第166話 聖女の初めての社交の季節⑥
でも、考えてみるとネセリス様は私たちが政略だけで夫婦になった事をご存知の方なのだ。
辺境伯領でのお披露目の時、私を娘だとおっしゃって大変だけど自分達がついているからと励ましてくださった。男爵家の人間の私に対して、それは最大限の心遣いだったと思う。そんな対応を取らなくたって私は従うしかなかったのだから。
あれから考えれば私とシャルの関係も随分変わった。あの時こんな風になるとは思っていなかったわけで、きっと心配してくださっていたからこそ、今楽しげに見られているのだろうな――と、そんなふうに思った。
辺境伯様の方は相変わらずシャルで揶揄うのが楽しいのか、随分な独占欲丸出しだなと私の姿を見てニヤニヤされている。だけどシャルは全く動じず、しれっとした顔で妃なのだから構わないだろう?と平気で返すのだ。思わず本当に変わったなぁと感心してしまった。
辺境伯様に言われて演技をしてからは目があっただけで警戒されたし、言えば飛び退かれたし。辺境伯様にはあしらわれて、デリアさんにズタボロにされて夜中も魘されて……本当、びっくりするぐらい変わったと思う。
辺境伯様もその返しには意表を突かれたようで、軽く目を見張ってから違いないと笑われた。
辺境伯様とネセリス様の次は仕事で顔を合わせた事がある財務長官や、外務長官、内務長官、法務長官が奥方と一緒に挨拶に来られた。
彼らにシャルと一緒に居るところを見られるのは実は初めてで、ちょっと顔を合わせるのが居心地悪く感じてしまう。
内務長官とはよく意見がぶつかって調整に奔走していたので、彼は素の私を良く知っているのだ。だから、殿下とおられる時は随分と大人しいのですね。とか言われて大ダメージを喰らった。日頃仕事を増やしてしまう私への仕返しかこの野郎と微笑みながら睨んでいると、シャルが二人きりの時はもう少し素直でお喋りだがなと横から追撃してきた。まさかの横からの一撃にちょっと頬が引き攣った。しかもそれをしっかり確認されて、なるほど?と楽し気に笑われて……くっそぉ……
必死に表情を抑えているが、顔が赤くなるのがわかってもう手で覆ってしまいたかったが耐えた。
そしたら内務長官の奥様がため息をついて窘めてくださって……
飴色の髪と目をした、大人しそうな佇まいに反してビシバシと内務長官を叱る様子に思わず感動して見つめてしまった。あのしかめっ面ばっかりしてる内務長官がタジタジしている顔なんてそうみられたもんじゃないのだ。しっかりばっちり目に焼き付けた。これなら次会った時にやり合える気がする。
ありがとうございます奥様!
内心で拝んだ事は言うまでもない。
他の長官達もここまでではないが、似たり寄ったりの感想を抱いているのが丸わかりだった。目が口ほどにものを言っていて、突っ込んでくれるなと目で必死に訴えた……
そんな精神力がごりごり削られる中、野次馬達は人が多いところが楽しいのか時間を追うごとにどんどん出てきて、私たちの周りが煩いぐらいにピカピカしだして……これがまた目立つ目立つ……もう君たち妖精みたいな見た目になって余興のごとくその辺飛び回ったら?と思ったら本当に金魚みたいなのとか蝶々みたいなのとかいろいろな形になって会場を巡り始めた。ピカピカは減ったが、なんか会場の賑わいが一層増した気が……しかもこちらに視線が集まるし。私じゃないって。いや、姿変えたのは私が原因だとは思うけど。
そんな折にやってきたのはシャス王国からの来賓である見目麗しい青年。第三王子だとか。
クイシスと名乗るその第三王子は鈍色の髪を緩く編んでおり、女性が好きそうな甘めの顔立ちと柔らかな物腰、男性にしては少し華奢な体格で中性的な部分がある青年だ。
