第171話 聖女の初めての社交の季節⑪
「ねぇミュゼットさん。それからどうなったと思います?」
「どう……」
答えられないミュゼットさんに微笑みかける。
「いきなり大きな炎の渦をぶつけてきたのです。もう殺そうとしているとしか思えませんでした。
力の限り、それこそ生きてきた中で一番集中して精度を高め防御魔法を展開し、なんとか防ぎましたが……防御魔法ごと炎に呑まれてそのまま炙られました」
何となしに遠くを見るつもりで視線を後ろへやったら、こちら側の派閥で協力してくださっていた方々の顔色まで悪くなっていくのが見えて、あれ?と思った。
兄の『惑わす』はそちらまで影響を及ぼしていない筈なんだが。
「視界全てを炎に包まれながら耐えていたのですが、今度は巨大な石の柱で真上から突き破られそうになって――正直笑ってしまいましたわ」
「…わらって?」
「私を拐うのでしたら少なくとも生きていなくては意味がないでしょう? あれはどう考えても押しつぶされて死ぬしかない魔法の使い方でしたから。
でも魔力も底をついて防御魔法が途切れ……」
意味深に見つめるとふっくらとした唇が戦慄くように震えた。
「あちらも魔法の制御はお上手なようで、押し潰されるような事はありませんでした。ですが言う事を聞かなければ死ぬぞと脅され――その時点でお恥ずかしながら虫の息で身体を動かす事もほとんど出来ず、それでもさすがに皆様に迷惑をかけるわけにはいきませんから拒否したのです。そうしたら頬を打たれて」
ゆっくりと立ち上がり、そっとミュゼットさんの右頬に手を添える。
「おそらく鼓膜が破れました」
ハッとしたようにミュゼットさんは私が触れた方の耳を抑えた。
「それから何かで左の手のひらを串刺しにされたのだと思います。熱いのに冷たくて、痛みが酷くて何をされたのか当時はわかりませんでしたけれど……」
残ったミュゼットさんの左手を取って手のひらを上にして、小さくて綺麗な手のひらの上を指でなぞると、その手が細かく震え出した。
「右手は少し魔法に失敗して動かなかったので、使える手を潰すためにそちらを選んだのでしょう」
震えている手をぽんぽんと叩いてもうちょっと耐えてくださいと微笑み視線を上げると、完全にびびりきった青い顔で震えているミュゼットさんがいた。
あ、もしや、と周りを確認すれば、しきりに右手を摩る方々がいたり、左手をぐっぱぐっぱ握ったり開いたりして感覚を確かめておられる方々がいたり、耳を確認するように触れて見たり、御夫人や御令嬢の中に明らかに限界そうな顔色をした方々がいた。
前言撤回。話を纏めよう。兄が仕事をし過ぎている。
「耳も聞こえず、視界も暗くなって意識が薄れた時にリシャール殿下が来てくださったのです。
最初は殿下の事も認識出来ない状態だったのですが……ふふ、実は私、その時綺麗な青い空が見えたと思って、冥途の土産だなんて思ったのですよ。実際は殿下の目の色だったのですけれど」
少しおどけて笑い話を入れたらシャルの手が肩に置かれた。
強張ったその手に――あー…シャルにしたら目の前で起きた事だもんなと、思い出させてごめんと自分の手を重ねる。
「そうして助けられたのです。
聞いてくださってありがとう。それでどうでしょうか?」
……え? と、声にならない声でミュゼットさんが聞き返した。
「心配してくださったでしょう? 私が王都を離れるのは危険ではないかと。
先ほどのような事を経験しましたから、皆様が言う危険がどのような事かは重々承知しているつもりなのです。そのための自衛の訓練も受けました。警護についてくださる騎士の皆様もこの国きっての優秀な方々です。
あの時は本当に状況が悪かったのです。今後、そのような状況に陥るような事はまず無いでしょう。
どうでしょう? ミュゼットさんの不安は少しは軽くなったでしょうか?」
さてどうだろう。
ここまでやって見せれば大っぴらにラーマルナの件を蒸し返す人間は出ないと思うのだが。蒸し返せば私が正面から反撃してくるのが馬鹿でもわかるだろう。
呑まれてしまったように静寂が広がり――って、音楽止んでるし。
いきなり氷に包んだのはやり過ぎたかな……でも魔法技能って本当に口で言っても信用されるようなもんじゃないんだよな……
とにかくもう終わりにしよう。伯爵(こっちも青い顔してる)に彼女を連れて下がるよう言おうとした時、シャルが口を開いた。
「この際だからはっきりさせておこうか。
陛下」
「なんだい?」
間髪入れず、こちらを向かれていた陛下が聞き返された。
「少し場を乱しますがお許しいただけますか」
陛下はシャルのお願いに、しょうがないなという顔で笑った。
「すでにそうであるような気もするが」
陛下の流し目を受けてすぐに頭を下げる。
ええはい弁明の余地もございません。お叱りで済むかな……無理か。他国の人間も居る中でやっちまったんだもんな。ラシェル様って優しいけど厳しいからなぁ。
「構わないよ。
リシャールの妃はその命を張って我々をひいてはこの国を助けてくれたのだ。文句を言う者などいないだろう。好きなようにやりなさい」
「ありがとうございます」
シャルが陛下に礼を言って後ろを向き手を上げると、誰かがこちらに歩み寄ってきた気配がした。
後ろ側には警備の騎士しか居なかった筈だがと思って視線を向けて、口がぱかっと開きそうになった。
何故ならそこに、兄の侍女姿が居たのだ。
なにしてるんだ兄よ!!?
表情を保った自分を褒めたい。本当にびっくりした。
って、あれ? え?
すぐに私は違和感に気づいた。
何故なら、歩いてくる兄の後ろ、警護で立っている騎士の中にも兄の姿があるのだ。
どういう事……どっちかは偽物ってこと……?
思わず耳を触るが、何故か今度はティルナからの応答が無かった。
「大丈夫だ。心配するな」
小さくシャルの声が聞こえて思い出した。
事前にシャルが言っていたではないか、驚く事があると。
シャルが把握しているのなら問題はないかと思って身体に入った力を抜く。
にしても……びっくりした……
「記憶力がよいというそなたの事だ。あれが誰か覚えているだろう?」
圧のかかった問いに、ミュゼットさんはしかし声が出ない様子だった。
シャルは小さくため息をついてあたりへと視線を向けた。
「覚えている者はいるか?」
「恐れながら」
手を上げたのは、先ほどアシストしてくださったダリウスさんだ。
「昨年の園遊会で妃殿下に付き添われていた侍女だったと記憶しております。が、何故ここに彼女が?」
ミルネスト側の人間と思われるルージュがどうしてこの王宮にいるのだと疑問なのだろう。
今この王宮の人手はほぼ刷新された状態で、本来ならミルネストに仕えていたルージュが居る筈がない。それが外から見た認識だろう。
ダリウスさんだけでなく、ほとんどの方が怪訝な顔になっている。
そんな中、苦笑する声が聞こえ――それは先ほど許可を出した陛下だった。
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