第168話 聖女の初めての社交の季節⑧
「きっと妃殿下の美しさに騎士団長様も目を奪われているのでしょうね」
をいをいをい。
私、知ってますよ。みたいな顔で囁いてきたけど、全然知ってないですよ。
ゴングが鳴った瞬間に試合終了した気分になってしまった。
えー……、私と兄が兄妹である事は結構知られていると思っていたんだが、これは私の認識違いなのだろうか?
一応私は辺境伯家に養子に出たので、大っぴらに兄妹と言う事は無いのだがそれでも長官達は言わずとも知っている様子だったし、騎士団関係者も承知されていたと思う。何なら教会のレアンドル様とかもご存知の様子だったしな。王都の民も知ってるんじゃないか?兄、人気だし。
ちょっと言葉に詰まってしまった私を見て、ミュゼットさんは勝ち誇ったような顔をした。
その顔は私が兄と不貞してるって事を言いたいんですね? 残念ながら天地がひっくり返っても槍が降っても亀に毛が生えても兎に角が生えてもあり得ないんですが……
まぁ、やる気満々だというのだけは伝わったけど。と、内心ため息をつく。
さっき来たブルーム伯爵家のエレオノーラさん(十九歳のすらっとした身長の高い、細い銀縁の眼鏡が似合いそうな知的系美人さんだった)も会話の矛先をシャルから私に変更したけど、あちらは完全に私に気に入られてそこからを狙っていた。状況からそちらの方が可能性が高いと判断したのだろう。するかしないか別として、可能性としては私もそう思う。
たけどこの子は真っ向から来た。
シャルの様子からそれが難しい事とわかっているのかいないのか……わかっているのだとしたら自信家だし、わかっていないなら随分視野が狭いか考え足らずか……後者の線が濃厚そうだなぁ……
横の伯爵はシャルと話しながら掴めない笑みを浮かべている。
こっちも知らないのか……それともミュゼットさんの囁きが聞こえなかったか……
どっちにしてもその前の発言で喧嘩売ってるんだから、なかなかな強心臓をお持ちではあるか。
この強気のベッカー伯爵はどういう家なのかというと、南方の海に面した領土を持つ領地持ち貴族だ。
この国で海に面した領地を持っているのはこのベッカー伯爵家と辺境伯家だけだ。それがどういう事かというと、塩の管理に携わっているという事だ。塩の販売は王家が取り仕切っているが、そうは言ってもそれなりに利権というか富が生まれるわけで、ベッカー伯爵家は代々裕福なのだ(ちなみに辺境伯家はついこの間までこの塩を作る権利を剥奪されていた)。
調べたところずっと堅実な領地経営をしてきていたようなのだが、当代当主――つまり横にも縦にも大きなこの男性が少々権力欲のあるタイプの人間のようで、より上を目指そうとミュゼットさんを使おうとして失敗した経緯がある。
具体的に言うと、今から六年前ぐらいにラウレンスを篭絡しようと色仕掛けをした。まだまだ少年の域にあるラウレンスにだ。失敗はしたんだが、それからミュゼットさんはちょっと結婚相手としては微妙という認識をされてしまったのだ。伯爵の方はまだいけると思っているようで、いろいろな派閥へと娘を売り込んだりしていると聞いたのだが……現実は今に至っている。
最近は辺境伯家が塩の精製を再開したから、唯一塩を手掛ける貴族という名も無くなり落ちぶれるかもしれないと焦っている可能性もなくはない。春は無視されて、先ほどもなかなかな対応をされたのに堪えた様子がないのは、引くに引けないと思い込んでいるとかありそうだ。
ミュゼットさんの方はどういう考えを持っているのか話からはよくわからなかったのだが、見る限り自主的に側妃の座を狙っているのだろう。目がもう自分の魅力を自覚していて、もっと上に行けると信じて疑っていない感じがするのだ。
なんだか前世、新人で入って来た可愛い子が、お局の私に対して鼻で笑ってきたことを思い出してしまった。ミュゼットさんに鼻で笑われたわけではないけど、キャットファイトが得意そうな感じが似ていて……
「ええと、ミュゼットさん? 騎士団長は私の兄なのですけれど」
ともかく、勘違いを正すのが先だろう。
正しておかないと盛大な自爆をしそうな気がする。
別に彼女を庇うつもりは無いが、せっかくの夜会を騒がせたくはない。
「そのようなご冗談をおっしゃらずとも宜しいのですよ?」
獲物が掛ったような顔をして笑みを浮かべるミュゼットさん。
私は今、街灯に群がってそのまま死にゆく夏の虫を見ているようだよミュゼットさん。とりあえずその話題から離れようか。な?
「いえ、そうではなく、私は辺境伯家に養女として迎えていただきましたがジェンス家、男爵家の生まれです。ですから、騎士団長のドミニク・ジェンスは正真正銘血の繋がった私の兄なのです」
「………」
ミュゼットさんは私を見てから、ちらっと横に――シャルに、随分と《《事情に聡い》》娘のようだな?と言われて顔を赤くしている伯爵に視線をやって、事実である事を悟ったらしい。
「私ったらお二人があまり似ていないものでしたから勘違いしてしまいました」
失礼いたしましたと言って、でも許してくださいますよね?と可愛く笑う彼女に、まだ何かやるのかとゲンナリした。
「でもそういうご事情でしたら気軽にお願いする事も可能ですわね」
出来るかい。兄もあれでかなり忙しいのだ。ほいほい呼んだら怒られるわ。
「私がお願いをしているというよりは、今は騎士団長の予定に合わせて外出しておりました」
「妃殿下が、騎士団長様に合わせておられるのですか?」
その通りだけど軽んじられているんですね?という副音声が聞こえる。
「調整可能ですからそのようにしておりますよ」
兄の方は諸々の予定が決定事項として埋まっている。
それに対して私の方は仕事はあるが明確な公務というものがまだない。本当は予定されていたのだが、不特定多数の人前に出ることが多くなるため妊娠判明した事で後ろにずらされたのだ。だから自分の裁量で予定を変更しやすい私が合わせている。
ミュゼットさんはまぁと目を大きくして、それはご苦労をなさっておられるのですねと同情的な顔をした。
……面倒くさくなってきた。
最初は何事かとこちらに視線を向けていた方々も、あらかたはしょうもない内容だったので既に他へと移されている。一部は私と後ろに配置しているのであろう兄を見比べている様子があったので、知らなかった人もいるんだなと意外な気持ちになった。
「騎士団長様のご都合がつかない場合は諦めておられるのですか?」
「いいえ。調整しておりますよ」
聞いてなかったのかな。都合がつくようにやってるって言ったんだけど。
「まぁ……そこまでされているのですね……大切な御身だと思っておりましたが、それほど下々の者に顔を見せる事を大切にされているとは知らず失礼致しました」
たぶんこれは子供よりも自分のやりたい事を優先させるのか。人気取りに奔走するなんて必死ね。と言っているのかな。まぁ妃の役割って第一に子供を産む事だから当然っちゃ当然の指摘だな。
いちいち受け取らないけども。
こっちだってそのぐらいの事はわかって動いている。注意はしているし、有り難い事に私以上に周りが気を遣ってくれている。手間をかけさせている分の成果は……出ている事を希望したい。ああいうのって周りの評価が全てだからな。自己評価は残念ながら役に立たない。
しっかしこの子、本当に面倒だな。
こちらの派閥の御夫人方は……気づいてるな。様子を窺ってくださっているから援護は期待していいな。――やるか。
ブクマ、評価ありがとうございます。




