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ハゲの女神の紆余曲折(仮  作者: うまうま
第三章 女神の再来
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第181話 幸せ

 ため息をついていると、後ろに近づく気配を感じ視線をやれば侍従がそっとメモを隠した手を差し出してきた。

 すぐさま我に返って手のひらに受け取り視線を落とせば、陣痛が始まった事と生まれるまではまだ時間がかかる事が書いてあり、握り込む。


 こちらを見ていた姉上と視線が合い、丈夫ですと頷いたが動悸が早くなるのを感じた。時間がかかるというのはリーンに聞いていたから理解はしている。だが、落ち着かない。


 そこからは誰と何を話したのかも、正直覚えていない。

 休憩を挟み人の入れ替えもあったがその間も誰かしらに声を掛けられてリーンの様子を見に行くことも出来なかった。

 そうして気づけば兄上の侍従が後ろにいた。


「王弟殿下。陛下より、もう終わりも近いので妃殿下についているようにと」


 耳に届いた言葉に反射的に兄上を見れば未だ人に囲まれている中、ちらっとこちらに視線を寄こして頷かれた。


「申し訳ない、感謝していますと伝えてくれ」


 侍従は静かに頭を下げ、私は会場を出て急いだ。

 お産の部屋は奥の宮の一角に設けられている。回廊を走り抜ければ既に外は暗い。昼前に始まった式がそろそろ終焉しそうだったのだ。それだけ時間が経っているのは当たり前なのだが、それでもまだ誕生の知らせが無いという事はずっとリーンが頑張っているという事で……

 部屋の近くまでいくと、リーンの侍女が部屋の前で祈るように手を合わせているのが見えた。そして、声が聞こえてきた。


「…っり! それむりっ! む…ぁあああ!!」

「声は出さない! いきむ! お臍を見て! 目を開いて!」

「〜〜〜〜っ!」

「はい休んで! はーーと吐く」

「っは、はー……はー……っ…は、は、はーぁっ…」


 苦しそうな、泣きそうな、悲鳴のような声に心臓が鷲掴みにされる。反射的に部屋の扉に近づくと前を阻まれた。リーンの侍女だ。


「申し訳ございません。妃殿下より中に入れるなと仰せつかっております」

「っ……わかっている」


 中に入れない事はわかっている。

 わかっているが、手の一つも握れない、そばにいられない状況がもどかしい。


 一歩下がり、息を整える。

 私が焦っても、何にもならない。待つしか出来ない。わかっている。わかっているんだ。


「落ち着けって」


 ぽんと、背中を叩かれて驚いて横を見ればドミニクがいた。接近に全く気が付かなかった。

 ドミニクは扉に視線をやると、すっと目を細めて小声で囁いた。


「脈は早いが状況的に当たり前だし問題ない。赤子の方も心拍は安定してる。今頭が出るかどうかってところだから一番きついとこなんだよ。だから叫んでても仕方がない。大丈夫だ」

「視えるのか」

「そりゃ俺って天才だから? それに三日前にドロシーで視たしな。状況はわかる。俺の方がちょっとだけ先輩ってわけだ」


 それからドミニクは口元に人差し指を当てた。


「視てたのは内緒だぞ。男子禁制の空間だからな、あそこは」


 こんな時なのにいつも通り悪戯っぽく笑って言うドミニクに、苦笑が出た。それで自分の顔がかなり強張っていた事がわかった。


「ドロシーに聞いたんだが」


 扉に視線を戻したドミニクは小さな声のまま続けた。


「腰が砕けるような痛みらしい。延々とその痛みが繰り返しきて時間感覚が無くなるんだと」


 あいつも結構我慢強いけどそれでも声が出てたからなと呟くドミニクは、わかりにくいが心配しているのだろう。


 喘ぐような息と励ます声が聞こえる中、壁際に下がってジリジリとした気持ちを抑え無言で扉を見つめる。

 時間が引き延ばされるような、永遠にも感じられる時の中、頼む……と何に対して祈っているのかもわからないまま祈っていた。


 どれほどそうしていたか、不意にドミニクが呟いた。


「頭が出た、後少しだ」


 その言葉を裏付けるように、


「頭がでましたよ! もう力を抜いて、はーと吐いて」

「ぁー…はぁー……はぁ、は、はぁ」

「そうそう、もうすこし……あとすこし……出ました! 男の子ですよ!」


 跳ね上がるような声にざわっと胸がざわめいた。


 声は? 産声は? リーンは?


 慌ただしく人が動く気配に不安が大きくなって咄嗟にドミニクを見ると、真剣な顔のまま扉を見ていた。


「羊水を口から出してるとこ――」


 その時、猫のような泣き声が聞こえてきた。

 小さいが全身で存在を主張するかのような力強い声。


「出たな。ほら、大丈夫だろ? リーンも元気だぞ」


 ドミニクが笑って言う言葉に無言で頷く。

 声は出なかった。安堵で力が抜けてその場にへたりこんでしまいそうだった。

 

 しばらくすると小さなおくるみに包まれた赤子を、侍女が腕に抱いて出てきて私の前に立った。

 抱いて欲しいという事だと思うが手が震える。


 まごつく私を見かねたドミニクが私の腕を抱える形に動かして、その上にゆっくりと降ろされた。

 腕の中の赤子は目を閉じてもぞもぞと動いている。

 頭は産道をくぐり抜けたからか聞いていた通り少し後ろに細長くて、顔は赤くてしわしわで、ぺったりと頭に張り付いた薄い髪はまだ何色なのかはっきり分からなくて、だけど見ていると胸の内から何かがこぼれてくるようで、軽いのに、ずっしりと命の重みがあって、暖かくて、どこもかしこも信じられないぐらいに小さくて……


 気がついたら、ぼたぼたとおくるみに涙が落ちていた。


「殿下、妃殿下がお呼びです」


 ドロシーの代わりに侍女を取りまとめているネラーが扉を開けていた。

 入ってもいいのかと考える余裕もなく、落とさないように慎重に歩いて入れば寝台の上でこちらを見たリーンが目を丸くした。


「あなたが赤ちゃん見たまま無言で泣いてるって言うから、大丈夫か心配したんですけど……」


 大丈夫だと、むしろリーンの方は大丈夫なのかと訊きたいのに声がうまく出なかった。

 それでも喉を震わせ言葉を紡ぐ。


「……ありがとう」


 涙が止まらないまま蚊の鳴くような声で言えば、リーンは驚いたような顔になって、それから破顔した。


 飛び跳ねるような光があちこちで生まれるが気にもならない。そんなものがなくても私にはリーンはずっと女神のように見えていた。ずっと私の味方でいてくれて、兄上を、姉上を救ってくれて、家族になってくれて、今また家族を作ってくれた。

 母上が殺された時には想像も出来なかったことで、歳を重ねるごとに厳しい現実にこんな未来が訪れる事はまずないだろうと諦めていたことが、ここにあった。


「どういたしまして。最初のプレゼントはもう贈ったんですか?」


 まだだと首を振れば、じゃあ早く贈ってくださいと急かされた。じゃないと呼べないからと。

 

 腕の中に視線を落とすと欠伸のように口をあけながら、小さな手を動かしている奇跡のような存在がいる。


 この世に生まれて最初のプレゼントはあなたが考えてあげてくださいと言われて、ずっと考えていた。

 いくつも候補はあってさっきまで決めきれなかったが、この子を見て決まった。


「……私達のところへきてくれてありがとう。幸せ(リエト)

ブクマ、評価ありがとうございます。

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