それでも立ち居振る舞いは貴公子然としたものなのでさぞやおモテになる事だろうなと観察していたら、シャルとの挨拶を一通り済ませ、形式的に私をシャルが紹介するとちょっとその表情を変えた。
もともと甘めの顔立ちをしているのだが私の前に膝をついて視線を合わせると、まるでペットショップで見つけた子猫に一目惚れしたみたいなうっとりした目を向けてきた。それから月光を紡いだような髪だとか、大地のような慈悲深い瞳だとか女神のような容貌だとか、なんだかえらい勢いで容姿を褒めてこられた。
本日はもう何度も容姿のことをさんざん言われていたので、客観的に見てもこの顔って凄いよねぇと他人事のように聞き流していたら、細く長い指を揃えて私の前に差し出された。一瞬何かと思ったが、すぐに手を求められている事に気づいた。
内心戸惑いつつ失礼にならないよう差し出せば、今宵女神に見えた感謝をと唇を寄せられ(女性に対する敬意の表し方の一つで、実際に口をつけるわけではない形式的なものだ。うちの国では異性に触れるのはダンスぐらいなのであまり一般的ではないんだが、南側の国ではごく普通に行われているらしい。ラシェル様の教育より)、上目遣いに微笑まれた。
あーこりゃ天然か養殖か知らんが女たらしですわ。と思っていたら、出していた手を流れるようにシャルに取られ、艶を含んだ夜にしか見せなかった目で見つめられ、キスを落とされた。あまり長く見ていると妬いてしまうなと言われて。
偶々見ていたらしいギャラリーの御令嬢方から黄色い悲鳴が上がった。
私も一緒に悲鳴(黄色ではない)を上げたかった。
喉の奥で抑え込んだけど。グって変な声がちょっとだけ漏れたけど。
今ならデリアさんにも手放しで褒められるんじゃないかってぐらいすごいんだけど……たとえ演技だとしても、人前でそんな事までさらっと出来るようになったんですかと感心を通り越して驚愕ですよ。
何はともあれ動揺を押し殺し微笑みを浮かべたまま少し恥じらって見せて、そのような事はございませんと返す。
まごう事なきバカップルの完成に、クイシス王子は怒る事なく仲睦まじいお二人が羨ましいですねと爽やかに言い、お願いしておりました件をどうぞお忘れなきようとシャルに言い残して退散された。ほんのちょっと頬が引き攣っていたような気がするから、退散であっていると思う。
しかも王子が離れた瞬間、シャルは笑みを浮かべたまま舌打ちしてるし。
次の客が来る前にちょいちょいとシャルの袖を引いて耳を寄せてもらい囁く。
「何か懸念でも?」
「……先ほどの若者を見て何か思わなかったか?」
「何か?」
固い声に眉をひそめそうになってしまった。
刺客とか諜報員的な意味?
特に怪しい動きは感じなかったんだが……
「身体はあまり鍛えている様子はなかったと思います。手のひらも硬く無かったので護身程度の戦闘能力でしょうか。魔法特化という独特の空気感もないですし。口は滑らかだったので外交の担い手という印象は受けましたが」
「……見た目は?」
「宜しいかと」
「それだけか?」
「え、何か見落としました? すみません、人相は覚えたつもりですが」
今回の社交で私はラシェル様から顔と名前を一致させるよう課題が出されている。これが結構大変なのだ。似顔絵がある人はいいのだが、そうじゃない人も多いから。
シャスの王子は事前の情報では参加者に含まれていなかったので姿絵を確認する事が出来ず、一応その顔を覚えるように特徴は掴んだ。だがそれだけだと不十分だったのだろうか。
「いや、そうではないが……それならいいんだ」
「それならって……出来れば言葉を濁してないで教えてほしいんですが」
駄目なら駄目でそれ以上は訊かないけどさ。と思ったら、シャルは一瞬迷ったようだが教えてくれた。
「アレはシャスで有名な色男だ。可能ならリーンを落とせと言われているのだろう」
は?
ブクマ、評価ありがとうございます。




