私はびくりと体を震わせた。


「私……私にも、わかりません」


 誤魔化すことしかできなかった。

 父は不用品を下げ渡すような気持ちで、取り違えたふりをして私をシュラウド様の元へと送ったのだろう。

 私ではなくシェイリスを手元に置きたくて、家も、継がせたかったのだろうと思う。

 だからといって、このようなやり方。


 シュラウド様に失礼だろう。私がそれを口にしてしまえば、シュラウド様の怒りを買って、お叱りを受けても仕方のないこと。

 それだけならまだ良い。


 シュラウド様は、冷酷な死神辺境伯と恐れられている方だという。

 命を奪われても、仕方ないかもしれない。


「……申し訳ありません。本当に、申し訳、ないです。私、今すぐ出ていきます。……オルステット家に、帰ります、から、どうか、お許しを……」


 私はここにいてはいけない。

 殺されるのは──構わないけれど。

 でも、シュラウド様が怒って、オルステット家を相手に戦争を仕掛けるなどは、いけない。私のせいで、罪もない民が傷つくのは、いけないことだ。


「帰る。どうやって帰るというのか。家の者の話では、オルステット家の馬車は君を置いて、早々に公爵家に戻っていったという。何も持たない君が、どうやって家まで帰る?」


「あ、歩いて……」


「野犬に襲われるか、狼に襲われるか、破落戸に襲われて尊厳を貶められ、売り飛ばされるか……ともかく、死にたくなければ愚かなことを考えるな」


「けれど、ハイルロジア辺境伯様のお手を煩わせるわけにはいきません。私は、一人で大丈夫です。ご心配、ありがとうございます。オルステット公爵家に戻って、……父に間違いだったと、伝えて参ります」


 私はもう一度深々と頭を下げると、部屋を出ようとした。

 いつまでも、ここにいることはできない。

 シュラウド様がお怒りになる前にここを出ないと。


「お洋服……私が来て着たものに、着替えます。お借りしてしまって、申し訳ありませんでした」


「そう急く必要はない。アミティ。君は、ここにいて構わない」


「ですが……!」


「俺としては、オルステット公爵家から来たのが君だろうが、シェイリスだろうがどちらでも構わない。妻を娶ったという事実があれば、それで良い。公爵家から妻を貰えとは、国王陛下からの命なのでな。俺の役割は、これで果たしたということになる」


「……でも、私は」


「娶るとしたら、長女ではなく次女だろうという、ただそれだけの理由だ。しかし、オルステット公爵が君を、というのなら、それで構わない」


 淡々と、シュラウド様はそう言った。

 私はどうして良いのかわからずに、その場に立ちすくんだ。


「アミティ。君も俺の元に来る羽目になるとは思わなかっただろうが、運が悪かったと思ってくれ。君はただ、ここにいてくれたら良い。余計なことはしない。これは、契約だ」


「……契約、ですか」


「あぁ。婚姻とは契約だ。君は君の好きなようにして構わないが、俺の妻という立場でいてほしい。そうすれば俺も、余計なことに煩わされる必要はなくなる。君も、歩いてなど馬鹿げた方法で、オルステット公爵家に帰る必要もなくなる」


 シュラウド様は「良い考えだ」と言って、頷いた。

 私は呆気にとられながら、シュラウド様の様子を見ていた。

 てっきり、叱責を受けるかと思っていた。お前などいらないと、追い出されるのかと思っていた。


「……私は、ここにいても良いのですか」


「今日からここが、君の家だ。俺は君の夫だが、必要以上に君に関わらないと約束する。無論、触れることもない。好きな男がいるのなら、呼んでもかまわない。だから、安心して過ごすと良い」


 シュラウド様はそれだけを告げると、部屋から出ていってしまった。

 そこには、憎しみもなければ怒りもない。


 私に向ける感情など、一つもないと宣言されているようだった。



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