地獄からの手紙
田中 啓志がその日大学から帰ってきたのは、午後6時頃のことであった。
春からアパートでの独り暮らしになって少し経ったが、特に問題もなく日々を過ごしていた。
啓志はいつもどおりに、自分の部屋の番号が書かれている郵便受けの中身を確認する。
そして、今朝に取り忘れた新聞を中から取り出した。
「?」
ふと何か黒い物が郵便受けの奥の方に見えた。
奇異に思いながら、啓史はソレを手に取る。
何だこれは。
それは、不気味なまでに真っ黒な手紙だった。
差出人の名前は無い。ただ、端の方に小さく、修正液で書いたような白い文字で、『To:KT』とあった。
(KT……けいし、たなか……?)
やはり自分宛てなのだろうか。
中身を見てみるが、何も書かれていない。真っ黒な面に、灰色の罫線が引いてあるだけだ。
ひょっとしたら、友人の誰かが悪戯で入れたのかもしれない。
それならば、何も気にすることは無い。明日、思い当たる人物達に問い質してみよう。
啓志は特に気に留めることも無く、自分の部屋へと戻っていった。
奇妙なことはそこからだった。
翌日、啓志が最も親しくしている四人の友人に尋ねると、四人揃えて皆、「自分も送られてきた」と言ったのだ。
そんな馬鹿な、そう言うと、全員あの手紙を懐から取り出した。
言うまでも無く、それは啓志の持っている物とそっくりだった。
ただ端っこに書いてある文字が、それぞれのイニシャルになっているだけだった。
啓志は混乱した。
誰かがふざけてやったのだと、そう思っていた。いや、もしかしたらその誰かが全員にやったのかもしれない。それとも、全員がグルになって自分をからかっているのかもしれない。
しかしどうやら、みんながそう思っているようで、警戒心を剥き出しにしている。
ただ一人を除いて。
「もしかしたら、地獄からの手紙……だったりしてね?」
そう言ったのは、オカルト好きのルミだった。
「どういうこと、それ?」
利奈が声を震わせて彼女に問うと、
「ほら。『これからお迎えにあがりますよ』みたいな」
ルミはくすくすと笑う。
「ふざけんなッ!」
その様子を見て怒鳴りだしたのは、一番怒りっぽい章吾。
「なに笑ってやがる! さてはこの手紙、お前が作ったんじゃないだろうな!」
「おいおい、落ち着けよ……」
ヒロがなだめる。
「黙ってられるかッ! 冗談でやってるにしたって気持ち悪いんだよ、この手紙!」
それには同感、と啓志は心の中で思った。
昨日は何とも思っていなかったが、こうも全員が自分と同じことをされているとなると、流石に気味が悪い。
しかし、どうも誰がやったというわけではないようだ。
となれば、考えられることは。
(また別の誰かの仕業か……)
結局、その日は何も解らないままで、全員は別れた。
啓志は家路の途中で、今日の会話を思い出していた。
ルミは面白がっていたが、他の人達は少なくともそうは思っていないだろう。
ヒロが一番落ち着いていたが、利奈は怖がりで、章吾は短気。どうにも良くない。
正直、自分としてもこれ以上に険悪なムードになるのは避けたいところだった。
ならば、明日からはどうするか。
そうだ、もう忘れよう。あんな手紙のことなんか。
他の誰かがほんの少し悪戯をした、それでもういいじゃないか。
啓志はそんなことを考えながらアパートに着き、黒い手紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てた。
翌日、啓志達は悪い知らせを聞いた。
ルミが死んだのだ。
啓志達は驚愕した。何故。昨日まで、普通に話していたのに。
どうしてこんなことに。
話によれば、殺されたらしいのだ。
