「実験」
「つまり……どういうことだ?」
愛宕の低くくぐもった声が、静まり返った会議室に響く。
当然その言葉は、画面内の人物──二日月には届かない。
だが、思わず声が漏れたのは彼だけではなかった。
それほどまでに、今の映像は常識を超えていた。
「脳幹を取り出したあとも、文字通り“頭が空っぽ”になるまで解剖を続けたんだけどね。血の一滴まで拭き取っても、検体の生体反応は……継続したままだったんだよ。いやはや、これは私も驚いた」
映像内の二日月は、楽しげに肩をすくめながらバインダーを手に取った。
「それと、専門外ではあるけど病理的なアプローチも進めてみたよ。細菌、ウィルス、化学物質、電磁的影響。ありとあらゆる病理学的原因を洗い出してみたが……こちらも結果はオールグリーンさ」
指先でページを弾きながら、二日月は微笑む。
「つまり、身体的にも病理的にも、“異常なし”。まるで健康そのもの。……なのに、死体なんだよ。滑稽だろ?」
冗談のような語り口とは裏腹に、会議室の空気は一気に沈んだ。
各コミュニティが大学を“希望の砦”として支援してきた理由──
それは明確に、ゾンビ化の原因特定とワクチンの開発だった。
ジジジ……
「……話が違うんじゃないですか? “ワクチン開発”というアジェンダがあったからこそ、我々は協力を惜しまなかった。色々やってみたけどわかりませんでした、では子どものお使いと変わりませんよ」
トランシーバーから響いた小浪滝の声には、明確な苛立ちが滲んでいた。
「けっ、胸糞悪いが、今回ばかりは小浪滝に同意だな」
愛宕が椅子をギッと軋ませながら身を乗り出す。
「俺たちは“原因を突き止める”って話だったからこそ、あの教授のために大学の奪還作戦も、物資補給も継続してきた。今さら“わからないことがわかった”とか言われたところで、許せる話じゃねぇ」
「待ってください。……教授、まだ話の途中みたいです」
無月が静かに制したとき、会議室の視線がいっせいに再び画面へと向けられる。
そこでは、まるでこちらを見透かすように──二日月がニヤリと笑っていた。
「……さて。シンキングタイムはこの辺にしておこうか」
彼女はバインダーを脇に置きながら、声を潜める。
「まったく、理解不能な現象ってのは、どうしてこうも人の好奇心を煽るんだろうね。……正直、今回の実験では“答え”より“疑問”が多く生まれた。でもね? 一つだけ、大きな進展もあったんだよ」
その言葉と同時に、彼女はテーブルの脇から一丁の拳銃を取り上げる。
金属音が、妙に耳についた。
「なんの真似だ……?」
愛宕が眉をひそめた瞬間、画面内の二日月は、滑らかな動きで暴れる検体の眉間へと銃口を向ける。
パンッ
乾いた破裂音が、会議室の空気を切り裂いた。
銃声と同時に検体の頭部が跳ね、その場で痙攣し──やがて、完全に動かなくなった。
「……動きが、止まった……?」
それは誰の言葉でもなく、全員の心に浮かんだ疑問だった。
さっきまであれほど異常なまでに“生きていた”死体が、今、ただの“死体”になった。
「いままで……頭部の破壊が有効だと思っていたのは、脳が機能しているからだと考えていた。しかし、今みたいに、“空っぽ”の状態では……」
神座が絞り出すように言いかけたところで──
「──そう。“脳はもう、どこにもない”」
画面の中の二日月が、まるで応えるように再び口を開いた。
「なのに、撃たれて止まった。……これがどういう意味を持つのか。みんなは、わかるかい?」
彼女の問いかけに、誰も即答できなかった。
たった今、彼女が撃ち抜いたのは──“ただの肉塊”だったはず。
それなのに、“止められた”。
そこには論理も、構造も、法則も存在しない。
けれど、「撃てば止まる」という現象だけが確かに“事実”として残った。
それは、恐ろしいことだった。
「……これは、もはや医学でも、生物学でも、ない」
無月が小さく呟いた言葉は、しかし誰よりも冷静に場の本質を捉えていた。
「それじゃあ、一体これは何なんだ……?」
その場の誰もが心の中で問いながら、画面の奥で二日月だけが──嬉しそうに、笑っていた。