遺体があったのは通学路の途中。鋭利な刃物によって何度も切り付けられた跡があったという。
「多分、通り魔だろう……可哀相に」大学に来ていた警察はそう言っていた。
四人は、それは違う、と感じていた。
何となくだが、例の『アレ』が関係しているような気がしたのだ。
「どうしよう……」
ルミが死んだことを聞いて、最も暗い顔をしていたのは利奈だった。
ルミの死のショックもあるだろうが、あの手紙による死の恐怖もあるのだろう。
それは恐らく、皆同じだ。
だが、利奈は異常なまでに体を震わせていた。
どうしたのかと訊けば、彼女は啓志達にあの黒い手紙を見せた。
それには、昨日とは明らかに違う点があった。
文面である。
黒い面に引かれている灰色の罫線の間。
『ツギハオマエ』
たった六文字。修正液で書いたような白い文字でそう書かれていた。
「いやだよ……わたし、ルミみたいになりたくない!」
利奈は途端に泣き出した。
「お願い! わたしを護って!」
「うるせえよッ!」
章吾が声を荒げた。
「自分の身くらい、一人で護れよ! オレ達まで巻き添えにする気か!」
「わたしを見捨てるの!?」
互いが怒鳴る。
「落ち着けよ、二人とも!」
ヒロが間に入る。
「章吾。僕は、利奈に付くよ」
「正気か、お前!? 殺されたらどうすんだ!」
「そんなの関係無いだろ! ルミが死んだんだ! 僕はこれ以上、友達を失いたくない!」
流石にヒロも相当に感情的になっていた。
「……勝手にしろッ!」
章吾は一人で帰った。
「啓志。君はどうする?」
ヒロは、残った啓志に尋ねた。
利奈と一緒にいることが怖くないわけでは無かった。
ただ、章吾のように一人でいる方が、啓志は危険だと思ったのだ。
啓志は首を縦に振った。
偽善だ。最初から護る気など無い。
それでも素直にありがとう、と感謝を言う利奈を見て、啓志は少しだけ心が痛んだ。
その日の帰り道。
ルミは下校途中に殺されたとなれば、『ソレ』はそろそろ来るはずである。
ヒロ、利奈、啓志は道を横に並び、周りを警戒しながら進む。
しかし、何かが出てくる気配も何も無い。
「やっぱり、考えすぎ……かな」
利奈が呟く。
「いや、僕はいくらなんでも偶然とは思えない。誰かの悪戯だったとしても、用心に越したことは無いよ」
「で、でも……二人に迷惑かけちゃ―――」
利奈の言葉が突然途切れた。
飛び散る鮮血。
ヒロと啓志は絶句する。
それは、背後。
白のワンピースを着た、長い黒髪の女が手に鎌を持って立っている。
「あ……ぁ……」
啓志の口から出るのは、声にならない声だけ。
女が持つ鎌から血が滴れ落ち、コンクリートの道路に赤い斑点を付ける。
ヒロが倒れている利奈に近付いて呼びかけているが、何も反応は無い。
確認しなくともその傷の具合を見れば、どうなのか分かる。
利奈はもう死んでいる。
たった今、この女に殺されたんだ。
女の目が何を見ているかは、髪で隠れていて見えない。
啓志は汗が止まらないでいた。
こっちへ来るな。やめろ。来ないでくれ。待ってくれ。殺さないでくれ!
カラン、という音がして、啓志はハッと我に返った。
道路に、血で染まった鎌が落ちている。
女はすでにどこにも居なかった。
「利奈……っ……!」
ヒロが傍らで悔しそうに声を上げる。
対して、啓志は恐怖以外の感情を抱いていなかった。
目の前で友人が殺された。
得体の知れない存在によって。
あの手紙が原因で?
次は自分が狙われる?
手が小刻みに震える。
利奈は殺されたんだ。あの女に。
啓志は落ちている鎌に視線を落とす。
そして、拾い上げた。
(この鎌で………)
自分も殺されてしまうのか?
「……お前ら……!?」
啓志とヒロは顔を上げた。
道の突き当たり。
章吾がそこにいた。
一体何でここにいるのか。いや、今はそんなことどうでも良かった。
「お前らが……やったのかッ!!」
章吾は、現場を見てそう言った。
一瞬、呆気に取られた啓志とヒロだが、啓志は自分の手に持っている物に気付いて、慌てて言う。
「ち、違うっ! 違うんだ!」
「何が違うんだよッ! その手に持っているのは何だッ!」
「落ち着け、章吾! 話を聞くんだ!」
ヒロがなだめようとするが、
「ふざけんな……次は、オレを殺す気か? オレは絶対、お前らなんかに殺されねぇぞッ!」
「お、おい、章吾!」
章吾は全く話を聞かずに、その場から走り去って行った。
「……啓志。今、あの手紙持ってるか?」
啓志は、昨晩のことを思い出す。
「いや……あれは捨て―――」
ふと、自分のズボンのポケットに何か入っていることに気付いた。
馬鹿な。
何でここにある。
啓志はポケットから黒い手紙を取り出した。
「……あるな。ちょっと中を見てみてくれ」
啓志は言われたとおり、手紙を開く。
何も変わったところは無い。文が出てきている訳でもない。
ヒロはそれを見ると、懐から自分に送られてきた手紙を取り出し、中を確認する。
「……僕の方にも何も書かれてない」
それが、何を意味するか。
啓志とヒロは確信した。
「……章吾が危ない」
ヒロは素早く携帯を取り出し、どこかへ連絡を入れる。
「啓志。君はここで警察と救急車を待ってくれ。僕は章吾を追う」
それだけ言って、ヒロは駆け出した。
「ヒロ……!」
啓志はただ呆然と立ち尽くす。
まだ頭の中が混乱している。
利奈が死んだ。
女が殺した。
ヒロは章吾を助けに行くのか。
警察と救急車はあと何分で来るんだ。
啓志は、居ても立っても居られずに頭を掻き毟る。
そして、あることに気付いた。
自分がさっきまで握っていた鎌はどこだ?
辺りを見回す。
無い。無い。無い。どこにも無い。
鎌がその場から消えている。
「………章吾……ヒロ……」
啓志は何も考えずに走り出した。
「嫌だぞ……オレは絶対に死なない……死なない……」
とある公園の公衆トイレの中。
章吾は一人でぼそぼそと呟く。
「あいつらに殺されてたまるか……こんなもので……」
章吾は、死の宣告が書かれた手紙を握る。
「こんなものでッ!」
その場に叩き付け、何度も踏み潰す。
「はぁ……はぁ……」
息切れを起こし、トイレの洗面台の水を流す。
軽く顔を2,3回洗い、顔を上げて、鏡を見る。
「……お前……ッ!?」
「うわあああああぁぁぁぁ!!」
悲鳴が聞こえて、ヒロは公園の方へ走る。
「章吾!?」
公衆トイレの中に入る。
そこには誰も居なかった。
だが―――
「何だよこれ……」
トイレの中は血が飛び散った跡で真っ赤に染まっていた。
「…………」
ヒロはトイレから出て、自分の黒い手紙の内容を見る。
肝心の章吾自身が居ないが、ヒロは章吾が死んだことを確信した。
「……僕も駄目か」
『ツギハオマエ』と書かれた手紙を投げ捨てる。
そして―――
啓志は道の途中で立ち止まった。
「章吾……ヒロ………」
『サイゴノヒトリ』
手紙にはそう書かれていた。
何で。
一体何でこんなことになった。
この手紙は何なんだ。
「知りたいのか?」
気が付くと、背後にあの女が立っていた。
「その手紙が何か訊きたいのか?」
啓志はこの声に聞き覚えがあった。
「その手紙は、『地獄からの手紙』と言っただろう」
「……ルミ?」
ルミのような姿をしたソレは、無表情な顔で近付いて来る。
その手には、血が付着した鎌。
「その手紙は私の最期で始まり、お前の最期で終わる」
鎌を振り上げる。
そして―――
女は最後に笑った。
「警部、どうしたのですか? 何か考え事でも?」
「いや……この大学生が5人殺された事件のことでな……」
「何か分かったのですか?」
「そういう訳では無いのだが……この5人を殺された順番に並べてみろ」
「こうですか?」
「そうするとな………浮かび上がってくるだろう?……最後の方に奇妙な言葉が」
どうも、この小説を書いたSalと申します。
これは、夏のホラー2009参加作品です。
作者の手違いで投稿指定日時を過ぎてしまいました。本当、何やってるんでしょうね私は。
最後に、この小説を最後まで読んでいただきありがとうございました。